巫女達の事と研究室の発足
「ところでさあ、ルークから聞いたんだけど、三人はティア姫様のお世話係になったんだって?」
一通りの予習が済んで一段落したレイは、同じくペンを置いて伸びをしているクラウディアを振り返った。
「ええ、そうなんです。私とニーカ、それからジャスミンも、ティア姫様が来られたら、そのまま神殿側の担当者の一人として働く事になっているんです。もう、覚える事だらけで大変なんですよ」
大変だと言いつつも嬉しそうに少し頬を紅くしてそう言う彼女は、とても良い笑顔だ。
「話には聞くけど、それって実際には何をするんだ? 姫様の身の回りの世話とかか?」
聞いていたキムも、文字を書く手を止めて顔を上げてそう尋ねる。マークは驚いてそんな彼らを見ていた。
「まさか。姫様の身の回りのお世話は、一緒に来られる専任の侍女の方がされますので、私達は何もしません。私達が担当するのは、お祈りの際の付き添いや案内、或いは定期的にある様々な祭事の際の立ち合いや、場合によっては直接指導させて頂くこともあると聞きます」
「へえ、凄いんだな。そう言うのって、もっと偉い人がやるんだと思ってた」
キムの言葉に、ニーカが大きなため息を吐いた。
「私もそう思ってたわ。だけど、詳しい説明を聞いて本気で泣きそうになったもの。今更嫌とは言えないし、諦めて必死で勉強中よ」
ニーカの隣では、ジャスミンも手を止めてニーカの言葉に何度も頷いている。
「えっと、そんなに大変なの?」
驚いたレイが、心配そうにニーカを覗き込む。
「どれくらい大変かって言ったら、そうね……例えば朝のお祈りの際、姫様の立つ位置から、道具の置き方まで全部決まりがあって、一つでも間違ったらやり直しなのよ。一連の動作を止めてはいけない。とか、ここは一旦仕草を止める、とかね。腕の上げ下げの角度から、蝋燭の火の消し方まで全部決められているんだから! もう聞いてるだけで、気が遠くなるわ。って言うか、本気で何の為のお祈りなのかって気になるわよ」
目を細めて思いっきり嫌そうに言うその言葉に、レイは呆気に取られて口を開いたままニーカを見つめていた。
「うわあ、それは聞いただけで大変そう。手伝ってあげられないのは悪いけど、頑張れよな。応援してるからさ」
横で聞いていたキムが、面白そうに笑いながら顔の前で手を振って見せる。
「キムったら酷い! 他人事だと思って!」
ニーカの叫びに、キムは笑って肩を竦めた。
「そりゃあまあ確かに、他人事だもんなあ」
「ひーどーいー!」
笑いながらキムの腕を掴んで揺するニーカに、彼は無抵抗でされるがままだ。
「こら、遊んでるんじゃないよ」
笑ったマークが止めに入る振りをして、一緒にキムを振り回す。
「うわあ」
悲鳴を上げてキムが椅子から転がり落ちるのを見て、全員が同時に吹き出してしまい、部屋は笑いに包まれたのだった。
食事の時間になり、揃って食堂へ向かう。
食堂では多くの生徒達がいるので先ほどの話題は出ず、好きに食べながら花祭りの期間中にあった楽しかった事を話して過ごした。
ヴィゴ様の所の猫や、ガンディの愛玩竜のピックがいかに可愛かったかをレイや少女達が夢中になって話し、マークとキムは目を輝かせてその話を聞きたがった。
皆、それぞれに話したい事は山のようにあったが、残念ながらこの日はここまでになった。
「それじゃあまた後でな」
それぞれの教室へ向かう少女達とレイを見送り、マークとキムは、そのまま別の階にある特別教室へ向かった。
「失礼します」
ノックをして、指定された部屋の扉を開く。
「あれ、俺達が一番か。良かった」
小さく呟き、持っていた資料を机に置いてから手早くカーテンを開けて窓も開け、シルフ達に頼んで部屋の換気をしてもらう。締め切っていた部屋は少し空気が淀んでいるからだ。
空気が入れ替わった所で窓を閉め、ランプの明かりを大きくして、壁に立て掛けたままになっていた机と椅子を組み立てて手分けして並べる。
丁度そこまで終わったところで、ノックの音がした。
「はい、どうぞ」
直立してそう答えたキムとマークは、慌てて扉の方に向き直った。
入って来たのは、ガンディとマイリーの二人だ。
「ああ、準備してくれていたのか。悪かったな」
マイリーの言葉に、二人は慌てて首を振り、移動式の黒板を机の横に持って来た。
「今日しか時間が取れなかったのでね。ああ、もう座ってくれ。時間が惜しいので早速始めよう」
「はい、本日はよろしくお願いします」
やや緊張した面持ちでそう言い、キムとマークは向かい側の席に座った。
「先日の、女神の神殿での騒ぎの際、発動したあの巨大な光の盾を、君達はどう思った?」
いきなり本題に切り込まれて、二人は居住まいを正した。
実は昨夜、突然上司からマークと共に呼び出しを受け、新しく発足する研究室に、キムとマークも参加するようにとの命令書を受け取っていたのだ。
それが精霊魔法の合成と発動に関する研究室だと聞けば、彼らに断る理由は無い。
そしていきなり、明日マイリー様とガンディ様が訓練所に来られるので、詳しい話を聞くようにと言われた。
その為、急遽授業の一部を変更して、午後からは彼らとここで話をする事になっていたのだ。
ブルーのシルフも急遽参加して、まずはあの日の各自の行動から改めて確認して書き出していく。
今回は偶然だったのだろうけれど、あれが再現出来れば強力な防御の技となる。
最前線で戦うマイリー達が、研究室を設置してでも再現しようとするのは、ある意味当然だった。
キムとマークは、書きかけの論文も持って来ていて、彼らに見せながら合成魔法の発動の確率と可能性について、真剣に夕方近くまで議論を続けていた。
「この研究室には、レイルズとルーク、ロベリオとユージン、それからクラウディアとニーカにも参加してもらう予定だ。皆忙しいだろうからなかなか全員が揃う事は無いだろうが、折を見て順に、それぞれの考え方をまずは聞こうと思う。何か気が付いた事があれば、いつでも連絡を」
マイリーの言葉に、キムとマークは直立した。
「了解しました」
「それから、この論文も実に興味深い。今後もできれば回覧しておくれ。自分に光の精霊魔法の適性が無かった事が今ほど悔しかった日は無いな」
悔しそうにそう言って苦笑いするマイリーに、同じく光の精霊魔法の適性が無いキムは、彼に不思議な親近感を覚えたのだった。
少し早めに帰っていったマイリーとガンディを見送ってから、キムとマークの二人の口から同時にため息が漏れた。
「まさか、ガンディ様だけでなく、マイリー様を始めとした竜騎士隊の方々やアルス皇子様まで一緒に研究する日が来るなんてな」
マークの呟きに、キムも大きなため息を吐いて頷く事しか出来なかった。
「俺は正直言って怖いよ。何だか自分が知らない場所に勝手に連れて行かれるみたいでさ」
「やっぱりそうだよな。だけど、これは本気で一生賭けてでも研究する価値の有る事だよな」
「頑張ろうぜ」
「ああ、そうだな、頑張ろう」
二人は顔を見合わせて拳をぶつけ合った。
自分達の研究とも重なるので、彼らにとってもこの研究室への参加は大きな収穫となる。
新人や研究生として気軽に過ごしていられた去年までと違い、才能を評価され、どんどん大きな物事に関われるようになってきて、喜びつつも内心では相当緊張している二人だった。
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