レイルズの場合

 レイは、頭上に見慣れた三頭の竜が飛んで来るのを見て、考えるよりも先に走り出していた。



 後ろで少女達の歓声が聞こえたが、振り返る余裕は全くなかった。

 頭上の三頭の竜達から、花束が一斉に撒かれる。

 こっちに向かって落ちて来る花束に向かって、去年のように必死になって飛び上がって手を伸ばした。




 その時、不意に今朝のルークの言葉が思い出された。

「前回の花祭りとの最大の違いは、お前が成人年齢になったって事だ」



 そして、初めての花祭りの時に聞いた、マティルダ様の言葉も。

「男性が女性に跪いて竜騎士の花束を贈っているでしょう。あれには大事な意味があるのよ。私と結婚してください。って意味なのよ」



 その瞬間、レイは自分の体が硬直して時間が止まったように感じた。



 頭の中を、去年、花束を渡した時のディーディーの笑顔がよぎる。

 真っ赤になって、それでも差し出した花束を嬉しそうに受け取ってくれた姿。一生懸命に、女神の神殿で働く姿。

 そして、夜会で興味本位の女性から投げかけられた不用意な質問。


「それではレイルズ様は、彼女との将来をお考えですの?」


 その時は、自分にはそんな遠い将来の事なんてまだ判らない、としか思えなかったのに、今この花束を取ったら、その遠い未来が確実に現実になるのだ。




 躊躇いは一瞬だった。




 しかしその瞬間、手元に落ちて来た真っ白な花束は、レイの掴みかけた手を嫌がるように、指に当たって跳ね飛んで横に落ちた。

「ああ!」

 慌てて横を見て手を伸ばしたが間に合わなかった。

 背の低い、第二部隊の制服を着た小柄な兵士が、レイの手から落ちた花束を抱え込むようにして掴んだところだった。

 一瞬、その兵士と目が合う。

「どなたか知りませんが、心から感謝します! 貴方のおかげで五年越しで彼女に求婚出来ます!」

 伍長の階級章をつけたその兵士は掴んだ花束を抱えて、二等兵の階級章を付けた、自分よりも階級が下のレイに向かって直立して敬礼した。

 そしてそのまま回れ右をして、あっという間にその場から走り去ってしまった。



「そ、そんな……」



 慌てて必死になって周りを見回したが、当然だが、残念ながらもう花束は何処にも落ちていなかった。

 あちこちで、拍手と歓声が聞こえる中、レイは頭を抱えてその場に膝から崩れ落ちて地面に手をついた。

「ああ、取り損なったあ!」

 そんな彼を見て、周りにいた何人かが慰めるように、地面に膝と手をついてうずくまるレイの背中を叩いたり撫でたりしてくれた。




 その時、一際高い歓声が真後ろで聞こえた。そして沸き起こる拍手。

 驚いて振り返ったレイが見たのは、今まさに抱き合うタドラとクローディアの二人だった。

 彼女の手には可憐な黄色い花束が握られている。

 そして笑顔で拍手をする周りの人々。

「ええ、タドラが花束を渡そうとした人って……もしかしてクローディアだったの?」

 目を見開いてそう呟くと、右肩に現れたブルーのシルフが笑ってレイの頬を叩いた。

『今年は残念だったな。だが、エメラルドの主は頑張ったようだぞ』

「そうだったんだね。はは……みっともないところを見られたかと思ったけど……どうやら誰も、僕の事なんか見てなかったみたいだね」

 安堵のあまり半泣きになりながらそう呟き、立ち上がって膝の汚れを払った。




 誤魔化すように深呼吸をして戻ったら、振り返ったニーカが彼を見て小さく笑った。

「残念だったわね。もうちょっとだったのに」

「……もしかして、見た?」

「もちろん」

 優しく笑ったニーカは、隣にいたクラウディアの背中を叩いてレイの方に向かせる。

 彼女が自分を見つめてくれた瞬間、手ぶらで立っている自分が不意に恥ずかしくなった。

 しかし、彼女は今にも泣き出しそうな顔でレイに抱きついてきたのだ。

「嬉しいです。花を取ろうとしてくださった……そのお気持ちだけで、充分です。ありがとうございます……ありがとうございます……」

 まさかお礼を言われるなんて思わなくて、咄嗟に抱きしめて必死になって謝った。

「ごめんね。ごめんね。もうちょっとだったんだけど、指に当たって取り損なっちゃったんだよ」

 その、あまりにも情けなさそうに必死になって謝って言い訳する声に、クラウディアは小さく吹き出す。

「ディーディー?」

 ちょっと拗ねたようなその声がおかしくて、クラウディアは笑いを堪えられない。

「ご、ごめんなさい。だって……だって……」

 抱きついていた手を離して、レイを見上げる。

 情けなさそうに眉を寄せるその顔を見て、クラウディアは堪えきれずにもう一度吹き出した。

「ディーディー?」

 もっと拗ねた声で名を呼ばれても、彼女の笑いは止まらない。レイの腕に縋って、泣きながら笑っている。

「ご、ごめんなさい。だって、レイったら……」

 謝りつつも彼女の笑い声は止まらない。

「もういい!」

 完全に拗ねた声でそう言って背を向けられてしまい、クラウディアは慌てて腕を捕まえる。

「もう知らない!」

「ごめんなさい。レイ、お願いだからこっちを向いて下さい」

 背中を向けてわかり易く拗ねていると、笑ったクラウディアが背中から抱きついてきた。

「ごめんなさい。ちょっと嬉しくてはしゃいじゃったみたい。大好きよレイ……愛してるわ」

 最後はごく小さな声だったので、恐らくレイ以外には聞こえなかっただろう。

 その言葉に、唐突にレイは耳まで真っ赤になる。ギクシャクと振り返ると、自分を見上げるクラウディアとごく近い位置で目が合った。

 そのままお互いに目を閉じて、ごく自然にそっとキスを交わす。



 不意に辺りが静まりかえり、不審に思った二人が離れて周りを見た瞬間、大きな拍手が沸き起こり大爆笑になった。



 周り中の人達が全員揃って自分達を目を輝かせて見ている事に、二人は唐突に気が付いたのだ。

 悲鳴を上げて、二人揃って顔を覆ってしゃがみ込む。

 笑い声は更に大きくなり、二人の背中は幾つもの手に遠慮なく叩かれて揃ってまた悲鳴を上げたのだった。






「ああ、もう。本当に最高だなお前ら」

 笑い過ぎて出た涙を拭いながら、ルークがもう何度目か分からないくらいに、さっきから同じ言葉を言い続けている。

 揃って真っ赤になったレイとクラウディアは、何とか起き上がったがまだ顔も上げられない。

「いやあ、若いって良いなあ」

 しみじみとそう呟いたルークは、先ほどから一言も発しないヴィゴを見上げた。



「で、大丈夫ですか?」



 完全に面白がっている口調くちょうだが、ヴィゴは反応しない。

 下から覗き込んだヴィゴの顔は、表情が完全に固まって目が座っている。

「まあ、父親としては目の前で娘をかっ攫われた訳だからな。そりゃあこうなるか。うわあ、タドラの奴、これはこの後が大変だぞ。国一番の剣士殿に叩きのめされる未来しか見えねえよ」

 完全に面白がっているルークを横目で見て、ヴィゴは彼以外出来ないようなもの凄く大きな溜息を吐いた。

「……いや、それは違うぞ」

「え? 何が違うんですか?」

「いや……その、詳しい話は後程な。さすがに、ここで口にして良い話ではなかろう」

 さすがにそこは冷静な様で、ルークは密かに感心していた。



 しかし、今朝からのタドラとヴィゴの様子を思い出すと、ヴィゴもこうなる事が分かっていたかの様に思えるが、先程の放心具合は相当な衝撃だったであろう事が容易に想像出来る。

「ううん、どうにも判断する情報が絶対的に不足しているな。まあ、これは当事者達から後程ゆっくりと話を聞かせてもらうとしよう」

 苦笑いしてそう呟いたルークは、まだ真っ赤になって困った様に立ち尽くしているレイのところへ行った。



「なあ、レイルズ君。花束は?」

「うう、今年は僅差で取れませんでした。指に当たって跳ね返っちゃいました」

「それは残念。成る程、それであんな事になった訳か」

 肩を組み、にんまり笑ってそう言われてしまい、またレイは真っ赤になって顔を覆った。

「まあ良い。とにかく戻ろう。いくら何でも遅すぎだよ」

 一転して平然と笑ってそう言うと、ルークはヴィゴ達にも声を掛けて一旦その場を離れた。

 戻る途中に、売店にいる他の子達のためにいくつかお菓子を買い込み、一行は女神の売店へ戻ったのだった。

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