カウリの不安

 花祭りの前夜、神殿での祭事への立ち合いの後、明日の花撒きの為にアルス皇子とヴィゴとカウリは一旦神殿を後にした。

 今夜は城の竜騎士隊専用それぞれの部屋で休む事になっている。

 部屋へ向かう途中、カウリは何度も顔を上げてヴィゴの顔を見ては戸惑うように口を噤むことを繰り返していた。

 二人は、カウリの様子がおかしい事に気付いていたが、人がいる場所で話すべきではないと考えて、口をつぐんだままとにかく竜騎士隊専用の部屋へ向かった。



 先に来てくれていた従卒達が出迎えてくれ、一旦それぞれの部屋に入る。



 普通ならそのまま休むのだが、ヴィゴの部屋をノックする音が聞こえて、ヴィゴの従卒のパトリックは驚いて振り返った。

「ああ、多分カウリだろう。入れてやってくれ」

 上着を脱ぎながらそう言うヴィゴを見て、パトリックは頷いて扉を開けた。

 そこには、ヴィゴの言葉通り、いつもの服装のカウリが立っていた。

「もう、おやすみになられたか?」

 遠慮するような小さな声でそう尋ねられて、パトリックは笑顔で首を振った。

「起きておられますよ。どうそお入りください」

 驚きに目を見開くカウリの背中を軽く押して部屋に入れてやる。

 そのまま控えの部屋へ走り、手早くブランデーの瓶とグラスを二つ、それから軽いつまみになりそうなナッツを幾つか取り、引き出しから氷を取り出してグラスに落とした。

 これは、水の精霊魔法の出来る担当兵が、竜騎士達が来る時にいつも作っておいてくれるものだ。

 透明な綺麗な氷を入れたグラスをワゴンに乗せて、パトリックは急いで部屋に戻って行った。



「ああ、手間を取らせて申し訳ない」

 ノックをして扉を開くと、まだ部屋の入り口に立っていたらしいカウリが慌てたように中に入る。

 何かあったのかと心配になったが、素知らぬふりでテーブルの上に手早くグラスとブランデーの瓶を並べて置き、摘みの小皿も並べる。大きな氷の塊の入ったピッチャーも置いておき、そのまま一礼して部屋を出て行った。



 空になったワゴンを押して出て行ってしまったパトリックを無言で見送ったカウリは、戸惑うように振り返った。

 剣帯を外し、上着も脱いで気軽な格好になった彼を見て、苦笑いして自分も剣帯を外した。

 上着のボタンを外しながら、椅子に座る。

 ヴィゴがブランデーの瓶を開けるのを黙って見ていた。

「何かあったか?」

 グラスを渡されながらそう聞かれて、カウリは戸惑うように唾を飲み込んだ。



「あの……」



 そう言ったきり、言葉が途切れる。

 いつもの彼らしくない様子に、ヴィゴは本気で心配になって来た。先を促そうと口を開きかけた時、カウリの方がわずかに早く口を開いた。

「あの、他でもない、貴方にお聞きしたくて……」

 グラスの酒を一口飲んで、無言で先を促す。

「実は……巡行から戻ってから知ったんですが……」

 そこでまた、言葉が途切れる。



「チェルシーに……チェルシーに子供が出来たらしいんです」



 注意して聞いていなければ聞き逃しそうな小さな声で告げられた内容が、ヴィゴの頭の中で理解されるのに、少し時間を要した。

「……それはめでたい事ではないか。おめでとう。今何ヶ月だ?」

「ガンディの紹介で来てくださった先生に診て頂き、二ヶ月から三ヶ月ほどだろうと」

 俯いたまま答える彼に、違和感を感じた。

「どうした? 嬉しくは無いのか?」

 はっきりと言葉に出して聞いてやると、明らかに肩が上がって一瞬だが震えたのが見えた。

「嬉しいです。チェルシーは子供を欲しがっていましたから。俺だって……いつも二人で言ってました。子供が出来たら、どんな子が良いかって……」

「それなら、何故そんな浮かない顔をしているのだ」

 優しいヴィゴの言葉に手にしたグラスを一気に煽ったカウリは、まるでレイルズのように眉を寄せて首を振った。

「知らせを聞いたときは、そりゃあもう天にも昇るくらい嬉しかったんです。だけど、先生に診ていただいて間違いないと言われて、不意に……不意に怖くなったんです」

「怖くなった?」



 無言で頷いたカウリは、グラスを置いて顔を覆った。



「俺の、本当の父親の事、ご存知でしょう?」

「まあ、報告は聞いているよ」

「あの男の血は、確実に俺の中に流れている。どれだけ否定しても、その事実は変わらない。あんな風に、もしもあんな風に、自分の子を愛せなかったとしたら……憎んでしまったとしたら……馬鹿な考えだって分かってます。でも、俺はたった一度会っただけの、あの男の顔が忘れられない。憎しみに歪んだあの顔がね」

 黙ってグラスに酒を注いだヴィゴは、笑って丸くなっている背中を叩いてやった。

「痛い!」

 わざとらしく痛がる彼の背中をもう一度叩いて、ヴィゴはグラスを置いた。



「カウリ、大事な事を教えてやろう」



 縋るように顔を上げるカウリを正面から見て、ヴィゴは大きく頷いて見せた。

「これだけは言っておいてやる。大丈夫だよ。お前が愛した人の子供だ。愛する対象が増えれば、自分の中にある愛情も増える。一つあるものを分けるのではなく、自分の中にどんどん増えていくんだよ。そして忘れるな。その子の中にある半分は、確実にお前の血が流れているのだぞ」

 泣きそうな顔で自分を見つめるカウリに、ヴィゴはもう一度頷いて見せた。

「確かに、初めての子供の時は俺も不安になった。こんな男の所に生まれて来て、もしも女の子が生まれて俺に似たらどうしようとな」

「そ、それはちょっと……」

 誤魔化すように笑って首を振ったカウリだったが、ヴィゴは笑って両手を広げて見せた。

「幸いな事に、顔は確かに妻に似てくれたが、性格はよく似ているぞ。時折、まるで自分を見ているような気になる時がある」

「ええ、どう言う事ですか?」

 ヴィゴの二人の娘達は、どちらもとても利発で可愛い、魅力的なお嬢さん達だ。

「頑固で、自分が納得しなければ絶対に是と言わぬ」

 それを聞いて、小さく吹き出したカウリは笑って何度も頷いた。

「成る程ね。だけどそれはちょっと可哀想だなあ。こんなおっさんに似た女の子が出来たら……」

「大丈夫だよ。こと出産と育児に関しては、男に出来る事はそもそも限られている。不安になる気持ちも分かる。お父上の事もあるのも分かる。だが忘れるな。奥方は、お前以上に不安だし戸惑っているぞ」

 驚いたように顔を上げるカウリを、真顔のヴィゴは正面から見つめる。

「彼女も、お前と同じでご家族との縁は切れていると聞いた。と言う事は、やはりそれなりに問題があったのだろう?」

 改めてそう言われて、カウリは無言になる。

 彼女の家族の事は、結婚を機に詳しく聞いている。確かに、彼女もまた自分と同じ不安を持ってもおかしくない事実に突然気が付いた。

「妊娠期間中は、特に体調も精神的にも不安定になりがちだ。それにまだ三ヶ月にならぬのなら悪阻つわりも酷かろう。その辺りはどうなのだ?」

「あ、悪阻はかなり酷いみたいで、食事が食べられなくてかなり苦労しているみたいです」

「そうであろう。安定期に入るまではかなり大変だと聞いたぞ。それからもう一つ。彼女の妊娠の事は、イデアは知ってるのか?」

「いや、どうでしょうか? そこまで聞いていないので……」

「後で連絡しておこう、俺から言っても構わんかな?」

「ええと、どうなんでしょうか?」

 逆に聞かれてヴィゴの方が困って口籠る。

「ううむ、これはどうするべきかな……分かった。チェルシーの体調が良く無いようだとお前から聞いたと言って、様子を見に行かせよう。それなら構わんだろう?」

 真顔で言われて、カウリは慌てたように何度も頷いた。

「お気遣い頂きありがとうございます。是非それでお願いします」

 ヴィゴの奥方のイデア夫人とは、結婚以来、親しくしていると聞いている。身近に頼れる頼もしい知り合いがいて密かに安堵したカウリだった。



「休まないといけないのに、愚痴に付き合わせたみたいで申し訳ありませんでした」

 立ち上がって素直に謝るカウリの肩を、ヴィゴは笑って軽く叩いた。

「そんな事で遠慮するな。言っておくが、子育ては本当に大変だぞ。まあ多少の予定は調節してやるから、お前は出来るだけ時間を作ってまずは家へ帰れ。必要な物があれば迷ったら買っておけ。それから、彼女の体調管理を専門に診る事が出来る医者を出来れば家に常駐させろ。そのガンディから紹介されたと言う医者は?」

「ああ、今後はずっと家にいてくれる事になりました。女性の先生なので、彼女も気楽にいろいろと聞けるみたいです」

「それなら大丈夫だな。では改めて言わせてもらおう。おめでとうカウリ。元気な良い子が生まれるように、精霊王と女神オフィーリアに祈らせてもらうよ」


 泣きそうに顔を歪めたカウリは頷いて深々と頭を下げた。

「ありがとうございます。こんな中途半端な奴ですが、頑張りますので。どうか、よろしくご指導ください」

「ああ、わからない事があれば、遠慮無く聞いてくれて良いぞ。俺で分かるなら何でも教えてやるよ」

 改めてグラスを重ねた二人は、顔を見合わせて笑い合い、残りの酒を一気に飲み干した。


 手をつけられなかったナッツのお皿に座ったシルフ達も、安堵のため息を吐いて小さく拍手をしていたのだった。

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