それぞれの想いの飲み込み方

 そのまま本部に戻った二人は、少しだけ休憩室で一緒にお茶と軽食を食べてから、解散した。

 渡り廊下での話は、休憩室では一切出さず、ディーディーのお土産にした罪作りを神殿の皆が喜んでくれたらしい事や、タドラがマイリーと一緒に行く土地が、どんな所かと言う話を聞かせてもらったりした。

「おやすみなさい。また明日ね」

「お休み。明日は訓練所はお休みで一日事務仕事だからね」

「はあい、頑張ります」

 廊下で手を振って、笑顔で別れた。



「お疲れ様でした。夜会は如何でしたか?」

 笑顔のラスティにレイは、突然頼まれてルークとマイリー、タドラだけでなくディレント公爵も一緒に即席の演奏会をした事や、ゲルハルト公爵が持って来られていたワインがエケドラ産だった事、今年の秋の新酒の時にはレイの分も頼んでくれると言ってくれた事などを話した。

「エケドラ産のワインがあるのは知っていましたが、私も見た事はありませんね。殆ど地元で消費されてしまうと聞いておりましたから、オルダムでは手には入らないとばかり思っておりました」

 驚くラスティに、レイも頷いた。

「僕も驚きました。なんでも、出入りの商人にお願いして、わざわざ取り寄せているんだって」

「たしか、エケドラの神殿の管轄はエピの街の神殿だったはずですので、恐らく、公爵家に出入りしている商人に、エピの街に伝手のある商人がいるのでしょう」

 以前辺境伯からも聞いた事なので、レイも頷く。

「もう、到着から一年近くなるものね。怪我はもう癒えたのかな」

 小さな声でそう呟くレイに、ラスティは頷いた。

「重症だったと伺いました。ですが、お若い方ですからある程度怪我が癒えれば回復は早いと思いますね」

「そうだね。元気になっていると良いな……」

 小さく呟き、祈りの言葉を口にした。



 レイは、以前ガンディに彼らの事を全部話して、はぐれの狼に襲われたのだと言うその怪我の状態は、どれくらいの容態なのだろうかと意見を聞いた事がある。

 ガンディは、あくまで自分が診察したわけでは無いので判らないが、と前置きした上で、恐らく、左腕に怪我をしたバルドで約半年ほど、左眼を失明したと言うテシオスは、恐らく年が明けるまではベッドから起き上がる事も出来ないだろうと言われた。ただ、今ラスティが言ったように、ある程度怪我が回復すれば、特に大きな疾患もない若くて健康体の彼らであれば、回復は早いだろうとも言われた。

 辺境伯の話を思い出すと、そろそろ凍てついた大地も溶け始めているだろう。もしかしたら、そろそろ元気になって葡萄畑に出ているかもしれない。そんな風に考えれば、何だか救われるような気がした。

「そっか、でも夜会で飲んだお酒は、まだ彼らは関わっていないね」

 ワインの仕込みの時期を考えて、そう小さく呟いて笑った。




 その日の夜、予想通りレイはなかなか眠ることが出来ず、何度も寝返りを打ってはため息を吐いた。

『疲れておるだろうに。もう休みなさい』

 心配そうなブルーのシルフにそう言われて、レイはもう一度大きくため息を吐いた。

「駄目、眠れない」

 そう言って起き上がるとセーターを着て窓に向かった。

 黙ってカーテンを開き窓を全開にする。

 春とはいえ、さすがにこの時間はまだひんやりと肌寒い。

 しかし、レイは窓に上がると足を外に出して窓枠に座った。下を見下ろし、見回りの兵士が手を振ってくれるのに笑って手を振り返してから、もう一度ため息を吐いて空を見上げた。



 見事な春の星座が夜空を彩っている。



 黙って、ずっと空を見上げているレイの肩には、ブルーのシルフとニコスのシルフ達が現れて、彼の気が済むまでずっと側に寄り添い続けていた。

「母さんや、ゴドの村の皆。タキスやニコス、ギードに感謝しないとね……」

 その言葉以外、何も言わずに黙って空が白み始めるまでレイはずっと空を見上げていたのだった。




 翌日、いつものようにシルフに起こされたレイは、大きく伸びをしていつもより少し高い朝日が差し込む窓を見た。

『おはよう。今日も良い天気のようだぞ』

 膝の上に現れたブルーのシルフにキスをして、大きな欠伸をする。

「おはようブルー。今日は訓練所には行かないで、一日事務仕事だって言ってたね」

 報告書は、下書きだけでもかなりの量になってしまい、どこを削ったら良いのか分からず途方に暮れていたのだが、下書きを読んだルークにかまわないから全部書けと言われてしまい、それはそれで大変な状態になっているのだった。

「でも、塩作りと大規模農園についてはしっかり書きたいものね」

『其方の気が済むまで好きなだけ書くといい。それも良い経験になるだろうからな』

 面白そうなブルーのシルフにそう言われて、レイは小さく笑った。

「書きたい事全部書き出して見せたら、全部書いて良いって言われちゃってさ、逆にまとめるのに苦労してるんだ。今日中にまとまるかな」

『頑張れ』

 笑ったブルーのシルフにそう言われて、レイも笑ってベッドから降りた。

 洗面所へ向かう後ろ姿を見送り、不意に顔を上げたブルーのシルフはくるりと回って消えてしまった。



「おはようございます……おや、もう起きておられましたか。朝練はどうなさいますか?」

 一応白服は持って来ているが、出来ればもう少し休ませてやりたい。

「はい、朝練に行きます!」

 しかし、そんなラスティの心配など知らず、元気に振り返ったレイはさっさと寝巻きを脱ぎ始めた。

 昨夜も、明け方近くまで窓に座って空を見上げていたとの報告を受けている。

 何かあったのかと心配したが、どうやら大丈夫なようでラスティは密かに安堵していた。

 着替えを手伝ってやり、先に行っているタドラと合流して棒で手合わせをしてもらった。



「ああ駄目だ。もうちょっとで勝てそうなのに!」

 叩きのめされて悔しそうにそう叫ぶと、満面の笑みのタドラに覗き込まれた。

「頑張ってよね。打ち込んできてくれるのを楽しみにしてるんだからさ」

 笑うタドラに手を引かれて立ち上がる。

 もう体格で言えば、完全にレイの方が大きいし腕だって長い。しかし、まだ一度も勝てた事が無い。

 笑うタドラだったが、恐らく近い将来一番最初に叩きのめされるのは自分の方だろうとも思っていた。

 レイの腕前は初めて手合わせした時に比べたら格段に上達している。まだまだ身体は作れそうだから、冗談抜きでヴィゴと組み合える日もそう遠く無いかもしれない。

 若竜三人組の間では、いつ誰が一番最初に負けるかと、戦々恐々としているのだ。

「でも、もうしばらく先輩面させてよね」

 笑って小さく呟くと、レイの背中を叩いた。




 その日は、ルークやマイリーは一日中お城の会議に出ていた為、事務所でタドラと一緒に報告書をまとめる作業に追われた。

 夕方近くになって、とにかくここまでまとまったものを一旦タドラに見てもらい、いくつか教えてもらいながら訂正したり書き足したりした。

「へえ、かなりまとまって来てるよ。うん、いいね。この調子でどんどん書けば良いよ」

「うう……やっぱり難しいです!」

 机に突っ伏すレイの周りには、笑ったシルフ達が現れて、髪を引っ張ったり報告書を勝手にめくったりして遊び始めた。

「こら、それは大事な書類だから、返してください」

 慌てて取り返して、笑って悪戯なシルフを突っつく。

「そう言えば、閲兵式って、今年は七の月に入ってからになるんですね」

「ああ、殿下のご成婚の後になったからね。もうすぐに花祭り、殿下のご成婚。閲兵式。それから竜の面会。夏まで大きな催しが続くね」

「楽しみにしてます!」

「そう言えば、今年の花祭りは誰が上の席に行くんだろうね」

「僕、もっと近くで見てみたいです」

「花人形は、上からだと遠いからあんまり詳しく見えないもんね」

 タドラも、去年の花祭りを思い出して、笑顔になる。



「そう言えば、もう一年なんだね」

「え、何がですか?」

 唐突なタドラの言葉に、レイが顔を上げて不思議そうに首を傾げる。

「誰かさんが、彼女に竜騎士の花束を渡してから」

 にんまりと笑うタドラにそう言われて、レイはいきなり耳まで真っ赤になった。

 それを見たタドラが、堪える間も無く吹き出し、二人揃って机に突っ伏して必死になって声を出して笑うのを我慢した。


『素敵な恋』

『素敵な恋』

『甘いキス』

『あま〜いキス』

『恋は甘くて素敵〜!』


 大喜びのシルフ達が、手を取り合ってそんな事を言うものだから、レイは逃げようとして、勢い余って座っていた椅子から転がり落ちたのだった。

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