次の街へ

 またしても大歓声の中を列になってゆっくりと駐屯地へ戻って行ったが、途中で先程とは違う道である事にレイは気が付いた。

 しばらくさりげなく周りを見ていてようやく納得した。

 恐らく、あの石像が倒れた広場は危険なので封鎖したのだろう。

 その為、かなり大回りをして別の広場を抜けて、来た時よりも時間をかけてようやく駐屯地まで戻ってきた。



「お疲れ様でした。事故を未然に防いでくださり、本当に感謝します」

 出迎えてくれた司令官には、既に石像の倒壊事故の連絡は来ていたのだろう。

 恐縮する司令官にラプトルから降りたルークが笑顔で対応するのを、同じくラプトルから降りたレイは、少し離れた所で大人しく見ていた。

「ルークは凄いよね。僕、あの時は咄嗟だったから上手く指示出来なかったもん」

 ラプトルの頭に座っていたブルーのシルフが、何か言いたげにレイを見ている。

「何?」

 レイの言葉に、ブルーのシルフは笑って首を振った。

『我はそうは思わんがな。其方は中々に上手くやったと思うぞ?』

「だって、訓練所で習ったんだよ。シルフに指示を出す時は、出来るだけ具体的に言わないと駄目なんだって。あの時のルークは、シルフ達に石像を止める様に言ったでしょう? 僕は、守ってって言っただけだもん」

『しかし、あの場で其方が同じ事を言ったら、その指示は無駄になったではないか』

「そりゃあそうだけどさあ……」

 眉間にシワを寄せて口を尖らせるレイに、ブルーのシルフは肩を竦めた。

『それに、シルフ達は、其方が何をしたかったか正確に理解してくれたではないか』

 ブルーのシルフに笑いながらそう言われて、レイは小さくため息を吐いて頷いた。

「そうなんだよね。ちょっとびっくりしたもん。あれって、ブルーが何かしてくれたんでしょう?」

『我は何もしてはおらんよ。あれは全て其方の手柄だ。もしもあの場で大勢の人達がパニックを起こして駆け出せば、確実に群衆に踏みつけられて、小さな子供や女性に死者が出たであろうな』

 驚いて自分を見つめる愛しい主に、ブルーのシルフは大きく頷いて見せた。

『よくやった。誰が言わずとも、我は知っておる。あの場の最大の功労者は其方だよ。それに、もうすっかりシルフ達を己の支配下に収めておる様だな。良い事だ。我も嬉しいぞ』

 優しく言い聞かせる様に言ってくれたブルーの言葉に、ようやく眉間にシワが寄っていたレイの顔にも笑顔が浮かんだ。

「ありがとうブルー。そんな風に言ってもらえたら、何だか元気が出てきた」

 せっかくのブルーの心からの称賛も、どうやらお世辞だと思われている様だが、ブルーのシルフは笑ってふわりと浮き上がり、愛しい主の頬に心を込めたキスを贈るのだった。

『其方はとてもよく頑張っておる。だが無理はしてはならんぞ。其方の時間は、まだ始まったばかりだ』

 笑顔で頷くレイの肩に、ブルーのシルフはそっと座った。



「レイルズ。じゃあ戻るよ」

 振り返ったルークにそう言われて、レイは元気に返事をして隣にいた兵士にラプトルの手綱を返した。

「大人しい良い子だったです。この子の名前は?」

「サンダーと申します。額の横に、稲妻の様な傷があるのです」

 兵士が指差した場所には、確かに斜めに走る小さな傷が見えた。

「どうしたの? こんなに傷痕が残るなんて」

 心配そうに撫でてやると、サンダーは嬉しそうに目を細めて喉を鳴らした。

「生まれてすぐに、近くにいた別の子供と喧嘩をしまして、二匹揃って顔に怪我をしてしまったんです。まだ鱗も生えそろわないうちだったので、どうやら傷が残ってしまった様なんです。もう一匹にはドンナーって名前が付きましたよ」

 どちらも、雷を表す古い言葉だ。

「駄目じゃないか。喧嘩したら」

 もう一度笑って首の辺りを撫でてから、レイは急いで待ってくれていたルークの後に続いた。



「何の話をしていたんだ?」

 小さな声でルークが聞いてくれたので、レイは、兵士から聞いた乗っていたラプトルの名前と由来を話した。

「生まれてすぐに喧嘩するなんてやんちゃな子だったんだな。でも、今は良い子になってるんだから、調教師達の苦労が偲ばれるな」

「そうだね。あれだけの人混みの中へ行っても、堂々としていたもんね」

 笑ってそんな話をしながら、案内されて駐屯地の中にある大きな建物に入って行った。

 もう太陽は、頂点を過ぎてやや傾き始めている時間だ。

「すっかり遅くなってしまいましたね。こちらに昼食をご用意させて頂きましたのでどうぞ」

 案内された部屋で、大人しく並んで座り用意された昼食を頂いた。

 同席したのは、司令官と何人かの士官達だけで、気軽に頂くことが出来た。

「この後は、この地方にいる貴族の方達との面会だからな。まあ、大人しく座っていれば良いよ」

 食後のカナエ草のお茶を飲んでいる時に小さな声でそう教えてくれたルークに、レイは笑顔で頷くのだった。




 聞いた通り、別室へと押された二人は、待っていた貴族の方々との挨拶に追われた。

 笑顔で対応しつつも、もう既に何が何だかさっぱり分からなくなってしまっていた。

 正直言って、ここまでで紹介された人の中で、レイが顔と名前を覚えているのは数人程度だ。ニコスのシルフ達がいてくれなかったら、どんな惨事になっていたかを考えて、ちょっと情けなくなるレイだった。

「皆、どうやって覚えているんだろうね。本当に凄いや」

 小さなため息と共に、そう呟くと、ニコスのシルフ達が笑って首を振った。

『皆、人の名前と顔を覚えるのには苦労しているよ。だけど、例えば名前に特徴があったり顔が個性的だったりすると覚えやすいでしょう?』

 そう言われて、レイは小さく頷く。

『その時に、他の人達を紐付けして覚えるの。あの時に会った誰それの次に会った人、だったりね。後は、交わした話の内容に紐付けして覚えたりね』

「そっか、いろんな覚え方が有るんだね」

 感心した様なその呟きに、ニコスのシルフ達は嬉しそうに笑った。

『主様は真面目』

『もっと楽しても良いのにね』

『我らが覚えているのにね』

「そんなの駄目だよ。僕も頑張って覚えてるんだからね」

 小さくそう呟き、また新しい人と笑顔で握手を交わすのだった。




 一通りの挨拶が済めば、そのまま別室へ通されて貴族の方達と一緒にお茶とお菓子を頂いた。

 レイの隣に座ったのは、ザルツフェルト商会を支援しているのだという方で、彼が一生懸命説明してくれる塩作りを、レイは真面目に一生懸命聞いていたのだった。



「本当にありがとうございました。とても勉強になりました」

 ようやく時間だからと解散した時には、さすがのレイも疲れ果てていた。

「うう、昨日と今日で、すっかり塩作りに詳しくなったよ。出来れば神殿関係の人とお話ししたかったんだけどね。残念でした」

 慰める様に笑って頬にキスしてくれたブルーのシルフに、レイも笑ってキスを返した。

「この次のクレアの街の神殿も楽しみだよね。クレアの街はディーディーの生まれ故郷なんだよ」

 嬉しそうなレイの言葉に、ブルーのシルフも嬉しそうに何度も頷いてくれたのだった。



 改めて司令官の案内で庭に出る。

 そこには既に、背に鞍を乗せたブルーとオパールが待っていてくれた。

「お待たせ!」

 駆け寄って、差し出してくれた大きな頭をしっかりと抱きしめる。

 鳴らしてくれる喉の音を聞きながら、レイは愛しいブルーに何度もキスを贈ったのだった。

「相変わらずだなあ、お前は」

 からかう様な声が聞こえて、慌てて顔を上げると、整列した兵士達が何とも言えない顔で自分を見つめていた。

「あ、失礼しました」

 慌ててそう言うと、笑った司令官がブルーを見上げて感心した様に首を振った。

「改めて近くで会わせて頂き、予想を遥かに超える古竜の大きさと力強さに圧倒されました。本当に、よくわが国の竜騎士見習いとなって下さいました。レイルズ様。どうぞ、立派な竜騎士におなり下さい、陰ながらこの地から応援しております。もしも何か私如きでもお力になれる事がありましたら、いつなりと連絡頂ければ出来る限りの事をさせて頂きます」

 笑顔で差し出される右手を握り返し、レイはただ何度もお礼を言う事しか出来なかった。

 こんな風に、今まで会った司令官達は皆、レイに言ってくれたのだ。

 いつでも力になるので、遠慮なく呼んでくれと。

 今ではレイも、この言葉は社交辞令だと分かっている。それでも、そう言ってくれるだけで嬉しかった。



 揃って敬礼してから、ブルーの背中に腕からよじ登っていく。

 ブルーは他の竜とは大きさが桁違いなので、ルークの様に格好良く一度で背中の鞍に飛び乗る事が出来ないのだ。

 改めて背の上から敬礼してから、ルークの合図でゆっくりと上昇する。兵士達の大歓声に見送られて出発した。

 竜の姿を見た街の方からも、またしても大歓声が聞こえて来る。

 ゆっくりと街の上空を何度か旋回してから、二頭の竜はクレアの街へ向けて出発したのだった。

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