空の旅

「気持ち良いね」

 自分の周りを嬉しそうに飛び回っているシルフ達に、レイは笑顔でそう話しかけた。


『お出掛けお出掛け』

『楽しみ楽しみ』


 嬉しそうなシルフ達にそう言われて、レイは笑って首を振った。

「確かにお出掛けだけど、これは大事なお仕事なんだよ」


『お仕事?』

『お仕事?』


「そうお仕事」

 真面目にそう言うと、シルフたちは笑って首を傾げた。


『お仕事お仕事』

『大事なお仕事』

『お仕事って何?』

『何なの?』

『何なの?』


 揃ってそう聞かれて、レイは目を瞬く。

「えっと、そこを聞かれるとは思わなかったよ。お仕事って……えっと、なんだろう?」

 困ったように呟くと、隣を飛んでいたルークが吹き出す音が聞こえた。

「笑わないでよ。でも改めて聞かれたらなんて言ったらいいのか分からないです。ねえ、シルフ達にお仕事を分かりやすく説明するなら、なんて言ったらいい?」

 情けなさそうに眉を寄せるレイに、ルークはまた笑って肩を竦めた。

「そうだな。言ってみれば、人が精霊王から与えられた役割、かな」

 そう言ってルークはまた笑う。

「大人になると、人にはそれぞれに役割が与えられる。もちろん自分で選ぶ事も出来るし、逆に選ぶ間も無く与えられる事もある。例えばそれは物を作る事だったり、何かを運ぶ事だったりするな。与えられた役割を受け入れて働けば、それに対して報酬、つまり対価が支払われる。俺達に与えられたその役割は、竜の主って訳だ。竜の主である事は、基本的にこの国では竜騎士になるって事で、そうなると俺達に竜騎士としての役割が与えられる訳だ。それがつまり俺達の仕事だ。今から行こうとしている先々の街には、俺達を待ってくれている人達が大勢いる。そこへ行ったら様々な仕事が待っている訳だ。精霊王の神殿への正式な参拝だったり、現地の人との面会だったり、軍の駐屯地の視察だったりな」

「そうなんだって」

 ルークの説明に頷いたレイが得意気にそう言うと、シルフ達は納得したように揃って頷いた。


『お仕事お仕事』

『役割役割』


「お前といると退屈しないな。改めて仕事とは何だ、なんて聞かれると、確かにちょっと考えるな」

 面白そうなルークの言葉に、レイも笑って頷いた。




 やや曇り空の下、のんびりと並んで南に向かって飛行を続けていると、東側に、南北に流れる大きな川が見えてきた。

 遥かに遠いが、はっきりと蛇行する川が見えて、レイは身を乗り出した。

「あれが、竜の背山脈を水源とする大河リオ川だよ。オルダムから東の国境の街ピケ、東の交差点の街バークホルト、北の交差点の街ブリストルへと続く三つの街道と交差している。街道と川の交差点にある街レスダムよりも少し川上で、リグラス川とに分かれているんだ。リグラス川は、グラスミアの街の北にあるグラス湖へと流れ込んでいる。街道と並んで、リオ川はこの国の物流の一翼を担っているよ。地理の授業で習っただろう?」

 確かに、それは地理で習った覚えがある。

 その地図で見ていた川が、今、自分達が飛んでいるのと同じ方向に流れている。上空から見ても、遠くに見えるその川の大きさは桁違いだった。

「国境からオルダムに戻る時にも確かに川を越えたね。だけどもっと小さな川だった気がする。蒼の森にある川も、大きくてもせいぜい数メルトくらいの川幅だったよ。あれって川幅は何メルト位あるの? すごく大きいよね」

 遠くに見えるリオ川を指を指す。

「そうだな。大きな所だと川幅は100メルトはあるんじゃないかな? 街道沿いにある川岸の街レスダムでは、巨大なアーチ状の石橋が架かっているよ。今、もう少し川上にある、オルダムからバークホルト間にある街道とリオ川との交差点でも、橋の架け替え工事が行われている。マイリーが言っていたろう? 巡行で視察するって」

 納得したように頷きながら、まだ顔はリオ川に向けられている。

「えっと、そんな大きな川に橋を架けるのって大変だよね?」

「勿論大工事だよ。これは国家事業、つまり陛下の命令で、国のお金で作られているんだ。大勢の人夫達と、ドワーフの技師達が工事に携わっている。街道は人と物が動く要だからね。整備は疎かには出来ない」

 頷くレイに、ルークは右側を指差した。

「あそこ、森の中に筋が見えるだろう? あれが南へ向かう街道だ。竜の背に乗って飛んで行ける俺達は半日も掛からずにフルームに着くけれど、徒歩ならそれだけでも何日も掛かる工程だぞ」

「広いんだね。この国は……」

 そう呟いて、改めて遠くに流れる川を見た。



 地図でいくら見ても、大きいとは思っても実感は得られない。

 蒼の森からブレンウッドへ、そこから街道沿いにオルダムへ。そしてオルダムから国境の砦へ。レイが知っている世界はこれで全部だ。

 蒼の森から国境の砦までお薬を届けた時は、夜だったしブルーの手の中だったから殆ど分からなかった。帰りは北側の森の上をずっと飛んでいたので、どれくらいの距離だったのかの実感は殆ど無かった。オルダムへ来てから初めてブレンウッドへ行った時には、逆に近いと思ったくらいだし、出動命令が出て東の国境へ行った時も、それほど遠いとは思わなかった。

 だけど、改めて考えると、確かにこの国は広くてとても豊かだ。

 広大なロディナの穀倉地帯を有し、竜の背山脈から流れる大河は、国中に豊かな水を張り巡らせてくれている。オルダムの街中を流れる網の目の様な水路も、元を正せばリオ川から流れ出る支流の川の水なのだ。南北のロディナの穀倉地帯にもいくつもの川が流れて、人が作った水路と併せて豊かな水を農地の隅々にまで届けてくれているのだ。



 確かに、目の前にこれだけ豊かな国があれば、それを我が物にしたいと考えるタガルノの人達の気持ちも少しだけ分かる気がした。



「だけど、戦争は駄目だよね」

 小さくそう呟くと、シルフを通じて聞こえたルークが驚いた様に顔を上げた。

「ええ? 何の話だ?」

「あ、ごめんなさい。この国は広くて豊かだなって思ったら、以前ブルーから聞いた事を思い出したんだ」

 こっちを見ているルークに頷いて、レイは前を向いた。

 ブルーが少し首を巡らせてレイを見ている。

「タガルノとの戦いが、どうしていつまでも終わらないかって思って聞いたら、ブルーがね……」

 言い淀むと、面白そうに喉を鳴らしたブルーが代わりに答えてくれた。

「目の前に、己の持っていない豊かな土地がある。ならば、それを切り取って自分のものにしたいと思うであろう? いくら御託を並べようが、タガルノが毎回一方的に攻めてくる最大の理由はそれさ。豊かな土地が欲しい。その実りを寄越せ、とな。身勝手にも程がある。自ら大地の竜を殺し、精霊竜を殺す愚かな国に、与える慈悲など有りはせぬ」

 吐き捨てる様なその言葉に、ルークは苦笑いしつつ頷いた。

「その意見には同意しかないね。だけど新王が立って以降、気味が悪いくらいにタガルノとの国境は静かだからね。まあ、アルカディアの民達も向こうで色々と頑張ってくれているみたいだし。これに関しては、気まぐれでも何でもいいから、頼むからずっと大人しくしててくれって心の底から思うな」

「それに関しては、我も全くの同意見だな。まあ、そっちは今の所大丈夫だろう。新王はまつりごとを投げ出して、文字通り色事と暴飲暴食に溺れているよ。軍部にも特に妙な動きは無い」

「そうみたいだな。ま、好きなだけ何でもしてくれ。国内で収まっていてくれるなら、一切文句は言わないって。本当に平和が良いよ」

 しみじみとそう言うルークに、レイも心の底から同意したのだった。




 少し西に進路を寄せて、街道を右手に見ながら南下を続けていると、前方に一際高い塔が見えてきた。

「ほら、あれがフルームにある精霊王の神殿の鐘楼だよ。とても古い建物でね。ファンラーゼン建国当時にはもう有ったって言われている。って事は、六百年以上昔って事だもんな。神殿の礼拝堂にある玻璃窓は、別名薔薇窓とも呼ばれていて、それは見事だって言われているよ。実は、俺も楽しみにしているんだ。噂に名高いフルームの薔薇窓を見られると思ってね」

「へえ、そうなんだね。じゃあ僕も楽しみにしています」

 お城の精霊王の神殿の別館にも、見事な細工の玻璃窓があるが、それよりも大きいのだろうか?

 近づいて来る街の景色に目を輝かせたレイは、周りに現れたシルフ達に手を振りながら大きな歓声を上げるのだった。

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