ジャスミンの到着

「ああそうか。分かった、戻るよ」

 資料室で集めた書類を持ち出して、すぐ近くの会議室で資料整理をしていた時、マイリーの目の前に伝言のシルフが現れた。

 返事をして持っていた書類を置いたマイリーは、同じく書類を散らかしているのか整理しているのか分からないルークとレイルズに声を掛けた。

「間も無くジャスミンが到着するそうだから今日はここまでにしよう。書類はこのままで構わないよ」

 立ち上がったマイリーにそう言われて、レイとルークも一旦手を止めて簡単に書類を片付けて立ち上がった。



「明日の会議で、ジャスミンの事を陛下が皆にお話しするって聞きましたけど、それならジャスミンも明日の会議に出るんですか?」

 顔を上げたレイの質問に、ルークは驚いたように首を振った。

「いや、彼女はまだ未成年だから公式な場での正式な紹介はしないよ。お前の時と同じさ。陛下の口から新たな竜の主が誕生したと会議の場で話して頂き、その上で、普通ならまだ未成年なので、正式な紹介は成人になるのを待って行う……で済むんだけど、今回は色々と事情が違う。だからその後こう続く訳だ。我が国としては、初めての女性の竜の主の誕生である。ってね。その上で、彼女の役割についても、簡単な説明がある予定だよ。まあ、この辺りは陛下の裁量だからね。具体的にどのような話になるかは俺達も分からないよ」

「初めてって……ニーカは?」

 レイの質問に、ルークは小さなため息を吐いた。

「まあ、彼女の立場は正直言って微妙なんだよ。正式には彼女は死んだ事になっている。だけど、いずれ彼女の存在も正式に認めて公の場で紹介しなければならなくなるだろうからね。まあ、この辺りはタガルノとの外交って言葉が絡んでくるから、色々と大変なんだよ」

 ルークの説明に、レイも納得出来ないものの頷いた。

 たくさん勉強した今なら分かる。

 タガルノの兵士として戦場で捕虜となり、竜と一緒にこの国へ来たニーカは、今の所、公式な立場としてはまるで幽霊のような存在だ。

 クロサイトの主としては、竜騎士隊では認められているが、一切公式な発表は無く殆どの人は彼女の存在を知らない。クロサイトがこの国へ来たのは、あくまでも戦後賠償の一つとしてなのだ。



「ニーカはどうなるんでしょうね?」

 戸惑うようなレイの質問に、振り返ったマイリーはニンマリと笑った。

「まあ、明日の会議を楽しみにしていろ。色々とお考えくださっているよ。決して悪いようにはしないから、そこは陛下を信じてお任せしなさい」

「そうですね。分かりました。じゃあ明日の会議を楽しみにしてます」

 笑顔でそう答えて会議室を後にした。




「あ、馬車が見えてきたね」

 本部の玄関に整列した竜騎士達の一番端に並んだレイは、身を乗り出すようにして、シルフ達が教えてくれた馬車が到着するのを待っていた。

 やがて、やって来た二頭立てのラプトルが引く馬車が、ゆっくりと彼らが整列している本部前に止まった。

 止まった馬車の後ろから執事がまず降りてくる。

「ただいま到着致しました。どうか、お嬢様をよろしくお願い致します」

「ご安心を。我らが責任を持って、お預かり致します」

 アルス皇子の言葉に、執事は深々と頭を下げた。

 それから、執事は振り返って馬車の扉の前に立つ。

「失礼致します」

 そう声を掛けて、ゆっくりと扉を開いた。



 しかし、馬車の中は静まり返っている。

「どうしたの?」

 不思議に思い馬車の中を覗き込もうとしたら、隣に立つカウリに止められた。

「まあ、ここは大人しく待ってろ」

 小さな声でそう言われて、レイは心配ではあったがその場で大人しく待った。





「お嬢様。もう間も無く竜騎士隊の本部に到着致しますよ」

 ようやく泣き止んだものの、ジャスミンは先程から、まるで石像の様にスカートの裾を握りしめたまま全く動かなくなっていた。馬車に乗り込んでからの彼女は、泣き声以外、一言も言葉を発していないのだ。

「お嬢様、大丈夫ですか?」

 侍女のファロウが、心配そうに馬車の床に膝をついて俯く彼女を下から覗き込んだ。

 ジャスミンはまだ少し赤い目で、彼女を戸惑う様に見た。

 その時、ゆっくりと馬車が曲がり、少し坂道を上るのが分かった。

「到着致しました」

 馭者台からの声に、ジャスミンは小さく息を飲んだ。

 とうとう、竜騎士隊の本部に到着してしまった。



 ファロウが立ち上がり、彼女の襟元を直してくれる。

 表で執事の話す声が聞こえて、ジャスミンはもう一度スカートの裾を握りしめた。

 手が震えているのが分かって真っ赤になる。

「失礼致します」

 執事の声が聞こえてゆっくりと扉が開かれるのを、ジャスミンは言葉も無く見つめている事しか出来なかった。




 扉が開いても、ジャスミンはすぐに立つ事が出来なかった。

 この馬車を降りたら、もう戻れない。この時の彼女は、ここだけが唯一の安全な場所に思えたのだ。



 沈黙が続く。



「お嬢様。如何いかがなさいましたか?」

 ごく小さな声で遠慮がちにそう問われて、ジャスミンは小さく息を吸った。

「ええ、行くわ」

 消えそうな小さな声でそう答えると。座面に手をついてゆっくりと立ち上がった。しかし、そのまままたすぐに座り込んでしまう。

「ファロウ……どうしましょう……」

 消えそうな声でジャスミンが呟く。

「如何なさいましたか?」

「どうしましょう、私……立てないわ」

 驚きに目を見張ったファロウは、深呼吸をして、ゆっくりと立ち上がった。

「大丈夫でございますよ。さあ、私の手をとってください」

 泣きそうな顔で、ジャスミンは震える手で差し出された手を握った。



 力一杯引かれて、何とか立ち上がる事が出来た。



「私が先に降りますので、お嬢様はゆっくりと降りて来て下さい。よろしいですね」

 優しい声でそう言われて、ジャスミンは無言で頷いた。

「ごめんね。臆病で……」

 また泣きそうな声でそう言う彼女の手を取り、ファロウは首を振ってそっと優しくその震える手を撫でた。

「誰しも未知の新しい場所へ行くのは怖いものでございます。でもきっと、楽しい事も沢山沢山ございますよ」

「……そうかしら?」

「もちろんです。私は、お嬢様が笑っていてくださるのが何よりの喜びなんです。どうか顔を上げて下さい。大丈夫です。お嬢様には最強の竜が付いていてくださるのでございましょう?」

 まるでファロウの言葉に呼ばれたかの様に、ルチルの使いのシルフがジャスミンの目の前に現れた。


『貴女には私がついているわ』

『来てくれる日を一日千秋の思いで待っていたのよ』

『大丈夫だよ』

『私が守るからね』


 力強い愛しい竜の言葉に、ようやくジャスミンの顔にも笑顔がこぼれた。

「ありがとう。コロナ。私の愛しい竜」

 彼女だけが呼ぶ事の出来る名前で呼び、使いのシルフにキスを贈るとジャスミンはファロウを振り返った。

「心配かけてごめんね。大丈夫だから降ります、ついて来てね」

 その言葉に、ファロウは大きく頷き深々と一礼した。





「あ、出て来た」

 レイが小さな声でそう呟いた時、ジャスミンは扉から真っ赤になった顔を出し、ゆっくりと階段を降りる所だった。

 彼女の後に年配の女性が続いて降りて来て、執事はすぐに馬車の扉を閉めた。

 ゆっくりと走り去る馬車を振り返ったジャスミンは、小さく息を吸ってもう一度振り返った。



 そこには、アルス皇子を先頭に、竜騎士隊全員が整列していた。



「ジャスミン・リーディング。只今到着致しました。未熟者ゆえに御迷惑をかける事も多いと思います。どうぞよろしくご指導いただきますよう、お願い申し上げます」

 片膝をつき、両手を額に当てたジャスミンの挨拶を、全員が黙って聞いている。

「ようこそジャスミン。どうぞ立って下さい。我々竜騎士一同は、貴女の到着を心から歓迎します。これからは、ここが貴女の家になりますよ。頑張ってしっかりと学んでください、その為の手助けならば、皆喜んで致しますよ」

 もう一度深々と頭を下げたジャスミンは、ゆっくりと立ち上がった。



 顔はまだ真っ赤なままだったが、十三歳の少女の立派な挨拶に、皆感心していたのだった。

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