草案のまとめと夜会への参加

 一旦事務所に戻ったレイとカウリは、事務所にいた大人組やルークと一緒に食堂で昼食を食べた。

 そのまま事務所へ戻り、午後からも書類を片付けるのを手伝ったり、例の草案をまとめるのに苦労したりしていた。



「そうだ。なあレイルズ、以前俺にくれた例の古代文字のノートだけどな」

 丁度作業が一段落したらしいマイリーが伸びをして振り返った。

「はい、あのノートがどうしたんですか?」

 書いていたメモを読み直していたレイは、それを置いてマイリーを見る。

「あの後、殿下に報告して、大学院の古代史研究のアガート教授にノートをお見せしたんだが、それはもう狂喜乱舞されてな。その日のうちに研究室が設置されたんだよ。あれを読める専門家はもう少なくなっているから、最低限の翻訳はしておくべきだと言われてノートを取られてしまったんだ。まあ、時々俺や殿下も覗きに行ってるんだけどな」

「あれ、そうなんですか。でも、専門家の方が研究してくださるのなら安心ですね」

 喜んでくれた人が他にもいると聞き嬉しくなった。

「それで先ほどそのアガート教授から連絡があってな。大体の解読が終わったらしい。とんでもないものが書かれていたらしいぞ」

「何が書かれてたんですか?」

 身を乗り出すレイに、マイリーは笑顔になった。

「古代の人々が作っていた巨大レンズの作り方らしい。ただ、いくつかまだ意味不明の単語や箇所があるらしく、それの解読が出来なければ、詳しい翻訳にかかれないらしく、研究員達総出で大騒ぎしているよ。まあ、全てを解読するまでにはまだまだ時間は掛かりそうだな。大変だと言いつつ、教授も研究員達も皆楽しそうだったよ」

 そう言って苦笑いするマイリーの目の前に、ブルーのシルフが現れた。

『ほう、もうそんな所まで解読出来たのか。ちなみに解らん箇所とは何処だ? 聞いておいてくれれば見てやるぞ』

 平然とそんな事を言うブルーのシルフをマイリーは驚いて見つめた。

「そうか、あれはラピスが教えてくれたと言っていたな。では、貴方はあれに何が書かれているのかご存知だった?」

 真顔のマイリーの言葉に、ブルーのシルフは当然だと言わんばかりに頷いた。

『もちろん知っておるぞ。しかし、あれはもう失われた技術だ。だが、後世に正しく残す事に意味は有るだろうと思って、あそこへ其方達を連れて行ったのだ』

「我々を信頼してくれた事に、心から感謝しますよ。やはりあれはもう失われた技術なんですね」

 残念そうなマイリーの言葉に、ブルーのシルフは頷いた。

『今でも技術的には可能かも知れんが、材料となる物がもうこの世界には存在しておらんからな』

 その言葉に、マイリーは片眉を上げた。

「存在していない?」

『そうだ。材料が何かは分かったのか?』

「恐らく水晶だろうという事までは分かりましたが、楕円に削る、としか読めずに困っていると聞きましたよ」

 困ったようなその言葉に、ブルーのシルフは平然と頷く。

『当然だ。そうとしか書けまい。文字通り、巨大な一本の濁りも傷もない水晶の結晶からレンズを削り出すのだからな』

 目を見張るマイリーに、ブルーのシルフは大きく頷いた。

『もうこの世界には、材料となる完全な状態の巨大水晶が無いのだ。残念だが、材料が手に入らぬ以上、あれはもう失われた技術だ』

「やはりそうなのですね。ちょっと教授に知らせてきます。巨大な、完全な、濁りの無い、そんな言葉ばかりが、削る、という単語の周りに羅列してあり、それ自体が何を示すのかが書かれていなかったのです」

 嬉々として話すマイリーとブルーのシルフを見て、レイは呆気に取られていた。

「でも、マイリーも楽しそうだね」

 机の上に置いたメモの上に現れて、得意気に胸を張るニコスのシルフに、レイは笑いかけた。

 どうやら、彼女達の苦労は充分報われているようで安心した。




 夕方近くまでかかって、レイはなんとか初めての書類をまとめる事が出来た。

「出来たー!」

 机に突っ伏すレイの言葉を聞き、ルークが席を立ってレイの背後から書類を覗き込んで手に取った。

「へえ、なかなか上手くまとまってるじゃないか」

「こんなので本当に良いんですか?」

 あまりにも情けないその様子に、書類を手にしたルークは笑ってしまう。

「象徴としての神殿での務め。同時に、竜の主として何が出来るか考えなければならない。これは良い書き方だな。また、精霊魔法の使い手として、何が出来るかも考える必要がある。へえ、案外正攻法で攻めるんだな」

 書いた時は必死だったけれど、改めて音読されると、余りの恥ずかしさに消えてしまいたくなる。

「ルーク、お願いだから……僕に見えない所で読んでください……」

「ええ、初めてにしてはなかなか上手くまとまってると思うぞ。じゃあまあ、これは提出してもらって、後ほどマイリーの意見も聞かせてもらおう。今度時間を作って改めて勉強しような」

「お手柔らかにお願いします……」

 小さくなるレイを見て、ルークとカウリは笑いを堪えられなかった。



「今夜はまた、二人揃って婦人会なんだろう? 早めに何か食べておけよ」

「ルークは来てくれないんですか?」

「ああ、こっちも別の夜会に呼ばれてるんでね。諦めろ。これも大事な仕事の内だ」

「無理ですって、絶っっっっっっ対に無理です!」

 レイの叫びをルークは鼻で笑った。

「そういえば今夜の夜会には、また例の血筋重視のご婦人方も来られるんだとか。大丈夫っすかね?」

「一応、ミレーや他にも何人かに、万一問題がありそうな時には面倒見てくれるように頼んではあるんだけどなあ」

 婦人会の代表を務めるヴァイデン侯爵の奥方を名前で呼んでいるルークに、カウリは何か言いたげだったが黙って口を噤んだ。

「なんだよ?」

 そんなカウリの様子に気付いていたルークが、笑ってカウリの背中を突っつく。

「いやあ、俺も正直言ってこう言うのはあまり得意じゃ無いっすからね。レイルズ、悪いけど何かあっても自力で何とかしろよ」

「ええ、そこは年長者の貫禄で助けてくださいよ!」

「駄目、俺も新人だから無理です〜」

 ふざけた口調でカウリが言い、レイがカウリに泣きつく。もう、これは夜会の前の恒例のやり取りと化している。



「ほら、遊んでないでそろそろ準備して来い」

「へいへい。んじゃあ軽く飯食ってからお召し替えだな」

「装飾品を替えるだけだけどね」

 レイの言葉に、カウリは襟元を見る。

 竜騎士達が夜会や夕食会などに出席する際には、基本的に竜騎士隊の普段から着ている制服で参加する。王族が参加する夜会などの際には第一級礼装なのだが、普段はそんな事はしない。

 例えば、右肩から胸元にかけて飾緒しょくしょとよばれる飾り紐があるのだが、普段は省略されて付けなかったり、身に付けても細い飾り紐のところを、豪華な金糸で作られた太い飾り紐が追加になるのだ。

「飾緒なあ。あれも、デカいのは一本当たり幾ら掛かるか知ってるだけに、使う時は本当に緊張するよ。何処かに引っ掛けたらどうしようってな」

 カウリの愚痴に、全く同意見のレイも何度も頷く。

 普段使っているのは、金茶色の綿糸をり合わせて作られた固くて細い飾り紐なのだが、夜会などの華やかな席の際には、金糸を撚り合わせて作った太い紐を結んで作られている、飾緒と呼ばれるその飾り紐は、何かに引っ掛けると細い金糸が飛び出してくる事がある。一度出てくると絶対戻らないので、引っ掛けてしまうと新しい物に交換しなければならない。

「いい加減慣れろって笑われるんだけど庶民感覚からしたら、貴族の生活って色々おかしいって」

「だよね。確かに色々おかしい」

 顔を見合わせた二人は、同時に大きなため息を吐いた。

「まあいい、じゃあ先に何か食ってこよう」

 やる気のなさそうなカウリの声に、レイも嫌そうに返事をするのだった。

 生粋の貴族であるロベリオやユージンと違い、どうしても庶民感覚が抜けないレイとカウリだった。



 その夜の夜会では、また大勢のご婦人方とダンスを踊る羽目になったが、幸いな事に、二人ともお相手の足を踏まずに済んだし、あからさまな色仕掛けをされる事も無かった。

 レイは、時々聞かれる天文学の話に嬉々として返事をしていたし、カウリは、王妃様から頂いた子猫がいかに可愛いかと言う話で、ご婦人方をたいそう喜ばせていた。

 そんな彼らを、ラフカ夫人を始めとする血統重視派のご婦人達は、遠巻きに見ている。

 あきらかに何か言いたげだったが、ふたりの周りを他のご婦人方が常に取り囲んでいる為に、嫌そうに見ているだけで、特に何か言ってくる事も無かった。




 そんな会場の一角で、シルフ達は並んで何本もの蝋燭が灯された大きな燭台に座り、レイがご婦人方に一生懸命夕方に西の空に見えるよい明星みょうじょうと呼ばれる明るい惑星の話をしているのを眺めていた。


『主様もこう言った場に慣れてきたね』

『堂々としてるね』

『でもこう言う時が要注意だもんね』

『気を付けないとね』


 ニコスのシルフ達は、嬉しそうにレイを見て口々にそう言う。

『そうだな、何事も慣れてきた頃が一番危険だ。よく守ってやってくれ』

 真剣なブルーのシルフの言葉に、ニコスのシルフ達は揃って頷くのだった。

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