訓練所での楽しいひと時

 翌日は、カウリと一緒に精霊魔法訓練所へ向かった、今日は二人揃って医学と薬学の授業のある日だ。

 いつものように午前中は自習室で皆と一緒に過ごし、お互いの近況や、マティルダ様が飼っている猫のフリージアが産んだ子猫が、いかに可愛かったかと言う話で盛り上がった。



 ジャスミンは一の郭の自宅から毎日ここへ通っているらしく、最近では天気の良い日には護衛の人達と一緒にラプトルに乗って来る事もあるそうだ。

「もう毎日、覚える事だらけで本当に大変なんです」

 参考書の本の山を見ながらジャスミンはため息を吐いているが、そんな事を言いつつも、その表情は明るくて何だか楽しそうだ。

「来月までには本部へ引っ越すんだって、昨日父上から聞きました。どうかよろしくお願いします」

「そうなんだね。四階は、まだずっと工事の音がしているよ。えっと、今は内装を変えてるんだって言ってたね。だから確かにもうすぐ出来上がると思うよ」

「そうなんですね。どんなお部屋になるのか楽しみです」



 ジャスミンと楽しそうに話しているレイをちらりと見て、クラウディアは小さく深呼吸をした。

「気にしない、気にしない」

 そう小さく呟いて読んでいた本を持ち直した。そんな彼女を隣にいたニーカはちらりと見て、密かにため息をこぼした。

「本当に世話が焼けるわよね」

 本の山に座ったスマイリーのシルフに、ニーカは苦笑いながら話しかける。


『彼女もラピスの主と同じだよね』

『もうちょっと自信を持てば良いのに』


 呆れたようなその言葉に、ニーカは笑って何度も頷いていた。



 ジャスミンの本の横には、ルチルの寄越したシルフも座っている。

 しかし、彼女は主を持つのは初めてなので、何をするにしても初めての事だらけだ。

 精霊達を通じて知識を持ってはいても、知っているのと実際に行動するのとでは大違いだ。その為、ルチルは出来る限りジャスミンの側にいて、彼女がする事を見ているのだ。

 人の子の考え方。様々な場面でどんな行動を取るか。そう言った事を一つずつ覚えて自らの知識として蓄積していくのだ。

 竜舎では、そのルチルの教育も密かに始まっている。

 竜騎士隊に主のいる竜達が、順番に自分達と共棲している精霊達を寄越してやり、彼女に様々な人の暮らしやしきたり、そして竜騎士の役割や実際の戦場での戦い方などについて覚えさせている所なのだ。

 これらはブルーもここへ来てすぐの頃に、主にルビーから教えてもらった事だ。

 今ではブルーも様々な事を教えられる程になったが、まだまだ知識が先行していて実際には未経験の事も多い。

 しかし、これらの事をレイと一緒にこれから体験していくのだと思い、実は密かに楽しみにしているブルーだった。




「そう言えばもうすぐだけどさ、来月になれば各地への竜騎士様の巡行が始まるって聞いたけど、お前も行くんだろう?」

 自分の勉強が一段落したマークが、レイも休憩しているのを見てそんな事を言い出した。キムも手を止めて顔を上げる。

「あ、えっと、確かにルークからもそう聞いてるよ。来月になれば各地への巡行が始まるって。僕も一緒に行くみたいだね。だけど、まだ具体的にいつから行くか、とか、何処へ行くかとかは全然聞いていないよ。どうなんだろうね?」

 逆に聞かれてしまい、マークは困ってしまった。

「それを俺達に聞くなよ。でもそっか。やっぱりお前も行くんだな。じゃあ、多分ルーク様と一緒に行くんだと思うぞ。見習いの竜騎士は、指導担当の先輩と一緒に行動するのが基本だからな」

 手を止めたキムの言葉に、マークとレイは同時に頷いた。

「そっか、じゃあ僕はルークと一緒で、カウリはヴィゴと一緒なんだね」

「恐らくな。まあ何処へ行くかは近いうちに教えてもらえると思うぞ。それにそう言えば殿下のご成婚って、確か再来月だって言ってたよな」

「そうだよ。再来月の月末の日だって聞いたよ」

 レイの言葉に、部屋にいた皆が笑顔になる。

「きっと素敵な結婚式になるんでしょうね」

 結婚式と聞き、うっとりとジャスミンがそう言うと、クラウディアとニーカの二人も目を輝かせて何度も頷いた。

 彼女達は、アルス皇子とティア姫様の御成婚は、自分達には全く関係が無いと思って完全に観客状態だが、実際には彼女達にも役割が振られる事になっているのだ。

 ルークからその話を少しだけ聞いているレイだったが、ルークから、まだ彼女達には言わないようにいわれているので、言いたいのを我慢して黙って本を読んでいるのだった。




 殿下の御成婚については、六の月の末日に結婚式が行われる予定になっている。その前後には当然様々な神事が行われる。

 ティア姫様がこちらに来られる日取りも実際にはもう決まっているのだが、それはまだ公表されていない。



「巡行と被らないように予定を組むから、調整が大変だろうね」

 レイの言葉に、マークとキムは納得したように頷いている。

「五の月は順番に各地への巡行に行くだろうな。でもって、六の月に入れば近郊の都市を中心に前半辺りで行くんだと思うぞ。御成婚の際には、当然だけど竜騎士隊は全員集合だから、オルダムに戻っていないといけないからな」

「どんなドレスなんだろうね。楽しみだよ」

 チェルシーの見事なドレスを思い出したレイは、今度はどんなドレスなんだろうと密かに楽しみにしている。

「花嫁様の肩掛けには、貴族のお嬢様方が、競って刺繍をなさるんでしょうね」

「どんな肩掛けになるのかしら」

 ジャスミンの言葉に、思わずクラウディアも両手を握ってそう言っている。

 二人は顔を見合わせて頷き合い、そこから二人は刺繍の話で盛り上がっていた。



「ええ! レイルズはカウリ様の奥様の肩掛けに刺繍をなさったんですか!」

 目を輝かせたジャスミンが振り返ってそう言った瞬間、レイは悲鳴をあげて机に突っ伏し、驚いたマークとキムが本を閉じて揃ってレイを覗き込んだ。

「もうその話は勘弁してください! 僕、本当に必死だったんだから!」

 あまりにも情けなさそうに叫ぶレイに、驚いているマークとキムに、事情を知っているニーカが、満面の笑みでヴィゴの娘さん達から聞いた話をした。

「凄えなお前、針仕事までやるのかよ」

「俺も、刺して抜いただけならやった事あるけど、それ以上は絶対無理だと思うぞ」

「だから違うって。僕は、上から刺してリリルカ夫人が裏側から針を引っ張ってまた裏から突き刺してくれたんだよ。僕は上から刺しただけ。それで何とか小さな小花が出来上がったんだって。だけど、僕が刺した花の外側部分はガタガタでね、もう本当にどうしようかと思ったんだって」

 しかし、それを聞いたクラウディアとジャスミンは、揃って驚いたように目を輝かせた。

「じゃあレイルズは刺繍の下書きの意味が分かるのね。そっちの方が凄いわ」

「花嫁様の刺繍は全て真っ白だから、生地への下書きもごく薄い水色の染料で線が描かれているだけなのよ。だから色の濃淡や境界線は、下書きの絵を見ながら大きさや刺し方を確認しなければいけないのに」

 クラウディアとジャスミンの二人から尊敬の目で見つめられてしまい、まさか、ニコスのシルフに教えてもらったとは言えず、レイは必死になってひたすら首を振り続けていたのだった。




 午後からはカウリと一緒にガンディが来てくれて、二人揃って医学と薬学の授業を受けた。

「まあ、この程度まで覚えておけば良いからな。二人ともなかなか優秀で何よりじゃよ。万一の際の、実際の応急手当の方も教えておく故、時間を取って白の塔へ実習に来なさい」

 その日の授業が終わった時、ガンディが笑顔でそう言い、カウリと二人で顔を見合わせた。

「じゃあ、予定を確認しておきます。どれくらい掛かりますか?」

 カウリは、マイリーが使っているのと同じような手帳を取り出して開いている。

「数刻程度は掛かるだろう。まあ実習は一度でも来てくれれば単位はやるから心配するな。別に二人同時に来れなくても構わんよ」

 持って来ていた本を片付けながらそう言われて、カウリは手帳を見ながら唸った。

「了解です。うわあ、しかし改めて見ると今月と来月は予定ぎっしりだな。でも絶対家に帰る休みは取るぞ」

「マティルダ様から子猫を譲り受けたそうだな。どうだ。可愛かろう」

 カウリの呟きを聞いたガンディは、振り返って嬉しそうにそう言った。

「ええ、初めは正直言って飼える自信が無かったんですけどね。いやあ、あんなに可愛いとは。もうあいつのいない生活は考えられないですね。チェルシーもそう言っています」

 満面の笑みになるカウリに、ガンディは満足気に頷いた。

「小さいとは言え、これで奥方も寂しくなかろう。良いご縁を頂いたな」

「絨毯は、泣いてるかもしれませんけれどね」

 それを聞いたガンディは声を上げて笑った。

「ま、猫を飼うた時点で絨毯は諦めろ」

「一応、爪とぎ用に丸太と板は置いてあるんですけれどね。どうしても絨毯が良いらしいですよ」

 肩を竦めるカウリに、ガンディはもう一度笑った。

「そりゃあ、丸太や板より、絨毯の方が爪が引っ掛かって研ぎやすいのであろう。おお、それならば、運搬用の分厚い麻の布を用意してやれ。それを板や丸太に巻きつけておいてやると、それで研ぐと聞いた事が有るぞ」

 目を瞬かせたカウリは、大きく頷いた。

「ああ、確かにあれなら絨毯よりも引っかかりそうですね。ありがとうございます。早速やってみます」

 二人の会話を横で聞いていたレイは、首を傾げた。

「運搬用の麻の布って?」

「ああ、知らないかな。大きい物なら砂利や、鉱石、それに、小さいものなら乾燥豆や、重いけど細かい品物なんかをまとめて納品する時に使う分厚い麻の袋の事だよ。知らないなら、今度見せてやるよ。あちこちの倉庫に、普通に積んで有るぞ」

 振り返ったカウリが説明してくれる。

「さすがに、その辺りは詳しいのう」

 感心したようなガンディの言葉に、カウリは苦笑いしながら首を振った。

「俺は今まで倉庫番一筋でしたからね。詳しいのは当然ですよ、じゃあ、実習は予定を調整して連絡します。だけど取れるとしても、再来月以降になると思いますね」

 しかし、ガンディはそれを聞いて当然のように頷いた。

「まあそうであろうな。構わんよ、時間が出来た時に来ると良い」

「じゃあ僕も、ルークに聞いておきます」

 頷いてくれたガンディが手を振って出て行くのを見送り、二人も鞄を抱えて廊下へ出た。

「なんだか、やる事が一気に増えて来たね」

「まあ、そうだろうさ。お互い頑張ろうぜ」

 笑って拳を差し出されて、レイも笑顔で拳を付き合わせた。

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