奥殿への訪問

 翌日は、いつもの朝練にはルークとカウリ、若竜三人組が一緒に行ってくれた。

 嬉々として彼らと棒で手合わせをするレイルズを、一人黙々と柔軟体操と走り込みをしていたカウリが、半ば呆れるように眺めていたのだった。

「いやあ、相変わらず元気だねえ。おじさん体力無いから感心しちゃうわ」

 息を切らせて座り込み、水筒の水を一気に飲み干すカウリの言葉に、彼の膝の上に現れたブルーのシルフは鼻で笑った。

『どうやら、カルサイトの主は起きて寝言を言っておるようだな』

「酷いなあ。一生懸命やってるのに、寝言とか言われたし」

 文句を言っているが、顔は笑っている。

「それじゃあ怒られない程度に頑張るとしますか」

 苦笑いしてそう呟くと、水筒を置いて立ち上がった。



 その後はカウリも加わり、木剣で手合わせをしてその日の朝練は終了となった。

 食堂へも皆で一緒に行き、その後はカウリも一緒に訓練所へ護衛の兵士達と向かった。




「おはよう、自習室取ってるからな」

 廊下で図書館へ向かうマークに声を掛けられて、レイは笑顔で返事をした。

「うん、鞄を置いたら僕もそっちへ行くよ」

「じゃあ先に行ってるからな」

 手を上げて応えると、自習室へ駆け込んで鞄を机の上に放り出して図書館へ向かった。

 その後すぐにジャスミンが来て、クラウディアとニーカも到着した。

 自習室へそれぞれ山程の本を持ち込み、いつものようにお喋りをしながら各自予習や復習をしていた。



「明日はジャスミンも来るんだって?」

「はい。父上から、ヴィゴ様が迎えに来てくださるので一緒に行くように言われました。レイルズも行かれるんですね」

「うん、よろしくね」

 笑顔で仲良く話す二人の言葉に、マークは驚いて顔を上げた。

「へえ、明日は本部で何かあるのか?」

「ううん。マティルダ様がお茶に誘ってくださったんだ。ジャスミンも一緒だよ。それから、カウリとヴィゴと娘さん達も一緒に来るんだって。内緒の話があるって聞かされて、もう気になってしょうがないんだ」

「へえ、王妃様からお茶に誘われたんだ……すげえな」

 マークは、改めて彼の後見人が誰だったのかを思い出して、ちょっと気が遠くなるのだった。

 隣では、聞こえているだろうにクラウディアは平然と自分の勉強をしている。

 何か言いたげに彼女を見て、しかしマークは何も言わずに自分の勉強を再開した。

 ニーカはそんな二人を見て、小さく笑って別の本を開いた。

「ねえ、キム。ここ教えてくれる?」

「ああ、どこだ?」

 知らん顔で覗き込むキムと一瞬目を見交わして小さく首を振ったニーカは、自分のノートの横に座っているスマイリーのシルフに笑いかけて、解らない問題を指差したのだった。




 今日は、レイは用兵と兵法の授業をカウリと一緒に受けている。

 これも最初はさっぱりだったのだが、少しは理解出来るようになってきて、時にはレイも質問や意見を言えるようになって来た。



「まあ、実際の戦場へ出れば、時の勢いと言うものが有りますから、こう言った考え方は二の次になります。現場で、いちいち考えている余裕はありませんからね。これは、後方支援の指揮官となられるマイリー様や、現場で指揮を取られる殿下がお考えになるような事です。ただ、こう言った考え方の元で兵士の配置がなされ現場が動いているのだと言う事は理解しておいてください」

 兵法書を閉じながら、用兵と兵法の授業の教授である年配のシルト教授はそう言って苦笑いしていた。

 黒板の文字を消そうとしたが、まだノートに必死になって文字を書いているレイルズを見て、黙って手を止めた。

 隣では、それとは逆に平然と後片付けをするカウリがいた。



 しばらくしてようやく黒板の内容を書き終えたレイは、呻き声を上げて机に突っ伏した。

「ありがとうございました。うう、今日の内容は、難しかったです……」

 小さく呟くレイの背中を叩いて、シルト教授は一礼して教室を後にした。

「ほら、俺のノートを貸してやるからしっかり読んどけ」

 カウリが自分のノートを開いてレイルズに見せるのを、廊下から振り返った教授は黙って見ていた。



 カウリはこの授業に関しては非常に優秀な生徒で、実際にはもう教える事は殆ど無い。しかし、レイルズの方は全くこう言った事には知識が無いらしく毎回苦労しているのだ。

 二人を分けて別々に授業を受けさせるべきかとも思ったのだが、カウリの方はああして毎回当たり前のように自分のノートを見せて今日の授業内容をレイルズに教えているので、これも勉強かとこのまま続ける事になっているのだ。



「何だか出来る教科と苦手な教科の差が激しくなって来た気がします」

 帰り道で、レイは情けなさそうに呟いてため息をこぼした。

「レイルズ様は何が苦手なんですか?」

 分かっているが、改めてキルートが聞いてくれる。

「用兵と兵法。それから古文!もう嫌だよ。全然分からないよ」

「私には、天文学の方が遥かに難しいと思いますけどねえ」

 呆れたようなキルートの言葉に、レイは眉を寄せて口を尖らせる。

「どっちも答えが一つじゃ無いんだもん。そんなの狡いと思う」

 明らかに拗ねたその言葉に、キルートは吹き出すのを必死で我慢した。しかし彼の苦労を台無しにしたカウリが、隣で盛大に吹き出した。

「お前、何拗ねてるんだよ。臨機応変って言葉を知ってるか? 計算問題みたいに現場が動けば、こんな楽は無えよ」

「うう……だって、やっぱりわからないよ」

 口を尖らせるレイを見て、カウリは少し考える。

「それなら今度、城の図書館へ連れて行ってやるよ。良い本があるから読んでみるといい」

「え? どんな本なの?」

「兵法の指南書なんだけどね。まあ異端と言うか無茶苦茶と言うか、評価が分かれる本なんだけどな。お前みたいに、全くの初心者が読むには良い本だと思うぞ、少なくとも、これで兵法の考え方は理解できると思うぞ」

「ああ、あの本ですか」

 納得したキルートの言葉にカウリも笑っている。

「確かに良いかもしれませんね」

「どんな本なの?」

「兵法について学ぶ少年の話です。師匠と呼ぶ偏屈な爺さんとその少年しか出て来ません、初めと終わりの部分以外は、殆どがひたすら会話文で話が進むのですが、兵法の基礎を爺さんが延々と彼に話して聞かせる場面が何度も出て来ます。話の流れ上読んでいると読者もそれを理解してしまうと言う、実はそれは入門書なんですよ」

「へえ、面白そう。じゃあ今度図書館へ行ったら教えてください。読んでみます」

「ちなみに、用兵についての本もあるぞ。こっちはあんまり面白く無いけど読むなら一緒に読むと良い」

 苦手が克服出来そうな本があって、ちょと嬉しくなったレイだった。

「あとの難敵は古文だね。これも、楽しく読めそうな本がないか、一度司書さんに聞いてみようっと」

 無邪気な呟きに、カウリとキルートは顔を見合わせて笑い合うのだった。




 翌日、午前中はグラントリーが来てくれて、先日の後援会主催の夜会の時の話をして過ごした。

 早めの昼食をとり、部屋で本を読んで待っていると、しばらくしてラスティが呼びに来てくれた。

「レイルズ様、そろそろご用意ください」

 慌てて返事をして、読んでいた本を片付ける。

 剣帯に剣を装着して身支度を整えると、ラスティと一緒に廊下に出た。

 今日は改まった場ではないので、いつもの竜騎士見習いの服のままだ。

 廊下で待っていてくれたカウリと一緒にラスティの後について城へ向かった。

「あれ、ヴィゴは一緒じゃないの?」

 周りを見たが、ヴィゴがいない。

「ヴィゴ様は一の郭へ娘様方を迎えに行かれました、そのまま城へ向かわれますので、城の竜騎士隊の部屋で合流します」

「そうなんだ。ディアとアミーにまた会えるね」

 嬉しそうなレイの言葉に、カウリも頷いている。

「チェルシーがすっかり世話になっているらしいからな。ちゃんとお礼を言っておかないと」

 慣れない一の郭での生活を、ヴィゴの家族は全面的に支援しているのだ。

 今ではチェルシーとはすっかり仲良くなって、互いの家を行き来している。



 到着した城にある竜騎士隊専用の部屋で一旦待ち、ジャスミンとヴィゴと娘さん達が到着してから全員揃って奥殿へ向かった。

 どうやら、来る途中の馬車の中ですっかり打ち解けた様子の三人の少女達は、目を見交わしては嬉しそうに笑い合っている。

「何があるんだろうね? 内緒の話、気になるよ」

 途中から一緒に来てくれたブルーのシルフに話し掛けながら、レイはようやく見慣れて来た奥殿へ続く廊下を執事の案内で歩いていくのだった。


『内緒の話』

『内緒内緒』

『わくわくワクワク』

『楽しみ楽しみ』


 彼らの周りを、シルフ達がそう言ってご機嫌で笑いながら飛び回っている。

『こら其方達、言ってはならんぞ』

 ブルーのシルフの言葉に、彼女達は揃って笑いさざめいた。


『内緒だもんね』

『内緒だもんね』

『でも楽しいんだもんね』

『ねー』


「ああ、もう気になって仕方がないよ。一体何があるんだよ」

 困ったように笑いながら呟くレイの言葉に、もう一度揃ってシルフ達が口元に指を立てた。


『驚かせたいんだもん』

『だから内緒なの』


「えっと、僕が驚くような事なの?」

 しかし、その質問には答えず、彼女達は笑いながらくるりと回って消えてしまった。

「あの、レイルズは聞いていないんですか?」

 彼女達の声が聞こえているジャスミンが、驚いたようにレイを振り返った。

「うん、マティルダ様から、内緒だからって言われて何も聞いていないんだ。えっと、ジャスミンは知ってるの?」

 すると、ジャスミンだけでなく、ディアとアミーまでが振り返って笑い出した。

「私達は知っていましてよ」

「もう昨日は楽しみで眠れなかったわ」

「私もです」

 そう言って三人は楽しそうに笑い合っている。

「ええ、ずるいよ。僕も何があるのか聞きたい!」

「内緒だもんね」

 ジャスミンの言葉に、ディアとアミーも笑って頷いた。

「すぐに分かりますわ」

「楽しみにしていてくださいね」

 胸を張る少女達にそう言われてしまい、レイもカウリもそれ以上聞けなくなってしまった。



 そんな話をしながら、ようやくいつもの庭を見る部屋に到着した。

 勧められて中に入ったレイは、何があるのかワクワクしながら庭を見た。



 その時、いつもの大きなソファーの横に置かれた小さな箱に気が付いた。

 中からなにかの声が聞こえる。

「ええ? 何これ……」

 中を覗き込んだレイは思わず目を見開き、振り返ってカウリを必死になって手招きした。その顔は満面の笑みだ。

「おいおい、一体何があるんだ?」

 不思議そうに箱を覗き込んだカウリも、箱の中を一目見て笑顔になった。

「これは可愛い。そっか、お前お母さんになったんだな」

 そっと手を入れて、中に横になっている猫のフリージアを撫でた。



 フリージアのお腹の横では、ふかふかの小さな子猫が全部で五匹、お腹の毛に揃って潜り込んで先を争うようにしてお乳を飲んでいる真っ最中だったのだ。

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