思い通りにいかない時

 ゆっくりと食事を終えたレイとルークは、カナエ草のお茶でお薬を飲み、レイは普段とは違うお城のお菓子を満喫していた。

 少し休憩してから立ち上がろうとしたその時、またルークの前にシルフが現れて座った。

「あれ。悪い。ちょっと待ってくれるか」

 座り直したルークに、シルフが口を開く。

 それを見て、レイも座り直した。



『ルーク様ジルです』

「ああ、今食堂だから構わないよ。どうした?」

『ヴィッセラート伯爵夫人がまだ自分に挨拶が無いとご機嫌斜めだそうです』

『カナシア様が知らせてくださいました』

『今日の午後の予定は少し余裕があった筈ですので』

『差し出がましい事を申し上げますが』

『お時間があれば出来れば先に行かれた方が宜しいかと』

『念の為お菓子の手配はいたしました』



 それを聞いたルークは、苦笑いして小さなため息を吐いた。

「明日にする予定だったんだけどなあ……我慢出来なかったか。カナシア様がわざわざお知らせくださったって事は、相当なんだろうな」

『恐らくは』

『はっきりとは申されませんでしたが』

『早めに行った方がいいと申されていました』

「わかったよ。じゃあ午後の最初はそっちに変更だ」

 一礼して消えるシルフを見送り、ルークはその場でロベリオに連絡を取った。

「悪い。辺境伯への連絡って、もう入れたか?」

『ああ一応すぐに連絡はしたよ』

『ただし予定だから急な変更はあるかもって言っといたけどね』

「感謝するよ。実はヴィッセラート伯爵夫人がヘソ曲げてるらしい。先にご機嫌伺いに行ってくるよ」

『了解』

『じゃあ行く時間の予定は分からない?』

「どうかな、とりあえず彼女の所が終われば、後はそれほど時間を取らないと思うからさ。まあ時間を見て考えるよ」

『了解』

『じゃあ辺境伯には午後の最初の予定は変更になったってお伝えしておくよ』

「何度も悪いな、じゃあそれで頼むよ」



 笑って手を振り消えるシルフを見送る。

「悪いなレイルズ。辺境伯の所は最後になったよ」

「分かりました。ヴィッセラート伯爵夫人って……確か、グラントリーから聞きました。その……」

 言葉を濁す彼に、ルークは苦笑いしながら肩を竦めた。

「とにかく行こう。まあ、いざとなったら助けてやるから心配するなって」

 背中を叩かれてレイも苦笑いしながら立ち上がった。



 レイがグラントリーから聞いた説明では、ヴィッセラート夫人は、とにかく自分が中心でないと機嫌が悪くなる方らしく、夜会などにはあまり出て来ないが、未亡人倶楽部という文字通り未亡人のみで作られた倶楽部に参加している。

 そこに入っていると、再婚の勧めなどの無理な勧めが来なくなるのだと言われているのだそうだ。

 また、未亡人の中ではかなりの権力を持っている方なのだとも教えられた。

 それは、夫である伯爵が若くして三年前に亡くなり、しかも、後継の息子はまだ十三歳になったばかり。その為、一旦彼女が伯爵家の全権を息子に代わって預かっているのだそうだ。

 しかし、その息子はかなり気の弱い大人しい性格な事もあり、夫人は何かと苛立ち気を揉んでいるのだそうだ。



「息子のティミーは、多分、お前と話しが合うと思うよ。いざとなったらヴィッセラート夫人の相手は俺がしてやるから、お前はティミーと一度ゆっくり話をしてやってくれるか」

 並んで廊下を歩いているルークの言葉に、レイは小さく頷いて彼を見た。

「その息子さんって、とっても大人しい方だってグラントリーから聞きました」

「大人しい……まあ、そうかな。確かに、あの歳の少年にしては大人しいと思うけど、母親に遠慮して、なんて言うか、何でもちょっと引いている感じがするんだよな。三年前はそれでも良かったけど、いつまでも母親の陰に隠れてばかりではいられないよ。そろそろ彼にも、母親を経由せずに話しが出来る人が必要なんじゃないかと思ってさ。お前なら歳も近いし、出来れば仲良くしてやってくれよ」

「分かりました。仲良くなれるかどうかは分からないけど、話をしてみます」

「頼むよ」

 真剣な顔で頷くレイを、ルークは横目で見て小さく笑った。

「まあ、あの奥方の方も、いろいろ問題有りだからなあ。多分、ヘソ曲げているのは、俺がしばらくご機嫌伺いに行ってないせいだろうからな」

 そう小さく呟いて、嫌そうにため息を吐いた。




 ルークの案内でやって来たのは、この数日、何度も来たお城の中にある貴族の人達が普段いる場所だ。それぞれに広い部屋がいくつも与えられていて、お城での仕事の際にはここに住んでいるのだと聞いた。

 途中、迎えに出てきた執事に案内されて、奥まった一角へ通される。

「まあまあ、ようこそルーク様」

「お久しぶりです。リュゼ」

 差し出された手を取り、親しげにルークが笑う。

「リュゼ、竜騎士隊の新人を紹介させて下さい」

 レイの背中を軽く叩いて、彼女の前に進ませる。

「レイルズ・グレアムです。初めましてヴィッセラート伯爵夫人」

「リュゼラント・テイミッド・ヴィッセラートよ。どうぞよろしく」

 差し出された手を取り、そっと顔を寄せる。

「まあまあ、まだお若いとお聞きしていましたが、なんてご立派なんでしょう、ヴィゴ様よりも大きいのではなくて?」

 レイルズを見上げながら、夫人は驚いたようにそう言って笑った。

「それは無いです。でもヴィゴを越すのが目標なんです」

 大真面目に答えたレイルズに、リュゼ夫人は小さく笑った。

「まあまあ、それは大変ね。あんなに大きな方がお二人になられたら、竜騎士隊の本部に入るかしら?」


『今のは比喩だよ』

『彼女の冗談だからね』


 思わず否定しそうになったレイの耳元で、慌てたニコスのシルフ達が教えてくれた。



「えっと、きっと大丈夫だと思いますよ。少しくらい大きくなっても。だって、竜騎士隊の本部は竜が入るくらい広くて大きいですから」

 ちょっと笑いながらそう答えると、目を瞬いた彼女は口元を押さえて声を立てて笑った。

「そうですわね、確かにそれなら大丈夫ですわね。ではもっと頑張って、どうぞ大きくなって下さいませ」

 笑い合う二人を見て、ルークは目を見開いて驚いていた。

「おお、あのレイルズが女性の冗談に冗談で返したぞ。明日は雨かもしれないな」

『失礼な奴だな』

 ムッとしたようなブルーのシルフの言葉に思わず吹き出しそうになったルークは、必死になって誤魔化して、噎せて咳き込んだのだった。




「息子を紹介させて頂きますわ。内気な子なので、何か失礼があったら申し訳ありません」

 突き放すようなその言葉にレイが驚いていると、執事が小柄な少年を案内してきた。

「初めまして。ティミーレイク・ユーロウと申します。どうぞティミーと呼んでください。竜騎士様にお会い出来て光栄です」

 母親のドレスの裾を握りながらも、俯いていた少年は密やかに目を輝かせて二人を見上げる。

「初めまして、レイルズ・グレアムです。僕はまだ見習いだよ。今月の初めに紹介されたばかりなんだ。だからお母上の所にご挨拶に来たんだよ」

 しゃがむようにして、小さな手をそっと握って話しかけてやると、驚いたように固まってしまった。

「ティミー、しっかりなさい」

 母親に背中を叩かれ、また飛び上がって更に固まってしまう。

「ティミー、レイルズも本が大好きなんだ。良かったら、君の本を見せてやってくれるかい?」

 ルークの言葉に、少年は目を輝かせた。しかしそれは一瞬で、またすぐに俯き母親のドレスにしがみつく。

「本が好きなの? 見てみたいな」

「……良い?」

 消えそうな小さな声で、母親に尋ねる。

 息を吸い込み怒鳴りそうになった彼女だったが、さすがにルークとレイルズの存在を思い出してグッと堪えた。

「もちろんよ、しっかり見て頂きなさい」

 母親の言葉に小さく頷いたティミーは、レイルズを見上げた。

「レイルズ様、どうぞこちらへ」

 頷いて執事が付き添い奥の部屋に消える姿を見送ったルークは、態とらしいため息を吐いて夫人を振り返った。



「リュゼ、言いましたよね。息子に怒鳴るなって。駄目ですよ。そんな風にしたら、彼は貴女に怒鳴られるのを怖がって更に萎縮してしまいますよ」

 咎めるようなルークの言葉に夫人は、咄嗟に言い返そうとして口を噤んだ。

「……だって、あの子を見ているとイライラするんです。はっきりものを言わない。おどおどと私の顔色ばかり伺って。もう、あの子は十三なんですよ。しっかりしないと、我が家の将来は……」

「リュゼ。だからちょっと落ち着きましょう。大丈夫ですよ。彼はちゃんと出来るようになりますって」

 一転、優しそうにそう言うルークを、夫人は縋るように見上げた。

 執事が手早くお茶の用意をするのを見て、彼女の手を取って椅子に座らせる。

 密かに苦笑いして座ったルークは、延々と始まった夫人の愚痴に、時折相槌を打ちながら、ひたすら黙って聞き続けていたのだった。



 一方、先程とは打って変わって饒舌になったティミー少年は、レイルズを亡き父親の書斎へ連れて行き、夢中になって自分が読んだ事のある本をレイルズに紹介し、彼から天文学の話を聞きたがった。

 思わぬところで本好き仲間に出会えたレイは、楽しそうにティミー少年から勧められた本をニコスのシルフに覚えてもらっていたのだった。



『成る程。思い通りにいかぬ時、駄々をこねて我儘を言うだけの者。即座に予定を変更して対処出来る者。素直にその場その場に合わせて過ごす者。息を潜めて嵐が通り過ぎるのを待つ者。人とは面白いな。ままならぬ事が起こった時、どうするかでその人の本質が見えるものだ』



 本棚に座ったブルーのシルフは、ティミー少年と嬉しそうに話をしているレイを愛しそうに見つめながら、小さく笑って何度も頷いていたのだった。

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