大地の長老

 大地の竜の子供達の元気な様子を確認したアルカディアの民の一行は、そのまま更に森の奥へと入って行った。

 彼らが茂みに入ると、固いイバラの茂みが枝をくねらせて空間を作り彼らを通してくれる。この、蒼の森の深部に匹敵する程の太古の影を色濃く残すこの森に、彼らアルカディアの民は容易に入ることが出来るのだ。それは、森に受け入れられた者だけに許される行為だった。



「おお、イバラにも花が咲き始めたな。もうこの辺りにも確実に春が来ているな」

 ガイは通してくれたイバラをそっと撫でながら嬉しそうにそう言い、咲いたばかりの大輪の花に顔を寄せた。

「良い香りだ。守りの茂みも問題無いようだな」

 もう一度、その花をそっと撫でると振り返った。

「じゃあ、長老にご挨拶に行くか」

 ゆっくりと、一列に並んでラプトルをイバラの茂みに出来た空間に進ませる。

 彼らが通るとすぐにイバラは再び蠢いて、開いた空間をあっと言う間に隠してしまった。

 ポンと音を立てて大輪の蕾が開いたそのイバラの茂みは、それっきりもう動く事もなく、静かに穏やかな春の風に葉を揺らしていたのだった。




「うわあ……冬に見た時も驚きましたが、これは凄い……」

「本当に……これが竜だなんて、知らなければ絶対に気付きませんよ」

 ネブラとルーカスの二人は、春の長老を見るのは初めてだ。先ほどの子竜達とは比べるのも失礼な程のその巨大な体は緑の蔓に隙間なく覆われ、精霊の鈴の花が握り拳よりも大きな房になってあちこちから垂れ下がっていた。

 それ以外にも、緑の蔦も先を争うように絡まりあいながらその枝を伸ばし、去年の葉の落ちた枯れ枝の上に覆い被さるようにして新たな根を伸ばして新緑の枝を芽吹かせていた。



「今年も、上側は、すっかり定着した花達で覆われてしまったな」

 背後で見ていたソリッドの言葉に、二人は顔を上げ、不思議そうに少し下がった。

「うわあ、本当だ。上側部分にも花が咲いているぞ」

 ネブラの言葉に、ルーカスは声も無く頷いたのだった。



 大地の長老の上側部分は、絡まりあった蔦の枯れ枝に完全に覆われていて、その隙間を苔が覆い尽くし土壌を形成していた。そしてそこに根を下ろした植物達が、日当たりの良さゆえにどんどん成長してちょっとした花畑になっていたのだ。

 しかも、花畑の端の部分、丁度長老の左右の腕の隙間部分には、驚いた事に数本の大きな木が生えていた。

 既に人の胴回りよりも太くなったその木々は、あふれんばかりの新緑の葉を芽吹かせ、そのうちの一本は、長老の顔を直射日光から守るように、横に大きく曲がりくねったその枝を広げていた。

「長老から木が生えてる……」

「そうだよ、冬に来た時に気付かなかったか?」

 笑ったガイの言葉に、ルーカスは首を振った。

「いえ、木が生えているのは分かっていましたが、その部分には、岩があるのだとばかり思っていました。まさか本当に竜の身体にあれほどの木が根付くなんて……」

「あれは鱗の隙間に引っかかった種が、体表の部分まで根を張っているんだよ。老竜以上の大地の竜は、自分の鱗が全体に浮いて、鱗の下の部分に小さな気泡が出て柔らかくなるんだ。そうなると、その隙間には植物が根を張れるようになる。だからあんな風にしっかり根を張る木でも定着するんだよ。まあ、万一長老が大きく動くような事があればあの木は折れるかもな。だけど、長老の体だけじゃ無くしっかり伸びて大地にも根を張っているから、恐らくそんな事になれば即座にノーム達が出て来て木を守ってくれるよ。それが分かっているからこそ、長老もあの木に根を張る事を許したのさ」

 ガイの言葉に、声も無い二人は何度も頷いていたのだった。



『彼らは、シルフ達とは、また違う、様々な、風の声を、届けてくれる。我にとっては……良き友だよ』

 その時、岩が擦れるようなゆっくりとした低い声が聞こえ、巨大な一枚岩の下側部分の岩が動き、巨大な目が開いて彼らを見た。

「大地の竜たる長老にお目にかかれて、我ら一同望外の喜び。春のご挨拶に参りました。我らの若木もよく育っております。どうかひと時、我らと共にあられますよう」

 代表してバザルトがそう言って膝をつき、握った両手を額に当てて頭を下げた。

 全員がそれに倣う。

『ふむ。よく、来てくれた。古き友よ。彼の地から、届けてくれた、子供らも、無事に、元気に、育っておる。安心せよ。この地は、風も、水も、大地も、滞りなく穏やかぞ』

 ゆっくりと話す長老の言葉を、彼らは一言一句聞き漏らすまいと、必死になって耳を傾けていた。

「ここへ来る前に、子竜達の様子を見て参りました。もうすっかり精霊の鈴の蔓に覆われ、見事な花を咲かせておりましたぞ」

『それは良い。伸び行く植物と、共に、あるのは、我ら、大地の竜にとっては、何よりの、喜びじゃからな……』

 嬉しそうに目を細めた長老は、静かに喉を鳴らし始めた。

 まるで遠雷のようなその音に、誰もが皆声も無く、いつまでも聴き惚れていたのだった。





 翌日、いつもの朝練にカウリは顔を出さなかった。

「本人はもう大丈夫だと言ってるらしいんだけどね。念の為、ハン先生の指示で午前中は休ませる事にしたんだってさ」

「ええと、じゃあ今日の予定ってどうなるんですか?」

 柔軟体操をしながら尋ねると、ルークは笑って教えてくれた。

「午前中はお前もここで休んでて良いぞ。一応、グラントリーが来てくれるから、挨拶や夜会で会った人の印象とか、何か思った事があれば何でも話してみると良い。もしも、お前が会いたいって思った人があればそれもな。今日の午後からと明日は、俺と一緒に軍部の関係者の所へ挨拶に行くよ。それで、言ったように夕食は婦人会に招かれているからそこへ行くぞ。そのあとはそのまま参加されているご婦人方と歓談だ。まあ覚悟しとけ。数ある予定の中でも最大級の山場だからな」

「ルーク、僕お腹が痛くなってきました……」

「それは大変だな。じゃあもう朝練はやめたほうが良いんじゃないか?」

「違う! そうじゃないですー!」

 抗議の悲鳴をあげるレイを見て、ルークは堪える間も無く吹き出したのだった。



 いつものようにルークに棒で相手をしてもらい、少しだけどトンファーでも相手をしてもらった。

 その後は一般兵の乱取りに混ぜてもらって、しっかり汗を流したのだった。

「ありがとうございました!」

 乱取りが終わって、相手をしてくれた彼らに大きな声で挨拶をする。

 一斉に彼らは直立して敬礼してくれた。笑顔のレイも敬礼を返して、訓練所を後にしたのだった。



 ここにいれば、特に今までと何か変わったようには感じない。

 いつものように部屋に戻って軽く湯を使って汗を流してから、竜騎士見習いの服に着替えて朝食を食堂で食べた。

 カウリの顔色はもう戻っていたのだが、黙ってパンに山盛りのレバーペーストを塗る彼を見て、レイも黙ってもう一皿レバーペーストを取ってきて、残りのパンにありったけ乗せて口に入れたのだった。

「早く、あの言ってたレシピで試作だけでも作ってくれないかね」

「そうだね、こればっかり食べてると、飽きてくるよ」

「だな。まあ、これも薬だと思って食え」

「やだ! 食事くらい、好きに食べたいです」

 泣きそうな顔でそう言うレイを見て、苦笑いしたカウリは頭を撫でてくれた。

「しっかり食べろ、育ち盛り」

 顔を見合わせて笑い合った。

「でも、僕の成長も勢いが止まってきたみたいで、今年に入ってからは2セルテしか伸びてないんだって。ロッカが、そろそろミスリルの鎧の製作に入るって言ってました」

「お、そうなんだ。伸びすぎで作れないって言ってたもんな」

 苦笑いするカウリに、レイも笑って頷いた。

「ヴィゴに届くまで、あともうちょっとなんだけどなあ」

「お前は、どこを目指してるんだよ」

「目標はヴィゴだもん。格好良いよね」

 目を輝かせてキッパリと言う彼に、カウリはもう笑うしかなかった。

「それは嬉しい事を言ってくれるな」

 笑みを含んだ声にそう言われて、レイは慌てて後ろを振り返った。

 そこにはトレーを持ったヴィゴとマイリーが笑って立っていたのだ。

「もう、俺と殆ど変わらないだろう? 冗談抜きでヴィゴに迫る勢いだな」

 マイリーにそう言われて、レイは満面の笑みで立ち上がった。

「ねえ、どっちが高いですか?」

 小さく笑ったマイリーがトレーを置いてくれたので、レイは急いで背中合わせに直立した。

「うわあ、本当だ。もう殆ど変わらないぞ」

 横で見てくれたルークの言葉に、レイは喜んで飛び跳ね、ヴィゴも驚きを隠せなかった。

「まだ、ヴィゴ程の横幅や体の厚みがないから、そんなに大きく見えないんだな。だけどこれは末恐ろしいな」

 呆れたようにマイリーがそう言って、レイの背中を叩いて席に着いた。

「よし、あともうちょっと!」

 嬉しそうにそう言ったレイは、席に着いて最後の燻製肉の一切れを口に入れたのだった。

 無邪気に食事をする彼の肩にはブルーのシルフが座っていて、じっと愛しい主の横顔を見つめていたのだった。




「そうですか。今の所問題は無いようですね」

 グラントリーの言葉に、レイは笑顔で大きく頷いた。

 食事が終わって部屋に戻り、しばらく休憩を兼ねて読書をして過ごした。

 聞いていたようにグラントリーが来てくれた後は、彼に、会った人の事を聞いたり、どんな話をしたのかを報告したりした。

 話しながら、ニコスのシルフにかなり助けられている事を改めて思い知らされたレイだった。



「そうだ。あの……辺境伯にお会いしたいです」

 一瞬名前が出てこなくてそう言ったが、グラントリーには通じたようだった。

「カウンティ辺境伯爵ですか? 失礼ですが理由をお聞きしても?」

 確かに、需要な役割を果たしてくれている辺境伯だが、竜騎士隊との接点は殆ど無い。強いて言えば、マイリーの実家が地理的に少し近い程度だ。

「えっと……」

 なんと言ったら通じるのか少し考えて、正直に答える事にした。

「辺境地域がどんな風なのか聞いてみたかったんです。辺境伯の領地には、エケドラも含まれているって聞きました」

 その地名を聞いて、彼が何を気にしているのか理解したグラントリーは、納得して頷いた。

「カウンティ辺境伯は明後日までオルダムに滞在なさっている筈です。予定が合うかどうかは分かりませんが、一度確認してみましょう」

「わがまま言って、ごめんなさい」

 申し訳なさそうに謝る彼に、グラントリーは笑顔になりかけて咳払いをして姿勢を正した。

「レイルズ様、そろそろ言葉遣いにも気をつけるようにと申し上げた筈です。ごめんなさいではなく、申し訳ありません。それから、えっと、も、出来るだけ使わぬようにと申し上げた筈です」

「うう、ごめんなさ……あ、申し訳ありません」

 頭を抱えて机に突っ伏す彼を見て、グラントリーは苦笑いして大きなため息を吐いたのだった。



『主様が叱られてる』

『でも笑ってるね』

『変なの変なの』


 窓辺に並んで座ったシルフ達は、一生懸命グラントリーに質問をするレイをじっと見つめては、何かある度に笑っているのだった。

 ニコスのシルフ達は、レイの肩に並んで座って、そんな彼らの会話をずっと黙って聞いていたのだった。

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