小さなシルフと少女との出会い

「ごちそうさまでした。もうお腹いっぱいです。飾り付けも素敵で、どれもとっても美味しかったです」

 出されたケーキや焼き菓子を幾つも平らげたレイは、食べていた時以上の満面の笑みで、ボナギル伯爵にお礼を言ったのだった。

「いやあ、気持ちの良い食べっぷりでしたね。腕によりをかけて作った菓子職人達も喜びます」

 伯爵も、レイの見事なまでの食べっぷりには感心しきりだった。

「いやあ、若いって凄いですね。これだけ食べて横に広がらないとは羨ましい限りです」

 しみじみと言った伯爵のその言葉にレイとルークは同時に吹き出し、部屋は笑いに包まれたのだった。



 まだしばらく滞在予定の時間があるらしいので、伯爵自慢の書斎を見せてもらう事になった。

「さあどうぞ、こちらです」

 伯爵直々の案内で部屋を変えようとしたその時、レイの目の前に一人のシルフがフラフラと飛んで来た。

 それは、初めて見る驚く程に小さなシルフで、多分5セルテも無いだろう。

 今にも落ちそうなその危うい飛び方に、レイは慌てて手を差し出してやった。

 墜落するみたいに、レイの手に落ちて来たそのシルフは、蹲るように座り込んでしまい顔も上げない。

 その様子は本当に弱っているように見えた。

 そのあまりの小ささと弱り具合は、レイだけでなく、彼の隣にいたルークまでが驚いて足を止めた程だった。



『ほう。これはまた小さいのが来たな』

 呆れたようなその声に、レイは自分の肩に座っているブルーのシルフを見た。

「えっと、ずいぶん小さな子だね。何か理由があるの?」

『生まれて間もない子だよ。普通ならまだ精霊界から出てくるような時期では無いのだが、恐らく何らかの偶然でこっちにこぼれて来てしまったんだろう』

 心配そうにブルーのシルフがそう言った時、何人ものいつものシルフが現れて口々に喋り始めた。


『彼女は弱ってる』

『助けてあげて』

『守ってあげて』

『ここの空気は薄すぎるの』

『薄すぎるの』

『彼女はまだ虹の橋を渡れないのに』

『だから自分では帰れないのに』


 それはつまり、このままではこの小さなシルフはどんどん弱って、最後には塵になって消えてしまうという事だ。それは人の死と変わらない意味を持つ。

 顔を見合わせたレイとルークは、困ったようにブルーのシルフを見た。さすがのルークでも弱った子供のシルフの回復方法なんて知らない。

 頷いたブルーのシルフが合図をすると、光の精霊が二人現れて、レイの掌に座ったまま今にも息絶えそうなその小さなシルフの両横を支えるようにして座った。


『これは哀れなり』

『このままではじきに姿を保てなくなる』

『清浄なる光をここに』

『清浄なる光をここに』

『癒しの光をここに』

『癒しの光をここに』


 突然、レイの手のひらが光り始めた。

 しかしその眩しい光は眼を痛めるような強いものではなく、優しい春の日差しにも似た暖かさを持っていた。




 立ち止まったきり動かない二人に気付いた伯爵が慌てて戻って来て、レイの手のひらが突然光り始めたのを見て何か言おうとしたが、片手を上げて制止したルークの目配せに小さく頷き、黙ってその場で待っていてくれた。




 しばらくの間、波打つように光っていた輝きが唐突に止み、掌には先程よりもかなり元気になった小さなシルフが立っていたのだ。

 そのシルフは、ふわりと浮き上がってレイの頬にキスを贈った。


『ありがとうございます』

『おかげでながらえました』


 小さなその声を聞きレイは少し考えた。シルフ達の言っていた『助けて』は、単に彼女を元気にするだけでは無いのだろう。

「えっと、僕と一緒に来る?」

 しかし、小さなシルフはその誘いに悲しそうに首を振る。

「じゃあ俺の所へ来るかい?」

 答えは分かっているが、ルークも声に出して聞いてみる。

 しかし、その小さなシルフはルークの誘いにも黙って首を振るだけだった。

『ならば我のところへ来るが良い』

 見かねたブルーがそう言ったのだが、その小さなシルフは、悲しそうにまた首を振った。


『ご主人を置いてはいけないわ』

『一緒にいるって約束したもの……』


 それは消えてしまいそうな小さな声だったが、レイ達の耳にははっきりと聞こえた。



 それはつまり、今、この館に精霊使いがいると言っているのと同じ意味を持つ。



「伯爵、ちょっとお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

 顔を上げたルークの顔は先程までの優しげな顔ではなく、前線に立つ厳しい竜騎士の顔をしていた。

 そしてその左手は、剣の鞘の口の部分を押さえている。つまり、いつでも剣が抜ける状態だと言う事だ。



 それは、剣を持つ者のあからさまな威嚇でもあった。



「な、何事でございましょうか?」

 ルークの様子がいつもと違う事に気付いた伯爵と夫人は、揃って居住まいを正した。そして、両手は見えるように前に出して広げている。

 これは、敵対する意思は無い事を示している。

 それを見て頷き左手を離したルークは、改めて伯爵に向き直った。そして厳しい声で質問した。



「いつから、屋敷に精霊使いを置いておられるのですか?」

 その質問に、夫妻は揃って眼を見開いた。



 精霊魔法を使える者を個人で雇う場合、城への届け出が必要なのだ。だが当然、伯爵からそんな届け出は出ていないし、今の伯爵の身内に精霊魔法を使える者はいなかったはずだ。

 通常、そのような家の場合は定期的に軍部から派遣される精霊使いが屋敷内部を浄化するのだが、彼らの訪問している日にそのような事をするわけが無い。

 そうなるそれはつまり、今ここに、無届けの精霊使いがいるという事になる。



「まさか。いったい何事でございますか? 夏前に、軍部から来て頂いた精霊使いの方に、屋敷内部を浄化して頂いたきりでございますよ?」

 戸惑うようなその答えに、ルークは小さく舌打ちをすると自分のシルフを指輪から呼び出した。

 それはレイの古代種のシルフほどでは無いが、充分に大きなシルフだった。

「あの子の主人とは誰だ? 今どこにいる?」


『そこにいるよ』


 当たり前のようにそのシルフが指差したのは、部屋の隅に立てられた衝立だった。

 その奥は執事やメイドが控えている場所だ。

 黙ったままルークがそのシルフと一緒に衝立に向かう。ブルーのシルフも一緒について行くのを見て、レイも慌てて後を追った。

 それを見送る伯爵夫妻は、しかしその場から動かない。



 衝立の前まで来たルークは、黙ったままその衝立をいきなり閉じてしまったのだ。

 当然、隠されていた裏側の廊下に続く控えの為の小部屋が見え、部屋には先程伯爵夫妻と一緒に出迎えてお茶を入れてくれた執事と、若いメイドが三名、驚いたようにポカンとこっちを見ていた。

 自分達を見ているルークに気付き、慌てたように揃って深々と頭を下げる。



「全員その場から動かないで。シルフ、この中にいるのか?」

 頷いたシルフは一番端で頭を下げている小柄なメイドの少女の前へ行った。


『彼女があの子の主人だよ』

『優しいの』

『でも泣き虫』

『可愛い可愛い』


 無邪気にそう言って笑うシルフ達を見て、ルークは大きなため息を吐いた。

「端の君、顔を上げて」

 まるで、狼に睨まれた子ウサギみたいにびくりと震えたそのメイドは、震えながら恐る恐る顔を上げた。

 しかし、目線はルークの足元の辺りで彼らを直視しない。

「彼女はいつからここに?」

 口元に手をやったルークの質問に、控えていた執事が少しだけ顔を上げた。

「ひと月前からこちらに勤めております。メイド長の知り合いの方に頼まれて住み込みで雇いました。地方貴族の娘ですが、両親の離婚でどちらの家にも行けず困っておったと聞きました。よく働く良い子でございます。特に今まで問題を起こした事もございませんが、一体彼女が何をしたのでございましょうか?」

 しかし、その質問には答えず頷いたルークは、その子の前に行って驚かさないようにゆっくりとしゃがんだ。

「ねえ君、名前は?」

 ルークに直接話し掛けられて、怯えたように震えて黙り込んでしまう。

 それは当然だろう。

 基本的に裏方に徹する見習いのメイドは、お客様の目に触れるところには出てこない。

「何をしている。ルーク様の質問に答えなさい」

 執事の叱責に、なお一層怯えたように俯いてしまう。

「ああ、ごめんよ。怖がらせたいわけじゃ無いんだ……この子の名前は?」

 しゃがんだまま振り返ってこちらを見ている執事に問いかける。

「ジャスミンと申します。小柄ですが、この春で十三歳になりました」

「ニーカと同じ年頃だね。君にはこの子が見えるんだろう?」

 ルークは、自分のシルフを右手に座らせて彼女の目の前まで持って行った。


『こんにちは』


 笑ったそのシルフが彼女に手を振る。

「こ、こんにちは。あなたはとっても大きな子なのね。竜騎士様が連れておられる子は違うのね」

 思わずと言った感じで、シルフに挨拶を返したジャスミンは、次の瞬間我に返って慌てたように頭を下げた。

 しかし、ルークは満足そうに頷くと、改めてシルフを見せるように手を彼女の前に持って行った。

「大事な質問をするよ。君はいつからこの子達が見えるんだい?」

「それは……」

 戸惑うようなジャスミンだったが、意を決したように顔を上げた。

「三日前からです」

 驚くルークの前に、ブルーのシルフがふわりと飛んで来た。

「まあ、あなたもとても大きいのね」

 初めて見る大きなシルフにジャスミンは眼を輝かせる。

『どうやら、本当に目覚めて間もないようだな。しかし、この年頃の少女にしてはかなり強い力を感じるぞ。これは到底放置出来ぬ』

「そうだな、これは第四部隊に連絡を取ってすぐに調べさせないと」

 頷いたルークは振り返ってレイを手招きした。

 黙って大人しくルークのする事を見ていたレイは、すぐに彼の側へ駆け寄った。

「レイルズ、第四部隊のダスティン少佐を呼んでくれるか」

「はい、分かりました」

 自分でも出来るのに、わざわざレイにやらせてくれるルークの気遣いが嬉しかった。

「シルフ、第四部隊のダスティン少佐を呼んでください。普通にね」

 最後は小さな声でそう頼むと、ブルーのシルフの横に、何人ものシルフが次々と現れて並んだ。

 少し離れた場所で、夫妻は不安げにこちらを見ている。



 返事はすぐにあった。



『はいダスティンです』

『何事でしょうか?』

 一番前のシルフが口を開く。これは通常の声飛ばしだ。



「ルークです。今、レイルズと一緒に一の郭のボナギル伯爵邸を訪問しているのですが、緊急事態です。精霊使いの雛を見つけました。こちらでひと月前から働いているメイド見習いの少女です。大至急確認をお願いします」

『おおそれは……了解しました』

『大至急担当者をやって確認致します』

「伯爵には事情を説明して、一旦彼女を保護してもらいます。我々はこの後も予定がありますので、申し訳ありませんが後をお願いしてもよろしいでしょうか」

『かしこまりました』

『どうぞお任せください』

 笑って頷くシルフを見送り、ルークは顔を上げてこっちを見ている伯爵のところへ行った。慌ててレイも後を追う。

「お聞きの通り、ジャスミンにはどうやら精霊が見えるようです。第四部隊から担当者が参りますので、申し訳ありませんが、彼女の保護と身元保証人になって頂けますか」

「もちろんでございます。責任を持って引き受けさせていただきます」

 大きく頷いた伯爵は、戸惑うように自分を見上げる小さな少女の手を取った。

「どうやら其方には、また違う道が示されたようだね。どうなるかはまだ分からぬが、何があろうとも見捨てたりせぬから安心しなさい」

「あ、ありがとうございます……旦那様……」

 不安で不安でたまらなかった彼女の目から、安堵の涙がこぼれる。



 先程の小さなシルフが、慰めるように泣きじゃくるその少女の頬に何度もキスを贈るのを、二人は黙って見つめていたのだった。




 この、まだ何一つ知らぬ少女もまた、レイルズ達との出会いにより己の運命と向き合う事となるのだ。

 それは、いずれ来る大きな波の一雫になるのだが、それはまだ先の話……。

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