冬の荷送り

「それでは行って来るので留守を頼む」

「気を付けて行って来て下さいね。晴れているとは言え冬の森は危険です。充分に注意して行動して下さい。貴方に精霊達の守りがありますように」

「気を付けてな。これは道中に食べてくれ。それからこっちには暖かいお茶が入っているから懐に入れておけば良いぞ。精霊達の守りがありますように」

 大きなパンの包みとは別に、柔らかな巾着に入れられた金属製の平たい水筒を渡されたギードは、嬉しそうに笑ってそれを受け取った。

「おお、これは有難い。では頂いて行くとしよう」

 パンは鞍の後ろの籠に入れて、水筒は言われたように胸元に差し込んだ。

「おお、これは良い。暖かいのう」

 嬉しそうにそう言って胸元を叩くと、ドワーフギルドから借りて来ている、ベラよりも大きなラプトルにギードは軽々と飛び乗った。

 今のギードは完全な冬装備だ。服も暖かな綿の入ったものや毛皮仕様になっている。

 頭は毛皮で作ったふかふかの帽子を耳まで隠すように目深に被り、襟元は綿兎の毛糸でみっちりと細かな編み目で分厚く編まれた輪っかになったマフラーを二重に巻いている。引き上げてしまえば鼻先まで完全に隠れていて、一番寒くなる顔を守っていた。

 分厚い革の手袋も中は毛皮になっているし、履いている硬い革のブーツも、同じく中が毛皮になった分厚い防水仕様のものだ。

 それだけの装備をしていても、ギードは指先が痺れるほどの寒さを感じていた。

「まあ、吹雪でないだけマシじゃわい」

 苦笑いしてそう呟くと身震いをした。




 ラプトルの足の下側の細い部分には、内側が柔らかな起毛になったスパッツが巻かれている。雪の積もる中を長時間走る時のラプトルには絶対に必要な装備なのだ。

 スパッツの表面側は、特殊な樹脂を塗り込んだ作りになっていて防水の効果があり、ツルツルした表面は溶けた雪が滑り落ちて固まらないようになっているのだ。

 これが無いと、体温で解けた雪が走るラプトルの足の前側部分で凍ってしまい走れなくなるのだ。最悪の場合、途中で足が折れたり、血管が詰まってしまって足の先が凍傷にかかってしまったりする事もある。

「ではブリッツよ、無理をさせるがよろしく頼むぞ」

 ラプトルに向かって優しくそう言い、太い首を撫でてから手綱を握ったギードは顔を上げた。

「それじゃあな」

 一言そう言うと、ラプトルを軽く走らせて雪の積もった坂道を走り去って行った。



 いつもなら、街へ出る時には夜明け前に起き出して行くが、冬場は危険だし、特に今回は何か買い物をするわけでは無い。なので太陽が完全に登ってから、いつものようにしっかりと朝食を食べて出発したのだ。今回は、緑の跳ね馬亭で一泊して明日の昼に戻って来る予定だ。

 冬の日暮れは早い為、帰る途中で森で日が暮れると危険が増すので無理は出来ない。

 淡い冬の太陽に照らされて、ギードは街道を目指して森の中を小川沿いに走り抜けて行くのだった。



 レイから頼まれた、カウリの為のミスリルの鉱石をオルダムまで届けてもらう為に、ブレンウッドのドワーフギルドへ持って行くのだ。

 二日がかりで底面だけでなく、前側部分も少し磨きをかけた為、仕上げたそれは最初に見た時よりも更に見事な輝きを放っていた。

 厳重に包んで木箱に入れてしっかりと梱包したそれは、今は鞍の後ろの籠に入れられている。



 真っ白な雪に包まれた森の中を駆け抜けるギードは、シルフやウィンディーネ達の注目の的だった。

 彼女達の目には、後ろの籠に入れられた木箱から、布や木箱などでは防ぎ切れないミスリルの存在を示す輝きがあふれているのが見えるのだ。


『綺麗なミスリル』

『綺麗な輝き』

『大好き大好き』

『大好き大好き』

『何処へ行くの?』

『何処へ行くの?』


 次々と目の前に現れるシルフ達にそう聞かれて、笑ったギードは走りながら顔を上げて空を見上げた。

「レイに頼まれて、これをオルダムまで届けてもらう為にブレンウッドのドワーフギルドまで届けるんじゃよ。これは竜騎士様への結婚祝いの品じゃ。どうじゃ。綺麗な輝きだろう?」

 その答えに、頭上にいたシルフ達は大喜びで手を叩いたりくるりくるりと回りながら踊ったりし始めた。



 ミスリルの鉱石を持っていると、精霊達が寄って来るのはいつもの事なのだ。

 ましてや、今持っているこれは、今までのギードの鉱山で出た装飾用の鉱石の中でも、恐らく五本の指に入る程の良い石なのだから、シルフ達がこれ程に喜ぶのはもまあ当然だろう。

 頼んでもいないのに何人ものシルフ達が近寄ってきて、籠の中の木箱に次から次へと触れては守りの術をかけていった。


『守れ守れ愛し子から頼まれた鉱石守れ』

『オルダムの愛し子の元に着くまで守れ』


「ありがとうございます。何よりの強き守りですな」

 嬉しそうな声でそう叫んだギードの頬にも、何人ものシルフ達がキスを贈ってから消えていった。



 止まる事なく走り続けてようやく街道が木々の隙間から見えた時、ギードの口からは安堵のため息がもれたのだった。

 冬の街道も絶対に安全というわけではないが、森の中に比べれば安全度は桁が違う。

 降り積もる雪も、街道警備の兵士達の手により定期的に雪かきが巡回してくれているので、例え積もったところで森とは量が違う。

 このところ天気が良かった事もあり、街道には時折、馬車や騎竜に乗った人影が見えている。

「じゃあ、ちょっと休んでから行くとするか」

 嬉しそうにそう呟くと、一旦街道に入り、しばらく進んだところにある街道横の開けた草地にラプトルを止めた。とは言えここも当然一面の雪景色だ。しかも踏み固められているのは手前側だけで、奥はすごい量の雪がそのまま山積みになっていた。



 それを見て苦笑いしたギードはラプトルから降りず、背の上で籠からニコスから貰ったパンを取り出して食べ始めた。

 時折、胸元の水筒を取り出してお茶を飲み、大きなパンに薫製肉と卵と塩漬けのキャベツが挟まれたそれを、手早く食べ終えたのだった。

 最後にもう一度お茶を少しだけ飲んで、また胸元に戻す。

「では行くとしよう」

 そのまま街道に戻ったギードは、今度は少しゆっくりと走って、一路ブレンウッドを目指して進んだのだった。



「おお、見えて来たぞ。あと少しだ。張ってくれよな」

 大きな城壁が見えて来ると、少し駆け足になりそれ程の時間をかけずに無事にブレンウッドの街に到着した。

 いつもなら行列が出来ている城門だが、今は数名の兵士達が暇そうに立っているだけだ。

「お願いします」

 並ばずにラプトルから降りて身分証を差し出すと、驚いた兵士がそれを受け取ってくれた。

「すごい装備だな。オルベラートからかい?」

「いや、森に住んでおりますので。念の為重装備で参りました。天気が良くて安堵しましたぞ」

 目を細めて笑うギードに、身分証を返してくれた兵士も笑顔になった。

「森からか。そりゃあ大変だったろう」

「まあそうですな。風も穏やかで助かりました」

「良かったな、帰りもいい天気であるように精霊王にお願いしておかないとな」

「全くですな。では神殿で蝋燭を捧げてお天気になるようにお願いしてまいりますぞ」

 顔を見合わせて笑い合い、手を上げて兵士に挨拶をしてからギードは街の中へ入っていった。

「おお、さすがに閑散としておるのう」

 街の中は綺麗に雪かきされているし、出ている人がいないわけではないが、春や秋に比べたら閑散としていて寒々しい。

 一つ深呼吸をすると、ギードはゆっくりとラプトルを進ませてまずは目的のドワーフギルドへ向かって行った。




「おお、無事の到着だな。ご苦労さん。配達員が待ち構えてくれておるぞ」

 昨夜のうちにバルテン男爵にシルフを通じて連絡を取り、事情を話して出来るだけ早く、荷物をオルダムのレイの所まで届けてくれるようにお願いしている。

 通された部屋には、ギード程ではないが重装備の大柄な男性が待っていてくれた。

「おお、こんな時期に無理を言って申し訳ありません」

「お構いなく。ブレンウッドとオルダム間は、例え真冬であっても決して人と物の行き来を止めてはならない。これは、我々物流に携わる者たちの矜持なのですよ。それにここ数日は雪も少なく良いお天気が続いていますからね。普段より少し遅い程度でお届け出来るでしょう」

 頷いたギードは、抱えていた木箱をバルテン男爵にも確認してもらい、荷札に必要事項を書き込んでしっかりと木箱に括り付けた。

「では、よろしくお願い致します、ああそうだ。森の天気ですからこちらではどうかは分かりませぬが、念の為お伝えしておきます。二の月に入ると一気に雪が降り天候も荒れるようです。どうか何があっても大丈夫なように、充分な備えをなさる事をお願い致します」

「オルダムの竜騎士隊本部宛ですね。畏まりました、確かにお預かり致します」

 受け取りながらそう言った配達人の男性は、その後のギードが話すこれから先の天気予報に驚きを隠さなかった。

「もう今年の冬は大丈夫かと思っていましたが、まだ雪が降りますか?」

「そのようですな。森の木に穴を掘って越冬する虫がおりましてな。で、その穴の深さで雪の降り具合が分かるんですわい。外れて大して雪が降らぬ事は有りますが、浅い穴の年に大雪が降った事はございませぬ。今年は大層深く掘っておりましたから、恐らくですが間違い無く大雪となるでしょう。どうかお気をつけて」

「森に住む方の経験に基づく予報ならば我々も信用しますとも。貴重な予報をありがとうございます、仲間達にも必ず今の言葉を伝えます」

 渡された木箱を両腕でしっかりと受け取り深々と頭を下げ、顔を上げた男性はそう言って笑った。

 それからギードは、もう一人の一緒にいた商人ギルドの人に配達の代金を渡した。それから決められた荷送りの際の手数料をバルテン男爵にも渡した。

「それでは失礼します」

 一礼して荷物を抱えて出て行く二人を見送り、ギードは安堵のため息を吐いた。

「なんとか無事に託す事が出来たな。ああ、安心したら腹が減って来たぞ。跳ね馬亭で何か食って来るわい」

 笑ってそう言い、バルテン男爵と拳をぶつけ合った。

「では詳しい話は夜に致そう。仕事が終わればそのまま跳ね馬亭へ行くから、お前はのんびり飲みながら待っておれ」

 そう言われて思い切り背中を叩かれて、態とらしい悲鳴をあげてギードは仰け反ったのだった。

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