楽しい時間
賑やかな女性陣のおしゃべりは尽きることがなく、次々に変わる話題についていけないレイは、すっかり観客気分で、黙ってお茶を飲みながら面白そうに聞いていたのだった。
「ねえ、レイルズ様はどちらがお好きですか?」
突然、クローディアに話題を振られて、のんびりとお茶を飲んでいたレイは慌てて顔を上げた。
「えっと、僕は自分では愛玩動物を飼った事が無いので、どちらが好きかって聞かれてもよく分からないです。でも、マティルダ様が飼っておられる猫のレイやフリージアはとっても可愛いと思います。あ、それにピックも可愛いですよ!」
今の話題は、犬と猫のどちらが可愛いか。と言う他愛のないものだ。
どうやら、アミディアが十歳になったら何か愛玩動物を飼っても良いと言われているらしく、今二人の間では、犬と猫のどちらにするかで大変な騒ぎになっているのだそうだ。
「ピックは私達では絶対に飼えないから、それは無しです。それじゃあレイルズ様は猫派ですか?」
ちょっと拗ねたようなクローディアにそう言われて、レイは困ってしまった。
クローディアは、大好きなラプトルでの遠乗りの際に一緒に行きたいと考えて、大型の犬が欲しいと思っているのだ。しかし妹のアミディアは一緒に寝たいから絶対に猫だと言って譲らず、周りは困り果てているのだそうだ。
「えっと、僕は犬はあまり身近に関わった事が無いんだ。本部には警備用の軍用犬ならいるけれど、それは愛玩動物じゃ無いから、僕は触った事が無いです」
レイの言う通りで、竜騎士隊の本部の警備担当の第二部隊では、夜間の見回りの際には専用に訓練された犬を連れている。しかし、その犬は普段は別の厩舎にいる為、レイは殆ど見た事が無い。
また本部の竜舎や厩舎では、ネズミ除けに猫を数匹放し飼いにしている。しかし、ほとんど野良と変わらない扱いのその猫達は野性味が強く、人には全くと言って良いほど近付かないのだ。
さすがに餌の世話をしているマッカムには多少は懐いているらしいが、それでも猫のレイのように、人に甘えて抱かれるような事はしない。せいぜいが足元に来て擦り寄る程度だ。
大抵の動物には好かれるレイだったが、竜舎の猫達は、近寄っては来るものの撫でてやろうと手を伸ばすと、一気にすっ飛んで逃げて行ってしまう。なので残念ながら竜舎の猫達とも、離れた所から見かけたら声を掛けてやり挨拶する程度だ。
「猫は可愛いわよ」
笑顔のマティルダ様に、猫が欲しいアミディアが大きな声で返事をして満面の笑みで頷いている。口を尖らせて分かりやすく拗ねているクローディアを見たレイは、自分が疑問に思った事を聞いてみた。
「えっと、飼って良いのは一匹だけなの? 犬と猫、両方飼っちゃ駄目なんですか?」
あんなに広いお屋敷なんだから、犬と猫の両方がいても別に邪魔になる事は無いと思うのだが、それでは駄目なんだろうか?
単にそう思って聞いたのだが、その言葉に、二人は揃ってぽかんと口を開けてこっちを見たきり黙ってしまった。
「えっと、ごめんなさい。僕、何か変な事を言ったみたいだね……」
あまり考えも無く言ったので、何か失礼な事を言ったのかと思い、レイは慌てて謝った。
しかし、少女二人は揃って笑い出した。お互いの手を取り合い、もう堪え切れないと言わんばかりに声を上げて大笑いしている。
「えっと、あの……」
何故、二人が揃ってあんなにも笑っているのかさっぱり分からずに困っていると、隣にいたイデア夫人がレイの背中をそっと軽く叩いた。
「まあまあ、いつ気がつくかと思って黙っていたのに、レイルズ様に言われてしまいましたね」
「えっと、あの。教えていただけますか? 僕、何か失礼な事を言いましたか?」
しかし、レイを見たイデア夫人は笑って首を振った。
「いいえ。レイルズ様は何も悪くありませんわ。もちろん、何の失礼もございませんよ。あの子達は自分達が気付かなかった当たり前の事にようやく気付いて、何故気付かなかったのかと自分で自分が可笑しくて、それで笑っているんですよ」
「えっと。どういう事ですか?」
不思議そうに首を傾げるレイに、イデア夫人は笑顔で教えてくれた。
「私は、あの子達二人に、アミーが十歳になったら、何か好きな動物を自分で飼っても良いですよ。と申したのです。如何ですか? 答えがお分かりになりましたか?」
悪戯っぽい目でそう言われて、レイは少し考えた。
「あ、そうか。彼女達は一匹だけしか飼っちゃ駄目だって思い込んでいたんですね。でも、今のイデア様の言い方を聞けば、それぞれに飼っても良いと言っているようにも取れますね」
「はい正解です。もちろん私はそのつもりで言ったのですが、最初から飼っても良いのは一匹だけだと思い込んでいる二人を見て、自分達で気付くまで様子をみようと思って黙っていたんです。普通、気付きますよね? 一匹だけしか飼っちゃいけませんなんて、誰も、一言も言っていないのにね。どうもあの子達は二人揃って妙に頑固なところがあって、一度思い込んだら考え直すとか、もう一度落ち着いて考えるって事をすぐに忘れるようなんですよ。レイルズ様はそんな事にならないように気を付けてくださいね」
片目を閉じて面白そうに言われてしまい、レイは何と返事をしたら良いのか困り果ててしまっていた。
大真面目に話をしている二人を、サマンサ様とマティルダ様、カナシア様の三人は優しい眼差しで見つめていたのだった。
丁度その時、ノックの音がして入って来た世話係の女性がイデア夫人に小さく耳打ちをした。
「お越しになられたのね。ええ、お通ししてちょうだい」
一礼して出て行ったその女性は、すぐにヴィゴを案内してきた。
サマンサ様とマティルダ様、それからカナシア様とヴィゴが順に挨拶を交わすのを、レイは目を輝かせて見つめていた。
「ヴィゴはやっぱり格好が良いよな」
小さく呟いたが、その言葉はイデア夫人の耳には聞こえていたようで、一瞬目を瞬いた彼女は、レイのふわふわな赤毛を笑ってそっと撫でてくれた。
「まあまあ、嬉しい事を言ってくださるわ。ねえ、そうでしょう。私は今でも会う度にあの人に一目惚れしているんですよ」
「全く、お前はレイルズに何を言っているのだ」
呆れたようなヴィゴの声が聞こえたが、顔を上げたレイは、思わず笑ってしまった。
平静を装っていたが、残念ながらこっちを見ているヴィゴの口元は、完全に笑っていたのだった。
「ヴィゴ、口元! ほら、引き締めないと!」
笑って自分の口元を指差すレイの言葉に、隣で真っ赤になっていたイデア夫人が堪え切れずに吹き出してしまい、部屋は暖かな笑いに包まれたのだった。
それからしばらくして、サマンサ様とマティルダ様、カナシア様は後の予定があるからと戻る事になった。
「どうか忘れないでね、レイルズ。皆、貴方の事を愛しているし心配もしているわ。一人で悩まないでね」
別れる時、マティルダ様はレイの目の前まで来てそっと頬にキスをしてそう言ってくれた。
「それからラピスよ。もしも彼が何かに悩んでいるようなら、いつでも私にシルフを飛ばしてくださいね。お願いよ」
『あい分かった。心に留めておこう』
レイの右肩に現れたブルーのシルフの言葉に、マティルダ様は目を細めた。
「時には、人の手でないと解決出来ない事もあります。一人では決して解決出来ない事もね。どうかそんな時には私達を思い出してください」
満足そうに頷くブルーのシルフを見て、安心した三人は迎えに来た執事に付き添われて城へ戻って行ったのだった。
それから、改めて人形に着せ付けた花嫁衣装をもう一度ヴィゴと一緒に見せてもらい、ヴィゴはあの肩掛けの生地の、レイが刺繍をした部分を見て感心しきりだった。
「えっと、全然ガタガタで……ええ! 何これ、すごく綺麗になってる!」
恥ずかしくて隠そうとしたレイは、自分の刺繍に施されたそれを見て驚きのあまり大きな声でそう叫んでいた。
レイが驚くのも無理はなかった。
先程までのレイが刺したその小花は、のっぺりとした白一色で花びらの縁も不自然なガタガタだったのだが、サマンサ様と女性達全員の手が加えられた事により、縁の部分の粗を隠すように、同じ色で改めて囲うように刺繍が施されひとまわり大きな花に変わっていた。更には、花の中心部分にも影になるように濃い色の刺繍が加えられて、一気に花に立体感と存在感が出ていたのだった。
「ええ、すごいや。僕がやった下手っぴな刺繍の小花が見事に咲いたよ」
目を輝かせるレイに、皆も笑顔になるのだった。
「良かったですね、レイルズ様。私も、もっと小さな頃に、花嫁様の肩掛けに生まれて初めて刺繍をした時、やっぱりガタガタになってしまって恥ずかしい思いをしたんです。そうしたら母上がこんな風に綺麗に仕上げて下さったんです。それを見て、私ももっと絶対に上手になって、いつか誰かを助けてあげるんだって、そう思ったんです」
嬉しそうなクローディアの言葉に、レイも嬉しくて笑顔で何度もお礼を言うのだった。
それから、ヴィゴの一家と一緒にレイは女神オフィーリアの分所へお参りに行く事になった。
チェルシーとはここでお別れだ。
「本当にありがとうございました。どうかあの人の事、よろしくお願い致します」
嬉しそうにお礼を言うチェルシーに、レイも笑顔でお礼を言った。
「こちらこそ、急に押し掛けて申し訳ありませんでした。でもとっても楽しかったです。式まであと少し。大変だと思うけど、どうか無理はしないでくださいね。僕に何か出来る事があれば、何でもお手伝いしますから、遠慮無く言ってくださいね」
「はい、ありがとうございます」
改めて握手をして、自分の勤め先である庶務課の事務所へ戻るチェルシーを見送った。
「ねえヴィゴ、ちょっと質問してもいいですか?」
「うん? どうした、改まって」
驚いたヴィゴがレイを見ると、レイはチェルシーが出て行った扉を見ながら何か考えている風だ。
「えっと、以前ここに来て初めての時に、ロベリオ達に本部を一通り見せてもらったんだけど、その時に庶務課って部署の事は聞かなかったんです。どんなお仕事をする所なんですか?」
納得したヴィゴは、小さく頷いて教えてくれた。
「最初に聞いた総務と言うのは、ファンラーゼン軍全体の中にある一つの部署だ。聞いたと思うが裏方全般の仕事をしてくれる部署で、決して目立たないが、組織には無くてはならない存在だな。だが、軍全体を管轄する部署な為、部隊をまたいでの人事異動がある。それに対して庶務課というのは各部隊毎に作られた、その部隊専用の部署な訳だ。その為、基本的に人事異動が無い。これが大きな違いだな。彼女は今までは総務部に所属していたから、結婚を機に竜騎士隊本部付きの庶務課に人事異動になった訳だ。分かったか?」
「よく分かりました。じゃあ、チェルシーにもお世話になるんだね」
「まあ我々に直接関わる仕事になるかどうかは分からんが、何であれ、我々の為に働いてくれる事に違いはなかろう」
笑顔で頷くレイを見て、ヴィゴも満足そうに頷くのだった。
「では、エイベル様にご挨拶に参るとしようか」
ヴィゴの言葉に、準備をして待っていた娘達とイデア夫人も立ち上がって二人の後を付いて部屋を出て行ったのだった。
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