涙と慰め

「そっか、カウリの結婚式は来月か」

 自習室でマーク達と勉強をして、休憩していた時に、今朝の話を思い出してマーク達に報告したのだ。

「お相手はどんな方なんだ?」

 興味津々の二人に、レイはチェルシー上等兵が如何に綺麗で優しい人かを話して聞かせた。

「へえ、今は本部の事務所にいるんだ。どの人だろう? ちょっと分からないな」

 まだ、本部へ来て間もない二人は、事務所にいる人全員の顔と名前を覚えている訳ではない。

「結婚式がどんな風だったか、是非聞かせてくれよな」

 その言葉に、レイはちょっと考えた。

「うん分かった。きっと綺麗だろうね、花嫁さんのドレス」

 話には聞くが、まだ自分の目ではレイは花嫁さんを見た事がない。

 結婚式がどんな風なのかも全く知らないので、実は密かに楽しみにしているのだ。

「マークやキムは、誰かの結婚式って出た事がある?」

 新しい本を開きながらふと思い付いてそう尋ねた。

「もちろん。俺は、親戚の結婚式に何度か出た事があるよ。マークは?」

「いや、俺は自分の知り合いや身内で結婚式を挙げるような人はいないな。故郷の農村では普通、神殿での結婚の誓いの言葉だけだからさ」

「俺が出たのだって、貴族の結婚式なんかとは全然違うぞ、神殿で誓いの言葉を述べて、誓いのキスをするだけだよ、後は新居か実家で祝いの席が設けられるけど、それだって、はっきり言って飲んで騒いでるだけだよ」

「貴族の結婚式ってどんな風なんだ?」

 興味津々のマークに逆に聞かれてしまい、レイは何度も首を振った。

「えっと、明日は訓練所はお休みして、グラントリーに、その結婚式について教えてもらう予定になってるの。僕も結婚式って何をするのか全然知らないから、実はちょっと楽しみなんだ」

「おお、今から勉強か。じゃあ仕方がないな」

 マークとキムは顔を見合わせてそう言って笑っている。

「街の人たちの結婚式ってそんな感じなんだね。その、神殿で何かした後に宴会?」

「まあ普通はそうだな。大きな商家だったりすると、取引先への挨拶回りやなんかがあって、そりゃあ大変らしいけどな」

「そうなんだ。じゃあ、クッキーが結婚するなら大変そうだね」

「ああ、確かに。クッキーの実家は大きな商会だって言っていたもんな」

 その言葉に、レイは実は万年筆の贈り物は、クッキーが見繕ってくれた事を白状した。

「ああ、そうだったんだ。何だか嬉しいな。彼も一緒に選んでくれたんだ」

 笑顔のレイに、マークとキムは胸元に刺した万年筆をそっと撫でた。

「これ、この前も言ったけど、ペン先の硬さも丁度良くて本当にすっごく書きやすいんだ」

「だよな。本当にもうこれ無しでは仕事が出来ないぞ、俺は」

 顔を見合わせて、三人揃って嬉しそうに笑い合った。




 新年最初の授業は、天文学の授業だ。

 レイは、お休みの間も取り続けていた、天体観測のノートを持ってきていて、それを見ながら月の動きと軌道の計算方法を習った。



「そういえば、冬至の時はありがとうございました。あまりゆっくり出来なかったから、後からお礼を言おうと思っていたのに、時間が無くなっちゃいましたから」

「ああ、構いませんよ。私もあの日は忙しかったのでバタバタしていましたからね」

 笑って気にしないように言ってくれる教授に、レイは改めてお礼を言った。



 先月、年末に近い十二の月の二十日、冬至の前日、以前約束していた神殿の大きな天球儀を式典の為に倉庫から取り出すと聞き、レイは一緒に神殿まで行って見学させてもらっていたのだ。

 話に聞いていた通り、レイが持っている天球儀の何倍もあるその巨大な神殿の天球儀に、レイはもう夢中になって目を輝かせて教授を手伝いながらあちこち見て回ったのだ。



 何よりも、レイを夢中にさせたのは、神殿の天球儀には巨大なガラス製の組み立て式の球になる覆いが作られていて、そのガラスの内側部分には、夜空の星々が精密に描かれていた事だった。

 丁度、夜空を外側から見た図になっていて、これは神々から見たこの世界なのだと教えられた。

 その際に、最近では、小さな物でも夜空が描かれたガラスの球体が付いた天球儀もあると聞き、本気でもう一つ欲しくなったレイなのだった。




 授業が終わり、マーク達と一緒に本部へ戻ったレイは、お茶を入れてくれるラスティにお礼を言って、自分の部屋に置かれたお気に入りの大きな天球儀の傍に行った。

 分厚い金属で作られたいくつもの輪が、重なり合って複雑な動きをするそれを、飽きもせずに何度も動かしていた。

「母さんと父さんは、結婚式なんて出来なかったんだろうな……」

 小さな声でそう呟き、以前見た夢の中での出来事を思い出してしまい、少しだけ出た涙をぐっと堪えた。



 記憶の中にいるレイのよく知る母さんは、いつも笑っている。

 叱られた事も無いわけではないが、いつだって母さんは優しくて笑顔を絶やさない人だった。

 村にいる女性の中心であり、女性達は皆、何かあったらいつも母さんを頼っていた。

「母さんと話がしたいな……今なら、聞きたい事や話したい事が、いっぱいあるのに……」

 そう呟いた瞬間、レイの目から堪えきれなかった涙が零れ落ちた。

「駄目だな。もう泣かないって決めたのに……」



 天球儀に寄り掛かって、何度かゆっくりと深呼吸をする。



『先ずは自分が生き延びる事を考えなさい!』

 その時突然、レイの脳裏に逃げた時の母の声が鮮明に蘇った。



 体が震えて息が止まり、耳鳴りが鳴り始める。

 手足の先が痺れて視界が真っ暗になり倒れそうになったその時、突然誰かにしっかりと抱きとめられた。



「大丈夫ですよ。落ち着いてちゃんと息をしてください」

 抱きしめられたまま、落ち着いた静かな声でそう言われて、レイは小さく頷いて必死になって何とか息をしようとした。

 背中を優しくゆっくりと同じ調子で叩かれ、それにあわせて何とか息をする事だけを考えた。



 しばらくすると、ようやく息苦しさが無くなり呼吸が落ち着いてきた。いつのまにか手足の痺れや震えも収まっている。

「落ち着きましたね。歩けますか? ここに座ってください」

 レイの体を抱えるようにしたラスティにそう言われて、何とかふらつきながらも自分の足で歩いて、引かれた椅子に座った。

 横に屈み込んだラスティは、まだレイを抱えたままだ。

「あ、あの……ありがとうございます。もう大丈夫です」

 小さな声でそう言うと、ゆっくりと腕を緩めてくれた。

 心配そうなラスティの顔が目の前に来て、レイは小さく頭を下げた。

「えっと、その……」

 なんと言っていいのか分からず困っていると、ラスティはそっとレイの額に手を当てた。

「何があったか聞きしてもよろしいですか? 以前も訓練所でお倒れになったと聞きました。何か心当たりは?」



 小さく身震いしたレイは、俯いたままラスティにもたれかかった。

 ラスティは、黙ってその体をもう一度しっかりと抱きしめてくれた。



「あのね、母さんと父さんの事を考えていたの。それで母さんに会いたいなって思って……そしたらあの夜、逃げた時の母さんの声が聞こえて、それで苦しくなったの……」

「大丈夫ですよ、ここは安全です」

「うん。分かってる。分かってるんだけどね……」

 小さな声でそう言ったきり、レイは溢れる涙を堪えられなかった。

「泣いても良いんですよ。誰も笑ったりしません」

 額にそっとキスをしたラスティは、もう一度、泣きじゃくるレイをしっかりと抱きしめてくれた。

 人の身体の暖かさと、抱きしめてもらえる安堵感にレイは涙が止まらず、いつまでも縋り付いたまま大声を上げて泣いたのだった。




「えっと、ごめんなさい。もう大丈夫です……」

 ようやく涙が収まり落ち着いたのは良いものの、我に返ったレイは猛烈な恥ずかしさに襲われていた。

 しかも、自分が何故あんなに泣いたのか、自分でもよく分からない。

 確かに思い切り泣いて頭の中はすっきりしたが、その代わりに襲ってきた恥ずかしさに、また違う意味で息が止まりそうになっていたのだった。



 しかし小さく頷き安堵のため息を吐いたラスティは、レイの背中を叩き、もう一度額にキスを贈った。

「レイルズ様、どうか辛い時には我慢しないで下さい。好きなだけ泣けばいいんです。誰も笑ったりしませんよ。亡くなった方に会いたいと思うのは皆同じです」

 そっと腕を緩めて立ち上がる。

「お茶がすっかり冷めてしまいましたね。入れ直します」

 立ち上がったラスティの言葉に、レイは小さく笑って首を振った。

「良いよ、せっかく入れてくれたお茶だからこれを頂きます」

「よろしいのですか?」

「うん、ちょっと喉が渇いたから冷めた方が良いよ」

 笑ってそう言い、カップに注がれたお茶を一気に飲んだ。

「あ、レイルズ様。それは蜂蜜が入っていませんよ」

 慌てたようなラスティの声は残念ながら間に合わず、レイは口いっぱいに頬張った苦いカナエ草のお茶を必死になって飲み干して、また涙目になったのだった。



 そんなレイの事を、少し離れたソファーの上でシルフ達とブルーのシルフが心配そうに見つめていた。

『成る程、人の体温と言うのは、こんな時には有り難いものだな』

 少し寂しそうにそう小さな声でそう呟き、新しく入れてもらった甘くしたお茶を飲むレイの元へ、ゆっくりと飛んで行ったのだった。

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