寝坊した日
『寝てるね』
『寝てるね』
『今日は良いの?』
『今日は良いの』
『のんびりのんびり』
『のんびりのんびり』
耳元で囁くシルフ達の声を聞きながら、少しだけ浮上したレイの意識は、また眠りの国へ旅立ってしまった。
そんな彼を見て楽しそうに顔を見合わせたシルフ達は、眠るレイの胸元や前髪の隙間に潜り込んで一緒に寝る振りをするのだった。
昨夜は結局、夜明け近くまで星を見て過ごしたのだ。
ブルーのシルフは、そんなレイの側にずっと黙って寄り添っていてくれた。
レイがようやく目を覚ました時、部屋の中はすっかり明るくなっていた。
「ええと、僕、また寝坊しちゃったみたいだね」
ゆっくりと起き上がり、貧血が無い事を確認してから大きく伸びをした。ふわふわの真っ赤な髪は、寝癖で大変な事になっている。
「えっと、シルフ、今何時? 鐘は幾つ鳴ってた?」
寝起きの強張った身体を解しながらそう尋ねると、目の前にブルーのシルフが現れた。
『先程、十点鐘の鐘が鳴っていたぞ。半刻ほど前だな』
「おはようブルー。やっぱり寝過ごしちゃったや」
ブルーのシルフにキスを贈って、レイは照れたように笑った。
『おはよう。まあせっかくの休みだ。少しくらい寝坊したって誰も怒らんよ』
「でも、お腹空いたから起きるね」
足元に置かれていた、ニコスが作ってくれた綿兎のスリッパを履いて、まずは顔を洗うために洗面所へ向かった。
「うわあ、なにこの頭。酷過ぎる!」
洗面所から聞こえて来たレイの悲鳴に、ブルーのシルフは堪える間も無く吹き出したのだった。
「お目覚めになりましたか?」
丁度レイが顔を洗って洗面所から出て来た時、ノックの音がしてラスティが入って来た。
「おはようございます。寝坊しちゃったみたい」
「昨夜は遅くまで星を見てらっしゃったんでしょう。今日はお休みですから、ゆっくりお休み頂いて良いんですよ。如何なさいますか? 食事は部屋に運びましょうか? それとも食堂へ行かれますか?」
「お腹空いたから、食堂へ行きます」
寝間着を脱ぎながらそう言う彼を見て、ラスティは頷いていつもの竜騎士見習いの制服を渡した。
きちんと身支度を整えてから、ラスティと一緒にいつもの時間よりかなり遅い朝食を食べる為に食堂へ向かった。
「そう言えば、マーク達と食堂で会った事って無いけど、どうして? 何処か、ここ以外にも別に食堂があるの?」
トレーを持って並びながら、レイはふと思い出して不思議に思った事を聞いてみた。
「ああ、マーク伍長とキム伍長ですね。お二人共精霊通信科の日常担当と聞いておりますから、恐らく食事は交代制で少しずれた時間に食べておられるのだと思いますよ。昼食後の休憩時間に、家族や知人と連絡を取りたい人は多いですからね。もしかしたら、今ならどこかにいらっしゃるんじゃありませんか?」
ラスティにそんな事を言われてレイは慌てて周りを見回したが、少なくとも見えるところには二人の姿は見つけられなかった。
しかし、見回してみて思った。レイが普段食べている時間には第二部隊の兵士達が多い。だが今食事をしている兵士の半分以上は第四部隊の制服を着ている。
「そっか、ここでも知らないところで皆が支えてくれているんだね」
レイは嬉しそうにそう言って、目の前に並んでいる大量の料理を、次から次へと自分のお皿に取り分けて行くのだった。
今日は、レバーペーストはパンの数だけ取っておいた。
空いている席に座って、きちんとお祈りをしてから食べ始める。
「うん、この薫製肉はやっぱり美味しい」
分厚く切ってビネガーソースの添えられたその薫製肉は、木の良い香りがしっかりと付いていて、レイのお気に入りなのだ。
大きな口を開けてご機嫌で食べていると、丁度食堂に入ってくる見覚えのある姿を見つけた。
「あ! マークとキムだ」
二人はレイに気が付いていないようで、話をしながらトレーを持って列に並んだ。
嬉しくなったレイは、二人が並んで料理を取るのを見ていた。
料理を取って振り返った二人は、空いている席に座ろうとしてこっちを向いて満面の笑みで手を振る赤毛を見つけた。
「おい、とうとう見つかっちゃったぞ」
「あ、本当だ。これは行かないと拗ねるだろうな」
顔を見合わせて苦笑いした二人は、そのままレイの向かい側の席に並んで座った。
「今頃食事なの?」
今の時間は、十一点鐘の鐘が鳴ってすぐの時間だ。
「はい、今日は朝が早かったので今から昼食なんです。この後少し休憩時間があって、その後はまた夜までずっと交代で通信室勤務ですよ」
マークが笑いながらそう言うのを聞いて、レイは口を尖らせた。
「普通に話してよ。訓練所にいる時みたいに」
小さな声で文句を言うと、目を瞬いた二人が揃って首を振った。
「だから、公私混同は駄目だって言ったでしょうが。今は休憩時間とは言え周りにこれだけ人がいるんだから、無茶言わないで下さい」
キムの言葉に、レイは口を尖らせて無言で黙り込んだ。
「頼むから……そんなでかい図体して拗ねるなよ」
マークの小さな声は周りには聞こえなかっただろうが、レイとラスティにはしっかりと聞こえた。
「分かってるよ。分かってるけど……なんか嫌だ」
「駄目です。慣れてください」
苦笑いした二人は、揃ってお祈りをしてから食べ始めた。レイも食事を再開する。
しばらくは無言でそれぞれに食事を終えた。
一旦トレーを片付けて、各自がカナエ草のお茶を入れてくる。レイはいつもの如く、ミニマフィンとミニタルトのデザート付きだ。
その後、二人がどんな仕事をしているのかや、交代で夜勤がある事も知り驚いたのだった。
「まあ、夜勤の時は、昼勤務と違って実際に通信室へ来る人は少ないですよ。だから、逆に自習時間をもらえるんで有難いんです」
「自習時間?」
ミニタルトを食べかけて、驚いたように顔を上げた。
「今、ガンディ様に手伝って頂いて、あの、光の精霊魔法の合成と発動の確率についての初めての論文を書き始めているんです。だけど、どうにもまとめるのが難しくて苦労しているんですよ。なので、時間のある時に上司から許可をいただいて、論文の下書きをしているんです」
「あれ凄かったよね。僕も何度かやってみたけど、なかなか上手く固定出来ないんだ」
悔しそうにビスケットを齧るレイを見て、マークは目を細めて笑った。
「レイルズ様なら、慣れれば間違いなく出来ますよ。俺なんかより余程優秀ですから」
「ブルーはもう完全に理解したって言っていたよ」
その言葉に、マークは思わず身を乗り出した。
「それは素晴らしい! あの、無茶は承知ですが……一度、あの……話をさせては頂けないでしょうか……」
「えっと、僕は別に構わないと思うけど、どう? マークとブルーを勝手にお話しさせても構わない?」
隣にいるラスティに、レイは小さな声でそう尋ねる。
「そうですね。会って頂くこと自体は大丈夫だと思います。ですが挨拶程度では終わらないでしょうから、勤務中は問題があると思いますね。時間を取って会わせるのなら、マーク伍長がお休みの日にあくまでレイルズ様が個人的に会う、と言う形にするのがよろしいでしょうね。離宮でお話をされれば、人目も避けられます」
「分かりました、じゃあそうするね。えっとマーク、今度のお休みっていつがある? 僕は今日から三日間はお休みなんだけど」
「ああ、レイルズ様、明日は一応予定が入っておりますので、申し訳ありませんが駄目です」
慌てたようなラスティの説明に、三日間お休みだと聞いていたレイは驚いたが、とにかく頷いた。
「そうなの? 分かりました。じゃあ明日は駄目みたい、えっと、明後日の予定は?」
マークとキムは顔を見合わせ、指を折って何やら真剣に相談し始めた。
「ええと、それって俺も行くべきですか?」
キムの遠慮がちな質問に、レイは当然のように頷いた。
「もちろん。だってマークの精霊魔法の合成と発動の先生でしょう?」
「いや、ガンディ様がいらっしゃったら、正直言って俺なんか出る幕は無いと思ってるんだけど……だから拗ねるなよ」
小さく吹き出したキムは、一つため息を吐いて立ち上がった。
「ちょっと待っててくれるか。相談してくる」
マークの背中を叩いて小さな声でそう言い、キムは辺りを見回して目的の人物を見つけた。彼らの直属の上司になるディアーノ少佐だ。
丁度食事を終えたところだった少佐は、副官のミラー中尉と一緒に立ち上がろうとしていたところだった。
「あの、お食事中失礼します」
横に立ち、直立するキムを見て、少佐はトレーを中尉に頼んで座り直した。
「構わんよ、どうした? 何かあったかね?」
先程から二人がレイルズと一緒に食事をしているのを、少佐達は気付いていた。
少し離れていた為、会話は聞こえなかったが、楽しそうに話しているのを見て、安心していたのだ。
「あの、実は明後日、レイルズ様にマーク伍長と一緒に離宮へ来るようにと、お誘いを頂きました」
わざわざ、命令された、と言わずに、お誘いを受けました、と言う。こう言っておけば、万一重要な仕事があった場合、それを理由に断る事も出来るだろうとの配慮からだ。
納得した少佐は大きく頷いた。
「せっかくのお誘いだ。こちらで人員の調整はするから行って来なさい」
まさか、そんなに簡単に許可されると思っていなかったキムは、驚きつつも改めて直立して敬礼した。
「許可頂きありがとうございます。では、申し訳ありませんが、調整、よろしくお願い致します」
「言っておくが、ここでは竜騎士様に関係する事が何よりも最優先される。ご本人からの直々のお誘いを断る者など、ここには誰一人いやしないよ。気にせず行って来なさい」
当たり前のようにそう言われて、キムはもう一度直立してお礼を言った。
「それでは、失礼します!」
一礼して席に戻る。
レイの歓声が聞こえて、更には彼らの周りで大喜びで手を叩くシルフ達の姿を見て、ディアーノ少佐は満足気に頷いたのだった。
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