大人達の心配事

 いつものように本部の前を通り過ぎて、馬車は横にある通路を通ってそのまま裏の厩舎へ向かった。入り口で何人もの兵士が出てきて、素早くラプトルに取り付けてあった引き具を取り外した。

 扉を開けて、先にマークとキムが飛び出してくる。振り返ると、その後ろをレイが降りてくる。

 慌てて二人が手を貸すのを見て、レイは笑って首を振った。

「ごめんね、心配かけて。本当にもう大丈夫だから」

 照れたように笑うレイの顔色は、いつもと変わらない。

「うん、シルフ達も大丈夫だって言ってるみたいだからな、だけど無理はするなよ。ちゃんと食事をして寝る事。良いな」

 真顔のマークにそう言われて、レイは直立した。

「うん、約束します」

「よし、じゃあお願いします」

 後ろへ下がって、ラプトルから降りて来たカウリにレイを預けた。

 何度も振り返って手を振るレイに手を振り返して、彼が見えなくなるまで二人はその場を動こうとしなかった。

 姿が見えなくなってから、その場にいた兵士達にお礼を言って、自分達の第四部隊の事務所へ戻って行ったのだった。




 本部へ戻ったレイは、いつも通りに部屋に荷物を置いて休憩室へ行こうとしたが、部屋着を持って来たラスティにやんわりと止められた。

「ガンディ様から、今日は大人しく休んでいるようにとの事です。本は読んでも良いとの仰せでしたので、良ければベッドでお休みになって本を読まれては?」

 ただ休んでいろと言っても、レイは嫌がるだろう事を見越しての提案だ。

 予想通り、自由にベッドで本を読んで良いと言われたレイは、目を輝かせてアルジェント卿からもらった、もう一人の英雄の生涯の本の二冊目を持ち出して来た。



 それを抱えて部屋着のままベッドに潜り込む。



 ラスティが、ベッドサイドに小さな机を用意してくれて、そこにいつものカナエ草のお茶と一口サイズのマフィンが並んだお皿を置いた。マフィンの横にはビスケットの入った大きな瓶も置く。

「お茶が足りなければ、いつでもお呼びください。ではごゆっくり」

 嬉しそうに頷いたレイに一礼して、ラスティは部屋を後にした。

「顔色は戻っておられるようでしたね。しばらく様子を見ます」

 廊下にいたヘルガーとハン先生にそう報告して、隣の自分の部屋に入って行った。

 無言で頷き合ったヘルガーとハン先生は、そのまま休憩室の隣にある別室へ向かった。



 そこにはルークとマイリー、ヴィゴ、そしてカウリの四人が座っていた。

「様子は?」

 マイリーの言葉に、ヘルガーが口を開いた。

「ラスティは、顔色はいつもと変わらないと申しております。念の為、夕食までベッドで読書をして頂くことにしました」

「ガンディによると、恐らく精神的な事だろうと……」

 ハン先生の言葉に、マイリーとヴィゴが無言で顔を見合わせる。

「それは具体的には、何に対して?」

「それが、同席していた古典文学の教授によると、今日の課題であるアルターナの夕景を読んで、これを知っているとレイルズが言い出したのが始まりだったと。何でも、あの自由開拓民の村の村長が、夕方になると子供達にアルターナの夕景をそらんじていたのだとか。それで、その話の途中で突然悲鳴を上げて倒れたと言っていたそうです」

「恐らく、そこからあの襲撃の夜の事を思い出したのだろうな。心の傷はまだ癒えてはおらぬか」

 カウリは、ヴィゴからレイの過去ついても一通りの事は聞いている。

 無言で腰の剣を見た。


「彼に……人が斬れますかね」



 ポツリと落とされたその呟きは、この場にいる全員の思いだった。



 竜騎士は飾り物ではない。今はタガルノとの間も落ち着きを見せているが、あの国はいつ態度を豹変させるか分からない。

 万一、国境で戦いが起これば、即座に竜騎士に出動命令が出る。

 まだ見習い期間中は実際に前線へ出て戦う事は無いだろうが、それも今だけだ。いずれ成人して正式な竜騎士となれば、いやでも前線に立たねばならぬその日はやってくるだろう。それがただの小競り合いで済むか、或いは大量の死傷者が出る程の大きな戦いになるかは、その時にならないと分からない。



「そう言えば、新しい報告が来ているんだが、そのゴドの村の村長だった人物。どうにも謎だ。よく分からん」

 悔しそうなマイリーの言葉に、ルークが驚いたように顔を上げた。

 マイリーの持つ情報網は相当なものだ。自由開拓民の住民には訳ありな人物が多いが、それとても調べる角度を変えれば大抵は露見するものだ。

 だが、そのマイリーが謎だと言う。

「どう言う事だ。自由開拓民の村の村長一人、調べられんと?」

 ヴィゴの問いに、マイリーは肩をすくめて横に置いてあった資料を手にした。

「名前はヴァスイア・ネラ。古い言葉で、淵という意味を持つ、何とも意味深な名だな。それ以外一切出てこなかった。村を開いたのは今から三十二年前。ブレンウッドで慈善事業を手広く行なっていたアリムエイト伯爵が連れて来たらしい。だが、当時高齢だった伯爵が彼をどこから連れて来たのかは、家の者は誰も知らなかった。村を開く際に幾許かの金を用意した程度で、その後特に大きな支援は行なっていない。まるで、村を開くために名前だけを貸してもらったかのような状態に近いな」

「以前報告があった、ブレンウッドの警備隊長が言っていた、村を公認するのを拒否したという件もある。念の為巡礼を完了した神官である可能性も考えて、神殿へ問い合わせを行いましたが、精霊王の神殿を始め、主な神殿ではその名の神官は見つけられませんでした。まあ偽名を使っていれば、追跡が途切れて分からなくなっている可能性は否定出来ません」

「レイルズのお母上も、どうやらアリムエイト伯爵が連れて来たらしいが、それもどこから連れて来たかは分からず仕舞いだったよ」

 途中に入ったルークの報告を聞きながら、マイリーは情けなさそうにそう言って天井を見上げた。



「どうにも分からん事だらけだな。ちょっと話を順にまとめよう。まず、レイルズの件だが、具体的には何かする事はあるのか?」

 書類を横に置いて、マイリーがハン先生を見る。

「ガンディともう少し相談して、一度レイルズと、村にいた頃の事も含めてゆっくりと話す機会を設けてみます。話を聞く限り、レイルズは今日、自分が倒れた時の事を覚えていません。恐らく、何か思い出したであろうその記憶も、また無意識に封印されてしまっています。このままで良いのか。慎重に見定める必要がありますね」

「それについては、我々は専門外です。お任せしますので、何か出来る事があればいつでも言ってください、協力は惜しみません」

 頷くヴィゴ達を見て、ハン先生も真剣な顔で頷いた。

「マルチェロの件がありますから、こう言った事は慎重に行わなければなりません。もう二度と、あのような悲しい事は起こさない為に」



 彼が母親を亡くした時に受けた彼の心の傷は、恐らく一生治るようなものでは無いのだろう。

 それをそっと抱きしめて温めてやり、その傷が開かないようにしてやるのは、今ここにいる皆の仕事なのだ。無邪気に笑う彼を、清濁を飲み込める立派な竜騎士として育てる為には、知識と技術だけでは無い、もう一つの心の成長という、一番難しい問題を乗り越えなければならないのだ。



「人を育てるのは、本当に難しいな」

 マイリーが天井を見上げて小さく呟く。

『我からも少し話をしてみよう。何か分かったら知らせてやる』

 机の上に現れたブルーのシルフの言葉に、机を見たマイリーは頷いた。

「それは有難い。まあ、あまり急に刺激するのも良くはないでしょうから、話しをされる際は、慎重にお願いします」

『了解だ。気を付けよう』

 頷いたシルフが消えるのを見送り、六人の口からほぼ同時にため息が漏れた。

「では今は様子見だな。見守りは、ラスティ達とラピスに任せておこう。では城に戻るぞ。ルークは今日はレイルズについていてやってくれ」

「了解です。明日はそちらへ行きますので、よろしくお願いします」



 立ち上がったルークがそう言い、カウリも立ち上がろうとしてマイリーを見た。

「あ、これは使えるかも……」

「ん? 何がだ?」

 その声に、部屋を出ようとしていたハン先生とヘルガーも足を止めて振り返った。



 カウリは裏方出身であるだけあって、年末年始の竜騎士達の関わる祭事についてもかなり詳しい。

 自分の思い付きに満足そうに笑った彼は、手招きをして内緒話をするようにマイリーに顔を寄せた。ヴィゴとルークも手招きして呼び寄せる。

 興味津々で集まって来た二人とマイリーに、カウリは今自分が思いついたそれを小さな声で語って聞かせた。

「ああ、それは確かに気晴らしになりそうだな」

「うん、良いんじゃないか。別に貧血を理由にしたが、実際はそれ程酷いわけじゃないんだし、様子を見て連れて行ってもいいかもしれんな」

 ルークとヴィゴが口々に同意を示す。

 マイリーも大きく頷いてカウリの背中を叩いた。

「では、その方向で調整しておこう。お前はルークと一緒に、レイルズについていてやってくれ」

「了解です」

 頷き合った四人を見て、ヘルガーとハン先生は大丈夫そうだと見て部屋を出ていく。四人もそれに続いた。



 机の上に現れたブルーのシルフが、そんな大人達の様子を満足そうに見送っていたのだった。

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