得意科目とマークの試験

「おはよう。彼女達も今来ていたぞ」

 自習室の前でマークに会い、ディーディー達がもう来ている事を教えてもらった。

「おはよう。今日は彼女達、早かったんだね」

「おはよう。何でも、城にご用の神官様の馬車に乗せてもらって来たらしいよ。帰りも乗せてもらうんだってさ」

 後ろから聞こえたキムの声に、レイは笑って振り返った。キムは両手で本の山を抱えている。

「おはよう。確かに、時々そんな事を言ってるね」

 自習室の扉を開けてやり、いつもの椅子に鞄を置いたレイもマークと一緒に自分の参考書を探しに図書館へ向かった。

 廊下で参考書の山を抱えた二人とすれ違ったので慌てて彼女達の本を持ってやり、もう一度自習室へ戻ったレイとマークだった。

 改めて自分達の参考書を取りに行き、それぞれ山のように自習室へ持ち込んだ。

 自習室の扉をキムに開けてもらい、机に本を置こうとした時、二人が入って来た事に気付いていないニーカの声が聞こえた。



「ディア。数学が私を毎回苛めるの。どうしたら良いかしら」

「ニーカ、それはもう、とことん付き合って慣れるしかないわよ」

 苦笑いするクラウディアが、自分の本を手に取りながら諭すように言い聞かせている。

「そんなの無理! レイルズみたいに、星の軌道の計算や、暦の計算をするわけじゃ無いんだから、私なんてちょっとした足し算と引き算が出来たら、もうそれで良いと思うんだけどなあ。分数の計算も 因数分解も大嫌いよ!」

 ニーカの情けなさそうな声が聞こえて、レイとマークは同時に吹き出した。

「ああやだ……もしかして今の愚痴、聞こえた?」

 笑っている二人を見て、ニーカは恥ずかしそうにクラウディアの陰に隠れた。

「ニーカ、知識と教養は邪魔にならないんだからさ、せっかくの覚えられる機会なんだから、頑張って覚えようよ」

「レイルズは良いわよ。頭良いもん。だけど私は、残念ながらあんまり頭は良く無いみたいね」

 恥ずかしそうに俯いて肩を竦める彼女に、レイは首を振った。

「ルークから聞いたよ。ニーカは、この国へ来るまで文字を書く事も出来なかったって。それなのに、一年半程でここまで勉強出来るようになったんだから、もっと自信を持って良いと思うな」

 彼女が竜と共に来たタガルノからの亡命者だとは聞いていたが、まさか、最初は文字も書けなかったとは知らなかったマーク達も、一様に驚きの目で彼女を見た。

「いやいや、ちょっと待てって。それでここまで出来てるんならすげえ優秀だよ。しかもまだニーカは十三歳になったばっかりだろう? 成人年齢になるまででも、まだ丸三年もあるんだから大丈夫だって」

「それなら良いけど……自信なんて、欠片も無いわ」

「じゃあ、俺が教えてやるよ。ほら、座って」

 キムがニーカの横に座り、分数の計算問題の部分を広げて彼女の目の前に置いた。

「見ててやるから、まずは自分でやってごらん」

 頷いたニーカが真剣に計算問題を解き始めるのを見て、レイ達も顔を見合わせて笑い合いそれぞれの勉強を始めた。



 しばらくの間、自習室には紙をめくる音とペンの音だけが聞こえていた。

「えっとここは?」

 時折ニーカが手を止めてキムに質問する声以外は聞こえず、退屈そうなシルフ達が積み上がった参考書の上に並んで座って、勉強に没頭する彼らを見つめていたのだった。



 昼の鐘の音が聞こえて、レイは顔を上げて大きく伸びをした。

 暦の計算は、ようやく慣れて来た今でも中々の難題だ。例題に出された年代表を見ながら、レイはひたすら計算を解き続けていたのだ。

「数学って僕は好きだな」

 ポツリと呟いたレイの声に、勢い良くニーカが振り返った。

「今、有り得ない言葉を聞いた気がする。これが、好き? 何処が、一体何処が好きなの?」

 ニーカに詰め寄られて、レイは座ったまま思い切り後ろに仰け反った。

「危ないって。倒れるぞ。ってか、俺も今有り得ない言葉を聞いたぞ、数学が好き? 寝言は寝て言えよ」

 マークにまでそう言われて、レイは困ったように笑った。

「えっと、僕にしたら、古典文学の方が複雑すぎて理解出来ない部分が多いよ」

 有り得ないものを見るような目で二人に揃って見られて、レイは堪えきれずに吹き出した。

「二人とも酷い! えっとね、僕が数学を好きだなって思う理由は、答えが一つだからだよ。そりゃあ難しい計算問題は大変だけどさ。正しい計算方法で解けば、間違いなくその答えに辿り着くよ。物事を理論立てて考えて、正しい公式に当てはめていく。正解、不正解がはっきりしているでしょう」

「そりゃあまあ、お前……計算問題で、答えが二つも三つも有ったら、そっちの方が問題だって」

 マークの呟きに、キムが吹き出す。

「だからさ。全く未知の数式を作り出せって言われたらそりゃあ無理だけど、正しい計算方法は既にあるんだから、理解して覚えてしまえば済む事だもん。古典文学だと、微妙に解釈が違っていてもどっちも正解、なんて事もあるし、一つの言葉で二つも三つもの意味があったりするんだよ。そんなのの方が僕には絶対理解出来ないって」

 口を尖らせるレイの言葉に、今度はニーカとマークが吹き出した。

「た、確かにそうだな。うん、文学問題の方が確かに答えの幅は広い」

「そうね、確かにそうだわ、私は古典文学なんて習っていないけど、文学は習っているから少しは言いたい事も分かる気がする」

 しみじみと言った二人の言葉に、自習室は笑いに包まれたのだった。



 食堂で、それぞれに好きな物を取って来て食べ、食後のカナエ草のお茶とミニマフィンを食べながら、レイは彼女達が竜騎士隊でお祝いをする事を聞いているのか気になった。

 だけど、マーク達の前でそれを話していいかどうかの判断が、レイにはつかなかった。

 なんとなく話題が途切れて静かになった時、マークが大きなため息を吐いて机に突っ伏した。

「ああ、ついに最後の本科の座学の単位が取れるかどうかの試験だよ」

 マークの呟きに、レイは驚いて彼を見た。

「ええ、最後の歴史の試験って来週じゃなかったの?」

「最初は来週だったんだけど、少し前にもらった連絡事項で、日程変更の連絡が来ていたんだ。それで、当初の予定とちょっと順序が変わったりしてたんだ」

「そうなんだ。あとは何が残っているの?」

 数学は追試を受けて、何とか三度目で合格をもらったと聞いている。

「歴史。まだ最後に残ったのが、数学じゃなくて良かったと思う事にしてるよ」

「頑張ってね、応援してるから!」

「おう、もうこの際、精霊王でも、女神オフィーリアでも、古竜でも良いから祈りたい気分だよ」

『適当に祈られても、何も返さんぞ』

 レイの耳元でブルーのシルフの呆れたような声が聞こえて、レイは堪える間も無く吹き出した。

「あはは、申し訳ございません。じゃあ、一生懸命祈ります!」

 声が聞こえたマークが、笑いながら手を握り合わせて額に当てた。

『馬鹿者、そんな事をしている暇があったら、過去の試験問題の一つでも読んでおけ』

「はい、午前中いっぱいそれをやってました」

『ならばもう、あとは己を信じろ。試験なんて所詮はその程度だ』

「はい、頑張って来ます。ってか、俺は試験が終わった後の方が怖いよ」

 もう一度ため息を吐くマークを見て、レイと少女達は揃って首を傾げた。

「え、試験が終わったら、普通は嬉しいんじゃないの?」

 ニーカの言葉にレイとクラウディアも頷いている。

「ああ、つまりな、本科の単位が全部取れたら、マークの正式な配属先が決まるんだよ」

「え? 王都の第四部隊でしょう?」

 レイの言葉に、キムは首を振った。

「マークは、今は第四部隊では見習い扱いなんだ。彼はいきなり精霊が見えるようになってここへ来たからさ。まずは精霊魔法に関する知識とついでに他の勉強もしっかりやってもらって、指定された本科の単位を全て取れば見習い期間終了。正式にどこの部隊に配属されるかが決まる訳だ」

「そうなのね、良い所に配属されたら良いのにね」

 クラウディアの言葉に、レイは不意に不安になった。

 リンザスやヘルツァーみたいに、マークまで国境の砦に配属されてしまったらどうしよう。

 本気で泣きそうになったレイだったが、これは自分に口出し出来る問題では無いと思い、ぐっと我慢して口を噤んだ。

 そんなレイを見て、キムは何か言いかけたが、ちらりとマークを見て、もう何も言わなかった。

「まあ、心配するなって。以前も言ったと思うけど、光の精霊魔法が使えるお前を第四部隊は絶対に離さないよ。大事にしてもらえるって」

「期待に見合うだけの働きが俺に出来るとは、到底思えないんだけどなあ」

 改めて机に突っ伏した彼を、四人がかりで必死になって慰めたのだった。



「それじゃあ頑張ってね!」

「私達もお祈りしてるからね」

「頑張ってね、お祈りしてるわ」

「まあ、肩の力抜いて行って来いよ」

 最後のキムの言葉に、レイと少女二人は振り返った。

「駄目よ、キムも応援してくれないと!」

「そうよ、キムもちゃんと応援して!」

 クラウディアとニーカの二人掛かりで叱られて、キムは小さく吹き出した。

「了解、じゃあ精霊王に祈っておくよ。まず試験が始まると毎回毎回、ペンが震えるぐらいに緊張するあいつをなんとかしてやってくれってね」

「そうなの?」

 三人から驚きの目で見つめられて、キムは笑って頷いた。

「毎回聞くんだよ。緊張のあまり、自分の名前が書けないって」

「それって……」

「でも、途中からは平気らしいんだけどな。だから、震えが止まるまでは、問題をひたすら読んで頭の中で解いているらしい。それで、震えが止まったら一気に答えを書いていくんだって。俺には、そっちの方がすごいと思うけどな」

 無言で大きく同意する三人だった。

「ああ、教授が来られたみたい。それじゃあね」

 レイの言葉に皆それぞれ自分の教室に入って行った。



「それでは始めてください」

 試験開始を告げる教授の声に、大きく息をして顔を上げたマークは、震える手で、まずは問題用紙に目を落とした。




「まだ出て来ないね」

「だな。これはやっちまったかな?」

 レイが授業が終わって廊下に出た時、マークの試験をしている教室の扉は閉まったままで、廊下にはキムが立っているだけだった。

 二人揃って、不安げに開かない扉を見つめていると、同じく授業の終わったニーカとクラウディアが出てきた。

「ねえどうだったの? あれ、もしかしてまだ出て来ていないの?」

「そうみたいね。大丈夫かしら?」

 二人も困ったように扉を見つめている。

 しばらくして部屋から音がして話す声が聞こえた。

「それでは、これからもしっかり頑張ってくださいね」

「ありがとうございました!」

 元気そうなマークの声に、四人は一気に笑顔になる。

 出てきた歴史担当のコートニア教授は、廊下にいた四人を見てにっこりと笑った。

「おめでとうございます。マークはこれで、本科の単位は全て取れましたね。見事でしたよ」

 鞄を抱えて飛び出して来たマークは、その手に試験の答案用紙を持っている。

「ほら見てくれ! 皆の応援のおかげだよ! 生まれて初めて満点を貰った!」

「ええ、すごい! マーク、おめでとう!」

「おめでとう! 満点なんて凄いじゃないか!」

 レイとキムに背中を叩かれて、マークは笑ってそのまま膝から床に崩れ落ちた。

「あはは、今回は、簡単に緊張が解けたと思って安心していたら、今頃になって緊張して来たよ」

「だ、大丈夫!」

 慌てて駆け寄り咄嗟に支えたレイとキムは、彼の言葉通り、今になって本気で震えているマークを見て、揃って遠い目になった。

「まあ、何であれ、無事の本科卒業おめでとう。いよいよ正式な配属だな。何処になるのか楽しみにしてるぞ」

「おう、良いところに行けるように、精霊王にお祈りしておくよ」

 まだ震えながらそんな事を言うマークに、レイとキムは、左右から思いっきり背中を叩いてやったのだった。

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