それぞれの朝
風の音がしている……。
ぼんやりと目を覚ましたレイは、目を開けた自分がどこにいるのか分からなくて、一瞬パニックになりかけた。
「おお、目を覚ましたな。おはよう」
しかし、嬉しそうなブルーの声が聞こえて、レイは今の状況をようやく思い出した。
ゆっくりと起き上がり、大きく伸びをする。
「おはようブルー。えっと、今どの辺りなの?」
「間も無くオルダムに着くぞ。途中、一度城に寄る事は皇子に連絡してあるので、軽く湯を使って食事をして来なさい」
驚いて指の隙間から外を見ると、見覚えのある街並みやお城の塔が遠くに広がっているのが見えた。
時刻はそろそろ六点鐘の頃合いだろうか。明けたばかりの輝く朝日に照らされた城はとても綺麗だった。
ゆっくりと、いつもの中庭に降り立つ。
第二部隊の兵士達が、整列して出迎えてくれた。
「えっと、おはようございます。朝早くからごめんね」
背の上にレイがいない事に気付き慌てる彼らを見て、レイは慌ててブルーの手の中から手を振って声をかけた。ブルーが、開いた手を地面に差し伸べてくれたので、大急ぎで飛び降りる。
「ああ、そちらでしたか。乗っていらっしゃらないから驚きましたよ」
顔馴染みの第二部隊の兵士が、照れたようにそう言って笑った。
「では、我はここで待っているので、ゆっくり食事をして着替えて来なさい」
大きな鼻先に押されて、振り返ったレイは、抱きついてキスを贈った。
「じゃあそうする。すぐ戻るから待っててね」
迎えに出て来てくれたラスティと一緒に、まず部屋に戻り、軽く湯を使って着替えをした。
それから、早めの食事のために食堂へ向かう。
しかし、あまりお腹も空いていなかったので、いつもより少し軽めに食べておく事にした。
食後のカナエ草のお茶を飲みながら、食堂を見回す。
早い時間の為か、いつもよりも人も少なくがらんとしている。
「ここは、一日中開いてるって言ってたね」
「はい、今のように早朝や深夜であっても、しっかりとした食事が出来るようになっています。品数が少なかったりする事はありますが、少なくともここに来れば、食いっぱぐれる心配はしなくて良いですよ」
「お料理をする人は、大変だね」
「もちろん交代で休んでおりますから、一日中厨房にいるわけではありませんよ」
「そうだよね。でも……いつでもご飯が食べられるって凄いよね」
いつでもお腹いっぱい食べられるという事が、どれだけ幸せな事か分かっているレイは、小さく笑って目の前の最後のミニマフィンを見た。
「そうやって、いろんな人達に支えてもらっているんだもん。頑張らないとね」
小さく呟くと、ミニマフィンを一口で食べ、ポットの残りのカナエ草のお茶を注いだカップには、もう少し蜂蜜を追加してから飲み干した。
「うう、残りのお茶って、多めに蜂蜜を入れてもやっぱり苦いや」
口の中に残る苦味を誤魔化すために、ウィンディーネの頼んで、カップに水を出してもらって一気に飲んだ。それからもう一度水を出してもらって、お薬も二粒飲んだ。
「ご馳走様でした。それじゃあもう行きますね」
「少し、休んでから出発なさってください。食べてすぐに動くと具合が悪くなります」
真顔のラスティに止められ、結局レイが出発したのは八点鐘の鐘が鳴る前だった。
またしても整列して見送られ、更には城から沸き起こる大歓声にも送られて、レイは城を後にした。
街の上空を飛ぶ時にも、大歓声が沸き起こり、大勢の人々が手を振ってくれた。
いつもの朝のお勤めの時間だったようで、精霊王と女神オフィーリアの教会を始め、街にある幾つもの教会の鐘が一斉に鳴り始め、見事な調和した音を響かせるそれは、上空にいるレイの耳にも届いた。
「いつものお城の本部で聞くよりも、ずっと綺麗な音に聞こえるね。今頃、ディーディー達は教会でお祈りの真っ最中かな?」
下を見下ろしてそう呟くと、レイはそのまま東へ向かって飛び去って行った。
「昨日は、竜騎士様が全員隊列を組んで東に向かわれたし、レイは戻って来ていたのに、また東へ向かって行ったわ。大丈夫かしら……」
教会の廊下の窓から、お祈りを終えたばかりのクラウディアは、偶然見ることが出来た上空を飛ぶ大きな竜の姿に、不安を隠せなかった。
まだ未成年で見習いの彼ならば戦場に立つ事は無いかもしれない、だが、もしも何か緊急事態が起こったら、出撃命令が出るかもしれない。
あの古竜が戦場にいるのといないのでは、兵達の士気も全く違うだろう。それくらいは素人の自分にだって分かる。この国の兵士達にとって、竜は戦いの場においては、何よりも頼りになる大きな存在なのだ。
「精霊王よ。どうかあの方をお守りください」
恐ろしい考えを振り払おうとしても消えず、彼女は堪らなくなって、その場に跪いて涙を堪えて祈りを捧げた。
隣には、いつの間にかニーカが来て、一緒に祈ってくれていたのだった。
「今日、お城へ行く神官様と一緒に、スマイリーに会いに行く予定だったのだけれど、行っても大丈夫かしら?」
食事をしながら、ニーカは心配そうにしている。
『大丈夫だよニーカ』
『待ってるから来てね』
その時、二人の目の前に現れたシルフがそう言い、パンを持つニーカの腕を優しく叩いた。
「そうなの? 良かった、じゃあ後でね。スマイリー」
小さな声でそう言うと、シルフは笑って手を振っていなくなった。
「良かった。行っても良いって」
「良かったわね。クロサイト様によろしくね」
二人は顔を見合わせて嬉しそうに笑い合った。
「それじゃあ行って来ます」
城へ向かう神官様と一緒に、ニーカは嬉しそうにラプトルの引く一頭立ての小さな馬車の後ろに乗り込んだ。
狭いオルダムの道も通れるように幅が小さく作られたこの馬車は、城へ向かう時の神官達の為のものだ。当然車内は狭く、向かい合わせに作られた椅子にそれぞれ二人の神官様が窮屈そうに並んで座っている。彼女が座れる場所は無い。
その為ニーカは、いつも馬車の外にある執事やお付きの者達が乗る予備の場所に、手すりに掴まって立って乗っているのだ。
「落ちないように支えててね」
周りを飛ぶシルフ達にそう頼んで、ニーカは目を輝かせて街並みを眺めていた。
歩く時とも、ラプトルに乗せてもらった時とも違う、この馬車から見る景色がニーカは大好きだった。
一の郭への城門を抜ける時には、アルス皇子からもらった身分証を見せる。
無愛想な守備兵に身分証を返してもらい、馬車はそのまま広くなった一の郭の道を通り抜けて行った。
風はあるが、夏の強い日差しにさらされて汗が噴き出して来るのを感じて袖で汗を拭った。
「暑い。帽子を被ってくれば良かったかな」
何度も額を流れる汗を拭いながら、ニーカは小さくため息を吐いたのだった。
到着したお城でもう一度身分証を見せて、神官達と別れたニーカは、一人でいつもの竜騎士隊の本部がある西側の建物に向かった。
途中の検問も、この身分証があれば簡単に通る事が出来る。返してもらった身分証を腰に付けた小物入れに大事に戻して、長い渡り廊下を歩いてそのまま愛しい竜の待つ第二竜舎へ向かった。
「おはようございます!」
竜舎の前で見かけた、顔見知りのアドリアン上等兵に、ニーカは笑って挨拶をした。
「おはようございます、ニーカ様。クロサイトが朝からずっと大喜びで、もうすっかり待ちくたびれていますよ」
その言葉に、ニーカは声をあげて笑い、一緒に竜舎の扉をくぐった。
「ニーカ!おはよう。待ってたよ」
竜舎いっぱいに響いた嬉しそうなその声に、ニーカは駆けて行って、そのまま力一杯差し出された顔に抱きついた。
周りにいる竜達と比べると、クロサイトは半分以下の大きさしか無い。だが、その小さな姿さえ愛おしかった。しばらく抱きついて愛しい竜の喉を音を聞いていたが、ようやく腕を離してスマイリーを見上げた。
「今日は夕方までここにいて良いんだって。以前言ってた、ブラシをかけてあげるね」
少し前の竜の面会期間中、レイルズが第二部隊の兵士としてここを手伝った時に、彼がスマイリーにブラシをかけたんだと聞き、今度時間のある時に、彼女もブラシをしてあげる約束をしていたのだった。
「嬉しい。でもブラシは力がいるよ。無理はしないでね」
「大丈夫よ、これでも腕力には自信があるからね」
笑ってもう一度キスをすると、アドリアン上等兵にお願いして、竜舎の掃除やスマイリーにブラシをかけるのを手伝わせてもらった。
手慣れた様子で教えられた通りに汚れた干し草を運ぶ彼女を見て、他の兵士達は感心していた。とにかく彼女はよく働く。細々と動きまわり、使った道具はすぐに片付ける。働き慣れているのは一目瞭然だった。
掃除が済むと、教えてもらってスマイリーにブラシをかけてやる。
軽々とスマイリーの背中に乗ってブラシをかける彼女は、女の子とは思えないほど力強く擦り、春ほどでは無いものの薄く剥がれる古い鱗を順番に綺麗にしてやっていた。
「そうそこ、気持ち良い!」
尻尾の先を擦られて、スマイリーは身体を震わせながら嬉しそうに笑っている。
「あら? ここどうしたのかしら?」
その時、ブラシをかけていたニーカは尻尾の一部に妙な引っ掛かりを感じて手を止めた。
「ブラシが引っかかるって事は、ちゃんと鱗が剥がれていないのかな?綺麗にしてあげないと」
小さく呟き、尻尾の先を手に取って見てみると、尻尾の一部に妙な膨らみがあるのに気が付いた。
「誰か、誰か来てください! ここの所、尻尾の鱗が膨らんで割れているわ。どうしたの?何処かにぶつけたのかしら?」
泣きそうなニーカの大声に、隣でカーネリアンのブラシをしていたアドリアンが慌てて駆け寄って来た。それだけでなく、丁度竜達のための肉を運んでいたマッカムも、その声を聞いて慌てて駆け寄って来てくれた。
「ほら、ここの所、なんだかブラシが引っかかると思って見てみたら、鱗にヒビが入って怪我したみたいに膨らんでいるんです。ねえ、どうしたら良いですか?」
泣きそうな彼女が握っている尻尾を丁寧に見たマッカムは、満面の笑みになった。
「ニーカ様、ご心配には及びません。これは尻尾の棘が出て来た証拠です。おめでとうございます。これが出てきたという事は、身体が子供から大人へと変化し始めた証しなのです。まだ小さいですが、この身体もこれからどんどん大きくなりますぞ。ご覧ください、若竜以上の竜の尻尾にはあのように棘があるのです」
隣にいるカーネリアンの尻尾を指差す。声が聞こえていたカーネリアンは自分の尻尾を彼女に見えるように上げて見せてくれた。
確かに、そこには三本の大きな棘が鱗の向きとは逆向きに、まるで鍵になるように並んで突き出していたのだった。
「これも、爪と並んで竜の持つ武器の一つです。この棘のついた尻尾で力一杯叩かれると、どうなるかお分かりですね」
目を見張って、目の前の愛しい竜を見る。
「すごいね、スマイリー、若竜になるんだって!」
嬉しくなって、また首に抱きつく。スマイリーも嬉しそうに大きな音で喉を鳴らしていた。
「クロサイトの食事の配合を少し変えましょう。成長に必要な栄養を充分に摂らさなければなりませんからな」
「どうか、この子の事……よろしくお願いします」
マッカムの優しい言葉に、もう、それしか言えないニーカだった。
「了解だ。急がなくて良いよ。少し休んでから出発しなさい」
目の前に並んだシルフ達にそう言って、アルス皇子は顔を上げた。
「どうやら今回は、何事も無く済みそうだな」
皇子の嬉しそうなその言葉に、隣で一緒に聞いていたヴィゴとマイリー、カウリ、ルークの四人も笑顔になった。
もう戦いは無いと判断した彼らは、鎧を脱いで遠征用の竜騎士の制服を着ている。
今のは、ブルーの寄越した伝言のシルフ達で、簡単に大爺から聞いた今回は戦いにはならないであろうと言う事を伝え、また、途中レイを城へ立ち寄らせて、着替えと食事をさせる事も併せて報告して来たのだ。
「無駄足で済んで何よりだよ。まあ、しばらくは警戒の意味を込めてここで国境警備に当たるが、様子を見て順に城へ帰還させるよ」
「レイルズは、わざわざ此処に来させる意味って無いんじゃありませんか?」
からかうようなカウリの言葉に、マイリーは首を振った。
「いや、彼を此処に来させてやる意味があるんだ。会わせてあげたい人達がいるからね」
ヴィゴもその言葉に頷き、立ち上がって中庭を見た。
そこには、鞍を装着したままの竜達がそれぞれ好きに丸くなって休んでいて、その周りを第二部隊の兵士や士官達が、竜の世話をする為に忙しそうに走り回っていたのだった。
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