マイリーの仕事

 レイルズが花撒きに出る事になったのは、実は急遽出られなくなったマイリーの代理という意味もあった。

 もちろん、レイルズにも一度は花撒きを経験させておくべきだ、という配慮でもあったのだが。

 その当のマイリーは、花撒きに出る予定を変更して、城にある保安部の取調室に来ていた。

 しかしこれは取り調べの為ではなく、内密の報告を聞く為だ。

 シルフの伝言を聞いてこれは会って話すべきだと考え、保安部のべワイズ大佐に頼んで内密に秘密の保てるこの場所を借りたのだ。

 今、彼に面会しているのは街の神殿の保安を担当している衛兵達の上官であるフォルス少佐。連絡を受けて急遽城までやってきたのだ。




「オッサが亡くなったとはどういう事だ?」

「それが……正直に申し上げて、我々にも全く訳がわかりません」

 マイリーの隣にいるのは、保安部を束ねるべワイズ大佐だ。

 亡くなったオッサとは、ニーカを襲ったタガルノから来た密入国者の名前だ。

「人一人死んで、訳が分からんとはどういう意味だ」

 べワイズ大佐の言葉に、フォルス少佐は顔を上げた。

「言葉通りです。その亡くなったオッサは、直前まで取り調べ室にいました。この街へどうやって入ったのかという質問に対し、何かを話そうとしていました。口を開いたその瞬間に急に苦しみ出して、取調官の目の前で大量の水を吐いて昏倒。その直後に亡くなりました。あっという間の出来事で医者を呼ぶ間も無かったと……。その時部屋にいたのは、取調官以外には精霊使いが二名。彼らは誓って何もしていないと証言。念の為別の者に精霊を通じて確認させましたが、特に不審な点は見当たらなかったとの事です」

「検死の結果は?」

 マイリーの質問に、少佐は手元の資料を取り出して見せた。

「直接の死因は、検死官の説明によると、溺死……つまり、コップ一杯の水も無い取調室で溺れ死んでいると」

 ありえない話に、マイリーと大佐は思わず顔を見合わせた。

「つまり、何らかの原因で胸の中にあふれた水で、犯人は急速に溺れ死んだと?」

 調書を見ながら呟いたマイリーの言葉に、大佐は顔をしかめた。

「あり得ない……しかし、目の前で実際に人一人死んでいる訳だ」

「薬物および毒物の反応は無し。少なくとも見る限り既存の病気も無し。栄養状態は悪かったようだが、急死する要因は見当たらない。か」

 沈黙したマイリーは、天井を見上げたまま考えている。

「一つ質問ですが、どうかお気を悪くなさらないでください。仮にオッサを殺した犯人が竜騎士様ほどの精霊使いであったとして、陸地で人を溺れさせるような事が精霊魔法で可能ですか?」

「……今、俺もそれを考えていた。しかし、少なくとも顔を丸ごと水で覆ってしまうので無ければ俺の知る限り不可能だな。人の身体というのは、言ってみれば強力な結界と同じだ。外側からの物理的な攻撃は可能だが、精霊魔法で直接身体の内部に干渉出来るのは治癒の魔法だけだ。あれだって言ってみれば、対象者の治癒力を底上げするものであって、これとは根本的に違うな」

「では一体……」

「あくまで個人的な意見だが、可能性としては……それこそ針や剣で対象者の身体を貫通させれば、そこからの攻撃は可能だろうな。しかし、今回は外傷は見当たらないとの事だからこれは無理がある。他には……」

 マイリーの思考を邪魔しないように、二人とも黙って待った。

「これが腹の中だというのなら、まだ考えられる。何らかの魔法を付与した物を対象者に食べさせて、飲み込んでからそれを発動させる……駄目か。外部からでは発動のさせようが無い……そうか。時間制限を設けて、時間がくれば勝手に発動させるようにすれば可能か?」

「あの……マイリー様、研究熱心なのは結構ですが、少々危険な思考になっておるような気が致します。保安部としては、これ以上は看過出来ませんぞ」

 苦笑いする大佐の言葉に、我に返ったマイリーは小さく吹き出した。

「失礼、確かに仰る通りだ。忘れてください。しかし、胸の中で水を出す方法などどう考えても無い。少なくとも俺は知りませんね」

「ならば……」

 三人は、揃って沈黙した。これはどう考えても人に可能な事では無い。

「シルフ。ラピスを呼んでくれるか。にな」

 敢えて普通と言って呼び出す。しばらくすると、何人ものシルフが現れて机の上に並んで座った。

『どうした我に何か用か?』

 シルフの声でそう言うブルーに、マイリーは小さく頷いた。

「あなたの意見を聞きたい。実は妙な事になっている」

 そう前置きして、マイリーはニーカを襲った犯人が不審死を遂げた事を話した。

『ふむ……体内であふれた水で溺死』

『我ならば不可能ではないが』

『そんな面倒な事をするぐらいなら』

『他に簡単な方法はいくらでもあるな』

「全く同感だよ。ならば、どうすればこんな事が可能だと思う?」

 マイリーの真剣な言葉に、シルフは首を振った。

『知らん』

 簡単に断言されてしまった。

「やっぱりそうか。分かったもういいよ。ありがとうラピス」

 頷いて消えるシルフを見送り、マイリーは顔を上げた。

「お聞きの通り、古竜でさえも分からぬ事を我々ごときが考えたところで分かるはずも無い。とにかく、今回の一件は犯人死亡で捜査はこれ以上不可能になってしまいましたね」

「残念ですが、今回は犯人は病死という事で処理致します。また何か分かりましたらすぐに報告致します」

 立ち上がって敬礼して出て行く少佐を見送り、マイリーはまた無言になった。

「ありがとうございました。俺も本部へ戻ります。もし、この件で何か展開があれば、いつでも報告してください」

「了解致しました」

 敬礼する大佐に返礼を返して、マイリーはもらった資料を手に取調室を後にした。



 歩いて城を出て、本部への渡り廊下の途中でマイリーは立ち止まった。

「それで、ラピスの考えは?」

 空中に向かって話しかけたその言葉が聞こえたのか、マイリーの肩に大きなシルフが現れて座った。

『この話は外ではするべきでは無い。部屋に戻ったら話そう』

「了解だよ」

 その言葉に頷いて、シルフは一旦姿を消した。

 マイリーはそのまま平然と本部へ戻り、事務所に顔を出して、資料の整理をしたいからと言って会議室を借りた。

 資料の束を抱えて部屋に入ると座りもせずに机にそれらを置いて、まずは部屋に結界を張った。



「ラピス、あなたの意見を聞かせてくれ」



 その声に、先程と同じように現れたブルーの使いのシルフは、今度は机の上に置かれた資料の上に座った。

 その前にマイリーが座る。

『胸で水をあふれさせる事自体は、はっきり言って可能だ。しかし今の人の世界にこれが出来る者はいないはずだ』

「いないはず? 妙な言い方だな」

『これが出来るのは、闇の精霊魔法の使い手だ』

 断言するブルーの言葉に、マイリーは天井を振り仰いだ。

「やはりそこか。まさかとは思うが、これも一連の事件と関係があるのか?」

 自分の左足を見ながら言ったその言葉に、シルフは大きく頷いた。

『逆に言えば、関係無いと考える方が無理があるな。聖なる結界に守られたこの国で、こうも立て続けに闇の精霊魔法の影が見え隠れするなど、どう考えても異常事態だ』

 断言するブルーに、マイリーも頷いた。

「まあそうだろうな。しかし、そうなると……真犯人は何処にいる?」

『我がここへ来る途中に見つけた結界の揺らぎは、徹底的に浄化を施した。今も定期的に光の精霊達に巡回させているが、今の所特に引っかかってはこないな。少なくとも、黒幕は最近入り込んだ訳ではあるまい』

「あのオッサという男が密入国したのも、偶然……では無い、か」

『我も、彼の国の内部までは分からぬ。あくまで想像だが、恐らく勝手に密入国しようとした彼奴あいつに目をつけた今回の黒幕の配下が、奴に接触してオルダム入りを手引きしたのだろうな。そしてその黒幕は、少なくとも数年単位でこの国で普通に暮らす人のはずだ。そうでなければ、シルフ達が見逃すはずは無い』

 それを聞いたマイリーは、唸り声をあげて顔を覆った。

「漠然としすぎて、手の打ちようが無いな」

『闇の精霊に関しては、我と竜達で引き続き調べる事にしよう。ただ、一連の事件を見るに、明らかに奴らに何らかの焦りが見える。例の国境でのアルカディアの民のキーゼルが封印したと言うのが、真の黒幕の一部だとしたら……今、この国で起こっている一連の事件は、その残り火といった所だな』

「つまり、あちこちに密かに撒かれた種が、制御を失った今になって勝手に芽吹いていると?」

 思いっきり嫌そうなマイリーの言葉に、ブルーは小さく笑った。

『上手い事を言う。正にその通りだな。少なくともそれぞれが全く連携出来ておらず、好き勝手に動いているように見えるな』

「無知な愚か者による聖なる結界の破壊と、上位の闇の眷属による攻撃は失敗に終わり、タガルノから密入国した男が、死んだ事にしてタガルノから保護したニーカの元へ辿り着いた。確率から言ってもこれは偶然の筈は無いな。タガルノ側に引き込むつもりだったのか? 彼女への暴行とそれによる逮捕は、恐らくあの男の勝手な行動だろう。その結果、支配の糸を追跡される事を嫌った黒幕が、あの男を密かに始末した……」

『恐らく、それで間違い無いだろうな』

 大きなため息と共に、また天井を見上げる。

「不快なんてものじゃ無いぞ。どれだけ足元で好き勝手されていたんだよ」

「さっきの少佐に、光の精霊を付けて行かせた。彼の周りで何か動きがあれば恐らく分かるだろう。相手が動くまで待つと言うのは、はっきり言って性に合わんが仕方あるまい」

「激しく同意するな。では、この件は今のところ任せるよ。無理ばかり言ってる気がするが、すまない。よろしく頼むよ」

 疲れたようなマイリーの言葉に、ブルーのシルフは笑っている。

『我にとっては簡単な事だ。それに、其方と話すのはなかなかに面白い。人は色々な考え方をするのだな』

「何でもお見通しって訳か」



 苦笑いして、改めてシルフを見た。



「聞いていたのなら教えてくれ。俺のさっきの考え方はどこか間違っているか?」

『人の体内で魔法を発動させるだけならば、あの考え方で間違ってはいないな。人にそれが出来るかどうかはまた別の話だが』

 面白そうに言うブルーの言葉に、マイリーはまた考えるように天井を見た。

「しかし、あのやり方以外で他にあるか?」

『だから、人には不可能だと言ったのだ。闇の上位の精霊魔法の中には、人の体の働きそのものを操るものがある。体内にある水分を時間はかかるが分離させれば、中から溺れさせる事は可能だろうな』

「考えたく無いな。そんな死に方」

 顔を覆って首を振る彼を見て、ブルーのシルフは小さく笑った。

『竜の主は、自分の竜から守護をもらっているからそう簡単に闇の精霊魔法は効かぬ。安心しろ』

「心休まる言葉をありがとう。まあ、これ以上ここで考えていても答えは出ないな。戻るとしよう。そろそろレイルズも帰ってくるだろう?」

 その言葉に、ブルーのシルフは頷いた。

『今、中庭まで帰ってきたぞ。レイは、さっきから腹が減ったと言っておる』

 その言葉に、マイリーは笑って立ち上がった。

「それなら、戻って来た腹ペコのレイルズと一緒に、俺も食堂へ行くとしよう。ありがとうラピス。有意義な時間だったよ」



 マイリーとブルーは、時折こうやって、不自然な問題が有ると意見の交換をしている。どちらにとってもこれは有意義な時間だった。



『うむ、また何かあればいつでも言ってくれ』

 頷いたマイリーは、指を鳴らした。

 その瞬間、何かが割れる音がして、廊下の声が聞こえて来た。

「マイリー、資料の整理は終わりましたか? 行けそうなら、一緒に昼食に行こうよ」

 机に置いてあった資料をまとめていると、扉をノックする音と共にレイの声が聞こえてマイリーは笑顔になった。

「ああ、ちょうど終わったよ。行こう。俺も腹が減ったよ」

 持って来ていた資料をまとめて抱えると、マイリーは扉を開いた。

 机に座っていたシルフは、その後ろ姿を見送って、扉が閉まったことを確認すると、くるりと回っていなくなった。

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