緊張のお出掛け
周りの人々の思惑や密かな騒ぎなど露知らず、翌朝いつものようにシルフ達に起こされたレイは、上半身を起こして大きな欠伸をして、それから力一杯伸びをした。
『おはよう。今日も一日良いお天気のようだぞ』
膝の上にブルーのシルフが現れて、そう言って飛び上がって彼の頬にキスをした。
「あ、おはようブルー。今日はヴィゴのお屋敷へ行くんだよ」
昨夜、寝る前にヴィゴから、ルークとタドラが一緒に行ってくれると聞き、もう楽しみでたまらなかったのだ。
ヴィゴが馬車を出してくれるらしく、その馬車で白の塔へ彼女達とガンディを迎えに行き、屋敷へ向かう予定だと教えてもらった。
「行く時って、僕も馬車に乗っていいのかな? それとも、僕らはラプトルに乗って行くのかな?」
ふと思いついてそう呟き、ベッドから降りようとした時、ノックの音がして白服を手にしたラスティが入ってきた。
「おはようございます。おや、もう起きていらっしゃったんですね。朝練へ行かれるのなら、顔を洗ってきて下さい」
元気に返事をして、まずは洗面所へ急いだ。
白服に着替えて、廊下で待っていてくれたルークとタドラと一緒に朝練の訓練所へ向かう。ロベリオとユージンは、今日の朝練はお休みだそうだ。
柔軟体操の後、ルークに教えてもらいながらタドラと何度も手合わせをした。獲物はいつもの金剛棒だ。
しっかり汗を流した後は、戻ってラスティ達も一緒に食堂へ行った。
「今日、ヴィゴのお屋敷へ行く時って、僕らも馬車に乗っていくの? それともラプトルで行くの?」
思い出して、今朝の疑問をルークに質問してみた。
「ああ、俺達はラプトルに乗っていくよ。馬車は彼女達とガンディの為」
「そっか、いいお天気だしラプトルに乗る方が気持ち良いよね」
花祭り限定のお菓子のピンクと緑の色のついた綿飴をちぎりながら、レイは嬉しそうに笑った。
「確かに、出掛けるなら馬車に乗るよりラプトルに乗る方が気持ち良いよな」
「じゃあ、午前中は何かするの?」
最後の一つを口に放り込んでから言うと、ルークに頬を突かれた。
「まあ、午前中はゆっくりしてろ。昨日はお疲れだったんだろう?」
そう言って笑うルークの顔は、まだ腫れこそ引いたが傷は痛々しいままだし、レイのぶつけた鼻筋も、真ん中部分が若干赤くなったままだ。
「はーい! 確かに疲れました!」
断言するレイを見て、ルークとタドラは堪える間も無く吹き出した。
「しかし、その顔で揃ってラプトルに乗って出掛けたら、花祭りの期間中に竜騎士の人たちは一体何をしてるんだ! って思われそうだね」
一人綺麗な顔のタドラにそう言われて、レイとルークは顔を見合わせた。
「そんな事言うんなら、お前も付き合えよ! 赤くしてやる!」
いきなりルークがタドラの首を抱え込んで、そう言って頬っぺたを引っ張り始めた。
「いひゃい!にゃにすりゅんだよ! 」
態とらしい悲鳴を上げたタドラが、笑いながらそう言って腕を叩き、返す手でルークの怪我をした口元を指の先で突いた。
「痛い! 冗談抜きで痛いからそれはやめろ!」
ルークの本気の悲鳴に、その場にいた全員がまたしても吹き出したのだった。
「何だずいぶん賑やかだな」
ヴィゴが笑いながらそう言ってレイの隣に座った。
「あ、おはようございます! 今日はよろしくお願いします」
目を輝かせるレイの背中を叩いて、ヴィゴは笑顔になった。
「おはよう。全く、朝からお前らは元気だな」
「あ、おはようございます」
振り返ったルークやタドラも続いて挨拶をして、またお互いの顔を掴んでじゃれあっている。
「子供か、お前らは」
苦笑いして首を振ると、もう彼らの事は見もせず、お祈りをしてから食べ始めた。しかし、何となく少し元気が無いように思って、レイはヴィゴの顔を覗き込んだ。
「ん? どうした?」
パンを手にしたヴィゴが、驚いたように顔を上げてレイを見た。
「えっと、何でもないです」
慌てて首を振って、飲み終わった食器を返すために立ち上がった。
「昼前には出るから、いつもの騎士見習いの服を着ておくようにな」
「はい、分かりました」
元気に返事をして食器の乗ったトレーを持ち、でもやっぱり何だか元気がないと思ったレイだった。
その時、ルークの声が聞こえて思わず振り返った。
「どうしたんですか? 何だか……元気が無いみたいに見えますけど?」
「ああ、分かるか? 昨夜、マイリーとつい飲み過ぎてな」
照れたように笑うヴィゴを見て、ルークは呆れたように首を振った。
「飲ませたら底なしだって言われてる貴方が、何を言ってるんですか」
「それはひどい言い草だな。俺だって二日酔いになる事くらい、あるぞ……多分」
「多分、って何ですか! 自分で二日酔いかぐらいは分かるでしょうに!」
タドラの言葉に、ルークとヴィゴが笑っている。彼の元気が無い理由が分かって安心したレイだった。
ヴィゴに挨拶をして一旦部屋に戻る。何となくぼんやりしたまま無意識で剣を外して棚に置き、剣帯も外して壁に掛ける。
そのままソファーに座って、置いてあったクッションを抱えて寝転がった。しかし、ラスティはそんな彼を見ても何も言わずに一礼して下がってしまった。
「はあ、何だか疲れたよ」
クッションに顔を埋めたまま、呟く。
『彼女に会えるのに、今から疲れて何とする?』
レイの頭の上に、ブルーのシルフが現れてふわふわの赤毛を撫でながらからかうようにそう言った。
「だって……どんな顔して彼女に会ったらいいのか分かんないよ」
拗ねたような言葉に、ブルーは喉を鳴らした。
『じゃあ、行くのをやめるか?』
「それはやだ!」
思わず起き上がってそう叫ぶレイを見て、ブルーは可笑しそうに笑った。
『だったらしっかりしろ!』
シルフに頬を突かれて、レイは困ったように笑った。
「そう言えば、結局話す間がなかったけど、ニーカが言ってよね。国境の砦でヴィゴと戦ったって……」
『ああ、その話か』
「知ってるの?」
驚いたように顔を上げて、目の前に来たシルフを見つめた。
『オパールの主が左腕に怪我をした時の戦いだろう』
「聞いても良い?」
クッションを抱えたまま起き上がったレイの膝に、頷いてシルフは座った。
『そうだな……彼女にとっては不本意な出撃であったろうな。クロサイトと出会って間も無くだったそうだし、そもそも彼女は軍人でも何でも無い。その彼女がどうやってクロサイトの主になったのかは我も知らぬ』
「軍人じゃ無いのに、竜の主だからって出撃させられたって事?」
レイは、彼女はタガルノの軍人だとばかり思っていたのだが、確かに彼女の年齢を考えると無理がある。
『それで、竜を使って砦の壁を壊そうとしていた所をヴィゴの放ったカマイタチで叩き落とされたのだ。彼女は足を骨折して捕虜となった。同じく捕らえられたクロサイトが、紫根草の中毒だった話は聞いただろう?』
無言で頷いたレイは、ため息を吐いた。
「知らなかった……そんな事があったんだね。ヴィゴと会っても大丈夫かな?」
『どうであろうな? しかし、彼女は言っておったではないか。私は今幸せだと』
「そうだね。それなら良いけど……」
またソファーに転がって、レイは不安げに深呼吸して目を閉じた。
「ブルー、以前ルークが言ってたけど、本当に僕に出来るかな……もし戦いになったら……」
カマイタチもカッターも、今では軽々と放つ事が出来る。しかしその標的は、棒や丸太、板だったり、場合によっては石だったりするが、それらは全て無機物だ。
レイはまだ、生き物を相手に攻撃の精霊魔法を放った事は無い。
『心配はいらぬ。我が何があろうと其方を守る』
シルフの言葉に、レイは小さく笑った。
「そうだよね。ブルーは、強いもんね……」
小さく呟いた言葉は、途中で途切れてしまった。
『……レイ?』
心配そうに覗き込んだブルーのシルフが見たのは、クッションに抱きついて寝息を立てているレイの横顔だった。
笑ったシルフはふわりと浮き上がると、戸棚から毛布を引っ張り出して来て、現れた何人ものシルフ達と一緒に毛布を広げて彼にそっと被せてやった。
『おやすみ。昨日は疲れたからな』
愛おしげにそう言い、寝ている彼の頬にそっとキスを贈った。
「レイルズ様。そろそろ準備をして……」
扉をノックして入って来たラスティが見たのは、ソファーに転がって気持ち良く寝息を立てるレイの姿だった。
「おやおや、静かだと思ったら」
笑って小さく肩を竦めると、ソファーで寝ているレイの背中を軽く叩いた。
「レイルズ様、起きてください。ヴィゴ様のお屋敷へ行かれるのでしょう?」
「え? もうそんな時間?」
その声に目を開いたレイは、驚いたように飛び起きた。
「はい、もうそんな時間ですよ」
笑ったラスティは、起きたレイの顔を覗き込んだ。
「顔を洗って来た方が良さそうですね。ここ、よだれの跡が付いていますよ」
自分の左の口元を指差す彼にそう言われ、悲鳴を上げて飛び起きたレイは慌てて洗面所へ走った。
しっかり顔を洗い寝癖が無い事を確認したレイは、大急ぎで身支度を整えてラスティと一緒に厩舎へ向かった。
そこには、鞍を乗せたゼクスが待っていてくれた。横には同じく鞍を乗せた三頭のラプトルが並んでいる。
待っているとヴィゴとルーク、タドラが揃って厩舎に入って来た。
「待たせたな、では行くとしよう」
自分のラプトルの手綱を取りながらそう言うヴィゴを見て、レイは首を傾げた。
「えっと、馬車は何処にあるの?」
「ああ、屋敷から直接白の塔へ迎えに行かせているよ。丁度同じ頃に着くから、向こうで合流して一緒に行くんだ」
ヴィゴの言葉に納得して、レイもゼクスの手綱を握った。
四頭のラプトルは並んで早足で白の塔へ向かった。騎竜で行くなら、城の外の道を大回りして行かなければならない。
一番前へ行きたがるゼクスを抑えながら、レイはよく晴れた空を見上げた。
「良いお天気だね」
目の前に現れたシルフに話しかけて、こみ上げる気持ちのままに笑顔になった。
「ねえ。これで変じゃ無い? 私、何処かおかしく無い?」
先程からクラウディアは、何度もそう言ってはニーカの前に立って自分を見ている。
「大丈夫よ、今日もあなたは綺麗よ」
面倒臭そうなニーカの言葉に、クラウディアは困ったように首を振る。
「そうじゃなくて!」
「もうなんなのよ一体。ちょっとは落ち着きなさいよ」
またしても、どっちが年上か分からない会話をする二人を、少し離れたところに座ったガンディは面白そうに見つめている。
「クラウディア、ニーカの言う通りだ。大丈夫だから落ち着いて座りなさい」
そう言って笑って机の上を見た。
机の上の花瓶に活けられた花達は、活き活きとした艶と香りを放っている。昨夜のうちに花束を解いて、彼女が綺麗に活け直したのだ。花の上には水の精霊が頼んでもいないのに交代で座ってくれている。
彼女達も、時々花に顔を寄せて香りを楽しんでいるように見えた。
「でも……」
不安気な彼女を見て、ガンディとニーカは顔を見合わせて苦笑いをした。このやりとりも、もう何度目か分からないほどだ。
『お迎えの馬車が来たよ』
『主様達も来たよ』
その時、ガンディの前に現れたシルフ達が、口々に現れてそう言った。
「おお、迎えが来たようじゃ。では行くとしよう」
そう言うと、立ち上がったガンディは、またニーカを抱き上げた。
「私はもう歩けます」
腕を叩く彼女を撫でてやり、後ろを付いて来るのを確認すると、ガンディは迎えの待つ表へ出て行った。
「うわあ、大きな馬車!」
迎えの馬車を見たニーカは、思わず歓声を上げた。
それは、とても大きな二頭立てのラプトルが引く箱型の馬車で、馬車の前には執事が待っていた。その後ろには、ラプトルに乗ったままのレイ達四人の姿も見えた。
「おはようございます」
ニーカの元気な声に、慌てたクラウディアも続き、皆も笑顔で挨拶を返した。
執事の案内で馬車に乗り込んだ三人を見て、ヴィゴは振り返った。
「では行くとしよう」
馬車の前後に付いた四人は頷き、それを見た御者がラプトルに軽く鞭を打った。執事は馬車の外の後ろ側に乗っている。
レイも、進み始めた馬車を見て、胸を張ってゼクスに合図を送った。
一方馬車の中では、無邪気に外を見て喜ぶニーカと緊張のあまり固まってしまったクラウディアを前にして、ガンディが一人で困っていた。
「ふむ、せめてレイルズだけでも馬車に乗ってもらうべきだったかのう」
一向に緊張の解れない彼女を見て、小さく呟くガンディだった。
『大丈夫だよ』
『大丈夫だよ』
あまりの緊張振りを見兼ねた何人ものシルフ達が現れて、そう言い聞かせて彼女の頬や髪にキスを贈る。
「ええ、大丈夫よ。私は緊張なんてしてないわ」
全く説得力の無い事を言う彼女を見て、振り返ったニーカは吹き出した。
「頼りにしてるからね、ディア」
「ええ。任せてちょうだい……」
「もう、どうしたら良いのこれ」
「まあ、もう着くまでそっとしておこう。儂にもどうにも出来んわい」
先程のように、二人は顔を見合わせると苦笑いをして肩を竦めるのだった。
それを見ていたシルフ達も、二人を真似るように揃って肩を竦めた。
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