精霊竜の覇気

 ガンディの後ろを歩きながら、レイは思わず自分の隣を歩くクラウディアを見た。

 彼女は嬉しそうにしている。

「そっか。ディーディーにカナエ草のお茶を飲ませていたのは、この為だったんだね」

 昼食の後に、彼女がカナエ草のお茶を飲んでいたのを思い出して、納得して呟いた。

「はい、竜を紹介してくださるって……」

「じゃあ、僕の竜にも会ってよ。あ……駄目だ。ブルーはここにはいないもんね」

「え? お城の竜舎にいなければ、どこにいらっしゃるんですか?」

 驚いたような彼女の言葉に、レイは照れたように笑った。

「僕のブルーは、とっても身体が大きいんだよ。お城の竜舎でも狭くて入れないの。だから、西の離宮の側にある、湖の中に普段はいるんだよ。それで、用のある時は竜達専用の中庭に来てくれるんだ」

 中庭を指差しながらそう言うと、彼女は感心したように何度も頷いた。

「そうですね。確かに、とても大きな竜でしたから」

 その言葉を聞いたレイは、驚いて彼女を見た。

「ええ? ディーディーはブルーに会った事があるの?」

 叫ぶようなレイの言葉に、彼女は何度も首を振った。

「まさか。以前、オルベラートの王子様がお越しになっていた時、お帰りの際に、街の上空を綺麗な編隊飛行で飛んで行かれるのを神殿で見たんです。オルダムに来て、何度か上空に竜の姿をお見かけしましたが……並んで飛ぶのを見ると、本当に噂以上に大きくて驚きました」

 両手を握りしめて笑顔でそう言う彼女に、レイも笑顔になった。

「ニーカの竜も可愛いよ」

「はい、いつも話に聞いていましたから、会えるのが楽しみです」

 目を輝かせる彼女を見て、レイもすっかり嬉しくなった。



 見慣れた道を通り、到着したのはニーカの竜がいる奥の竜舎だ。

「スマイリー!」

 我慢しきれないように、ガンディの腕から飛び降りたニーカがそう叫んで竜舎の中へ駆け込んで行った。慌てて三人がその後を追う。

「ニーカ!」

 中から甲高い子供のような声が聞こえて、その直後に、ニーカの泣き声が聞こえた。

 追いついて竜舎の中を見ると、ニーカは愛しい竜の首に縋って声を上げて泣いていた。

 まるで抱きしめるように大きく翼を広げて、自分に縋って泣く彼女を隠してしまったスマイリーは、静かに喉を鳴らし始めた。

「ごめんね。ちょっとだけ、待ってやって」

 小さな声で隣に立つクラウディアにそう言うと、彼女は無言で何度も頷いた。その、彼女の目にも涙が光っているのを見て、レイは隣でどうしたら良いのか分からず無言で慌てていた。

 いつのまにか現れた大きなシルフが、レイの肩に座ってそんな彼女達を優しい眼差しで見つめていた。




「もう落ち着いたか?」

 優しいガンディの言葉に、翼の中から出て来たニーカは俯いたまま頭を下げた。

 背後から首を伸ばして彼女の背に頬擦りする愛しい竜に、振り返った彼女はもう一度抱きついた。

 目を閉じて、静かに鳴らしてくれる喉の音を聞く。もう涙は乾いていた。

「大好きよ、スマイリー。ずっとずっと一緒だからね」

 額にキスを贈って照れたように笑ってそう言い、ゆっくりと振り返った。

「ディア、この子が私の伴侶の竜だよ。名前は……ロードクロサイト」

 その言葉を聞いて、思わずクラウディアは首を傾げた。

「ええ? スマイ……」

「ああ、あのね! ごめんね! 説明していなかったね!」

 彼女の言葉を遮るように、隣にいたレイが大声で叫んだ。



 突然の大声に、思わず口を噤んだ彼女を見て、レイは大急ぎで竜の名前について説明した。

「あのね、精霊竜には竜の主だけが呼べる専用の名前と、他の一般の人達が呼ぶ名前があるんだよ。主専用の名前は、主以外の人は呼んじゃ駄目なんだよ」

 驚きに目を瞬かせる彼女に、レイは更に説明する。

「例えば、僕の竜はブルーって名前なんだけど、それは僕だけが呼べる名前で、他の人が呼ぶ時は、ブルーの守護石のラピスラズリ、もしくはラピスって呼ぶんだよ。だから、ニーカの竜の場合は、ロードクロサイトが守護石だから、僕達はクロサイトって呼んでるんだ。えっと……分かった?」

 慌てて説明したので、かなり早口だったので、理解してくれたか若干不安になった。



「……分かりました。じゃあ、私がニーカの竜に声をかけるなら、クロサイト様と呼べば良いんですね」

「そうじゃ。それで良いぞ。其方が竜を呼ぶ時は、敬称を付けるようにな」

 ガンディの言葉に、クラウディアは頷いた。

「畏まりました。気を付けます」

 一礼する彼女を見て。ガンディも満足そうに頷いた。

 改めて、ニーカと寄り添う竜を見つめる。

「初めまして、クロサイト様。女神オフィーリアの神殿の巫女、クラウディア・サナティオと申します」

 汚れた床に構わず、片膝をついて両手を握り、額に当てるようにして深々と頭を下げた。

「初めまして、女神の巫女様。どうか顔をあげてください。いつも、ニーカと仲良くしてくれてありがとう」

 まだ、幼いと言っても良い声でそう話す竜を、頷いて顔を上げた彼女はそっと見つめた。

「なんて綺麗……」

 思わず呟いた彼女の言葉に、ニーカは破顔した。

「ほら、こっちに来て。スマイリーに触っても良いよ」

 首に抱きついたまま、笑顔の彼女にそう言われて、クラウディアは恐る恐る近寄った。

 しかし、生まれて初めて間近で見る竜の迫力に、無意識のうちに彼女は圧倒されていたのだ。

 震える腕をそっと差し出して、ニーカが抱きついているその額にそっと触れた。

「あ、暖かいのね……」

 トカゲのように冷たいのだとばかり思っていたが、そっと触れた滑らかな鱗は、ほんのりと暖かかった。

「もっと触ってみたら? 竜とくっついていると、暖かいんだよ」

 背後から聞こえたレイの言葉に、慌てて首を振った。

 レイとニーカが顔を見合わせて嬉しそうに笑っている。しかしその声が妙に遠くに聞こえて不思議になったクラウディアは顔を上げた。



 そして我に返った。



 クロサイトの背後から、クロサイトよりも遥かに大きな三頭の竜達が、興味津々で大きく首を伸ばしてこっちを見ているのだ。

 皆、明らかに自分を見ている。しかも距離が近い。



 それに気付いた瞬間、クラウディアは思わず一歩下がってしまった。



「あ……」

 突然襲って来た恐怖に声が出ない。

 彼女は、自分でもよく分からないその恐怖に完全に竦んでしまった。



 足元から震えが上がってくる。

 立っていられなくてふらついたところを、隣にいたレイが咄嗟に支えてくれた。

「どうしたのディーディー、大丈夫?」

 息が早い彼女を見て、ガンディが慌てたように抱き上げた。

「とにかくこっちへ!」

 兵士達の詰め所に運び、彼女をソファーに座らせてやる。

 クラウディアの顔色は真っ青になっていて、口を開けて、まるで全力疾走した後のような早い呼吸をしている。

「す……すみま。せん……大丈夫です……」

 どこから見ても、全く大丈夫では無いのに、首を振りながらそんな事を言う。



 しかし、そんな彼女をガンディは脈を見ただけで黙って見つめているだけだ。

 そして彼女の息は、しばらくすると落ち着いて来た。

「ガンディ。ディーディーはどうしたの? どこか悪いの?」

「そうよ、ガンディ。ディアはどこが悪いの?」

 心配そうに叫ぶ二人を見て、ガンディは首を振った。

「大丈夫じゃ。どこも悪く無いぞ」

「だったらどうして、彼女はこんなに具合が悪そうなんだよ」

 側に立った焦ったようなレイの言葉に、ガンディは彼の背中を叩いた。

「落ち着け。大丈夫じゃ。ちょっとばかり竜の覇気に当てられただけじゃ」

「竜の……覇気?」

 聞き慣れない言葉に、レイが聞き返す。ニーカも首を傾げてガンディを見ている。クラウディアも、まだ顔色は悪いがしっかりと顔を上げてガンディを見ていた。



「精霊竜は、我々とは全く違う生き物だ。それは分かるな?」

 無言で頷く三人を見て、ガンディは満足そうに頷いた。

「竜の主にとっては、愛しいだけの存在であろうが、それ以外の我ら人にとっては、其方達とはまた違う意味で、精霊竜の存在は途轍も無く大きい。自分とは全く違う摂理の中に生きる生き物であると言う、脅威とも取れる強大な存在感。そして、そこにいるだけで感じる圧倒的な覇気。遠くから見る程度ならば問題無いのだが、生まれて初めて間近に竜と接した者は、そのほとんどが、今の彼女のように無意識の内に強い怯えの感情を持つ。中には、失神してしまう者もいるぞ」

 驚く二人だったが、クラウディアは納得したように頷いた。

「確かにその通りです。クロサイト様の眼を間近から覗き込んだ瞬間……まるで吸い込まれるような気がしました。そして、背後から私を見ている他の竜に気付いた瞬間……申し訳ありません。怖くて……怖くて足が竦んでしまいました。音が遠くに聞こえて……立っていられなくなったんです」

 俯く彼女の背中を、ガンディはそっと叩いてやった。

「光の精霊を扱える其方ならば大丈夫かと思ったのだがな。しかし、いきなりここへ連れて来たのは、ちと乱暴だったようだ。すまなかった。しばらくここで休んでおれ」

 その言葉に、顔を上げた彼女は無理をして笑った。

「ごめんね、ニーカ。私は大丈夫だから、竜の側に行ってあげて」

 しかし、ニーカは首を振った。

「スマイリーにはいつでも会えるもん。具合の悪くなった貴女の方が今は大切よ」

 そう言って、第二部隊の兵士が持って来てくれた毛布を彼女の膝に掛けてやる。

『そうだよ』

『ニーカは巫女様の側にいてあげて』

『ごめんね怖がらせてしまって』

 ニーカの肩に現れたシルフにそう言われて、クラウディアは申し訳なさそうにまた頭を下げた。

「申し訳ありません。弱い私をお許しください」

『無理しないでね』

『ニーカの事これからもお願いします』

『それを言いたかっただけなの』

『本当に怖がらせてごめんね』

 もう一度そう言って謝ると、使いのシルフは、クラウディアの方へ飛んで行き、彼女の頬にそっとキスを贈った。

『貴女の人生に幸多からん事を』

「まあ、ありがとうございます」

 まだ顔色は悪かったが、そう言って彼女は少し笑った。



「あの、良かったらお飲みください。カナエ草のお茶です。覇気を感じたのなら、竜射線に一瞬強く触れた可能性もありますので」

「おお、すまぬ。あとで飲ませてやろうと思っていたが、入れてくれたのならありがたく頂こう」

 ガンディはそう言ってポケットから見慣れた丸薬を取り出した。

「もう一度これを飲んでおきなさい。なに、少ししたらすぐに良くなる。そうしたらもう、クロサイトの側に行っても大丈夫じゃぞ。まあ、他の竜は……今日のところは無理せずやめておけ」

 苦笑いするガンディの言葉に、頷いたレイは、彼女にブルーを紹介するのを諦めた。



『大丈夫なようだな。しかし、直接会うのは無理そうだから挨拶だけしておこう。ラピスラズリだ』

 レイの肩に現れた大きなシルフが平然とブルーの声で話すのを、二人の少女は驚きのあまり声も無く見つめていた。

「えっと、ブルーの使う声飛ばしは、普通とは違って何処にいても声が直接届くんだよ」

 レイが慌てて説明したが、その説明に二人は更に驚いた。

「直接……声が届くって……」

「そんな声飛ばしがあるなんて聞いた事無いです!」

 叫ぶような二人の声に、ガンディも苦笑いして二人の肩を叩いた。

「儂も、初めてこの声飛ばしを見た時は、驚きのあまり声も無かったぞ。まあ、何しろ古竜だからな。色々と桁違いじゃわい」

 二人の少女は若干遠い目で見つめ合った後、そろって小さく吹き出した。

「そうだよね。古竜だもんね」

「そうですね。古竜なんですものね」

 もう一度顔を見合わせて笑うと、二人揃って改めてシルフを見た。

「初めまして蒼き古竜よ。クラウディア・サナティオと申します。見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ございません」

 跪く事は出来なかったが、両手を握り額に当てて深々と頭を下げた。

『無理せず楽にしていろ。直接会えぬのは残念だが、また会う機会もあろう』

 そう言うと、シルフはレイの頬にキスをして、それから彼女の頬にもキスを贈っていなくなってしまった。

 それを見送り、ホッとしたように笑い合うと、それぞれ入れてもらったお茶を飲んだ。




 しばらく休んで彼女の具合が良くなってから、改めてクロサイトの所へ向かった。他の竜達はそれぞれ遠くに下がって知らん顔をしている。

 そんな竜達に、改めて両手を握り深々と頭を下げたクラウディアだった。

「お気遣い感謝いたします。失礼の数々、どうかお許しを」

 遠くから三頭の竜の喉を鳴らす音が聞こえてきて、皆笑顔になった。



 そんな一同を、竜舎の梁に座ったシルフ達が、愛しそうにじっと見つめていたのだった。

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