ルークの決断
レイルズを引きずるようにして、そそくさと引き上げていくロベリオ達を見送ったルークは大きなため息を吐いた。
何と言って話そうかと頭の中で考えていて、背後から聞こえた声に小さく頷いた。
「場所を変えよう。ここは人目がありすぎる。馬車を用意しているから、とりあえずそこへ」
そっと背中を押されて大人しくついて行った。その瞬間に背後から聞こえた騒めきは、聞こえなかった事にした。
離れた道路に用意されていた、二頭のラプトルが引く箱型の小さな馬車に乗り込む。
「乗合馬車で会場まで来た癖に、わざわざ別に、乗りもしない馬車を用意してるのかよ」
「万一の時のための備えだ。その程度は危険回避の為には当然だろうが。現に今、役に立っているではないか」
鼻で笑ったルークは、黙ったまま窓の外を見た。そして見える景色を見て確信した。
予想通り、馬車は城では無く一の郭の公爵の屋敷へ向かっている。
「城へ向かってくれ。明日はパティと一緒に花撒きに出なきゃいけない」
横目でルークを見た公爵は、黙ってその言葉に頷き、隣に座った執事が御者席に指示を出した。
「……もう、怪我は良いのか?」
公爵が答えの分かりきった質問をする。
「おかげさまで、とっくに完治してます」
ルークは窓の外を見たまま、振り返りもせずに返事をする。
「そうか」
それきり、城に到着するまで、馬車の中での会話は一切無かった。
ルークの肩には、いつのまにかシルフが一人だけ座っていて、頑なに窓から視線を離そうとしないルークを黙って心配そうに見つめていた。
公爵も執事も、精霊を見る事は出来ない。
ルークは、シルフが自分を心配してくれている事は分かっていたが、それでもいつものように彼女へ顔を向ける事は無かった。
城に到着した馬車は、公爵が城に詰めている時に暮らしている東側にある別棟の大きな建物の裏手へ回った。
扉が開かれ、公爵と執事が馬車から降りる。ルークも黙って後に続いた。
城に戻ったロベリオやレイ達から、ルークがディレント公爵と一緒である事を知らされたヴィゴとマイリーは、驚きのあまり言葉を失った。
「あいつが? あいつが言ったのか? この人と話があると?」
揃って頷く若竜三人組とレイルズを見て、ヴィゴとマイリーは無言で顔を見合わせた。
「シルフ、ルークは今、何処にいる?」
マイリーの言葉に、シルフが現れて答えた。
『東の別棟のディレント公爵の所にいるよ』
『不機嫌』
『不機嫌』
それを聞いて苦笑いしたマイリーは、もう一度ヴィゴと顔を見合わせて拳をぶつけ合った。
「ルークの勇気に乾杯だ。彼の健闘を祈ろう」
公爵と共にそのまま広い応接室へ通されたルークは、執事に勧められた椅子には座らず、窓辺へ行き外を見たまま立っている。
それを見た執事はもう何も言わず、黙ってお茶を用意して一礼するとそのまま部屋の奥にある衝立の向こうへ下がった。
これでもう、部屋には二人だけになる。
重い沈黙を破ったのは、ルークだった。
「あんたに聞きたい事がある。答えなくても構わないけど、嘘はつかないでくれ」
「言ってみろ。出来る限り答えるよ」
静かな公爵の声に、ルークは拳を握った。
「俺が産まれた事、いつ知ったんだ?」
視線は窓の外を見たままだ。
「お前が産まれる前から知っていたよ。しかし、彼女は……モリーは私に黙っていなくなった。手引きしたのは……妻の父上の手の者だ。その時の私には、私の子を身篭った彼女を守る事すら出来ない無力な若造だった」
ディレント公爵の妻は、オルベラートの公爵家から嫁に来ている。本妻である彼女よりも先に子供を産む事を嫌がった妻の実家が、ルークの母の存在を厭い、密かに遠ざけたのだ。
「モリーの消息が知れたのは、それから三年後の事だ。どうやってハイラントのスラムにいる事になったのかは知らぬ。すぐに使いを出したが……彼女からこう言われた。お願いだから自分達に関わるな、と」
無言でルークは外を見たまま聞いている。
「それでも何度も使いを出した、自分で行こうとした事さえある。しかし、ハイラントは危険だからと皆に止められ、行く事すら出来なかった。その危険な場所にお前と彼女がいるのかと思うと……」
俯いたまま、公爵は深々と頭を下げた。
「本当にすまなかった。お前は私を恨んで良い。そうされて当然の事を、私はお前達に強いたのだからな」
その言葉に、初めてルークは振り返り正面から公爵を見た。
「悪かったって自覚はあるんだ?」
公爵もまた、顔を上げて正面からルークを見つめた。
「彼女がここからいなくなってからも、片時も忘れた事は無い。お前が竜の主となったと聞かされた時、私がどれほど嬉しかったか……」
「それ以上言うな!」
いきなり、強い口調でルークが叫ぶように言った。
「遠ざけられた母さんを守れなかったのは、当時のあんたには無理だったんだろうさ。それぐらい、俺にだって分かってる。その後の金銭的な援助が無かったのは……母さんが断ったんだろう?」
驚いたように、公爵はルークを見た。
「モリーが、お前にそう言ったのか?」
「聞かなくてもそれくらい分かるよ。それで正解だ。あんたは分かってないみたいだから言っておくけど、下手にあの場で金銭的な援助なんかしたら、逆に俺達は今頃……生きて此処にはいないよ」
「それは……」
「ハイラントのスラムが、どれ程貧しく、そして荒んだ場所だったか……ご立派なお貴族様には想像もつかないだろうさ。下手にスラムで女が金なんか持ってたら、一瞬で襲われて終わりだよ」
驚きに声も無い公爵を見て、ルークは鼻で笑った。
「だからそれはもう良い。俺はそんな中でも母さんにちゃんと育ててもらった。自分で自分と母さんを守れる程度には強くなれた。だけど、絶対にあんたを許せない理由が俺にはある」
自分を睨みつけるルークの強い視線に、公爵は息を飲んだ。
てっきり、何故母と自分を見捨てたのだと責められると思っていたのだ。しかし、そうでは無いと言う。ならば他に何がある?
心当たりがなくて戸惑っていると、ルークはこれ見よがしの大きなため息を吐いた。
「あんたは恐らく無自覚だったんだろうさ。だけど、俺にはそれは絶対に許せない事だった」
「……教えてくれ。私はお前に、何をしたと言うのだ?」
本気で謝罪するつもりだった公爵は、顔を上げてルークをもう一度見つめた。
そんな公爵の様子を見たルークは、窓から離れてゆっくりと公爵のすぐ前まで来た。
黙っていると、いきなりものすごい勢いで拳を繰り出してきたのだ。
咄嗟に後ろに下がろうとして思い留まった。自分を殴りたいならそうすれば良い。
しかし、その拳は公爵の鼻先でピタリと止められた。
「立会人を立てて俺と勝負しろよ。男なら拳でな。あんたが勝ったら、俺があんたを嫌う理由を教えてやる。どうだ、あんたにその勇気があるか?」
呆然とする公爵に、ニンマリと笑ったルークは堂々と言い放った。
「俺、ルークウェル・ファウストは、ヒューイット・ラスターに正式に勝負を申し込む」
その言葉に、公爵は答えることさえ忘れてルークを見つめていた。
ディレント公爵は、現皇王が皇太子時代から今に至るまで、彼の片腕として軍を率いて常に共に最前線にいた。
精霊魔法を使えない彼は、己の剣の腕と用兵の才能を以って、若かった当時皇太子であった皇王を必死になって守った。
そして、いつも見上げた空に飛ぶ赤い竜に跨ったオルサム皇子に、公爵は強い憧れを抱いていた。
何故、自分は竜騎士になれなかったのだろう。竜騎士になれたなら、空で戦う皇子の背中を守れたのに。
地面に這いつくばるしか無い、翼を持たぬ人の身が情けなかった。悔しかった。
だから、ルークが竜騎士になったと知った時には、本当に心から嬉しかったのだ。
自分が出来なかった事を、彼がやってくれると確信出来たからだ。
しかし、結果として見捨ててしまった形になった息子は、自分の事を頑として父親と認めようとはしなかった。
それからの日々は、公爵にとっては後悔と懺悔しかない日々でもあった。
それでも、彼に憎まれる事が自分の役目だと思えば諦めもついた。
その息子が、今、自分に正式な勝負を求めている。
立会人を立てるという事は、まさに決闘と同じなのだ。
拳で、という事は立場を考えて命は取らない。しかし手加減も遠慮もしない、と言う意味でもある。
「それでお前の気がすむのなら受けて立とう。了解した。私、ヒューイット・ラスターはルークウェル・ファウストからの勝負の申し出を受けよう。武器は無し。拳で」
そう言うと、ゆっくりと拳を差し出してルークの拳に当てた。
「こ、公爵。お考え直しを!」
慌てたように、奥から飛び出してきた執事の言葉を、公爵は一瞥で黙らせた。
「誰を立てる?」
「あんたの好きにすれば良い。俺は誰でも構わないよ」
平然とそう言ったルークは、ようやく肩に座ったシルフにキスをして笑った。
「なら、最適の人物にお願いしよう。どうする? すぐに始めるか?」
「俺はいつでも」
肩を竦めるルークに、公爵は大きく頷くと振り返った。
「城の第二訓練所を貸し切りにしてくれ。私は立会人に頼んで来る。すまないが、少し待っていてくれ」
執事にそう命じ、最後は振り返ってルークにそう言うと、公爵はそのまま部屋を出て行ってしまった。
残された執事は、ルークに一礼すると後を追うように早足で部屋を出て行ってしまった。
一人残されたルークは、ようやく席に着くとすっかり冷めてしまったお茶をゆっくりと飲んだ。
それから、用意されていたマフィンを平然と食べ始めた。
早めの夕食を終えたレイルズ達は、何と無く本部へは戻らず、アルス皇子以外の全員が、城にある竜騎士隊専用の休憩室に集まり、無言でそれぞれに好きな事をしていた。
マイリーとヴィゴは書類を相談しながら片付けている。若竜三人組とレイルズは、陣取り盤を取り出してきて、四人で攻略本を片手に小さな声で話をしながら駒を動かしていた。
その時、机の上にシルフが現れて並んだ。
全員が一斉に顔を上げて、並んだシルフ達を見つめる。
『アルスだマイリーはいるかい』
「城の休憩室におります。ルーク以外は皆揃っております」
『マイリーとヴィゴは今すぐに城の第二訓練所へ向かってくれ』
『後の者達はすまないがそこで待っていてくれるか』
「今から第二訓練所へですか? 一体何事です?」
マイリーの問いに、シルフが答えた。
『ルークがディレント公爵に正式な勝負を申し込んだ』
『立会人には父上がなられる』
『父上から私とマイリーとヴィゴも立ち会うようにとのご命令だ』
それを聞いた一同は、まさに己の耳を疑った。
「お、お待ちください。まさか、そんな無茶……」
ヴィゴの叫ぶような言葉に、マイリーも頷いた。
『武器は拳のみだそうだ』
それを聞いて、二人は安堵するように大きなため息を吐いた。
「分かりました。すぐに向かいます」
その言葉に頷いたシルフ達はくるりと回って次々といなくなった。
書類はそのままにして、外していた剣を手に立ち上がったマイリーは、まだ呆然としているロベリオ達に振り返った。
「って事らしい。ルークの奴とうとうやったな。まあ、剣での勝負だと言われたら本気で止めるところだが、こっちなら……まあ、気持ちは分からんでも無い」
握り拳を顔の前にやり、マイリーは困ったように頷いた。
「見届け……お願いします」
絞り出すようなロベリオの言葉に、二人は大きく頷いた。
「留守を頼む。それじゃあ行ってくるよ」
出て行く二人を見送った後も、長い間休憩室は凍りついたように誰一人動けず、静まり返っていたのだった。
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