パンケーキと荒っぽい気晴らし

 別室にてルークに付き添われたレイは、バイソン少佐と一緒に来た担当者に事件の詳しい経緯を聞かれた。

 それは事情聴取と言うよりも、実際にはこの時に何があったかと言う事実確認が中心だった。

 レイは、思い出せる限りの当日の彼らとの事を聞かれるままに懸命に話した。

 しかし、どうやらレイが知っているテシオス達と大人達が知る彼らとの間にはかなりの違いがあるようで、特にバイソン少佐は、本当にそれは彼らの事なのかと何度も聞き返した程だった。

 一刻近い時間を使ってようやく終わった頃には、レイは心底疲れ果てていた。

「貴重なお時間を頂き、ありがとうございました」

 揃って礼を言って去っていく彼らを見送ると、レイはそのまま机に突っ伏してしまった。



 何度考えても、どうして彼らからあんな事をしたのか、それがレイには分からなかった。



 黙っているとまた泣きそうになり、大きく深呼吸をしてから顔を上げるとルークが慰めるように背中を撫でてくれた。

 促されるままに立ち上がってそのまま休憩室に戻り、黙ったままいつも座っている椅子に座ってそのままぼんやりと放心していた。

 すると、突然良い香りがして、レイの目の前にふわふわのクリームと山盛りの栗の甘露煮が乗せられたパンケーキが置かれた。その隣に置かれたのは、いつものカナエ草のお茶だ。

「お疲れ様でした。夕食までまだ少し時間がありますから、どうぞお召し上がり下さい」

 ラスティの優しい声が聞こえて、また泣きそうになる。隣に座ったルークが、何も言わずにもう一度背中を撫でてくれた。

 ふわふわのパンケーキのクリームの横には、心配顔のシルフ達が並んでこっちを見ている。目が合って思わず小さく笑うと、彼女達は嬉しそうに飛び跳ねて何度も手を振ってくれた。

「彼女達も心配してるぞ。もう泣き止めって。本当に目が溶けちまうぞ」

 からかうように頭をくしゃくしゃにされて、レイは小さく舌を出した。

「そんなの、溶けたりしないもんね!」

 座り直して深呼吸してから、ナイフとフォークを持ってパンケーキに一気にナイフを入れた。

 切り取ったクリームのたっぷりと乗ったふわふわのパンケーキを、一口で食べる。甘くて口の中で溶けるように無くなり、それから大好きなニコスの作ってくれた甘露煮もフォークで掬って口に入れた。

「……美味しい」

 そう言った途端にまた涙があふれてきて、その後は泣きながら食べた。

 自分でも情けないくらいに後から後から涙があふれて、本当に目が溶けてしまうんじゃないかなんて考えてしまい、泣きながら笑った。

「ほら、もっと食べろ」

 ルークが、自分の皿からたっぷりとクリームと栗の乗ったパンケーキを大きく切ってお皿に乗せてくれ、更にその上に甘露煮を乗せてくれた。

 顔を上げてお礼を言って、笑いながらまた泣くと、ルークにもう一度頭をくしゃくしゃにされた。




 パンケーキを食べ終わり、またぼんやりしているレイを見て、ルークはそっと立ち上がると肩を叩いた。

「ちょっと休憩したら、訓練所へ行って手合わせしないか? ぼうっとしてても、どうにもならないぞ」

「……手合わせ?」

 まだぼんやりしたままのレイの言葉に苦笑いすると、ルークはごく軽く指で彼の額を弾いた。

「ほら、いつまでぼんやりしてるんだよ。着替えてこいよ。グズグズしてると置いていくぞ」

 両手で棒を握って振る真似をして、そのまま扉の前まで行って振り返ってそう言った。

「行きます!」

 ようやく回り始めた頭が、ルークの言葉の意味を理解して慌てて立ち上がった。

 ラスティと一緒に一旦部屋に戻り、白服に着替えて大急ぎでルークの待っている廊下へ走った。




 訓練所に到着した二人は、準備運動の後それぞれに棒を持って手合わせを行った。

 ルークは手袋をつけているだけだが、レイは籠手と胸当て、膝当て、それから頭には鋼の板のついたバンドをしている。完全防備だ。

「思いっきり打ってこい!」

 ルークの大声に、大きな声で返事をする。

「お願いします!」

 最初は上段から思いっきり打ち込む。正面から返されて勢い余って後ろに下がる。しかし、棒はしっかりと握られたままだ。

「もう一度!」

 叫んで、何度も何度も打ち込んだ。その度に簡単に止められ、悔しくてまた打ち込む。

 時折不意に力一杯打ち返され、その度に後ろに下がり叱られる。声が枯れてきた頃、思った以上の力で打ち返されて勢い余ってひっくり返った。

 背中から叩きつけられて弾かれた棒が後ろに吹っ飛ぶ。慌てて転がって逃げた。直後にルークの棒が床を叩く。

 跳ね飛んで転がり、必死で棒を拾って打ち込まれた棒を何とか防いだ。

「良いぞ。ほら、打ってこいよ!」

「お願いします!」

 真ん中に移動してくれたので、走ってついて行き、そのまままた打ち合った。



「……すげえな、おい」

「見ていて怖くなるぞ……」

「ああ、また倒れた!」

「頑張れ!レイルズ様!」

 何度倒されても、その度に起き上がって向かっていくその必死な姿に、周りにいた第二部隊の兵士達が、思わず手を止めて見入り始めた。

 皆、手を握りしめて無言で応援している。

 いつのまにか、その場にいた上官達までが手を止めて、皆で揃って必死になって二人を見ていた。




 もう何度目か分からない程に倒され、また起き上がって向かっていく。

 籠手を嵌めた手首を強かに打たれて、棒が弾き飛ばされた。打ち込まれる棒から転がって逃げ、横目で何処かに転がった棒を探す。遥か先に転がった棒を見た時、一人の兵士が手を伸ばして棒を滑らせてこっちに寄越してくれたのが見えた。

 もう一度転がって逃げ、滑ってきた棒を拾う。

 そのまま打ち込んできたルークの棒を、下から掬い上げるようにして打ち返す。

「狡いぞ!」

 笑ったルークがそう言い、もう一度正面から打ち合う。

「頑張れ!」

「負けるな!」

 兵士達の声に、ルークが小さく吹き出した

「おいおい、俺は悪役かよ」

 そう叫んで嬉しそうに、息を切らせたレイに力一杯打ち込む。しかし、思った以上にしっかりと受け止められ、思わず目を見開く。

「負けない!」

 叫んだレイルズに思いっきり打ち返されて、咄嗟に正面でまともに受け止めた。



 ものすごい鈍い音がして、二人の両手から棒が弾かれたように落ちる。



「痛っーい!」

「イテテ!」

 二人同時の叫び声に、慌てた周りの兵士達が駆け寄る。

 悲鳴を上げたレイは、そのまま後ろに転がって倒れてしまった。ルークも床に座り込んで息を切らせている。


「うわあ……折れたぞ……」

「初めて見たかも……」

 見物していた兵士達の口から、呆れたような呟きが漏れる。

 床に落ちた二本の棒は、どちらも真ん中から歪に曲がっていて、お互いに曲がった位置で食い込むようにして重なったまま転がっていた。それはまるで、床に歪んだ大きなばつ印が落ちているみたいだった。

 ギードに作ってもらった初めての自分の金剛棒は、こうして見事に真ん中からへし折れてしまったのだった。


「あははは。訓練で金剛棒をここまで折ったのは初めてだぞ。おい」

 ルークが衝撃に痺れた両手を振って笑いながらそう言い、床に転がったままのレイルズも声を上げて笑った。

「すごいや、ルーク……腕が、痺れて、感覚が、無い、です……」

 両手両足を投げ出したまま、床に転がって大笑いしている。どうにも笑いが止まらなくなって、横向けになって更に笑った。

 汗と笑い声と一緒に、体の中にわだかまっていた訳の分からない色んな感情が、消えていくような気がした。

 へし折れた棒の上では、呆れたようなシルフ達がそれでも笑って、まだ転がって笑い合っている二人を眺めていた。






「あはは、こんなのかすり傷なのにな……って。いや……正直言うと、痛いよ……」

 治療の終わった頭を包帯でぐるぐる巻きにされたマークは、照れたように笑いながら、見舞いに来てくれたキムを見上げた。

「まあ、頭の傷は怖いから、良いって言われるまで大人しくしてろよな」

 マークの怪我は、傷そのものは小さかったのだが出血が多かった事や、若干だがめまいの症状が見られた為、経過観察として三日間の入院を言い渡されてしまった。

 二人は苦笑いして顔を見合わせる。

 そのまま二人とも無言になってしまった。何故だか、分不相応な事に広い一人部屋を充てがわれている。

 沈黙に耐えきれなくなった頃に、キムが小さな声で謝ってきた。

「ごめんな。黙ってて」

「お前は、いつから知ってたんだよ……」

 ちょっと拗ねたような物言いになってしまったのは、仕方なかろう。

「お前に始めて紹介されて、一緒に食堂で食事をしたろう? あの時に、レイルズ様が食後に薬を飲んで、持参のお茶を飲んでいたのを見て、あれ? もしかして、って思ったんだ」

 意味が分からずにこっちを見るマークに、キムは、竜騎士様や第二部隊の兵士達が日常的に飲んでいるカナエ草の薬とお茶の話をしてやった。

「竜熱症の話や防ぐ為の薬があるって話は聞いた事があったけど、そこまで詳しくは知らなかったよ」

 感心したようなマークの言葉に、キムは首を振った。

「お前はまだ、教えられてないんだから知らなくて当然だよ。それで、こっちに戻ってダスティン少佐に大急ぎで確認したんだ。そうしたら、その方が古竜の主だって言われて……会っている時だけで良いから面倒見てくれって言われた。但し、あからさまに面倒見るような事はするなとも言われたよ。それでまあ、ああなった訳だ」

 肩を竦めたキムは、笑ってマークを見た。

「第四部隊は、配属された部署によって、あの薬やお茶は飲んだり飲まなかったりだな。竜騎士様と一緒に仕事をする部署は、事務員まで含めて全員飲んでいるぞ。まあ、お前もこれから先、訓練所が終わってこっちでの仕事が決まれば、詳しく教えられると思うけどな」

「俺が辺境の砦にいた時は……あ、配給の栄養剤だって言われて飲まされたあの薬か!」

 納得したマークは、竜騎士様が来られた直後から砦で飲まされた、変な味のする薬の事を思い出した。

「まあ、数日程度なら飲まなくても大丈夫らしいんだけどな。竜射線は身体から自然に抜けるまで、かなりの時間が掛かるらしいから、竜に少しでも接する機会がある兵士は、基本的に飲まされるぞ」

「まあ、今後どうなるかは俺には分からないもんな。第四部隊って言ったって、いろんな街に配備されるんだろ?」

 実際に、今のマークはまだ第四部隊では見習い扱いで、今後、どこの街の配属になるのかも全く決まっていない。

「そっか。でもまあ……これまでだよな」

 しょんぼりと肩を落とすマークを見て、キムはこれ見よがしの大きなため息を吐いた。

「お前、まさかとは思うけど、これっきりにするつもりか?」

「だって、どう考えたって、農家出身の俺なんかが友達だって言えるような方じゃ無いだろう?」

 情けなさそうに首を振るマークを、キムは睨みつけた。

「お前、レイルズ様が一番最初にテシオス達から庇ってくれた時に、なんて言ってたか忘れたのか?」

 目を見張るマークに、キムは続けた。

「ここでは身分を問わず誰でもが平等に学ぶ環境だと聞いた。お前はただのテシオスで、僕はただのレイルズだよ。って、そう言ったんだ。その言葉の意味をよく考えてみろよな」

 呆気にとられて言葉も無いマークの頭を叩きかけて、包帯を見て小さく笑って肩を突くと、キムは立ち上がってそのまま後ろ手に手を振って病室を出て行ってしまった。

「おい。待てよ……それってどう言う意味だよ!」

 思わず叫んだ。

 それはどう考えても、自分にあまりにも都合の良い解釈にしかならない。

「だって……そんな事、あり得ないだろう? 農民出身の俺なんかとは、身分が違いすぎるよ。なあ、そう思うよな!」

 枕の横で見ていたシルフに話しかけたが、彼女達は笑って首を振るだけで、何も言ってくれなかった。


『知らない』

『知らない』

『身分って何?』

『そんなの知らない』

『友達なのにね』

『友達なのにね』

『友達なのにね』


 大きなため息を吐いて考えるのをやめたマークは、思いっきり毛布を頭まで被った。

 いろんな思いが頭の中でぐるぐる回っていて、考えがまとまらない。でも、レイルズといると純粋に楽しかった。自然な自分でいられたのだ。これきりだと考えた途端に悲しくなってしまい、誤魔化すように咳払いをして、ぎゅっと目を閉じた。

「とにかく今は眠る。眠る……」

 何度も自分にそう言い聞かせた。




 ようやくうとうとし始めた時、ノックの音が聞こえた。

「はい、起きています。どなたですか……?」

 半ば寝ぼけながら返事をしたが、入って来た人物を見て一瞬で眠気は何処かに吹っ飛んでいった。

 そこに立っていたのはヴィゴとマイリーの二人と、そしてその後ろにいたのは、竜騎士隊の隊長であり、この国の皇太子でもあるアルス皇子だったのだ。

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