幾つかの準備と久し振りの訓練所

 その夜は、とにかく一旦解散となった。

 しかし、早い方がいいので今すぐにと言われ、マイリーは別の部屋まで連れて行かれて、軍服担当のガルクールまで加わった職人総出で、身体の細部までの測り直しを行われた。

 かなり痩せている事実を数値で見せられて、彼らには悪いが、もっと頑張って鍛えようと密かに誓ったマイリーだった。




「お疲れさん。飲むだろう?」

 ようやく解放されて、疲れ切って車椅子で戻って来たマイリーに、ヴィゴがお茶を用意して待っていてくれた。まだ、入院中の彼は、酒を飲む事を禁止されている。

「ああ、ありがとう。頂くよ」

 机の上には、いつものカナエ草のお茶と一緒に、美味しそうな栗のケーキが並んでいる。

「初めて見るな。新作のケーキか?」

 余りゴテゴテと飾り付けられた甘いお菓子は好きでは無いが、こんな飾り気の無い素朴な焼き菓子ならマイリーも食べられる。

「ルークとレイルズの土産だ。何でも、レイルズ達がいつも街へ行った時に、泊まっていた宿の食堂で出している季節の菓子らしい。宿の食堂の食事や菓子も美味いと評判だそうだ。そこの主人と奥方は、ギードの昔の冒険者仲間だそうだぞ」

「元冒険者としては、夫婦で人気の宿屋を営むなんて、引退後の最高の成功例だろうな。それに、口の肥えた甘党二人がわざわざ土産で買ってくる位だから、この菓子も相当美味いんだろうな」

 そう言って、まずは一口食べてみる。

「ん。これは美味い。刻んだ栗が入っているが柔らかいな。甘みも丁度良い」

「それと、こっちの甘露煮と砂糖漬けはニコスが作ったそうだ。これも美味いから食べてみろ」

 言われて、ケーキの横に添えられた茶色い甘露煮を食べてみる。

「さすがは料理上手と噂のニコスの作だな。確かに美味い」

 嬉しそうにそう言って、二人は味わってお土産のケーキを平らげた。

「美味しかったよ、さすがは菓子好きな二人の土産だ」

 空になったお皿を前に、満足そうにそう言って笑い合った。その後、お茶を飲みながらしばらくの間、二人は無言だった。

 しかし、寛いでいる二人には、これはいつもの沈黙だ。




「……足を萎えさせるなって言ってたのは、こういう事だったのか」

 ベッドの足元に置かれた訓練用の重りの入った木箱を見ながら、小さな声でマイリーが呟く。

「ああ、あの翌日にルーク達がブレンウッドへ向かったんだ。モルトナとロッカは断言してくれた。必ず、何らかの効果のある形にして帰るから、お前の身体を出来る限り整えておいてくれとな。特に、足を萎えさせるなとガンディからも言われた。弱り始めると簡単に筋肉は落ちるが、元に戻す事は容易では無い」

 無言で頷くマイリーは、補助具を外された自分の左足を見つめている。

「正直言って、あの転倒騒ぎで諦めがついたんだ。どう足掻いても不自由な足は元には戻らない。失ったものを嘆くよりも、何処かにある希望の芽を探せとアルからも言われた。だけど……俺の目には、希望の芽は見えなかった……」

「代わりにレイルズが見つけてくれたな」

「ああ、どれだけ感謝しても足りないよ。精霊王の采配にも心からの感謝を」

 二人は頷き合って、握った拳をぶつけ合った。

「退院したらゆっくり飲もう。きっと酒が美味いぞ」

「そうだな。でも、久しく飲んでいないからよく回りそうだ」

 どれだけ飲んでも全く酔わない酒豪の二人は、そう言って笑い合った。

 二人共、心の底から笑える幸せを噛み締めていた。




 一方、旅の疲れも何処へやら。すっかり張り切ったモルトナとロッカは、一旦各自の部屋に戻って湯を使った後、どちらが言い出した訳でもないのにモルトナの工房に集まった。

 そこには革工房の職人達だけで無く、ロッカの工房の職人達までが大勢集まって、当然のように帰らずに待っていた。

 見せられた伸びる革と補助具の試作の数々に、職人達は皆、子供のように目を輝かせ、興奮して大騒ぎになった。



「まずはデザインを決めよう。マイリー様の仰る通り、鎧を参考にして、左足全体に装着するような形が良いと思う。腰の部分まである訳だから、少々特殊な形になるだろう」

 モルトナがそう言って、まずはデザインを考える為に何枚もの紙を手にした。

 部下達は、試作用の革の準備に入っている。

 二人はかなりの時間をかけて、まずは全体の形を決めた。

 腰の部分は、鎧の腰当てを参考に、かなり簡略化した形で身体に沿わせた。そのまま腿を覆う部分と、膝当て、脛当てと、各部位を分けてデザインする。靴に合わせて足首までの形状で最終的に落ち着いた。

「あの補助具を取り付けた状態で履けるように、靴の形状を少し変更しなければいけませんね」

 モルトナがそう言うと、靴担当の者に、図面を見せながらいくつか指示を出した。

 皆、マイリーの役に立てると知って、嬉々として仕事している。

「こらこら、気持ちは分かるが今日のところはもう終わりにしろ。明日から取り掛かるが良い」

 その時、呆れたような声がして工房にガンディが入って来た。

「おお、丁度良かった。見てくだされ。こんなもんで如何でしょうか?」

 最終案の図面を手に、モルトナが振り返る。嬉々としてそれを覗き込んだ時点で、もうガンディも部屋には戻れなかった。




 結局、夜明け前までかかって全てのデザインが決まり、最終案の正確な図面が描き起こされた。まずはこれを参考にして、試作の為の革を切り出すのだ。

「班長は、休んで来てください。長旅でお疲れでしょう。我々で出来るところまでやっておきます」

 部下の者達に口を揃えてそう言われて、疲れを自覚していたモルトナも、頷いて一旦部屋に戻った。

 ロッカは書き写したいくつかの図面を持って、自分の工房へ戻って行った。先に戻らせた部下の者達に、まずはミスリルの仕込みをさせなくてはならない。

「良き物を作りましょうぞ」

 製図の束を抱えて自分の工房へ戻るロッカに、一緒に工房を出たガンディも、嬉しそうに頷いたのだった。






「おはようございます!」

 翌朝、いつもの時間にシルフ達に起こされたレイは、白服に着替えたルークや若竜三人組と一緒に、朝練に参加していた。

 軽い準備運動と柔軟の後、棒術訓練では始めて、防具をつけての乱打戦に参加を許された。大喜びのレイは、嬉々として打ち合っていた。

「いたた……さすがに全部を防御は出来ないね」

 何度か打たれた籠手をはめた腕をさすりながら、照れたように笑う彼に、ルークも笑っている。

「お疲れさん。まあ、こういう事は経験がものを言うからな。今のお前に必要なのは、とにかくいろんな人と手合わせしてもらうことだよ」

 その後、ルークから剣術の型を教わって朝練は終了した。




「今日からまた、精霊魔法訓練所に行ってもらうからな。まあ、気にせず堂々としてろ」

 食堂で朝ごはんを食べながら、ルークからそう言われ、久しぶりにマークやキムに会えると知って、レイは嬉しそうだった。

 一旦部屋に戻り騎士見習いの服装に着替えたレイは、護衛の兵士と一緒に、ラプトルに乗って久し振りの精霊魔法訓練所に向かった。



 レイを見送ったルークは、本部の事務所で、ブレンウッドのバルテンに、シルフを使って連絡を取った。

 その場でこちらの事情を話し、出来る限り早く王都に来てもらえるように頼む。

「お忙しい事も、季節柄、長旅が難しい事も分かっておりますが、そこを曲げてお願いします。出来るだけ早く、王都へ例の人形を持ってお越し下さい」

『おお!そのような事情があるとは考えもしませなんだ』

『畏まりました』

『出来る限り早急に王都へ向けて出発致します』

「無理を言って申し訳ありません。待っていますので、どうか気をつけて」

 頷いていなくなったシルフを見送って、ルークは大きく伸びをした。

「さてと、それじゃあ後は……例の孤児院支援の基金の件が先かな。陛下への報告の前に、まずは書類を揃えておくか」

 そう呟くと、準備の為の資料や申請書を用意する為に立ち上がった。






「おはようございます!」

 訓練所に到着したレイは、廊下でマークとキムを見かけて、駆け寄って飛び付いた。

「おお、おはようさん。久し振りだな。どうしてたんだ?」

「おはよう。相変わらず元気だな」

 振り返ったマークとキムが、笑顔で抱き返して挨拶してくれた。

「えっと、ちょっと用事で出掛けていたの。お土産買う暇は無かったや。ごめんね」

 照れたように笑うレイに、二人はあからさまにホッとした顔になる。

「な、言ったろう? 絶対、謹慎なんかじゃ無いって」

 キムが胸を張ってマークにそういうのを見て、レイは首を傾げた。

「謹慎? 誰が?」

 二人は苦笑いしながら、あの日からテシオスとバルドの二人も、訓練所に来ていない事を教えてくれた。

「噂だけど、二人とも激怒した父上に叱られて、屋敷で謹慎してるって言われてる」

「えっと、謹慎する程の事?」

 そこまで酷い事なのか分からないレイを、二人は呆れたように見た。

「そりゃあお前、あれだけ好き勝手して……いや、まあいいや。こっちは静かで有難いよ」

 肩を竦めたマークが、そう言って笑った。

「それより、お前の今日の予定は? 俺達は午前中は自習なんだけど、ちょっと調べ物がしたかったから早めに来たんだ。時間があるなら図書館に行かないか?」

 個人授業が主な者には、各自に予定表が渡されている。自主学習を重視しているこの訓練所では、一日中教授がつく事は稀だ。

「えっと、午前中は自習時間だよ。午後からセディナ教授と一緒に、精霊魔法の歴史のお勉強……」

 嫌そうな顔のレイに、二人は揃って吹き出した。

「この項目は重要ですから覚えておくように」

 マークが目を細めて顎を上げ、特徴的なセディナ教授の声と口癖を真似てみせる。

 キムとレイが同時に吹き出す。

「やめてマーク。授業中に教授を見て思い出して笑ったらどうしてくれるの!」

「困りますね、そんな事では」

 また真似をされて、もう笑い過ぎて立ち上がれない二人だった。

 その時、急に周りが静まり返った。

「え? 何だ?」

 キムが最初に気付き、周りの者達が全員同じ方向を見ている事にも気付いた。倣ってそっちの方向を向いて、思わず声を上げそうになった。



 そこには、こちらを睨みつけているテシオスとバルドの二人がいたからだ。



「おい……」

 隣でまだ笑っているマークの脇腹を、肘で見もせずに突く。

「何だよ、もう……」

 文句を言いつつ振り返ったマークも、こっちを見ている二人に気付いて無言になった。

 黙ったテシオスが、ゆっくりとこっちに向かって歩いて来る。

「あ、彼って……」

 二人の様子を不審に思ったレイも、テシオス達に気付いてそっちを向いた。

 目の前まで来た二人が、レイを見る。マークとキムの事は見ない。

 レイルズに何かするようなら、今度は絶対に自分が守ろうと密かに決意しているマークには見向きもせず、テシオスはレイの前に手を差し出した。マークを殴りも、キムを殴りもせずに、真っ直ぐにレイに向かって手を差し出したのだ。

「この前は悪かったよ。改めてよろしく」

「ごめんよ。改めてよろしく」

 バルドまでが、大人しく差し出す手を見て。レイは笑顔になった。

「こちらこそ、改めてよろしくね」

 順に手を握る彼らを、マークとキムは無言で見つめていた。



「……お前らも……悪かったよ。もうしないから、そんな顔するな」

「悪かったよ……」

 バツが悪そうに俯き加減でそう言う二人を、マーク達は呆気に取られて声も無く見つめていた。

「人が謝ってるんだから、何とか言えよ!」

 沈黙に耐えかねたように叫ぶバルドの声に、マークとキムは慌てて右手を差し出した。

「ああ、確かに謝罪は受け入れたよ」

「ああ、改めてよろしく」

 彼らが二人と順に握手するのを見て、レイは嬉しくなった。

「えっと、僕は午前中自習時間なんだけど、テシオスとバルドは? マークとキムも自習だって言うから、今から図書館へ行く予定だったの」

 二人は顔を見合わせて頷いた。

「俺達も午前中は自習時間だよ。じゃあ一緒に行こう」

 驚きに声も無いマークとキムを見て、テシオスが嫌そうに顔をしかめた。

「だからもうしないって。俺だって……仲良く出来るなら、それが良いに決まってるだろう」

「何だか、別人みたいだな。まあいいや。平和になるならそれが一番さ」

 マークの言葉に、キムも苦笑いして頷いた。




 レイルズの正体を知っているキムは、テシオス達もレイルズの正体を知らされて、慌てて謝りに来たのだと勝手に思い込み。マークは、父親から叱られて謹慎させられたのが余程応えたんだろうと、妙な同情をして、二人とも彼らの謝罪をよく考えもせずに受けいれてしまった。

 結果として、これがどのような事態を引き起こす事になるのか、その時の彼らは知る由も無かった。

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