再会

 緑の跳ね馬亭の前に到着して、慌ただしくラプトルから飛び降りた三人を、店から出てきたクルトが気付いて声を掛けた。

「ようこそ、緑の跳ね馬亭へ。おや、ギード様。ようこそいらっしゃいました。珍しいですね、同じ時期に二度もお越しになるなんて。あ、もしかしてレイルズ様とお約束されてますか?」

 笑顔で迎えてくれたクルトに、ギードはラプトルの手綱を握りしめてようやく安堵の息を吐いた。

「おお、あの子は来ておりますかな?」

「はい、先程到着されて食堂の方にいらっしゃいますよ。お連れ様とお二人でお待ちです」

 ギードはようやく追いつけた事に安心して、タキスとニコスを振り返った。

 彼らも、ラプトルを撫でながらホッとした様に笑っている。

「いや、逢おうとすると中々に逢えぬものだったな。ようやく追いついたわい。それでは、我らもお邪魔しよう」

 三人はクルトにラプトルを預けて、預かり札を受け取り、案内を断って中に入った。




 食堂の中を見渡すと、奥の席に見覚えのある赤毛の兵士と、こちらを向いているルークを見つけた。

 三人の口からは、ほぼ同時に小さなため息が漏れて、それから安心したように笑った。

「ようやく見つけましたね。シルフに最初から頼めば、こんなすれ違いをしなくて済んだんですけど……」

「まあ、それも楽しかったし良い経験だよ」

「元気そうだな。おお、いっぱしの兵隊の格好をしておるわい」

 三人がそんな話を小声でしていると、こっちを向いていたルークが彼らに気付いた。

 驚いたように何か言いかけたが、タキスが笑いながら口元に指を立てると、そのまま笑って素知らぬ顔で、またレイと話し始めた。

 机の上には、お茶のセットと、前回食べたのと同じ栗のケーキが並んでいる。

 ワクワクしながらそっと近寄り、肩を叩くまであと少しの所で、突然、厨房から出てきたバルナルがギードに気付いて大声で話しかけてきた。



「おお、ギードではないか! 珍しいな、同じ季節に二度も来てくれるなんて。どうした? 何か買い忘れでもあったか?」

 その大声に、声なき悲鳴をあげてタキスとニコスが顔を覆った。



 バルナルの声を聞いたルークが吹き出すのと、レイが驚いて振り返るのは同時だった。

「ええ? ギード? え。タキスとニコスも! どうしたの? 何かあった? 大事な物でも買い忘れたの?」

 彼らが、自分に会いにわざわざ街まで出て来てくれたなんて、考えもしないレイだった。

「お前……薄情な奴だな。お前に会いに来てくれたに決まってるだろうが」

 我慢出来ずに、向かい側に座ったルークがそう言ってレイの頭を叩き、もう一度吹き出した。

 机に突っ伏して大笑いしているルークを呆れたように見て、レイも堪えきれずに吹き出した。そして、立ち上がってすぐ側にいたギードに力一杯抱きついた。

「ありがとう。会いに来てくれて。すごく嬉しい」

 満面の笑みでそう言うと、順にタキスとニコスにも飛びつくようにして抱きついた。

 しばらく、四人とも言葉が出なかった。

 ようやく笑いを収めたルークが、座るように促すまで、彼らは互いに抱き合ったまま動こうとしなかった。



「いやあ、すまんかった。驚かせてやろうとしていたなんてな」

 照れたように詫びるバルナルに、一同は揃ってまた笑った。

「今日は、ことごとく思い通りにいかぬ日じゃな。まあそれも、我ららしくて良かろうて」

 苦笑いするしかない三人だった。

「逢えて嬉しいけど、どうやって僕がここに来ているって知ったの? 今日の夜にでも、シルフに頼んで連絡しようと思ってたのに」

 レイが、もう一つ追加で頼んだ栗のケーキを食べながらそう言うので、タキスが笑って説明した。

「昨夜、蒼竜様が知らせてくださったんです。それで、他にもついでがあったので街まで来てみる事にしました。でも、貴方の予定が分からなかったので、こちらから知らせていいものかどうか分からなくて……」

「ドワーフギルドに行ったら、たった今お前達が出て行った後だって言われて、シルフに聞いたら、からくり博物館にいるって聞いてな。それで慌てて後を追ったんだよ」

「そうしたら、ドワーフギルドに続いてからくり博物館でも入れ違いになってな」

「蒼竜様が、ここに向かったと教えてくださったので、また追いかけてきたんですよ」

「そりゃあご苦労様。気にせず連絡してくれても良かったのに」

 彼らの苦労を聞いて、また笑いながらルークがそう言った。

「今回、俺とレイルズは、言って見れば職人を運ぶ為の足代わりなんですよね。だから、到着してしまえば、はっきり言って仕事は無いんです。後は、彼らが戻る時に、また荷物ごと竜に乗せて運ぶだけ。だから、ここにいる間は気楽なもんなんですよ」

「そうでしたか。では、少しはゆっくり話せますね」

 嬉しそうなタキスに、ルークは更に嬉しい提案をしてくれた。

「今日は、もしかしてここに泊まるんですか? それなら、レイルズも一緒に泊まるといいよ。それで、明日向こうに戻ってくればいい。まあ、またしばらく逢えなくなるんだし、ゆっくりすればいいよ」

「それは……よろしいんですか?」

「ええ大丈夫ですよ。有事の際の出動じゃ無いんだから、その程度の自由はききますって」

「それは有難い。ならばそうさせて頂きましょう。あ、でもバルテンが合流したらドワーフギルドに一緒に戻って来いと言っておったな」

 ギードの言葉に、タキスとニコスも頷いた。

「確かに、そう言っておられましたね。なら、四人で泊まる事を伝えて、先に部屋を押さえてもらいましょう」

「そうじゃな、ちょっと頼んでくるわい」

 お茶を飲んだギードがそう言って立ち上がると、厨房の横にいたバルナルに四人で一泊したい事を伝えた。

「ああ、大丈夫だ。もちろん大歓迎だよ。なら、いつもの部屋を用意しておこう」

 互いの背中を叩き合って、拳をぶつけ合うと、笑いながら戻ってきた。

「よし、ならば食ったら戻ると致そう」

 返事をして、レイは大きく切った栗の入ったケーキを口に入れた。






 ぼんやりと目を覚ましたマイリーは、先程まで読んでいたはずの書類が床に散

 らばっているのを見て、右手で顔を覆って唸った。

 怪我をして以来、集中力が続かないのだ。

 書類を読んでいて眠ってしまうのは、最近の日常になりつつある。

「いかんな。こんな事では……」

 起き上がって誰か呼ぼうとした時、ノックの音が聞こえた。

「起きているか?」

 開いた扉から顔を覗かせたのは、ヴィゴだった。

「ああ。丁度良かった。すまないが拾ってくれるか」

 ベッドに散らばった書類を集めながらそう言うと、入って来て何も言わずに拾い集めてくれた。

「ありがとう。どうにも集中力が続かなくてな」

 受け取った書類を番号順に並べながら、申し訳なさそうに言うマイリーの腕を、ヴィゴは笑って叩いた。

「まだ、怪我が完治した訳では無いのだから、焦るな」

「分かってはいるんだけどね」

 肩をすくめて自嘲気味に笑い、横になるマイリーに手を貸してヴィゴは小さくため息を吐いた。

「実はお前に、見舞いが来ていてな。入ってもらっても良いか?」

「俺に見舞い?」

 一応、見舞い客は基本的に断っている。いちいち会っていたら、体がいくつあっても足りないからだ。

 療養第一だからと最もらしい理由をつけて、身内以外は全て断っている。それなのに、わざわざ許可を求めてまで会わせようとする見舞い客に、マイリーは心当たりが無かった。

「誰だ? 一応、見舞いは全て断ってるんだが?」

「そう言ったんだがな……まあ、会うだけ会ってみろ」

 そう言って立ち上がると、扉の向こうに声を掛けて、そのままヴィゴは出て行ってしまった。

「おい。一体誰が……」



 ヴィゴと入れ替わるようにして、開いた扉の向こうに立っている人物を見て、さすがのマイリーも咄嗟に掛ける言葉が無かった。

 それは、十五年以上も前に、自分を捨てて家を出て行った、わずか半年で別れた妻の姿だったからだ。



「……久し振りだね。そんなところに立っていないで、入ったらどうだい?」

 思っていたよりも、普通の声が出た。

 彼女はやや戸惑った様子を見せたが、ゆっくりと部屋に入って来て、ベッドの横に置かれた椅子に座った。

「本当に久し振りね」

 顔を上げた彼女は、記憶にあるよりもずっと穏やかな顔をしていた。



 妙な緊張感を孕んだ沈黙が部屋を覆う。



 せめてヴィゴがいてくれたらと思わないでも無かったが、さすがにそこまで頼るのは男として情けなさすぎるだろう。

 マイリーはもう一度ベッドから起き上がって座り直し、それから改めて目の前の女性を見つめた。

 彼があの頃に比べて年をとったように、彼女にも平等に時間は流れていた、しかし、どちらかと言うと歳月は彼女に味方したようだ。容貌も含めて衰えるのではなく、成熟した女性としての貫禄と落ち着きをその中に見てマイリーは少し安心した。

「旦那さんはお元気かい?」

 彼女は今、オルダムから遠く離れたグラスミアというマイリーの故郷に近い街で暮らしている。

 かなり前に再婚したと人伝に聞いた。

「ええ。今、私は幸せよ。彼は一番に私と私の家族の事を考えてくれる人。二人の子供を授かって……忙しくて賑やかな毎日よ」

「そうか、それは良かった」

 本心からの言葉だった。

「貴方が酷い怪我をしたって聞いて……意地を張って、会いに行かなかった自分が情けなかった。誰も皆、いつまでも元気で無事でいてくれる保証なんて無いのに……それに気づいた時、我慢出来なかったの。彼は、行っておいでって、そう言って送り出してくれたわ」

「俺はそれだけの事を君に強いたんだから、君は俺の事を恨んで嫌ってくれていいんだよ。レティ」

「今でも、そう呼んでくれるのね。良かった……私の方こそ、本気で嫌われてると思ってたから……」

 俯く彼女を見て、マイリーは小さくため息を吐いた。

「どうやら、当時の俺達の間には決定的に言葉が足りなかったようだな。まあ、今更言っても詮無い事だけどな」

 レティと呼ばれた女性は、驚いたように顔を上げてマイリーを見つめた。

「驚いた。貴方の口から、そんな殊勝な言葉が聞ける日が来るなんてね。月日って偉大だわ」

 思わず見つめ合って、ほとんど同時に吹き出した。

「し、失礼。まあ、俺だってそれなりに年をとって経験を積んだんだ、って事にしておいてくれるか」

「そうね。確かに今なら、感情のある人間と話してるんだって思えるわ」

 驚くマイリーに、レティは苦笑いして首を振った。

「あの頃の私は、初恋の竜騎士様と結婚出来たって事実に、ただ舞い上がっていた子供だったわ。でも、結婚してからの貴方が分からなくなった。何を考え、私の事をどこまで想ってくれていたのか試さずにはいられなかったのよ。貴方が怒っている時だけは……怒っている時だけは、私の事を見てくれている実感があったのよ」

 突然の告白に、マイリーは言葉も無かった。

 しかし、当時の自分はまるで駄々をこねる子供のような彼女にうんざりして、いつも酷い態度だった記憶だけはあった。

「ああ、本当にすまなかったな。今なら分かるよ。君が怒った意味もね」

「あら、それなら良かった。でも残念ながらもう私の隣にいる人は決定しているわ。空席は無いわ」

「謹んで辞退するよ。隣に座ったら、また前回の二の舞を踏む自覚だけはある」

 笑いながらそう言うマイリーを、レティはまるで珍獣でも見るような目で見つめた。

「笑ってるわ! あの冷血漢の鉄仮面が笑ってるわ! まあまあ……なんて事でしょう。本当に月日って偉大だわ」

「酷い言われようだな。でもまあ、間違ってはいないな」

 改めて顔を上げたマイリーは、レティを正面から見つめた。

「逢いに来てくれてありがとう。おかげで、一つ気掛かりが無くなったよ」

 そう言って差し出したマイリーの右手を、彼女は何の屈託も無く握り返した。

「そうね、勇気を出して逢いに来て良かったわ。私も、過去の自分を許せたような気がする……」

「君は何も悪く無いよ。強いて言えば、お互い子供だったって事だ」

「貴方、本当にマイリーよね? 何て言うか……まるで別人と話をしてるみたいだわ」

 それを聞いて、また吹き出す。

「何度も言うが、酷い言われようだな」

 しかし、その顔は言葉とは裏腹に楽しそうに笑っている。

「レティシア・ユーティ。君のこれからの人生に幸多からん事を」

「ありがとう。マイリー・バロウズ。貴方のこれからの人生にも……幸多からん事を……」

 泣きそうな顔で笑うと、彼女は手を離して立ち上がった。

「じゃあ帰るわ。お大事にね。私が言う事じゃ無いだろうけど……どうか、どうか無理をしないで」

「ありがとう。気を付けて帰るように。旦那様と子供達によろしくな」

 扉の前で、取っ手に手をかけて彼女は振り返った。

「息子がね。竜騎士になるのが夢なんですって。成人年齢になったら、絶対に竜に会いにオルダムに行くんだって言ってるわ、だから、それまで現役でいてね。そしたらあの子に言ってやるの。竜騎士なんてやめておきなさい。絶対に碌でも無いわ。ってね」

 それを聞いたマイリーは、もう一度堪えきれずに吹き出した。

「それは責任重大だな。了解した。善処しよう」

「それじゃあね。碌でも無い竜騎士様」

 そう言うと、もう振り返らずに部屋を出て行った。



 そのまま後ろ向きにベッドに倒れたマイリーは、我慢出来ずに声をあげて笑った。

「いや、本当に月日は偉大だな。彼女の口からあんな言葉を聞ける日が来るなんてな。……良い女になったもんだ。あれは旦那の手柄だな」

 ようやく笑いが収まった頃、ヴィゴが戻って来た。どうやら彼女を送って来たらしい。

「話は出来たようだな」

 彼女が座っていた椅子に座り、こちらを覗き込むその表情は、心配している事が明らかだった。

「ああ、ありがとう。ようやく色んな事と和解出来たよ」

「そうか、それは何よりだ」

 嬉しそうなヴィゴを、マイリーは横目で睨みつけた。

「それはそうと、お前だろう。わざわざ俺の怪我の事を彼女に知らせたのは」

「な、何のことだ? 俺は何も知らんぞ」

 明らかに目が泳いでいるヴィゴに、マイリーは右手で力一杯頭を叩いた。

「一つ借りにしておく。だけど、お節介も大概にしろよな」

「性分だ、こればかりは簡単には変わらんよ」

 叩かれたのに嬉しそうなヴィゴに、マイリーはこれ見よがしのため息を吐いて毛布を被った。

「夕食まで寝る。おやすみ」

「ああ、ゆっくり休んでくれ。おやすみ」

 そう言って歪んだ毛布を直すと、その上からそっと叩いて部屋から出て行った。

 扉が閉まる音と共に、マイリーが顔を出した。

「これだから、あいつには勝てないんだよな……」

 小さく呟いて、自分を覗き込むシルフに笑いかけた。

「おやすみ、ちょっと疲れたよ……」

 目を閉じたマイリーの額に、シルフがそっとキスを落とした。

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