絶望と希望

「マイリー!」

 部屋に駆け込んだヴィゴは、戸惑う医療兵を押し退けて、右手一本で重い車椅子を起こすと、下敷きになっていたマイリーを助け起こした。

 ぐったりとした彼は意識が無い。咄嗟に怒鳴りかけて、必死に唇を噛んで我慢した。

「何があった?」

 ベッドに彼を戻しながら、静かな声で側にいた医療兵に尋ねる。

「申し訳ありません。薬を取りに席を外した僅かの間に……どうやら、ご自分で動こうとなさったようで……」

 その言葉に驚いたが、意識の無いマイリーが足に履いているスリッパを見て納得した。

「成る程、スリッパを履いておるな。つまり、ベッドから落ちたのでは無く……一人で勝手に歩こうとして、倒れたのか?」

「申し訳ございません。まさか、そのような事をなさるとは思わず……」

 真っ青になる医療兵に、ヴィゴは小さく首を振った。

「軽率にも程があるぞ。自業自得だ。この大馬鹿者が」

 意識の無い彼に向かって吐き捨てるようにそう言った時、知らせを聞いたハン先生が駆け込んで来た。




 治療の邪魔になるからと言われて全員部屋の外に出されてしまい、何となく全員無言でヴィゴを見つめる。

 ヴィゴは全くの無表情で廊下に立ち尽くしていた。

「とにかく、揃ってここで立っていても邪魔になるだけだろう。場所を変えよう」

 アルス皇子の言葉に、駆け付けた衛生兵の案内で別室に向かった。そこは見舞客の為の休憩室のようだった。

「マイリーが、まさかあんな軽率な事するなんて」

 ルークが椅子に座って、顔を覆って唸るようにそう言った。

「普段の冷静な彼からは想像も出来んが……自由にならぬ身体に、俺達には分からん焦りもあるのだろう」

 ヴィゴの言葉に、全員が俯いてしまった。

 レイは、端に座って砦でガンディから聞いた言葉を思い出していた。

『……足がな、かなり重症だ。正直言って完治するとは思えん。医者としてはいわねばならん。現場に立つのはもう無理だ……』

 何か言いたいが、何を言って良いのか分からなくて、俯いている事しか出来なかった。

「本当にもう、どうにもならないんですか?」

 ロベリオの絞り出すような小さな声に、ヴィゴが首を振った。

「左腿の腱が完全に断ち切られているそうだ。それはつまり、足をそもそも持ち上げる事が出来ないという意味だ。悔しいが、こればかりはどうにもならん」

 レイはそれを聞いて衝撃を受けた。どれほど鍛えたとしても腱ごと切れてしまっては意味が無い。

 俯いて、目に入った自分のしっかり鍛えた太腿を見てぎゅっと眼を閉じる。

 悲しくて、悔しくて、何にも出来ない自分が情けなかった。




 その時、突然それはレイの頭の中に閃いた。

 まるで雷が落ちたかのように突然閃いた最高の思いつきに、レイは自分でも気付かないうちに立ち上がって大きな声を上げていた。



「ああ! あれだ!」



 突然立ち上がって大きな声を上げたレイに、その場にいた全員が驚きのあまり仰け反って彼を見つめた。

 しかしレイは立ち上がったまま、まるでいつものマイリーがするように天井を見つめながら何かブツブツと呟いているだけだ。

「おいおい、突然どうしたんだよ。腹でも壊したか?」

 からかうようなロベリオの言葉にも反論もせず、レイは眼を輝かせてヴィゴを見つめた。

「ねえ! 何とか出来るかもしれない!」

「……何がだ?」

 低い声で、怒ったようにヴィゴがそう言ったが、レイは全く怯える様子もなくヴィゴの手を取った。

「ねえ、モルトナとロッカを今すぐに呼んでください! それで、ブレンウッドのドワーフギルドのバルテンってギルドマスターと連絡を取って欲しいの。必要なら僕の名前を出してくれて良いよ。蒼の森のレイルズって。そうだよ。あれなら、あれなら切れてしまった腱や筋肉の代わりになるかもしれない!」

 興奮のあまり、顔を紅潮させてそう話すレイを見つめて、ヴィゴは首を傾げた。

 どうやら単なる子供の思いつきでは無いようだが、話がさっぱり見えずに、とにかく握られた手をそっと離した。

「落ち着けレイルズ。一体何の話だ」

「あれだよ。絶対あれなら上手くいくって! 僕じゃあどうやったら良いか分からないけど、モルトナとロッカならきっと分かるよ。だからお願い! 今すぐに……」

「落ち着けレイルズ。さっぱり話が見えないぞ。俺達に分かるように、まずは説明してくれるか? あれって、一体なんだよ?」

 立ち上がったルークが、背後からレイの眼と口を塞ぐように両手を伸ばして顔を覆い、とにかく黙らせる。

「はい深呼吸しろ。良いから、もう一度」

 何度か無理矢理深呼吸させて強制的に落ち着かせてから、改めてレイを覗き込むようにして話しかける。

 単なる子供の思いつきにしても、聞き逃せない言葉があったのだ。

 あれなら切れた筋肉の代わりになるかも知れない、と。



 ようやく落ち着いたレイは、恥ずかしそうに頭を下げた。

「興奮してごめんなさい。でも、本当にあれなら何とかなると思うの」

「だからその、あれって何だよ?」

 ロベリオの言葉に、レイは小さく頷いて順を追って話し始めた。



「えっとね、ブレンウッドで春の花祭りの時に見たんだけど、そのバルテンが中心になって作った大きな首の長い花の鳥だったんだけど、ずっと差し出した首を左右に振っていたんだよ。上から吊るしているんでも、下から支えているんでも無く」

 両手を広げて翼を開く真似をした後、右手をまっすぐ前に差し出して左右に振って見せる。

「そんな事が可能か? 一体どうやって支えた?」

 不審そうなヴィゴの言葉に、レイも頷いた。

「街の皆もそう言ってた。一体どうやってるのかさっぱり分からなかったの。それでこの前砦から戻った後、四人一緒にブレンウッドに買い出しを兼ねた小旅行に出掛けたの。その時にギードが連れて行ってくれたのが、ブレンウッドに新しく作られた、からくり博物館って所。ドワーフのギルドマスターが中心になって開いた色んなからくり人形を集めた博物館だったんだけど、そこでその花の鳥の仕掛けを見せてもらったんだよ」

 眼を輝かせて話すレイは、机の上にあった小さな布を折りたたんで、幅3セルテ、長さが20セルテ程の形にしてみせた。

「その時に見せてもらったのが、丁度これくらいの大きさの不思議な革でね。これが伸びるんだよ!しかも、伸びるだけじゃ無くて、同じ強さで戻るんだよ!」

 畳んだ布を広げて、今度は倍以上の長さにして見せる。

「革がそんな長さにまでどうやって伸びて戻る?」

 理解出来ない、と、言わんばかりのヴィゴの言葉にレイは説明を続ける。

「革自体には、えっと、鎧のめん……何とかに使われてる、細かく切り目を入れる方法を使ってまず伸びるようにして、南の島で取れる不思議な木の樹液に浸してあるんだって。その樹液は、固まると伸び縮みするんだけど、劣化が早くて今までは使い物にならなかったんだって、それをすっごく長い間研究して、革に浸せば上手くいく事を発見したんだって。すごいんだよ。タキスと二人で両方を持って引っ張り合いっこしてたら、タキスが手を離したの。そうしたら、その革がものすごい勢いで戻ってきて本気で手で叩かれるより痛かったんだよ」

 何となく、レイの言いたい事を全員が理解した。

「しかし、それだけでは……」

「その伸びる革を使って、歩く人形を作っていたの。50セルテぐらいの人間そっくり人形でね。人間の筋肉に当たる部分にその革を使って、関節を丸くして作ったその人形は、本当に人が歩くみたいに、一人で歩いたんだよ! あ、こうも言ってました! 二体作ったから、一体は皇王様に献上するって!」

 眼を見開いたアルス皇子が、頷いた。

「分かった、父上の献上品を確認しよう、待ってくれ」

 しかし、立ち上がろうとした王子を止めたのはルークだった。

「お待ちください。レイルズ。その人形を見たのはいつだ?」

 首を傾げたレイは、指を折って数えた。

「えっと……四日前かな?」

 それを聞いて頷くと、ルークはアルス皇子を振り返った。

「それなら、まだオルダムまで人形は到着していないでしょう。ブレンウッドからここまで、早くても六日は掛かります。それに、レイルズが話を聞いたその日のうちに出発したとは考えにくい。それなら、まだブレンウッドにその人形がある可能性もありますよ。まずはブレンウッドのドワーフギルドに連絡を取りましょう。既に献上された後なら、その人形の到着を待つしかありません」

「或いは、我らがブレンウッドに行けばいい。そうすればその本人、何と言ったか? そう、バルテンから直接詳しい話が聞けるし、現物の人形や伸びる革も見せてもらえよう」

 ヴィゴの言葉に、全員が頷いた。

「それが良い。話を聞く限り、確かに上手くすれば何とかなりそうな気がする」

 アルス皇子の言葉に、レイが眼を輝かせる。

「なら、まずはモルトナとロッカに話をしよう。レイルズ、ルーク、すまないが本部まで一緒に来てくれ」

 立ち上がったアルス皇子に言われて、二人も立ち上がる。

「マイリーにはまだこの話はするな。どうなるか分からないから、無駄に喜ばせるような事になっても申し訳ない」

 アルス皇子の言葉に全員が頷くのを見て、三人は急いでその場を後にした。




「報告します。マイリー様の手当てが終わりました」

 三人を見送って、無言のまま顔を見合わせていた四人の元に、衛生兵が知らせに来てくれた。

「行こう」

 短くそう言って立ち上がったヴィゴに、若竜三人組もついて行った。

 扉の前にはハン先生が待っていた。

「車椅子とぶつかったと思われる大きな内出血が、右腕と額、それから胸部にも見られます。左足の怪我も傷が開く程ではありませんでしたが、相当痛みがあるようなので、久し振りに例の薬を使いました」

 それを聞いたヴィゴが、唸り声をあげて唇を噛んだ。

「ヴィゴ、顔が怖いですよ。自分のした軽率な行為に相当凹んでますから、勘弁してあげてください」

 手を伸ばしてヴィゴの眉間を突いたハン先生は、小さく苦笑いした。

「いや。別に怒ってはおりませぬ。これは元からです」

 誤魔化すようにそう言って指を避ける。それから一礼して部屋に入った。

「ヴィゴについていてあげてください。怪我人相手に無茶はしないと思いますが、念の為です」

 小さく敬礼した三人も、急いで後を追って部屋に入った。




 やや薄暗いカーテンの引かれた部屋のベッドにマイリーは横になっていた。額と右腕に包帯が巻かれている。

「ああ、お前らか……」

 少しぼんやりした声でそう言われて、ヴィゴはベッドの横に駆け寄った。毛布の上に投げ出された右手をそっと取る。

 まるで氷のように冷え切ったその手を温めるかのように、左手で何度もさすってやる。

「軽率だったよ。ちょっとぐらいなら……いけるかと思ったんだけどな」

 取られた右手を見ながら、小さな声でマイリーがそう言った。

「焦りは禁物だ。今は治療に専念してくれ」

 ヴィゴの言葉に、マイリーは小さく首を振った。

「治療したところで何になる? どうせもう戻らないんだ。無駄だよ。それならもっと別の事を……」

「なぜ無駄だと言い切れる!」

 投げやりなマイリーの言葉に、カッとなったヴィゴは思わず大きな声を出した。

「皆がどれだけ心配して、どうにかしようと必死で考えているというのに、当のお前がもう諦めるのか! しがみついて足掻くと言ったのは誰だ? あれは嘘か? 寝言か?」

 驚いて眼を見開くマイリーに、ヴィゴは更に大声をあげる。

「今だって、どうにかしようと殿下とレイルズ達がドワーフギルドに……」

 咄嗟にロベリオが口を塞ごうとしたが、やや遅かったようだ。

「何の話だ?」

 先程までのぼんやりした声とは別人のような、真剣な低い声で問い詰められて、若竜三人組は揃って顔を覆った。

 ヴィゴは、無言でベッドに突っ伏して知らないふりをしている。

 短い髪の中に座ったシルフ達が、呆れたようにその頭を叩くのをマイリーは面白そうに見つめていた。

「お前は相変わらず隠し事が下手だな。無理するな。ほら全部吐け」

 頭を指で突かれて、無言で必死に首を振るヴィゴだった。

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