悪夢と転倒

「うわあ、ラプトルがいっぱいいる」

 見学を終えて本部に戻る途中、ここはまだ見ていなかったと言って連れて来てくれたのは、兵舎の裏側、丁度竜舎の隣に当たる部分にある騎竜の為の厩舎だった。

 今見て来た精霊竜達のいる竜舎と違い、背の低い建物だったが、その中は余裕を持った広い空間になっていて、何十いや何百匹ものラプトル達と、奥にはとても大きな何匹ものトリケラトプスも見えた。

 初めて見るすごい数の騎竜達に、レイは興奮して目を輝かせている。

「ここにいる子達は、第二部隊と俺達竜騎士隊が使う騎竜だよ。もちろん、城にはまた別の厩舎があって、もっと沢山騎竜がいるぞ」

「あ、精霊竜達のいる建物を竜舎って呼んでるから、軍では区別する為に、騎竜のいる建物は全部厩舎って呼んでる。間違えないようにね」

 ロベリオとユージンの説明を聞いて、レイは何度も頷いた。

 レイのすぐ近くにいたラプトルは、彼の事が気になるらしく柵の隙間から首を出して必死にこっちに伸ばしてきている。

「こらこら、そんな事したら首を痛めるよ」

 小さな声でそう言ってやり、近くに行って頭を戻してやった。

 甘えたような声で鳴いたそのラプトルは、嬉しそうにレイのその手を甘噛みしている。

「ベラぐらいありそう。大きいね君」

 鬣の横辺りを指を立てて掻いてやると、嬉しそうにまた鳴いて頭を擦り付けてきた。

 周りでは、一匹だけ狡いと言わんばかりに何匹ものラプトルが足踏みをして跳ね回り、自分も撫でろと自己主張を繰り返していた。

「きりが無いよ。一旦戻ろう」

 苦笑いして袖を引っ張られて、レイはもっと撫でろと自己主張するその子に手を振って厩舎を後にした。

「ごめんね、お邪魔しました。すっかり興奮させちゃったみたいで悪かったな」

 ロベリオの言葉に、敬礼した第二部隊の兵士達も笑顔で首を振った。

「とんでもありません。またいつでも遊びに来てやってください。騎竜達も喜びます」

 それを聞いて、レイは嬉しくなった。

「落ち着いたら、遠乗りに連れて行ってやるよ。ちょっと郊外に行けば、都会のオルダムでも綺麗な所が沢山あるんだぞ」

 本部に戻りながらそう言ってくれたロベリオの言葉に、嬉しくて興奮を隠せないレイだった。

「さてと、もうそろそろ会議は終わったのかな? 」

 本部へ戻りながらロベリオがそう呟いた時、肩にシルフが現れて座った。

『こちらルーク』

『今会議が終わったよ』

『ほぼこちらの希望通りに認めて頂けた』

『報告を兼ねてマイリーのところに行く』

『お前達は今どこだ?』

 それを聞いたロベリオが、嬉しそうにシルフに話しかける。

「ご苦労様。俺達は一通りの見学が終わって、今から本部に戻ろうかって言ってたんだけど、どうしようか? 俺達もそっちに行ったほうが良いですか?」

『ああすまないがお前達も一旦来てくれるか』

「了解。じゃあ今からそっちに向かいます」

 頷いてくるりと回って消えたシルフを見送り、レイを除く三人はホッとしたように笑った。

「良かった。希望通りにいったんだ」

「そうだね。本当に良かった」

「さすがはルークだな」

 嬉しそうな三人を見て、レイは首を傾げた。

「何が上手くいったの?」

「うん、後で詳しく教えてあげるけど、マイリーの今後の処遇が決まったんだよ」






 ふと目を覚ましてぼんやりと窓の外を見て、今がまだ太陽が高い時間だと気付いたマイリーは、そっと小さなため息を吐いた。

 怪我をして以来、殆ど自力で起きることすら出来ずにずっと誰かの世話になって来た。ようやく付きっ切りで看病されるという程では無くなったが、体力を根こそぎ削られて、ひと月近くたった今でも一日中起きている事すら困難なほどに身体は弱っているのだった。

 歯痒いし悔しいと思うが、あの時とった自分の行動に後悔は無い。

 動けなくなった不自由な身体は、自分ではもうどうすることも出来ない。

 何をするにしても、周りの手助けが無くては碌に動く事さえ出来ないのが現実なのだ。



 それは彼にとって、悪夢とも言える過去の記憶と直結していた。



 まだ二十二歳の士官学校を卒業したばかりの新兵だった頃、当時着任して間も無かった国境の第十六番砦で、何の前触れも無く突然始まった国境付近の大規模な戦いで、同じ部隊の者達と共にタガルノの捕虜となったのだ。

 拷問にも等しいほどの尋問にも屈せず、彼は一切口を開かなかった。それはどんどん尋問を激化させ、最後には、麻薬である紫根草を大量に投与される事態を招いてしまった。



 急激な大量の麻薬の投与に、彼の記憶は、その辺りから非常に曖昧でブツ切れの状態となる。



 嘲笑う、タガルノの軍人達の大きな口と黄色い歯。まるで、常に虫が身体中を這い回っているかのような異常なまでの感覚過敏。常に聞こえ続ける誰かの悲鳴と絶叫。

 一度叫び始めると、自分でそれを止めることは困難だった。

 幻覚と現実の境目が判らず、拷問される悪夢に目を覚ますとそこも悪夢の中。

 延々と覚めない悪夢の中を逃げ続けて、突然地面が裂けて永遠に落ち続ける感覚に悲鳴を上げて眼を覚ます。そんな日々が延々と続いた。

 永遠に続く悪夢と幻覚の嵐に、それでも彼はしがみつき続けた。ただ一つ。絶対に屈しない事に。



 交渉の末、半年後に捕虜交換で帰還したが、その当時の記憶は彼には無い。

 そのまま彼は、白の塔にある施療院に強制入院となり、結局、自力で動けるようになるまでに四年近い年月を必要としたのだった。

 パティと出会ったのは二十六歳の時。竜騎士となったそれからの人生の事を、彼はおまけの夢みたいなものだと割り切っていた。

 これは生き延びた自分への褒美なのだと。

 ようやく笑い話に出来るくらいに記憶が遠くなった今になって、怪我でまた不自由を強いられる事となり、ベッドの上で目覚める度に、今がいつで、ここが何処なのかを確認せずにはいられないのだった。



 混沌とした悪夢からようやく目覚めたマイリーは、精霊達の住処である見事なオパールの嵌った左手の指輪を確認した。

 これは、彼が正式に竜騎士となり、陛下から竜騎士の証であるミスリルの剣を下賜された時に、故郷の父親から祝いに贈られた、彼にとって特別な思い入れのある指輪だった。

 これがあるという事で、今の自分が竜騎士だという事が夢では無いのだと確認出来た。

 まだ少しぼんやりとしたまま部屋を見渡す。静まり返った部屋には珍しく誰もいない。

 喉の渇きを覚えた彼は枕元に水を探したが、残念ながら水差しが置かれていたのはベッドから少し離れた机の上だった。

 ゆっくりと体を起こしてベッドに座る。ベッドのすぐ横にいつも使う車椅子が置かれているのに気が付いた。



 この時、普段の彼ならば絶対にやらないような迂闊な事を彼はしてしまった。



 つまり、ベッドの横に置いてある車椅子に自力で座って、机の上に置かれた水を飲みに行こうとしたのだ。

 ゆっくりと、右足をベッドから下ろして足元に置いてあるスリッパを履く。左足は動かないので両手で押すようにして同じくベッドから下ろしてスリッパを屈んで差し込んだ。

 ベッドの手すりに右手を掛けて、ゆっくりと右足に体重を掛けて立ち上がる。そこまではいつもやっている。

 ほんの一歩半程の移動で車椅子に座れたはずだったが、この一歩半は、今の彼にとっては自力で動ける範囲を超えていた。

 少しは動くはずだと考えて体重が移動する上半身と、全く動かない左足。

 そうなると当然その先に待っていたのは、移動する体重を支えきれずに前のめりに転倒するしかない現実だった。

 咄嗟に左手で車椅子を掴もうとして、そのまま掴んだ車椅子ごとまともに転倒した。

 大きな音を立てて、床に受け身も取れずに叩きつけられるように転倒した。

 左足に痺れるような激痛が走り、左足を押さえようとして動かした右手が車椅子に当たる。

 何故か全く動けない。

 目の前にある車椅子の車輪に、今の自分のおかれた状況が分からなくなった。

「マイリー様!」

「どうなさったのですか!」

 扉が開く音がして、医療兵達が駆け込んで来る。

「マイリー!」

 聞き覚えのあるヴィゴの声が聞こえた時、マイリーは大丈夫だと返事をしようとしたが果たせなかった。

 激痛と突然の急激な貧血で目の前が真っ暗になり、そのまま意識を失ってしまったのだ。






 午前中いっぱいかかった会議がようやく終わり、アルス皇子は小さく安堵のため息を吐いた。

 何とか元老院の年寄り達に、こちらの希望を認めさせることが出来た。本当に苦労したが、結果は上々だろう。

 隣で、机に突っ伏したまま疲れ切って言葉もないルークの肩をそっと叩く。

「ご苦労だったな。ありがとう。おかげでマイリーを失わずにすんだよ」

 顔も上げずに、ルークは首を振る。

 今回も、彼は話を上手く持っていってくれて、元老院の顔も立てつつ、こちらの希望をほぼ通してみせたのだ。

 マイリーは、戦闘行為には参加しない竜騎士隊付きの参謀として、これからも現役で頑張ってもらう事になった。この地位は、今回のマイリーの為に特別に設けたものだ。呼称は参謀。

 怪我をして動けない以上、慣例通りに引退させろと詰め寄る爺い共に、若い者達の多い今の竜騎士隊にとって、マイリーがどれだけ必要な人材であるか、身体は不自由でも十分にその務めは果たせる事を、具体例を挙げて見事に説得したのだ。

 副隊長の地位にはヴィゴが就き、ルークは、マイリーの下につく参謀副官という地位を新たに設立して着任する事になった。呼称は副官。

 マイリーがしていたうちの、特に戦闘関係を担当する。つまり実戦での現場の指揮権を与えられた事になる。そして、動けないマイリーの手足となって、交渉や計画立案の補助、アルス皇子の元で現場での指揮をとる事になる。

 ルークは最初、自分にはとても務まらないとこれを拒んでいたが、最終的には覚悟を決めて受け入れてくれた。

 レイルズの教育係も含めて、恐らくこれからはルークが竜騎士隊で一番忙しい役割になるだろう。



「ご苦労さん。とりあえず戻ろう。心配している皆にも報告してやらないとな」

 ヴィゴにも優しく肩を叩かれて、ルークはようやく顔を上げた。

「そうですね。とりあえず、先にマイリーのところに行きましょう。上手くいったと報告しないとね」

 疲れ切った顔で、それでも笑うルークに、ヴィゴは笑ってその短く刈り上げた髪をぐちゃぐちゃに撫で回してやった。

「やめてください! 寝癖を誤魔化してるのが見えるでしょうが!」

 書類の束を抱えて、笑いながら頭を抑えて大きな手の下から逃げ出した。




 三人は城を出て、そのまま隣にある白の塔の敷地内にある入院棟に歩いて向かう。マイリーがいるのは、入院棟の特別室だ。

 丁度、入院棟の入り口で、ロベリオ達四人と合流した。

 肩を叩き合って笑いながら、階段を上がって特別室のすぐ前に来た時、医療兵の悲鳴が聞こえた。

「マイリー様!」

「どうなさったのですか!」

 部屋に駆け込む彼らを見て、咄嗟に持っていた書類を隣にいたユージンに放り投げてヴィゴは部屋に駆け込んだ。

 慌てて全員がそれに続く。

「マイリー!」

 ヴィゴの叫び声に、一番後ろにいたレイも慌てて中を覗き込む。

 しゃがみこんで助けようとしている医療兵の肩越しに見えたのは、床に横倒しになった車椅子に、半分下敷きなって倒れているマイリーの姿だった。

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