最後の日常と二人の竜騎士

『おはようおはよう』

『起きて起きて』


 いつものようにシルフ達に起こされたレイは、目を開いて小さなため息を吐いた。

「おはよう。今日も良いお天気みたいだね」


『今日も良いお天気』

『晴れるよ晴れるよ』


「そっか、良かった。せっかくロベリオとユージンが来てくれるのに、雨だと外に出られないもんね」

 ベッドから起きて着替えていると、タキスが起こしに来てくれた。

「おはようございます。おや、もう起きてるんですね」

「あ、おはようございます。シルフ達が起こしてくれたよ。今日も晴れなんだって」

 十の月の半ば、そろそろ朝晩冷え込んできて肌寒いので、今日は長袖のシャツの上に薄手のセーターを着た。ニコスが作ってくれる服は、どれも着心地が良くてレイは大好きだった。

「ねえ、タキス。これって持っていけるのかな?」

 セーターの入った引き出しを見ながら振り返った。

「ニコスが沢山作ってくれた洋服って、折角だから持って行きたいよ。騎士見習いの制服があるから、普段は着られないだろうけど……部屋で着るなら構わないよね?」

「どうでしょうね。その辺りは、ロベリオ様とユージン様が来られたら聞いてみたら良いのでは? きっと教えてくださいますよ」

「そうだね。でも駄目だって言われても、こっそり持って行くもんね。折角作ってくれたのに、勿体無いもん」

「まあ、恐らく駄目だとは言われないと思いますけどね。でも、全部は持って行く必要はありませんよ。この部屋はそのままにして、貴方の為に置いておきますからね」

「……ありがとう」

 照れたように笑うレイの額に、タキスはキスをした。

「さあ、顔を洗ってらっしゃい。午後にはお二人が来られるんですからね」

 気分を変えるように笑って背中を叩かれて、いつものように返事をして洗面所に向かった。




「おはようございます! 今日も良いお天気みたいだよ」

 レイの元気な声に、居間にいたニコスとギードが振り返った。

「おお、おはようさん。今日も元気だな」

「おはよう。ちょうど良かった。いつものお皿を頼むよ」

 平たい鍋を持ったニコスに言われて、レイはいつものお皿やスープカップを取り出した。

「おはよう。いつもありがとうね」

 蓋に座った火蜥蜴を突いて、カトラリーを並べた。



 いつもの豪華な食事の後、お薬を忘れずに飲んでカナエ草のお茶を飲む。レイとギードの目の前には、栗の甘露煮が入ったお皿が置かれていた。

「これ、本当に美味しいよね」

 最後の一個を食べながら、レイが名残惜しそうに瓶を見る。

「沢山作ったから、良ければ好きなだけ持って行くと良いぞ。干し栗も上手く出来たからな」

 目を輝かせるレイに、ニコスは笑って頷いた。

「だって、本当に沢山作ったからさ、俺達だけじゃとてもじゃ無いけど食べきれないよ」

「うん。じゃあ折角だから、皆にも食べてもらうよ。ニコスが作ってくれたんだよってね」

「竜騎士隊の皆様は、普段から良いもの食べてると思うから、こんなの珍しく無いだろうけどな」

 貴族達が、いかに贅沢なものを食べているか知るニコスにしてみれば、栗の甘露煮や砂糖漬けなんて、珍しくも無いつまらないものだと思うが、レイがそう言ってくれるのは嬉しかった。

「好きにすれば良いよ。レイが食べてくれたら俺はそれで良いさ。良いぞ、まだ食べたいんだろ?」

 瓶を手放さないレイにそう言ってやると、嬉しそうに頷いて蓋を開けた。

「正直者じゃな」

 ギードの呟きに、二人は笑いを堪えるのに苦労していた。

 いつものように、騎竜と家畜達を先に上の草原へ連れて行ってやる。それから順番に、竜舎と厩舎の掃除をした。ウィンディーネに水を出してもらう事も、簡単な言葉で済むようになっている。

「これって、王都に行っても大丈夫なんだよね?」

 水の入ったバケツを見ながら縁に座ったウィンディーネ達に話しかける。姫は皆、笑って頷いてくれた。


『大丈夫だよ』

『主様の声はよく分かる』

『強い声』

『何処にいても分かる声』

『とてもとても強い声』

『そうそう』

『強い声』

『強い声』


 ウィンディーネだけでなく、シルフ達まで現れて次々にそう言ってレイの頬にキスしていなくなった。

 三人はそんなレイを感心したように見つめていた。



「えっと、お掃除はこれで終わりだけど、この後は何をするの?」

 道具を片付けながらそう聞くと、隣にいたニコスも道具を片付けながら顔を上げた。

「じゃあ、最後だし林で走ってみるか? 折角だから完走してくれよ」

「やるやる! 絶対完走する!」

 拳を握って宣言するレイに、皆笑顔になった。

「おお、勇ましいな。それでは見物させてもらおうかの」

 からかうようなギードの言葉に、レイは舌を出した。

「みててよね! 絶対、完走するもんね!」






 一方、王都を出発したロベリオとユージンは、のんびりと街道から少し離れた森の上空を西に向かっていた。

「向こうに着くのは、二点鐘の頃かな?」

「そうだな。景色も代わり映えしないし、そろそろ飽きてきたぞ」

「じゃあ、ちょっと競争でもしてみる?」

「お、良いな。じゃあ早速!」

 一気に加速するロベリオに、慌ててユージンも後を追った。緊急時以外の長距離移動の時などに、彼らはこうやって遊ぶ。しばらく高速飛行を楽しんでいたが、我に返ったユージンが叫んだ。

「ってか、どこまで行くんだよこれ!」

「あ、ゴールを決めてなかった」

 二人同時に吹き出し、一旦減速していつものスピードに戻す。

「そう言えばルークから聞いたけど、一番最初にルークとタドラが蒼の森の竜の調査に行った時、二人の負傷を聞いてヴィゴが後から向かっただろ。あの時のヴィゴは、王都から蒼の森まで三刻で行ったらしいぞ」

 ロベリオの言葉に、ユージンは目を見開いた。

「冗談だろ? 蒼の森までって……600キルト近く有るぞ。それを三刻?」

「さすがは鉄人だって笑ってたけど、それってどう考えても笑い事じゃ無いよな」

 竜の背の上で、二人は顔を見合わせる。

「シルフ、今どの辺りだ?」

『蒼の森まで直線で後200キルト程度』

 ロベリオの問いに、現れたシルフが答えた。

「へえ、もう半分過ぎてるんだ」

 そろそろ太陽は頂点に差し掛かる頃だ。

「それなら、後少ししたら砦に着くからそしたら昼食だな。ルーク達から聞いたけど、砦の飯、美味いらしいぞ」

「言ってたよね。楽しみだな」

 何となくスピードを上げた二人は、その後しばらくして九十六番砦に到着した。




「遠い所をお疲れ様でした。どうぞこちらです」

 二人が食事の為に立ち寄ると、本部からの知らせを聞いて待ち構えていた兵士達が、中庭に降り立った二頭の竜の前に駆け寄って来た。

「ごめんね。食事だけさせてもらいに来たよ」

「よろしくね」

 並んで直立して敬礼する兵士達に、二人も敬礼を返して笑いかけた。

 今ここには竜の世話をしてくれる第二部隊の兵士達はいない。二人は駆け寄った兵士達に、まず竜達の為に大きな桶に新しい水を汲んで来るように頼んだ。

「お疲れアーテル、食事して来るからここで水を飲んで待っててくれるか」

「お疲れマリー、食事して来るね」

 持ってきた水を目の前に置いてもらい、二人は竜にそう言ってキスする。

 迎えに出たマーティン大佐は、二人が顔を上げてから声を掛けた。

「ようこそ第九十六番砦へ」

「お世話をお掛けします」

「お世話をお掛けします」

 二人も直立して敬礼を返す。

「どうぞこちらへ、何もありませんが、ここの飯は美味いと兵士達からも評判です」

 笑顔のマーティン大佐に案内されて、二人は食堂に向かった。

「へえ、広いんだな」

「本当だ、明るくて良い食堂だね」

「古い砦だって聞いてたから、もっとなんていうか暗いのかと思ってました」

 トレーを持って列に並んだ三人に、前に並んだ兵士達が慌てて譲ろうとするのを二人は笑って止めた。

「緊急時じゃ無いんだから、順番は守らないとね」

「そうそう、それで並んでる間に何を取るか考えるんだぞ」

 そう言って気安く笑う二人に、周りの兵士達は皆、内心で大感激していた。




 ルークお勧めの薫製肉を始め、それぞれ他にもたっぷり取って、空いた椅子に座る。向かいにマーティン大佐も座り、それぞれお祈りをしてから食べ始めた。

「本当だ。どれも美味しい」

「国境の砦より良いもの食ってるぞ」

「十七番砦は、あんまり美味しくなかったよな」

「何が違うんだ? 味付け? 素材?」

 感心して食べる二人に、向かいの大佐が笑いながら話しかけた。

「私もあちこち行っておりますが、確かにここの食堂は五本の指に入るくらい美味いですね。基本的な材料はブレンウッドから仕入れていますが、どうやら素材が良いらしく、衛生班の者達が感激しておりました。特に野菜自体が美味しいと」

「この辺りって、南ロディナの穀倉地帯ほど大規模じゃ無いですよね」

 ユージンの言葉に、大佐も頷いた。

「ここは一般職員達も大勢おりますが、地元の農家出身の者が多いんです。彼らが言うには、この辺りは中規模の農園や果樹園が多いらしく、それぞれに工夫して中規模ならではの手間をかけた作物を作るのだとか。なので美味しい素材が手に入りやすいのでしょうね。ただ、大量に必要ですから、場合によってはロディナから輸送するものもあります」

「成る程。考えたら農家って凄いな」

「そうだよね。土から作るって言ってたもんね」

「土なんて、どうやって作るんだよ?」

「知らない」

 二人の会話を聞いて、食べていた大佐は驚いたように顔を上げた。

「失礼ですが、そんな話をどこで?」

「今から迎えに行く彼がね、そう言ってたんですよ」

「ああ、成る程。一般出身の方だとお聞きしております。そう言えば、明日お帰りになるんですよね。また立ち寄られますか?」

 竜騎士が立ち寄るのは今日だけだと聞いていた大佐は、心配してそう尋ねた。

「多分、そのまま帰ると思うので、上空を通過すると思います」

「そうですか。どうぞご無理なさいませんように」

 最後の薫製肉を食べ終えたロベリオが、満足したように笑った。

「本当に美味しかったな、じゃあお茶の用意を持って来るよ」

「あ、待って、俺も行く」

 こちらも最後の薫製肉を食べたユージンが、慌ててトレーを持って立ち上がった。

 一旦トレーを返し、もう一度列に並ぶ。また前で起こる無言の譲り合いを制して二人は笑っていた。

 お湯の入ったポットと幾つかのミニマフィンを取ってきた二人は、取り出したカナエ草の茶葉をポットに入れて、待っている間に薬を飲んだ。

 ユージンがベルトの小物入れから蜂蜜の瓶を取り出して机に置いた。

「使ってくれて良いよ」

「お、持って来たんだ。俺は別に良いかと思って持って来なかったよ」

 カップに少しだけ蜂蜜を入れる。

「甘いものがあると、俺はそれほど気にならない」

 ロベリオの言葉にユージンは首を振った。

「甘いものは、別になくても良いけど……俺はもう蜂蜜無しではお茶が飲めないかも」

「いざとなったら、初めてお茶を飲む新兵みたいに泣くんだな」

「大丈夫、絶対自分の分は確保するもんね」

「こっそり横取りしてやる」

 顔を見合わせて笑う二人を、大佐は感心して眺めていた。

「竜騎士隊の皆様は、仲が良ろしいんですね。この歳になると他愛ない事で笑い合える友人も身近にはいなくなりますから、見ていて羨ましいですよ」

 お茶を飲みながらしみじみとそんな事を言う大佐に二人が顔を見合わせる。

「まあ、俺達の場合は常に一緒にいるから、必然的に仲良くなりますよ」

「そうだよね。考えたら一年中ほぼ一緒にいるんだもんな。仲良くしないと色々と仕事に問題が出るよな」

 笑って肩を竦める二人を見て、大佐も笑っって頷くのだった。



「ご馳走様でした。聞いていた以上に美味しかったですよ」

「ご馳走様でした。本当に美味しかったです」

 また大佐と一緒に中庭に出た二人は、見送りに出て来てくれた兵士達に笑って手を振ると、それぞれの竜の元に駆け寄った。

「お待たせ。それじゃあ行こうか」

 声を掛けて、一息にその背に飛び乗る。

「それでは大佐。ありがとうございました」

「ありがとうございました」

 そう言って敬礼した二人は、ゆっくりと竜を上昇させた。見送りの兵士達が、それを見て一斉に直立して敬礼した。

 何度か砦の上空を旋回してから西に向かって飛び去っていった。

 それは、わずか一刻半ほどの出来事だった。






 前を走るニコスに遅れまいと、レイは必死で足元の石を蹴った。

 これが三度目の挑戦だ。

「いつもここで失敗するんだ……できるだけ姿勢を低くして、一気に蹴る!」

 そう呟くと、足元に現れた小さな石を思いっきり踏んで跳んだ。

 タイミングは完璧で今までで一番高く跳べた。手を伸ばして目標の太い枝を掴む。吸い付くように掴むことが出来た。そのままの勢いで、一気にその枝を飛び越えて次の踏み石を蹴る。段差のある岩を手をついて飛び越え、反対側の地面を転がって目の前の大きな木の幹を駆け上がる。木の股を飛び越えたらゴールだ。

「やったー! ついに攻略完了!」

 離れた場所で見学していたタキスとギードが大きく拍手してくれた。

 ゴールで待っていてくれたニコスに飛びつく。

「出来たよ! 最後、ギリギリだったけど跳べたよ!」

「すごいぞ、遂にやったな。見事だったよ」

 大きなレイに飛びつかれたニコスも、嬉しそうに笑って力一杯抱き返した。

「凄いよ、本当に一年でここまで成長するなんてな。本当に凄いよ……」

 何度もそう呟いて、熱くなった大きな身体を抱きしめるニコスだった。

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