帰宅とそれぞれの名前

「到着!」

 すっかり暮れてしまった夕闇の中、タキスの飛ばした光の精霊に照らされながら進んだ一行は、ようやく見覚えのある草原に出て歓声を上げた。

「ようやくの到着だな。やれやれ、すっかり暮れてしもうたわい」

「全くだな。秋は陽が暮れるのが早いんだよな」

「そうですよね。夕焼けが綺麗だなんて言って、のんびり見ている場合じゃ無かったですね」

 笑いを堪えたタキスの言葉に、全員が苦笑いしながら頷いた。



 帰路の終盤、街道から枝分かれした細い道に入って間も無く、真っ赤な夕焼けが辺り一面を染め、見上げた西の空には雲間から御使いの梯子と呼ばれる見事な光の帯が何本も現れていたのだ。

 そのあまりに綺麗な夕焼けに思わずレイがポリーを止めて見入ってしまい、それを見た三人もそのまま一緒に並んで、皆で刻々と変わる見事な夕焼けの景色を楽しんだのだった。

 我に返った時には既に暗闇が辺りを染めていて、慌てたタキスが呼び出した光の精霊に足元を照らしてもらい、急いで家に向かったのだった。



「今回、食品は少しだけだから荷下ろしも楽だな」

 ニコスがそう言って笑いながら、岩塩の入った袋を取り出した。いつもの買い出しに比べたら、確かに荷物は少なめだ。

「すみませんが、もうしばらく照らしていてくださいね」

 荷馬車の縁と、扉の上に座った光の精霊達にそう言うと、タキスもレイと一緒に荷下ろしを手伝った。

 ギードは、ラプトル達に詰んだ荷物を一旦荷馬車に下ろして、先に竜舎に連れて行った。鞍を外して世話をしている間に、三人がかりで荷物を運び終わり、トケラも竜舎に連れて行き、荷馬車は納屋にそれぞれ運んで片付けた。

 トケラの世話を終え、厩舎のブラウニー達にお礼を言ったギードが居間に戻った時には、パンが焼ける良い匂いが、部屋いっぱいにあふれていた。

「おお、良い匂いじゃな。もう焼けたのか?」

「あと少しってところだな。ギード、そのハムを切ってくれるか」

 綺麗に手を洗ってハムを切っていると、レイとタキスが戻って来た。

「スパイスは机に置いてあるからね。岩塩は足元の箱の中。果物はいつものところで良かったんだよね?」

 お皿を出しながら聞くレイに、ニコスは振り返って頷いた。

「ああ、それで大丈夫だと思うぞ。後で確認しておくよ」

 食料庫は、一階も地下も全てニコスが管理している。

 薬草庫は基本的にはタキスが管理しているが、料理に使うスパイスなどもあるので、ニコスも一部の特殊な薬の材料以外は、何処に何があるか大体把握している。なので、買い出しの片付けはいつもニコスの指示で行なっているのだ。




「レイ、そろそろパンが焼けてるから窯から出してくれるか」

「分かった」

 レイは返事をすると火の落ちた窯から、パンを取り出して籠に入れた。

「良い匂い! お腹空いたよ」

 嬉しそうに笑うと、籠を机に置いた。

「はい、温まったぞ。これは美味しそうだ」

 鍋の中は、バルナル自慢の挽肉の団子がたっぷり入ったチーズのシチューだ。

「以前は屋台で買って帰って来ていたが、バルナルに作ってもらう方が断然美味いな」

 ギードが食べながら嬉しそうにそう言って笑った。

「屋台のご飯も美味しいけど、持って帰ったら冷めちゃうよね」

 レイの言葉に、皆頷いていた。

「屋台といえば、私がいた頃、オルダムでも定期的に市が開かれて屋台も沢山出ていたんですよ。ビーフシチューの美味しいお店がありましてね、アーシアとよく行きましたよ」

「食べたい! でも、五十年前なら……さすがにもうお店は無いよね」

 目を輝かせたが、我に返って残念そうに肩を落とすレイに、三人は同時に吹き出した。

「まあ無理だろうな。でも別の美味しい店がきっと有ると思うぞ」

 ニコスの慰めにレイも笑って頷いた。それからもう一度目を輝かせてタキスを見た。

「ねえ、さっき言ってたアーシアって誰?」

「私の妻の名前ですよ。アンブローシアって長いでしょ?なので、私は彼女の事をいつもそう呼んでいました。私の名前は正確にはタルキスなんですけど、彼女はタキスと呼んでくれました」

「ええ、じゃあ僕らが呼んだら駄目じゃない!」

 慌てたように叫ぶレイを見て、タキスは小さく吹き出した。

「大丈夫ですよ。彼女がそう呼ぶようになると、なんと無く周りの皆までタキスと呼ぶようになってね。それですっかり定着してしまいました。今更タルキスなんて改まって呼ばれたく無いですよ、私がタキスと呼んで欲しいんです。それに私はあの時、一度死にました……なので、ここに来たギードに名前を聞かれるまで、私は自分の名前をすっかり忘れていました。だって……四十年も、誰も名前で呼んでくれなかったんですからね」

 それを聞いた三人は、揃って何とも言えない顔になる。

「それで、ギードに名前を聞かれた時に自然に出て来た名前が……タルキスでは無く、タキスだったんです。ギードにそう呼んでもらう度に、彼女の事を思い出せて嬉しかったんですよ」

「良いの? そう呼んで」

「もちろんです。私がそう呼んで欲しいんです」

 納得したように頷くと、レイも食べるのを再開してシチューの肉団子を口に入れた。ちゃんと飲み込んでから、思いついたように二人を見た。

「ギードの洗礼名はギルバードだっけ?」

「そうじゃ。ギルバードはワシの爺さんから貰った名前でな。正式な洗礼名は、ギルバード・シュタインベルガー。シュタインベルガーってのは、石の山って意味があるんだぞ」

「ええ、すごい! ギードの為にあるみたいな名前だね」

 目を輝かせるレイに、ギードも大きく頷いた。

「ワシも気に入っとるぞ。そう言えばレイの洗礼名のレイルズは、お父上の名前だと言うておったな。下のグレアムって名前は、恐らく聖グレアムから頂いたのだろうな」

 聖グレアムとは、精霊王のいる天の山の森と呼ばれる不老不死の園に住む太古の民の一人だ。黒髪の青年の姿で描かれる事が多い。

 音楽を愛し鳥を愛する優しい性格で、精霊王が全ての務めを果たして天に帰る時に、彼が大きな黒い鳥に乗って迎えに来る場面が、精霊王の物語の最後に登場する。別名、優しき死の使い、とも呼ばれている。

 それを聞いたタキスは、王都のマティルダ様と面会した時の、あの一件を思い出していた。

「これは、偶然の一致なのでしょうか……?」

 ギードと嬉しそうに話すレイを見て、不意に訳の分からない不安に襲われたタキスだった。



「ニコスの洗礼名は何だっけ……?」

「俺の洗礼名は、ニコラス・ベルンハルト。ニコラスは、レイと同じく太古の民の聖ニコラスからだろうな。ベルンハルトは古い言葉で、熊のように勇敢、って意味が有るらしいぞ。俺、そんなに勇敢かな?」

 照れたように笑うニコスに、タキスとギードは笑っていた。

「強い男という意味なら、お前にぴったりの名前ではないか」

「確かにそうですね」

「名前って面白いね! タキスの下の名前は? タルキス・ランディアのランディアって何か意味が有るの?」

 タキスは首を傾げた。思わずニコスと顔を見合わせた。

「さあ、考えた事がありませんが……何かありますか?」

 ニコスは少し考えていたが、何か思い出したようで頷いて教えてくれた。

「恐らく、大昔の偉大な精霊魔法使いの名前からだろうな。確か……ランディアだった筈だぞ」

「初めて聞くよ。その人は精霊王のお話には出てこないよね?」

 首を傾げるレイに、ニコスは頷いた。

「彼は、精霊王のお話じゃ無くて『古の誓約の始まり』の物語に出て来る登場人物だよ。このお話自体は創作なんだろうけど、お話としても面白いぞ。レイが王都に行ったら図書館で探してごらん。きっと有ると思うぞ。絶対この物語、レイは好きだと思うな」

 ニコスの言葉にレイは目を輝かせて頷いた。

「古の誓約の始まり。うん探してみるね。そう言えば凄かったんだよ、お城の図書館。遥か上まで、壁という壁全部に本がぎっしり詰まってたんだよ。間に何段も廊下があって、降りなくても本棚から本棚に渡れるようになっててね、本当に夢みたいな場所だったんだよ」

「確かに、あそこにはない本は無いと言われてますからね。蔵書は私が知っている時よりも、更に増えているでしょうしね」

 タキスもそう言って何度も頷いていた。



「ご馳走様でした。お腹いっぱいだ」

 ベルトの鞄からお薬を出して飲むと、立ち上がって食器を片付けて全員分の食後のお茶の用意をした。自分の分は、いつものカナエ草のお茶だ。

 それぞれに食べ終えた食器を片付けてお茶が出された時、ニコスが戸棚から大きなガラス瓶を取り出してきた。

「ほら、そろそろ食べ頃だぞ」

 レイの目の前に置かれたその瓶には、綺麗な黄色の栗の甘露煮がぎっしりと入っていた。

「好きなだけどうぞ。俺達は二個ぐらいあれば十分だよ」

 そう言って笑うニコスと横で頷くタキスだった。

「ワシはもう少し欲しいのう」

 そんな二人を見て態とらしく拗ねるギードに、三人は同時に吹き出した。

「ギードと僕とで半分こだもんね」

 そう言って、レイは新しい匙で小皿に甘露煮を取り出していく。二つのお皿には、二個づつ取り出した。

「ギードは何個食べる?」

「五個……ぐらいかのう」

「ええ! もっと食べようよ!」

 それを聞いたニコスとタキスはまた吹き出した。

「好きにしろ。でも、お腹と相談しろよ」

 五個出してもらったギードも、そう言って笑っている。

「じゃあ僕は……小さめのを十個!」

 そう言いつつ、どう見ても大きな栗を取り出すレイを見て、もう笑いが止まらない一同だった。




 翌日は、生憎の雨模様だった。

 いつものように、まずは家畜や騎竜達の世話をした。しかし、外に出してやれなくて退屈するラプトル達に、じゃれつかれてしまい、レイは全然仕事にならない。それを見た三人は、その隙にさっさと竜舎の掃除を済ませてしまったのだった。

「ああもう! いい加減にしてよ!」

 甘噛みされる大きな口を押し返して何とか逃げ出したレイは、綺麗になった竜舎を見て慌てた。

「うわあ。ごめんなさい! 僕、全然手伝えなかったよ」

「いやいや、お前さんは十分役立ったぞ。おかげで楽に作業が出来たからな」

「ええ! 酷いよギード、僕を囮にしたね」

 からかうようなギードの言葉に、笑ったレイは、ギードの背中を擽って笑った。

 厩舎では、今度はラプトルの代わりにレイの周りを黒頭鶏くろあたま達が走り回り、やっぱり仕事にならないレイだった。




「お昼からは何をするの?」

 午前中いっぱいかかって、買ってきたものの片付けは終了した。

「雨だし、せっかくだから、棒術訓練でもするか?」

 ギードの言葉に、レイは嬉しくて目を輝かせた。

 その日は、午後から棒術訓練と格闘訓練に費やされ、ヘトヘトになったレイは夕食の後、早々に部屋に戻って休んだ。

 三人は、のんびり一杯飲みながら居間で好きに寛いでいたが、机の上に突然現れたシルフに、一気に酔いが覚めた。



『ご無沙汰しておりますアルスです』

『レイルズの受け入れ準備が整いましたのでご連絡致しました』

 タキスはグラスを置いて顔を覆った。



 遂に、その日が来てしまった。

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