女神オフィーリアの神殿と街歩き

「旧市街って、本当に綺麗だね」

 ポリーの背の上で、レイが嬉しそうに辺りを見回しながらそう呟いた。

「花祭りの時にお花がいっぱいって思ったけど、秋はまた違った綺麗さだね」

「オルダムよりも道路が広いから、旧市街の眺めも良いですね」

 タキスの声に、レイは驚いたように、足元の道路を見た。

「これで広いって、オルダムはそんなに狭いの?」

 今、のんびりとラプトルに乗ったまま歩いているが、横に二頭並んで歩ける程度の幅しかない。

「オルダムの道路は狭くて入り組んでいますからね。もちろん広い道もありますが、殆どの道は本当に細くてややこしいんですよ」

「うわあ、僕大丈夫かな……」

 自信無さげなレイの悲鳴のような叫びに、三人は堪える間も無く吹き出したのだった。




「お、ようやく到着だな。まずは精霊王にご挨拶しよう」

 先頭のギードがそう言ってベラから降り、手綱を引いて騎竜を止めておく場所に向かった。三人もラプトルから降りてその後に続く。

 預かりの木札を貰い、背中に座ったシルフに手を振ってから四人は中に入った。

「何度見ても見事なもんじゃな」

 高い天井を見上げて、ギードが感心したように呟いた。

 壁に灯された何百もの蝋燭が揺らめいている。反対も南側の壁には幾何学模様の色硝子が一面に嵌め込まれて圧倒的な存在感を放っていた。

 それぞれに蝋燭を買って、妖魔の石像が吐いている炎で蝋燭に火を灯す。それを壁の燭台の空いたところに差し込んで、真ん中に立つ見事な精霊王の石像の前で祈りを捧げた。

 レイの胸の中は、これから始まる新しい生活への期待と不安で一杯だった。オルダムでの新しい生活が良いものになりますようにと、願いを込めてもう一度頭を下げた。

 三人は、旅立つレイのこれからが良きものであるようにと、それぞれに心の底から願っていた。

 顔を上げた四人は、お互いに照れたように笑って立ち上がった。

「じゃあ次は今日の一番の目的、女神オフィーリアの神殿に行こうよ」

 レイの言葉に頷いて、一旦外に出た。

 よく晴れた秋の日差しに照らされた一行は、敷地内にある別の建物に向かった。

 入口横でまた蝋燭を買い、石の鳥が吐く炎で蝋燭に火を灯した。

 同じく壁側に作られた燭台に蝋燭を差し込んで、凛と立つ女神オフィーリアの石像を見上げた。

「本当に綺麗な方だね」

 優しげな微笑みを浮かべ、少し俯き加減の女神像を見上げたレイはそれしか言えなかった。

「こうやって見たら、母さんと似てるわけじゃ無いんだけどな……」

 前回来た時の事を思い出して小さな声で呟いた。

 そっと目を閉じて祈りを捧げた。



 その時、すぐ近くで啜り泣く声が聞こえた。



 驚いて顔を上げると、小さな少年が蹲って泣いていた。

「どうしたの坊や」

 慌ててレイが声を掛ける。祈っていた三人も顔を上げてこっちを見ている。

「母さんがね……母さんがいるの……」

 泣きながらそう言う少年を見て、レイは思わずその子を抱きしめた。前回自分の身に起こったのと同じ事が、おそらく彼にも起こったのだろう。

「大丈夫だよ。お母さんはきっと君の側にいるからね」

 泣きじゃくるその少年をレイは抱きしめたまま、泣き止むまでずっとその背中を黙って撫でてやっていた。



「えっと、君の家族は何処にいるの?」

 しばらくしてようやく泣き止んだ少年だったが、周りに保護者と思しき人がいないことに気付いて不安になった。

 少年は黙って首を振っている。

「え? どういう事?」

 思わず不安になって後ろを振り返った。タキスが不思議そうに覗き込んで来たので説明すると、彼も驚いたように少年を見た。

「坊や、ここにはどうやって来たの?」

「もしかして、神殿の孤児院の子じゃないか?」

 ギードの言葉に、レイは顔を上げた。

 その時、年配の女性僧侶がこちらに向かって駆け寄って来た。

「ここにいたのね。ここには勝手に入ってはいけないって言ったでしょう。すみません。この子が何かご迷惑をおかけしましたでしょうか?」

「大丈夫ですよ。あの、この子が女神像を見て泣いていたので……」

 納得したように、その女性はレイの手からその少年を受け取って抱きしめた。

「この女神像の事をご存知でしょうか?」

 僧侶の言葉に、レイは頷いた。

「実は僕も一度だけ、女神様に母さんの面影を見ました。涙が止まらなくて……」

 照れたようにそう言って笑うレイを見上げて、僧侶は少年をそっと離して小さく持っていたペンダントで祝福の印を切った。

「女神オフィーリアは、全ての子の母であり、全ての母の痛みと悲しみを受け止めます。きっと、貴方のお母上様もここにおられますね」

 そう言って笑った僧侶は、まだ泣いている少年をもう一度抱き上げた。

「普通は一度きりなのですが、この子は何故か何度も女神像に母の面影を見るらしく、母に会いたくて院を抜け出してはここに来るのです。恐らく、感応力の高い子なのでしょう。精霊の事も見えるようですので、将来は神官としてここで働いてくれる事を皆、期待しております」

「院というのは、ここの孤児院の事ですな」

 ギードの言葉に、彼女は小さく頷いた。

「どこの神殿の孤児院も、親を亡くした子であふれております。皇王様や地元の方々からの補助を頂いておりますが、どこも、何もかもが足りずに、恥ずかしながら子供達に満足のいくお世話が出来ぬのが現実でございます」

 顔を伏せた僧侶の言葉に、三人は思わずレイを見た。

「僕も、彼らと出会わなければここにお世話になっていたかもしれないです。坊や、大丈夫だよ。きっと、辛い思いをした分……幸せもいっぱいあるからね」

 何と言っていいのか分からずに、レイはそう言ってもう一度少年の手を取った。

「ありがとう。お兄ちゃん」

 小さな声でそう言った少年は、涙を拭いて顔を上げるとレイに抱きついた。

 まるであの日の自分のような、痩せた小さな少年を、レイはしっかりと受け止めて抱きしめた。

「さあ、戻りましょう。ありがとうございました。皆様に良き風が吹きますように」

 手を繋いで並んで頭を下げる二人を見送って。レイはタキスを振り返った。

「えっと、お兄ちゃんって言われちゃった」

 照れたように笑うレイに、タキスは言葉が出ずに、ただ背後から抱きしめたのだった。



「あ、ほら、あれじゃない?」

 気分を変えるように明るい声でそう言って、抱きつくタキスの腕を叩いたレイは、女神像の横にある小さなほこらを指差した。

 こじんまりとした祠の前に立った一行は、目的の場所を見つけて笑顔で顔を見合わせた。

 小さいが細かな細工が彫られた祠の中には、金箔に彩られた竜人の少年像が祀られている。その足元にはいくつもの花瓶に立てられた花があふれ、燭台には空きがないほどにぎっしりと蝋燭が立てられていた。

 黙って眺めていると、小さな少女と母親と思しき二人連れがエイベル像の前に跪いた。少女が持っていた花を花瓶に指し、母親が持っていた小さな蝋燭立てごと像の足元に置いた。

「えいべるさまおみまもりください」

 幼い少女が舌足らずな小さな声でそう言うと、手を合わせて像に向かって頭を下げた。

「どうぞこの子をお守りください」

 小さな声でそう言うと、顔を上げた二人はこちらに会釈して女神像に向かった。

「そっか、子供達の守り神になってるんだね」

 レイの言葉に、感極まったようにタキスが頷いて、そっと涙を拭った。

 それから、近くにあった椅子に座った四人は、飽きる事なく次々と現れる参拝者たちを眺めて時を過ごした。



「さて、そろそろ行きましょうか」

 立ち上がったタキスがそう言うのを見て、三人も立ち上がる。

「あのね、ちょっと思ったんだけど……」

 レイが言いにくそうにそうに口を開くと、三人は分かっていると言わんばかりに大きく頷いた。

「受付で聞いてみよう。孤児院にせめて寄付ぐらいはしたかろう?」

「うん。ありがとう」

 何も言わなくても分かってくれた三人に、レイは涙を堪える事が出来なかった。




「ありがとうございます。皆様に心からの感謝を。女神オフィーリアの加護がありますように」

 受付で申し込んで、孤児院を指定して多額の寄付をした四人に、何人もの僧侶達が現れてお礼を言ってくれた。

 彼女達に見送られて神殿を後にした一行は、ラプトルを受け取って大通りに出たのだが、何だかレイの元気が無いのが気になり、何となく端に寄って止まった。

「あの巫女様、いなかったね」

 ちょっとしょんぼりしたレイの言葉に、ニコスとギードも頷いた。

「確かにいらっしゃらなかったな。もしかしたら何かお勤めの最中だったのかもな。会えなくて残念だったな、レイ」

 からかうようなニコスの言葉に、レイは顔を赤くして舌を出した。

 それを見て、堪らずに吹き出すニコスとギードだった。

「ああ、話に聞いた花の鳥の作り方を教えてくださった巫女様ですね。残念です。私もお会いしたかったですね」

 二人から話を聞いていたタキスも、納得したように頷いて笑った。

「もういいよ別に、ちょっと気になっただけ! それでこの後はどこに行くの?」

 照れたように笑ったレイは、顔を上げて三人を見た。

「まずは、レイのリュックを直してもらいに店に行こう。すぐに直してもらえるとは限らんからな」

 ギードの言葉に頷いた一行は、リュックを買った店に向かった。



「ああ、これならベルトを継ぎ足せば大丈夫ですよ。お待ちください。すぐに出来ます」

 手渡されたリュックを見た職人は、笑って請け負ってくれた。

「じゃあ、待ってますのでお願いします」

 レイの言葉に頷いた職人は、リュックを机に置くと、戸棚から切った革のベルトの束を取り出して来た。

 何本か並べて同じ色合いのものを見つけると、手早く計って切り、ベルトの両端を不思議な形をしたナイフで斜めに削って綺麗に貼り合わせた。

 感心してレイが見ていると、顔を上げた職人が繋いだ部分を指差して教えてくれた。

「革は繋ぐ時は、こうやって斜め同士に削ったものを貼り合わせるんですよ。そうすれば厚みが一定になりますからな」

 何度か抑えて綺麗にくっついたことを確認したら、太い針と糸を使って手早く縫い目をつけていった。

 ベルトに位置を図って穴を開けたら、反対側のベルトの端も同じようにして手早く繋いだ。綺麗に縫い目をつければもう完成だ。

「すごい! ありがとうございます」

 お金を払って受け取ると、中身を戻して背中に背負ってみた。

「あ、すごい。これなら全然窮屈じゃないね」

 嬉しそうに笑うレイに、三人も笑って頷いた。

「おお、確かに余裕があると窮屈に見えないな。これなら背負っていても大丈夫だ」

「良かったですね。これでまだまだ使えますよ」

「しかし、さすがに手慣れておった。見事だったな」

 ギードは、革職人の手慣れた作業に感心しきりだった。

 その後は、ラプトルの手綱を引きながらのんびりと歩いて店を見て回り、時々買い物を楽しみながら日が暮れるまで街歩きを楽しんだのだった。




 宿に戻った一行は、食堂で自慢の夕食を食べた。ギードは分厚い薫製肉の盛り合わせ、ニコスとタキスはモモ肉の煮込みシチューを頼み、レイはこの店自慢の柔らかい挽肉の団子を頼んだ。

 秋の恵みのキノコのソースがかかった挽肉の団子はとても美味しくて、レイも大満足だった。

「レイもそろそろ酒くらい飲んでみるか?」

 食事の終わりかけの頃に、ギードが手にした赤ワインの瓶を見せながら笑った。

「飲めるかな?」

「以前飲んだ酒とは違い、これは葡萄が材料ですから、確かにこれなら初めてでも飲みやすいのでは?」

 ニコスも笑ってそう言うと、バルナルに頼んでグラスを貰い、少しだけ入れてくれた。

「まあ、何事も経験だ。飲んでみなされ」

 楽しそうなギードに勧められるままに、レイは赤ワインを一口飲んでみた。

「あれ、これ……美味しいね。僕、これなら飲めそうだ」

 顔を上げて、目を輝かせるレイに、三人も笑顔になった。

 残りを食べながら、レイも少しだけ赤ワインを楽しんだのだった。

 しかし、食後のお薬を飲んでカナエ草のお茶を飲んでいるうちに、どんどん真っ赤になってしまい、三人にからかわれて拗ねるレイだった。

 ちょっと世界が回っているのは、気のせいだって事にしておいた。



 そんなレイを、シルフとウインディーネ達が、机に並んで楽しそうに眺めていた。


『お酒お酒』

『美味しい美味しい』

『楽しい楽しい』

『くるくる』

『くるくる』

『世界が回るよ』

『大丈夫?』

『大丈夫?』

『酔っ払い酔っ払い』


 楽しそうに笑う彼女達は、そう言って次々と赤くなったレイの腕や頬に何度もキスをした。

 それを聞いた三人は、慌ててレイを部屋に連れて戻ったのだった。

 その日のレイは、湯も使わずにベットに撃沈したのだった。

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