キーゼルの戦い

 タガルノの森に散ったアルカディアの民達は、ラプトルを使って次々に北の三番目の封印箇所に到着していた。

 特に何か目印があるわけでは無いその場所には、大きな天幕が張られて何人もの兵士達が慌ただしく出入りしていた。

 しかし、茂みの中からその様子を見ていたキーゼルは、何故か違和感を拭えなかった。黙って監視を続けていたが、自分でも何がおかしいのか分からず苛立ちが募った。

「何だこの感じは……まるで、出来の悪い芝居を見せられているようだ」

 声に出してそう言った時、違和感の正体が分かった。

 慌ただしく出入りする兵士達は、よく見れば特に何かをしている訳では無い。術者達も辺りを歩き回っているがこれも何かをしているわけでも無い。それどころか、よく見ればその動きは一定でまるで操り人形の群れようだった。

 それに気付いた瞬間、キーゼルの全身に鳥肌が立った。

「くそっやられた。おい、戻れる者だけでも第一の場所に戻るぞ」

 第一の場所とは、先程までいた最初の封印が破られた場所だ。

「おいどうした。何故戻る。一戦やらかすんだろ?」

 驚いたバザルトの言葉に、振り返ったキーゼルは怒鳴り返した。

「我々は嵌められたんだ。今すぐ戻らないと最悪の事態になるぞ。奴らの狙いは、初めから第一の場所だったんだ」

 そう叫んで、一気に転移の魔法でいなくなった。

「おい! いきなり一人で飛ぶな! この馬鹿野郎が!」

 焦ったバザルトが、慌てて自分も転移の術を発動させていなくなった。それを見た数人が慌てたように転移の魔法で後を追った。

 周りで呆気にとられていた若い連中は、慌てて彼らの乗っていたラプトルを集め、その手綱を取って第一の場所に向かった。

「あれ? どうした? 一戦やらかすって聞いたから飛んで来たのに」

 ラプトルを引いた一行に声を掛けたのは、茂みから現れた同じくラプトルに乗ったガイだった。彼はキーゼルの命令で別の封印箇所に行っていて、丁度戻って来たところだったのだ。

「ガイ、一戦やらかすのはここじゃ無いらしいぞ。第一の場所だ」

「了解、じゃあ行くとするか。俺のラプトルもよろしくな」

 軽い言葉とは裏腹に真剣な顔でそう言うと、ガイも転移の魔法を発動させて即座にその場からいなくなった。

 別の者が、小さなため息を吐いて彼の乗っていたラプトルの手綱を取った。

「行こう。時が惜しい」

 頷いた彼らは、ラプトルに鞭を当ててものすごい速さで走り去って行った。




「ちっ、やはりこっちが本命か」

 茂みから覗いたキーゼルが、舌打ちをして忌々しげにそう呟く。

 彼らがテントを張って集会所にしていた広場は、今はタガルノの兵士達が何人も集まっていた。問題の封印が施されていた場所の真上には、既に大きな天幕が張られていて近付けない。

 その時、小さな地響きが聞こえた。

 そしてそれに合わせるように、足元の地面が僅かに震えたように感じられた。

「始まったな。もう一刻の猶予も無い。今いる者だけで始めるぞ」

 腰の剣を抜きながらキーゼルが立ち上がった。

 周りにいた者達も、頷いて同じように剣を抜いて立ち上がった。

「シルフよ、我が剣に集まれ!」

 キーゼルの声に、ミスリルの剣が輝きを増していく。

 周りには数え切れないほどのシルフ達が現れて、まるで吸い寄せられるように剣を中心に渦を巻き始めた。

 周りの者達の剣にも、ある者にはウィンデーネが、またある者の剣には火蜥蜴達が同じように現れて渦を巻いた。

 そして、それに吸い寄せられるように、周り中の木々が騒めき大きくその枝を揺らした。

 キーゼルは、剣を両手で捧げるように高々と振り上げた。

「唸れ風よ。奴らを切り裂け!」

 そう叫んでそのまま力一杯振り下ろした。それに合わせるように、剣からシルフ達が一気に解き放たれてタガルノの兵達のいる天幕に殺到した。

 遅れて放たれた、他の者達のシルフも、同じように一気に天幕に押し寄せた。

 ものすごい轟音と共に突風が吹き荒れて、まるで紙切れが破れるように、丈夫なはずの天幕が引き裂かれる。竜巻が音を立てて辺りを駆け回り、ありとあらゆる者が巻き上げられてなぎ倒された。

「な、何事だ?」

「何だ何だ?」

 全く何が起こったかすら分からぬままに、多くの兵達が悲鳴と共に風に巻き上げられて地面に叩きつけられる。続いて放たれた火蜥蜴達が、炎の熱風となって倒れた天幕に襲いかかった。残っていた者達が炎に巻かれて逃げ惑う。その後ろに、水の刃が襲い掛かった

 そこに、ようやく到着したラプトルに乗った後発の者達が、剣を抜き放って襲いかかった。



 決着がつく迄は、あっという間だった。



 静かになった時、その場に立っているのは、アルカディアの民達だけだった。

 しかし、彼らはまだ剣を抜いたまま、燃え尽きた天幕のあった場所を睨みつけていた。

 誰一人声を出さず、抜身の剣を手にしたままそれが起きるを待っていた。




 やがて、まだ火を残した瓦礫が下側からゆっくりと持ち上げられて、何かが起き上がって来た。

 燃え残った僅かな布を纏ったそれは、まるで墓場から這い出して来たような、腐った肉を僅かに残した骸骨だった。

 辺り一面に、腐臭と肉の焼ける臭いが立ち込める。

「お、お……のれ……」

 ギクシャクとした不自然な足取りだった骸骨は、ゆっくりと顔を上げて辺りを見回した。

 そして、己を睨みつけるキーゼルを見た時、ニタリと笑ったのだ。



「みつ……けたぁ……つ、よき……力を、持つ……者、よ」



 辺り一面、突然霧がかかった様に視界が悪くなる。

 それと同時に、何処からともなく白い雲のような物が固まりになって現れて、骸骨の周りに集まり始めた。

「ア、ア、ア……」

 突然、絞り出すような奇声を発して骸骨がキーゼルに飛びかかって来た。ミスリルの剣で切りかかったキーゼルの顔が、驚きに見開かれる。

 骸骨は、キーゼルの剣に切られて崩れ落ちた。しかし、瞬きする程の間に、バラバラになった骨が目の前で組み上がって元通りになったのだ。

「下がってください!」

 そう叫んだ背後にいた者が、骸骨めがけて炎を飛ばす。一斉に全員が放った炎に、骸骨が焼かれて巨大な火柱になって燃え上がった。

 キーゼルが転がって距離を取る、しかし剣はまだ握ったままだ。

「無駄だ……この程度の炎で、我を焼けると思うな」

 骸骨が手を振ると、燃え上がっていた炎が一気に消えてしまった。

 骸骨の顔に、年老いた男の顔が重なった。ニンマリと邪悪な笑みを浮かべたその男は、再びキーゼルを見た。

「ようやく見つけた。贄となるだけの力を秘めた者よ。これで材料は揃った。ようやく我が願いが成就するぞ!」

 突然、なめらかな言葉で喋り始めた骸骨を見て、キーゼルは小さく笑った。

「出来るものならやってみるがいい!」

 そう叫んで自分の持っていたミスリルの剣を、地面に突き立てた。

 その時、茂みの中から何人かの黒衣の者達が現れて叫んだ。

「キーゼル! 終わったぞ!」

「よし。ご苦労だった」

 そう言って小さく笑うと、キーゼルは目を閉じて呪文を唱え始めた。

「我、ここに時の繭を紡ぐ者なり。我を贄としてこの邪悪なる者を時の繭に閉じこめよ。決して開く事無く永劫の時の中に閉じ込めよ。我らが守りの星よ、我に力を!」

 キーゼルが、呪文を唱え始めた途端、骸骨が硬直して喚き始めた。

「おのれ、何をした! まさか……まさか、時の繭だと!」

 骸骨から白い煙が出て来て逃げようとしたが叶わなかった。

「何故だ!なぜ離れられぬ!」

 恐慌状態を起こしたように、喚き散らす骸骨だったが、完全に術に捕らわれて動く事さえ出来なくなっていた。

「お前のいる所を中心に、魔法陣が描かれているんだよ。迂闊だったのは、のこのこ出て来たお前の方だ」

 口元だけで笑ったキーゼルがそう言い、剣に両手を掛けて再び呪文を唱える。

「閉じよ、時の繭。未来永劫これを開く事……」

「させぬぞ……そうはさせぬ!」

 硬直して動けなかったはずの骸骨が、突然地面に膝をつき両手を地面に叩きつけた。



 地響きが起こる。



 その時、黒い影が骸骨の手の中から現れて一瞬のうちにいなくなった。

「何をした!」

 顔を上げた骸骨は、おかしくて堪らぬとばかりに、甲高い声で笑い出した。

「我の眷属を紅玉の主の元へやったぞ。ただの人間如きに、果たして我の眷属を斬る事が出来るかな?」

「貴様!」

「どうした!束縛が緩むぞ!」



 それは、剣を持って戦うのとは全く別の次元の、しかし熾烈な戦いだった。



 キーゼルの、剣を持つ手が震える。

「どうしたどうした。もうおしまいか?」

 骸骨の上に浮かんだ男の顔が、嘲るように歪む。

 キーゼルが片膝をついて剣に覆いかぶさるように体を倒すと、風が舞い周りの小石がまるで踊っているかのように跳ね回り、木々が木の葉を散らした。

 彼の食いしばった口元から血が一筋流れて落ちる。



 その時、背後で事の成り行きを見守っていたバザルトが、己の剣を鞘に収めてキーゼルの元に駆け寄った。

 剣を抑える彼の手に、自分の右手を重ねて握る。

「どうした?お前ともあろう者が、あんなのに押されてるじゃないか」

 左手を背中に回して力一杯叩き、重ねた右手に力を込める。

「抜かせ。ちょっと休んでただけだ」

 軽い口調でそう言って、再び顔を上げて骸骨を睨みつけた。

「おのれ……小賢しい小物共が!」

 しかし、バザルトの加勢により再び形勢は逆転していた。

「諦めろ。もうお前は完全に術中にいる」

 再び立ち上がったキーゼルが、目を閉じて呪文を唱え始める。

「閉じよ、時の繭。未来永劫これを開く事あたわず!」

 術が完成したその瞬間、骸骨の足元から光の柱が何本も立ち上がった。まだ暮れるには早い青い空に、立ち上がった光の柱は全部で十二本。

 骸骨を中心に、綺麗な円に配置されたその柱は、次第に中心に向かって収束していった。

「やめろ、やめろ。やめろ!」

 光の柱に完全に取り込まれた骸骨の悲鳴が辺りに響いた時、キーゼルが突然、自分を支えていたバザルトを突き飛ばした。

「お前まで来る事は無い。すまんがあいつの面倒を見てやってくれよな」

 突き飛ばされて倒れ込んだまま、バザルトは呆然と友の顔を見る、彼は笑っていた。

 周りの者達も、言葉も無くただ見守るしか出来なかった。

 ゆっくりとした足取りで光の柱に歩み寄った彼は、そっとその柱に口付けた。



 先程とは比較にならない程の地響きがして、周りの者達は皆、立っていられずに膝をついた。

「な、なんだあれ……」

 地面に尻餅をついたガイが茫然と呟くが、誰もそれに答えることが出来なかった。

 キーゼルが立っていた場所に、突然一本のオークの樹が現れたのだ。それはみるみるうちに巨大になり、根を張り、幹を伸ばし、更に大きくその枝を広げた。

 僅かの間に、そこには一本の巨大なオークの樹が聳え立っていた。骸骨もキーゼルも、もう何処にもいなかった。



 それまで静かだったシルフ達が突然現れて、その全ての子達が泣き喚き始めた。



『いなくなった!いなくなった!』

『オークの中に取り込まれた!』

『贄は捧げられた!』

『どうしてどうして』

『大好きなのにいなくなった』

『嫌よ嫌よ帰って来て!』

『帰って来て!!』

『嫌! 嫌! 嫌!』


 その声に、金縛りにあったように動けなかったアルカディアの民達が、次々と顔を上げた。

 バザルトが、ゆっくりとオークの樹に歩み寄り、そっと巨大な幹に手を当てて小さく息を吐いて目を閉じた。



 そしてそっと幹に手を当てて近づき、優しく口付けた。



「見事だ、キーゼル。お前の最後の大仕事。確かに見届けたぞ」

 その言葉に、次々と黒衣の者達が幹に手をやり同じように口付けを送った。

 最後に残ったガイは、まだ呆然としたままフラフラと巨大な樹に歩み寄り、隣にいたバザルトを見た。

「これが……キーゼル?」

「そうだ。時の繭を紡ぎ閉じる。我らにとっては究極の魔法だ。まさに己の命と引き換えのな……」

 同じように手を当てて口付けたガイは、そのまま幹に縋るようにして膝をつき、大声を上げて泣き出した。

 あたりを憚らず、子供のように大声で泣いた。

 しかし、誰一人笑う事無く、その場で彼に寄り添った。






「アルカディアの民達が、集まってからすでにひと月以上、そろそろ動きがあるのでは無いか?」

「もう、九の月の半ばですからな、向こうも焦れているかも知れんな」

 会議室にいるのは、アルス皇子とマイリー、ヴィゴとルークだ。

 ルークの怪我はもう殆ど握力も戻り、無茶な事さえしなければ大丈夫だと医者からも言われて、普段は通常業務に戻っていた。

 しかし、マイリーの補助として案外優秀だと認められたようで、時々こうして会議にも呼ばれているのだ。

「今の所、タガルノ側にも特に大きな動きは無い。国境付近で、追い剥ぎまがいの兵隊崩れの連中がまた現れ出しているぐらいだから、相当規律は緩んでいるようだ。国境の砦には、十分警戒するように伝えてある。それからミスリルの鎧についてだが、ドワーフのギルドの協力を受けて、製作はもう最終段階だそうだ」

 淡々と、報告をするマイリーを、端に座ったルークは内心呆れ顔で眺めていた。

「それってつまり、もう出来上がってるけど飾り付けに時間をもらってるよ。って事ですよね」

「まあ、そうとも言うな」

 ルークの渾身の混ぜっ返しを一言で切り捨てたマイリーは、そのまま次の報告に移った。

 アルス皇子とヴィゴは、撃沈されて机に突っ伏しているルークを見て笑いを堪えるのに苦労していた。

「それから、蜂蜜の生産についてだが……」



 その時突然、会議室の扉が叩かれて、伝令の兵士が現れた。



「会議中失礼します! 国境の十六番砦より緊急連絡です。タガルノからの攻撃を受けているとの事です。それっきり、連絡がつかなくなりました」

 その場にいた全員が立ち上がった。

 ヴィゴとルークは、顔を見合わせて頷きあうと、そのまま一礼して走って会議室を出ていった。

 マイリーとアルス皇子は、出撃報告の為に皇王の元へ大急ぎで向かった。

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