夕食とお土産

 居間に入ったヴィゴとルークの二人は、思わず笑顔になった。

「うわ、良い匂い」

「これは、シチューですかな?」

 食後のお茶の為の準備をしていたレイが、空のポットを手に振り返った。

「そうだよ。今日のシチューは僕の大好きなヤギの乳とチーズがたっぷり入った白いシチューなんだって。どうぞ座って待っててね。もう出来るから」

 そう言って、蓋をしたポットをワゴンに置くと、戸棚からサラダを盛り合わせた大きなお皿を取り出して机に置いた。サラダのレタスの葉の上には、ウィンディーネが座って手を振っていた。

「レイ、シチューは用意するから、サラダを取り分けてくれるか。ギードが薫製肉を切ってくれてるから、それと一緒に盛り合わせてくれ」

「分かった。ウィンディーネご苦労様。取り分けるからもう良いよ」

 レイが大きなフォークとスプーンを手にお皿に向かってそう言うと、座っていたウィンディーネが頷いてから手を振っていなくなった。

 手早くサラダを取り分けて、レタスの上に細かく砕いた炒った胡桃を散らす。それからギードが切ってくれた分厚い薫製肉を、何枚もまとめて綺麗に同じ皿に盛り合わせた。横に置いてあった小鍋に入っていたソースを薫製肉にかけてから、それぞれの席に置いて回った。

「どうぞ。この薫製肉は、皆で作ったんだよ」

 ニコスからシチューの入ったお皿を受け取って、これもそれぞれの席に置いていく。ニコスが、窯からパンを取り出して籠に盛り合わせて持って来ると、受け取ったレイが机の真ん中にそれを置き、小皿にパンをトングで取り分けた。

 二人が感心して見ているうちに、あっという間に準備が整えられて、戻ってきたニコスと一緒にレイも席に着いた。



「今日も、命の糧を与えてくださった全てのものに心からの感謝を。精霊王の恵みに祝福あれ」

 それぞれが、顔の前で手を組んで精霊王への祈りを捧げた。

 ニコスが立ち上がって、大人達に自慢のワインを注いで回った。レイの前にはキリルのジュースが置かれている。

「これは美味い。城の料理人に勝るとも劣らぬ味だ」

 薫製肉の好きなヴィゴが嬉しそうにそう言い、隣ではルークも頷いていた。

 ちなみに、まだ左手が不自由なルークの分は、ギードが予め小さく切ってくれてあったので、片手でも食べる事が出来てルークはいたく喜んでいた。

「このワインも美味い。肉料理とぴったりですな」

 嬉しそうにギードが笑って、もう一度乾杯した。

「お城のご飯も美味しかったけど、やっぱりニコスの作るご飯が一番美味しいよ」

「おや、嬉しいことを言ってくださる。まだたっぷりありますから、お代わりしてくださいね」

 満面の笑みで頷くレイを見て、ニコスとギードは、彼がここにいる幸せを噛み締めていた。



 食後のデザートは、ニコスが作った桃の甘露煮だ。冷たく冷やした桃に、真っ白なクリームが添えられている。

「柔らかいですから、そのままスプーンで召し上がってください」

 片手でスプーンを使っていたルークが、驚いたように声を上げた。

「本当だ、柔らかいから、簡単にスプーンで掬えましたよ」

 嬉しそうにそう言うと、一口食べてまた笑った。

「駄目だ。帰りたくなくなってきたぞ」

「確かにこれは、そう言いたくなるほどの美味しさだ。いや、ニコス殿。レイルズから貴方の作られる料理が美味いと聞いておりましたが、本当にその通りですね。感服致しました」

「とんでもありません。美味しいのは、ここで取れる食材のおかげですよ」

「調味料とお酒以外は、ほとんど全部ここで作ってるものだよ」

 自慢気なレイの言葉に、二人は目を見張った。

「自給自足……成る程な。素晴らしい」




 デザートが終わってから、レイが全員分のカナエ草のお茶を用意した。なんとなく、ニコスとギード以外はレイが何をしたいのか分かって、黙って見ている。

「あのね、これは特別製のお茶なの。竜騎士の人達は皆、これをいつも飲んでるんだよ」

 竜熱症と竜射線については、タキスから聞いていたが、カナエ草のお茶の事までは聞いていなかった二人は、感心した様にカップを手に取り香りを楽しんだ。

「ほお、中々良い香りだ」

「確かに、色はやや薄めだが香りは抜群だな」

 残りの者たちが誰も飲もうとしない不自然さに気付かず、二人がお茶を口に含んだ。


「ゲフッ!」

「おおう、おう」


 二人揃って妙な声が出て同時に口を押さえた。それを見た全員が、同時に吹き出す。

「おい、ほれ……」

「いっひゃいにゃにを……」

 口に含んだ分をとにかく飲みこんだ二人が、痺れた口で変な声を上げる。

「はいこれ、今度はこっち」

 手早く用意した蜂蜜入りを渡す。二人は横目でレイを見たが、黙って少しだけ飲んでくれた。



「あれ?これは美味しいぞ?」

「おお本当だ。それに、口の痺れも治ったぞ」

 蜂蜜をたっぷり入れたそのお茶をもう一口飲んで、二人は呆気に取られている。

 そこでヴィゴが、そのお茶の本当の理由を教えてやり、タキスと一緒に、エイベルの事も全て話して聞かせた。

 タキスの事情を知っていた二人は、堪えきれずにタキスの側に駆け寄り、何度も抱き合って涙を流した。

「良かったな。本当に良かったな」

「そうか、そう言う事だったんだな。本当に良かった」

 三人が落ち着くまで、レイと二人の竜騎士は無言で見守っていたのだった。

 その後は、レイが城での事を思いつくままに話し、時々ルークが説明不足の部分を補ってやりながら笑い合い、何時迄も土産話は尽きなかった。




「そうそう、お土産の箱を開けるだけでもしておかないとな」

 飲み終わった食器を片付けながら、ニコスがそう言うと、ギードが頷いて廊下へ出て行き、レイが慌ててその後を追った。しばらくすると、二人は手分けして台車ごと居間までまとめて運んで来た。

「ええと、これは私が師匠から頂いた本が入った箱ですね」

 一番上にあったやや小ぶりな箱二つを下ろしながらタキスがそう言い、ギードが持って来た釘抜きで打ち付けられた蓋を開けた。

「医学書や論文です。これは私の書庫におきますね」

 嬉しそうなタキスの言葉に、頷いたギードが一緒に台車に乗せて持って行った。

「さて、こっちは何が入ってるのかな?」

 次に開けた箱には、ぎっしりと布が入っていた。しかも、それは綺麗な光沢のある見たことのない生地だった。

「綺麗。初めて見る生地だね。これは何の生地?」

「驚いた。絹なんて見るのは何年振りだろう」

 一巻き手に取って優しく撫でながら、ニコスが感極まったように呟いた。

「レイ、これは絹と言って、虫の幼虫が作る繭から採った糸で織られた織物ですよ。貴族の方がシャツや夜着などに使う、とても高価な品です。それをこんなに沢山……」

 薄物の絹の下には、厚手の絹も入っている。

「こっちは礼服などにも使われる物ですね。でもさすがにこれは……」

 黙ってレイを見て、小さく頷いた。出来るだけレイの為の服を作って、王都へ行く時に持たせてやろう。そう決心して次の箱を開けた。

 その箱には、冬用の毛織り物の生地が何枚も入っていた。

「素晴らしい。これも良い物だ」

 隣の箱には、王都でしか手に入らないような珍しい食材がぎっしりと詰まっていた。もう一つの小振りな箱には、透明な純度の高い砂糖がぎっしりと入っていた。

 それを見たニコスは、思わず歓声を上げた。

「これは素晴らしい。これほどの砂糖は、我々では手に入らないよ」

 戻ってきたタキス達も加わって、残りの箱も開けていく。

 一際大きくて重い箱を開けたギードが、堪え切れない歓声を上げた。

「これはウイスキーの三十年物ではありませんか!おお、こちらはグラスミアの最高と言われる、九十六年製の赤ワイン!」

 他にも何本もの珍しいお酒の入った大きな箱を抱えて大喜びのギードに、見ていたレイは吹き出した。ヴィゴとルークも笑っている。

「良かったねギード。大事に飲んでね」

「はい、ありがとうございます」

 三十年もののウイスキーを抱きしめるようにしながら、ギードは何度も頷いていた。

「これ程の土産を頂いて、なんとお礼を言って良いのか……」

 恐縮するニコスに、ヴィゴがそっと耳打ちした。

「本以外は、全て王妃様からの贈り物です。レイルズの王都での後見人になるお方です」

 後見人の話は、タキスから聞いて知ってはいたが、正直、半信半疑だったのだ。しかし、正真正銘の竜騎士であるヴィゴの口から聞かされては、もう疑う余地は無かった。

「森にいれば忘れそうになりますが、古竜の主とはそれほどのお方なのですよね。自分達が寂しいからと、レイをここに閉じ込めるような事をしてしまいました。挙句に、無知が原因で危うく彼を死なせるところでした。どうかお許し下さい。本来ならば、彼が竜の主になった事を、すぐにでも王都へ知らせるべきでしたのに……」

 深々と頭を下げたニコスに、ヴィゴは首を振った。

「そちらの事情は理解しております。どうかその事はもうお気になさらず」

 そう言って、笑ってニコスの背を叩いた。

「しかしそれならば……そうか、レイの為の薬とお茶は、結局ここには届いていなかったのですね」

 不思議そうに顔を上げたニコスを見て、ルークもため息を吐いた。

「残念。一つくらいは届いてるかと思ってたんだけどね」

「何の事?」

 レイも不思議そうにこっちを見ていたので、ルークは簡単に、彼らがここにお茶と薬を届けようとしていた事を話した。

 竜騎士達がレイの為に、手を尽くして何とか薬とお茶を届けようとしてくれていた事を、彼らはこの時初めて知ったのだった。

「我らがブレンウッドの街へ買出しに出かけたのは、花祭りの期間中だったのです。ならば、まさに入れ違いになったのですね」

 申し訳なさそうに、ギードがそう言って頭を下げた。

「じゃあ、秋に買出しに行ったら、その薬とお茶の束がギルドから届く訳だね」

 笑ったレイに、ルークも苦笑いしていた。

「あの手紙って、今読んだらしっかり意味が分かると思うけど、全く何も知らない状態であの手紙をもらったとして、果たして薬とお茶を飲んでくれたかどうか、俺は今でも疑問に思ってますよ」

 ルークの言葉に、タキスも苦笑いしていた。

「そうですね、必死になって下さった皆様には申し訳ないのですが、正直に申し上げて、恐らくはどちらも飲ませなかったと思います。ましてや、あの味ですからね……」

「確かに、あのお茶を蜂蜜無しで飲めって言われたら、僕、間違いなく泣いてるよ」

 あのお茶の苦味を知った一同は、同時に吹き出したのだった。




 生地は、ニコスの作業部屋に運ばれ、お酒は一部をギードが自分の家へ持って行き、残りを地下の食料庫に保管した。食材も手分けして食料庫へ運んだ。

 手伝ってくれたヴィゴとルークは、地下の広い食料庫を見て驚きのあまり言葉が出なかった。

「すごい……どれだけあるんだよ」

「野菜や果物は、ウィンディーネ達に管理させておるんですか。確かにそれならば、普通の何倍も保存がききますね」

「今は夏だから少ないんだよ。冬の初めには棚一杯にぎっしり詰まってたよ。あ、お肉はもう一階地下の別の場所に保管してあるの」

 レイの言葉に、二人はもっと驚いた。

「この森の冬は長く厳しいんです。吹雪が何日も続く事もあります。食料の備蓄は、そのまま生き延びる事に直結しますからね。決して疎かに出来ません。贅沢と言われるかもしれませんが、特に、家に閉じこもる冬場は、食事ぐらい美味しくいただきたいでしょう?」

 タキスの言葉に納得した二人は、食材を棚に詰めるのを手伝った。ニコスは恐縮していたが、ヴィゴもルークも初めての体験に、実はとても楽しんでいたのだった。

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