石のお家
坂道を下り、懐かしい我が家に入ったレイは、無言で丸くなった高い天井を見上げていた。
石をくり抜いて作られたこの家は、全ての部屋や廊下の天井が丸いドーム型になっている。特に玄関を入ってすぐのこの場所は天井が高い。
「ほら入って。何だよレイ、そんなところで立ち止まって」
後ろから台車を押したニコスとギードが入って来て、レイは慌てて横に避けた。
「先にお部屋にご案内します」
台車を玄関横に置いて、ニコスが振り返った。
「じゃあ、その間に僕は騎竜達と家畜達のお世話してくるね」
タキスも頷いて一緒に来てくれたので、ギードと三人で厩舎に向かった。
ルークとヴィゴの二人は、あっと言う間にいなくなってしまった彼らを呆然と見送っていた。
「どうぞこちらへ」
ニコスの声に、我に返った二人は、慌てた様にニコスに向き直った。
「お邪魔とは思いますが、我らも厩舎へ行ってもよろしいでしょうか?」
驚くニコスに、ルークが小さな声で照れた様に笑いながら言った。
「とにかく、こっちでのレイルズの様子を見てくる様に、って言われてるんですよ。騎竜達の世話は分かりますが、家畜の世話って何をどうするのか……」
納得したニコスは頷くと、一旦居間のソファに彼らの荷物を置いて、そのまま一緒に厩舎に向かった。
「すごかったんだよ。渡り廊下はこーんな大きな石の柱がいっぱいあって、その全部に、すごく細かい細工の石像があるの。あれ、夜になったら動きそうだったもん」
作業をしながら話している、レイの楽しそうな声が彼らにも聞こえてきた。
「オルダムの城の細工なら、建設当時のドワーフの技の全てを以って作られたのだろうからな。それは見事だろう」
「ギードは、オルダムには行った事あるの?」
「ええもちろんです。でもまあ、ワシがおったのは下町の方でしたからな。一の郭以上は、一般の者は許可なく入れませんからな。我らにとっては城は遠くから眺めるものでしたぞ」
「結局僕らは、街には出られなかったね」
「そうですね。まあ当然でしょう。正式に向こうへ行ったら街に出る事もあるでしょう。言っておきますが、絶対迷子になりますから勝手に出歩いてはいけませんよ」
「あれ? ルーク、ヴィゴも、どうしたの?」
顔を上げたレイが、厩舎に入って来た彼らに気付いて驚いた様な声を上げた。
レイは、首に汗拭き用の布を掛けて、大きなフォークの様な道具を持っている。
「おお、広いんだな」
感心した様にヴィゴが周りを見渡してそう言い、ルークはレイが持っている道具に興味津々だった。
「俺達は見学。騎竜の世話ぐらいはまあ知ってるけど、家畜の世話って何をするのかなって思ってさ。邪魔しない様にするから見学させてくれよ」
思わずレイは隣にいたタキスと顔を見合わせた。
「そっか、ルークやヴィゴにしたら、ここでの生活は知らない事だらけだね」
嬉しそうに笑ったレイは、自分が手にした道具や、今何をしてるのかを実際にやりながら、一生懸命二人に説明していた。
「うわ、重いんだな。これを持って作業してたら、確かに腕に筋肉が付くよ。ほらヴィゴ、持ってみてよ」
ルークが、レイが使っていた
「これは、干し草を解したり、汚れてる部分を取ったりするのに便利なんだよ。梳き鍬とか、ピッチフォークって呼んでる」
「ほお、確かにしっかりした重さだな。力の無い者が持てばそれだけで疲れそうだ」
「片手でそれを持ったヴィゴに言われても、全く説得力がないよ」
呆れた様なレイの言葉に、聞いていた全員が吹き出した。
「騎竜のお世話はこれくらい。じゃあ、厩舎へ行くけど……」
レイは思わずタキスに小さな声で話しかけた。
「ねえ、二人は厩舎に入ってもらっても大丈夫かな?僕らは平気だけど、結構臭うよね」
そう言われて思わずタキスも考えてしまった。確かに厩舎には独特の獣の匂いがしている。特に気温の高い夏場は、正直言ってかなり臭い。
「まあ、これも経験です。もしも嫌がられる様なら、すぐに外に出てもらえば大丈夫でしょう……多分」
自信なさげなタキスの言葉に、レイも困った様に笑った。
「えっと、ここが家畜達がいる厩舎だよ。乳を取る為の白黒の牛が一頭と、黒角山羊が二頭、この子達は乳も取るし毛も梳くよ。それから卵を取る為の黒頭鶏が六匹いるよ。厩舎はちょっと臭うけど……大丈夫?」
心配していたが、二人とも平気な顔で、興味津々に厩舎の中を覗き込んでいた。
「良かった。大丈夫みたいだね」
小さな声でそう言って笑い、牛と羊達にブラシをかけてやり、干し草をばらして足元に配ってやった。
一旦家に戻り、ルークとヴィゴをニコスが用意した部屋に案内した。何となくレイ達も一緒について行った。
「こちらの部屋と、隣の部屋をお使いください。ここは部屋同士が繋がっておりますので、廊下に出ずに部屋を行き来する事も出来ます」
「へえ、石の家ってこんな風になってるんだ」
ルークが天井を見上げて楽しそうな声を上げた。
「ドワーフの技とは素晴らしいな。此処は丘の下の岩盤だろうに。それをここまで見事にくり抜いてしまうとは。いやはや、良い物を見せてもらったな」
ヴィゴも関心した様に呟いている。
「外は暑かったけど、部屋の中ってすごくひんやりしてるよね。これは何かしてるの?」
「これも、ドワーフの技でございます。石をくり抜いておる事で、外気温ほどの急激な温度の変化は有りませぬし、風の通り道を作って有りますので、シルフに頼らずとも、自然と岩盤で冷やされた冷たい風が通るようになっております」
「すごいな。でも、逆に冬は寒そうだね」
石の壁を触りながら、ルークがそう言ったが、レイが自慢気に首を振った。
「もちろん廊下は寒いけど、部屋の中はすごく暖かいよ」
「居間の暖炉と
ギードの説明に、二人は目を見張った。
「すごいな、石の家」
ルークの言葉に、レイも嬉しそうに頷いた。
「食事の支度をしてきますので、どうぞごゆっくり。湯をお使いになるのでしたら、こちらに、狭いですが浴室が在りますのでお使いください」
扉を開けて説明するのをヴィゴが横に立って聞いていた。
「ここは客室だから、お部屋に浴室が付いてるんだね」
レイの言葉に、ルークが不思議そうに聞いた。
「浴室は各部屋についてるんじゃないのか?」
「僕らは、別の部屋にある大きな浴室を共同で使ってるよ」
「へえ、それも見てみたいな」
「良いよ。見てみる?」
そう言って嬉しそうに、二人は廊下へ出て行った。
「何だ、どこへ行くんだ?」
それを見たヴィゴが、後からついて来た。
「ほらここだよ。お湯はウィンディーネに沸かしてもらうから、火は使わないよ」
扉を開けて、脱衣所と奥の浴室を見せた。天井が高く、真ん中に床と一体化している大きな石を削って造られた湯船がある。
思っていた以上の石の家の豪華な造りに、二人はただ関心しているだけだった。
「レイの部屋は? 見せてくれるか?」
浴室の扉を開けながら、ルークが笑いながらそう言った。
「良いよ、こっち!」
早足で廊下に出た二人に、ヴィゴ達もついて行った。
「おお、広いな。へえ……良い部屋じゃん」
久し振りの自分の部屋に、レイも嬉しくてベッドに飛び乗った。
「お勉強は、食事の後に居間でするから、ここでは本を読んだりちょっと自分で勉強するくらいだよ」
しかし、机の上のトレーに置かれた万年筆を見て、ヴィゴは本気で驚いた。
そっと手に取って見たが、間違いなく本物の胡桃の木で造られた万年筆だ。傍に置いてあるインク瓶も、王都で使われているものと比べても、遜色の無い、濁りの無い上質の物だ。
「あ、これが言ってた精霊王の本だね」
机に二冊重ねて置かれていた本を見て、ルークがそれを手に取って関心したように言った。
「へえ、製本もしっかりしてるし、これ革表紙だぞ。題名が金で箔押しまでしてある……」
しかもよく見ると、紙の側面部分には、何度も読まれた本だけが持つ指の跡が、薄い汚れとなって現れていた。表紙の金の文字も、手の当たる一部分だけがやや薄くなっている。
「読み込んでいるんだな」
「宝物だな」
ヴィゴとルークは、本を机に戻して顔を見合わせて笑った。
「それじゃあ俺達も着替えてくるよ。ルークの湿布を替えないとな」
「ああ、すみませんがお願いします。それじゃあレイ、着替えたら居間へ行くよ。後でな」
そう言って、手を上げた二人は部屋に戻って行った。
「じゃあレイ、私たちも一旦戻りますね。お土産を開けるのは、食事の後ですね」
皆が出て行った後、レイはお湯を用意して簡単に身体を拭いてから、引き出しから新しい服を出してそれに着替えた。
お湯を片付けて、汚れた服を洗濯籠に入れる。これは夜に水場に置いておけばニコスが洗ってくれるのだ。以前、洗濯も手伝おうとしたが、これはウィンディーネ達が手伝ってくれるから、ほとんどする事が無いと聞き、以来、洗濯はニコスに任せているのだ。
着替えも終わったので居間へ行こうとしたが、何と無くベッドに向かった。大きく一つ深呼吸をして、綺麗に整えられたベッドに両手を広げて倒れこんだ。
「本当に帰って来たんだ。ただいま……」
柔らかないつもの枕に顔を埋めて、ちょっとだけ涙が出た。
『大丈夫?』
『大丈夫?』
何人ものシルフ達が、動かなくなったレイを心配して頭の上や背中に現れた。そして、髪を引っ張ったり服を引っ張ったりし始めた。
「大丈夫だよ。ちょっと感動してるんだ。本当に、お家に帰って来たんだなって思って……」
照れたように笑って起き上がったレイは、水場でもう一度顔を洗ってから居間へ向かった。
「ああ、丁度良かった。レイ、お皿やカトラリーを用意してください。大きい方のスープ皿と、いつものお皿。それから取り皿もね」
机の真ん中には、レイの好きな赤身の薫製肉の塊が置いてある。嬉しくなって、急いで食器棚に向かった。
言われたものをまとめて持って来て、順番に並べて行く。カトラリーを並べたところで、ギードが大きな木箱を持って入って来た。
「あれ、それはなに? お土産の箱じゃ無いよね?」
不思議に思って聞いてみると、ギードは嬉しそうに中身を見せてくれた。
「あ!お酒だ!」
「せっかく遠い所を来てくださったのですから、旨い酒を出すのは当然でしょう」
そう言って、見た事の無い瓶をいくつも机に並べた。
それから、綺麗な細身のグラスを取り出してそれぞれの席に並べた。
「レイには美味しいジュースを用意してあるからな」
ニコスがそう言って、レイの前に赤いジュースの入った大きな水差しを置いてくれた。
「僕だけお酒飲めないって、何だか悔しい!」
ちょっと羨ましくてそう言うと、二人に笑われてしまった。
部屋に戻った二人は、まずルークの湿布を替える事にした。
「水をもらってくれば良いんだな」
そう言って立ち上がった時、ノックの音がした。
ヴィゴが扉を開けると、水の入った桶と布や薬の入った籠を持ったタキスが立っていた。
「師匠からお薬を預かって来ております。ルーク様の湿布を替えましょう」
「ああ、わざわざ申し訳ありません」
慌てたヴィゴが、タキスの手から水の入った桶を受け取った。
「よろしくお願いします」
大人しくルークが服を脱いで、幾重にも包帯の巻かれた左腕を見せる。
頷いたタキスが手慣れた様子で包帯を解き、当てられていた湿布をそっと剥がす。
「聞いてはおりましたが、これはかなり酷い、相当痛かったでしょう。骨まで届く矢傷だったと聞きましたが、ひと月程で、良くここまで治りましたね」
桶に手を入れて、魔法で温めると、濡らした布でまずは患部を綺麗にする。
「酷い傷に見えますが、もうほとんど痛みは無いんですよ。かなり左手も動くようになって来たので、後は筋力を戻すだけです」
「無理は禁物ですよ。治りかけの時に無理すると、後々まで痛みが残ったりしますからね」
「それはガンディにも口うるさく言われてます。まあ……自重します」
「それでよろしい」
笑ったタキスが、患部を消毒して新しい湿布を貼り付けた。手早く新しい包帯を巻いていく。
「はいこれで良いですよ。明日の朝、また交換しますので」
そう言って、袋の中に、汚れた包帯を入れて籠に戻した。
「ありがとうございます」
ルークが素直にそう言って、頭を下げた。
「落ち着いたら居間へどうぞ。そろそろ食事の準備が整っておりますので」
「お世話をお掛けします」
両手に桶と籠を持ったタキスを見て、ヴィゴが扉を開いた。
「はい、それでは後ほど」
そう言って、出て行くタキスを見送って一旦扉を閉めた。
「さすがに手慣れておられたな。それで、痛みはどうだ?」
左手をゆっくりと握ったり開いたりしていたルークが、ヴィゴの声に顔を上げた。
「ええ、思ったより大丈夫ですよ。念の為ガンディから痛み止めももらってますが、飲む必要は無さそうです」
「そうか、ならさっさと着替えてしまおう」
持ってきた包みから、着替えを取り出して振り返ったヴィゴがそう言った。左手がまだ不自由なルークは、一人で着替えるのは大変だからだ。
先に手伝ってルークを着替えさせ、部屋に戻ったヴィゴも手早く部屋着に着替えた。
それぞれの部屋に剣は置いておく。
剣の上に座ったシルフに留守番を頼み、二人は丸腰で居間へ向かった。
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