闇の目の話

 良いお天気の下、のんびりと城に向かっていた四人の目に、ようやく城の幾つもの塔が見えてきた。

「レイルズは、こっち側から城を見るのは初めてだよな」

 ロベリオの声に、レイは大きく頷いた。

「この前見た時は、離宮に行く時だったもんね」

「さて、城は大騒ぎなんじゃないかな?」

 ユージンの面白そうな呟きに、レイは首を傾げた。

「え? 何かあるの?」

 二人は、全く自覚の無いレイルズに呆れて、どちらも苦笑いを堪えている。

「お前な……いい加減自分が跨ってるその竜が、どう言う存在なのかちょっとは自覚を持てよな」

 ロベリオの呆れたような声に、思わず自分が乗っているブルーを見る。しかし目の前にあるのは、桁違いの大きさのブルーの長い首と後頭部だけだった。



 視線を感じたのか、振り返ったブルーと目が合う。



 思わず笑顔で手を振ってから、ちょっと考えてロベリオを見た。

「えっと、もしかしてお城の人たちは、ブルーの事を……怖がってるの?」

 この大きさで、一番考えられるのはそれだろう。しかし、二人は笑って首を振った。タドラも笑って首を振っている。

「違うよ。この国に、古竜が戻ってきてくれた事を皆喜んでいるんだ」

「きっとまた、皆、出て来て大歓迎になるぞ」

 それを聞いて、城の上空に上がった時の大歓声を思い出した。

「あの歓声はそう言う意味だったんだね」

 何しろあの時の事は、タキスとぶつけた後頭部の痛みしか記憶に無いレイだった。



 そんな話をしていると、一気に城が近付き塔の屋根瓦の模様まで見える距離に来た。城の中庭には、あの時と変わらない程の人々が出て来てこっちを見上げている。

 三頭の竜の後ろについて城の上空に差し掛かった時、また大歓声と拍手が沸き起こった。

「おかえりなさい!」

「おかえりなさい!」

 聞かされていても、実際に湧き上がる歓声を聞いたレイは、驚きのあまり声も無かった。

「あそこに降りるよ。あれが竜達の為の専用の広場だ」

 ロベリオが指差す場所には、第二部隊の兵士達が何人か出て来てこっちを見て手を振っている。

「すごく広い。あそこならブルーでも降りられるね」

 嬉しそうにそう言ったレイは、ブルーの首を叩いた。

 三頭の竜が広場に降りるのを見て、ブルーもゆっくりと庭に降り立った。

 その三頭の竜と並ぶと、ブルーの大きさは際立って見えた。まず、頭の高さが違う。翼の大きさも桁違いだ。ロベリオの乗るアーテルは、若竜の中では一番大きいのだが、ブルーと並ぶと遥かに小さく見えた。

 竜の背から降りた四人に、第二部隊の兵士達が駆け寄って来た。

「お疲れ様です。冷たい飲み物をご用意しておりますので、中へどうぞ」



 その時、ブルーが何かを嫌がるように首を大きく振った。


 驚いたレイが慌ててブルーの元へ駆け寄る。

「どうしたの?」

 ブルーの前では、第二部隊の兵士が数名、手にブラシや布を持って立っている。

「あの、ラピスにブラシを掛けようとしたのですが、嫌がられて……」

 困っている兵士達を見て、レイはブルーを見上げた。

「どうして? ブルーはブラシかけられるの、嫌?」

「いらぬ、我に構うな」

 嫌がるように身震いして、ブルーは兵士達に冷たく言い放った。

 それを聞いて戸惑う兵士達を見て、レイは困ってしまった。

「どうした? 何かあった?」

 建物に向かっていた三人が、レイがついてこないのに気が付いて戻って来た。

「ブルーがお世話をされるのを嫌がってるみたいなんだけど、どうしたら良い?」

「どうしたラピス? ブラシは気持ちが良いぞ」

「そうだよ、それに鱗を常に綺麗にしておく事も大事なんだぞ」

 二人の言葉にブルーは鼻息で答えただけで、素知らぬ顔で丸くなって翼の中に顔を埋めてしまった。

「ラピス、水も要らないのかい?」

 首を叩いて尋ねるタドラの声に、ブルーは嫌そうに顔を上げた。

「生ぬるい水など要らぬ。我に構うな」

 それだけ言うと、また丸くなってしまった。

「仕方がない。とりあえず好きにさせてやって」

 肩をすくめるロベリオを見て、兵士達は敬礼して戻って行った。

「じゃあ僕は中にいるからね。大丈夫?」

 心配そうなレイの声に、ブルーは喉を鳴らして応えた。

「ごめんなさい。気にしないでね」

 先程の兵士に声をかけたレイは、ロベリオ達と共に建物の中へ入って行った。敬礼して見送った兵士達は無言で持って来た水を片付け、若竜三頭の世話を始めた。



「俺達の事は信用してくれたみたいだけど、他の人間達の事はまだ、ラピスは警戒してるようだね」

「でも、慣れてもらうしか無いよね。後でマイリーに報告しておくよ。さすがにあのままでは問題が出るよね」

 小さな声で話していたが、残念ながらレイの耳にも声は聞こえていた。

「シルフ、ブルーは人間が嫌いなの?」

 肩や頭に座っていたシルフ達に小さな声で聞いてみる。すると、彼女達は一斉に答えてくれた。


『蒼竜様は人間が嫌い』

『人間が嫌い』

『汲んでから長く置いた水も嫌い』

『臭い水は嫌い』

『無闇に人間に触られるのも嫌い』

『主様は別だよ』

『主様は大好き』


 頬にキスされて、レイは納得した。

「そっか、汲み置きした水って確かにブルーは飲まないね。えっと、人間が嫌いって事は、他の人なら良いの?」

 この場合の人とは、竜人やドワーフの事を示す。


『どうだろ?』

『知らない』

『知らない』


 これまた一斉に首を振る。

 それを聞いた三人が立ち止まってレイを見た。思わずレイも立ち止まる。

「それなら第二部隊には竜人もいるから、後で言ってみるよ。もし竜人を受け入れてくれるなら、ラピスの世話は彼らに頼めば良いからね」

「そうだね、良い考えだ。やってみれば分かるよね」

 二人が笑ってそう言ってくれたので、レイも苦笑いして頷いた。

「ごめんね。ブルーがお世話かけて」

「今のは惚気か? 相変わらずお熱いなお前らは」

 それを聞いたロベリオが、レイの頭を小突いてからかうように笑う。

「だって、ブルーったら我が儘なんだもん」

 力一杯叫んだレイに、三人は堪える間も無く吹き出したのだった。




 向かった部屋には、竜騎士達だけでなく、タキスとガンディも揃っていた。

「ご苦労だったねロベリオ、ユージン、タドラ」

 アルス皇子が立ち上がって一行を出迎えた。

 直立して敬礼する三人を見て、慌てたレイは一歩下がった。

「レイルズもご苦労だったね。クロサイトを助けてくれてありがとう。後でラピスにもお礼を言わないと」

 アルス皇子に肩を叩かれて、レイはなんと答えて良いのか分からなかった。しかし、戸惑うレイにもう一度肩を叩いた彼は、特に気にせずに椅子に座った。

「まあ、座ってお茶を飲みなさい」

 その声に四人も椅子に座って、入れてもらった冷たいお茶を飲んだ。



 一息ついた彼らを見たマイリーが口を開いた。

「予定とは違うが、ガンディから気になる報告を受けてね。改めて君の話を聞きたくて全員に集まってもらった。この部屋には結界を張ってあるから、ここでの話が外に漏れる事は無い。安心して話してくれたまえ」

 それを聞いたロベリオとユージンは、顔をしかめた。

「もしかして……例の話ですか?」

 恐る恐る訪ねたロベリオを、マイリーは一瞥した。

「真っ先に報告して欲しかったぞ。さすがにこれは、はいそうですかと聞き流せる問題では無い」

 頭を抱えた二人を見て、レイも何の話か分かっ た。

「えっと、そのお話をするならブルーを呼んでも良いですか?」

「構わない。ラピスからも話を聞きたいからな」

 突然レイの肩に現れたシルフが、ブルーの声で話し始めた。


『あの話か。ならばルビーにも聞かせるぞ』


「分かった、よろしく頼む」

 アルス皇子の声に、シルフは頷いた。

 隣に来てくれたタキスと机の下で手を握って、二人は、闇の眼と戦った時の事を覚えている限り詳しく話して聞かせた。

 闇の眼に、皆が彼の事を嫌っていると脅された時、レイが何と言って反論したのか、タキスはこの時に初めて知った。

 隣で、一生懸命思い出しながら話す彼を、タキスは抱きしめずにいられなかった。

「ど、どうしたの? タキス」

 急に抱きしめられたレイは驚いていたが、そこにいたレイ以外の全員がタキスの気持ちに気付いていた。

 レイは恐らくその時初めて、タキス達のいる石の家を自分の家だと認識したのだろう。それ故に闇の眼は、それ以上レイを騙すことが出来なくなったのだ。

 それは正に、レイがタキス達を自分の家族だと心から認めた事を意味していた。

 それはすなわち、孤独だったはずのレイが、闇の眼の罠から自力で抜け出せた事をも意味していた。

「凄いな。まさかラピスに助けられる前に自力で闇の眼の罠から抜け出していたなんて」

 小さな声で感心したように呟いたマイリーの言葉には、そこにいた全員の気持ちだった。

「えっと、それで全部です。真っ白な空間にいたエイベルがいなくなった後、一歩踏み出したら……雪の蒼の森のブルーの前にいたんです」


『その後、森の結界は念入りに組み直した。定期的にシルフ達に巡回させているが、今の所、特に結界の綻びなどは見つかっていない』


「ラピスが蒼の森からここに居場所を変えても、結界に問題は出ませんか?」

 マイリーの質問に、シルフは首を振った。


『問題無い。ただし、それとは別に幾つかやっておきたい事がある』


「その件ですが、近いうちに叶いそうですよ。レイの具合も殆ど良くなっているようだし」

 マイリーの言葉に、レイとタキスは顔を見合わせて笑い合った。

「早く、ニコスやギードに会いたいよ」

「そうですね。畑の世話も二人とノーム達に任せきりですから、帰ったらしっかり働きましょうね」

「ブラウニー達にもお礼を言わないとね」

 当然の事のように話す彼らを見て、周りは呆気に取られていた。

「畑にノームがいて、家にブラウニーがいるって……」

「凄いな森の家」

「下手すりゃ、俺達より良い暮らししてるんじゃ無いか?」

 からかうようなロベリオの声に、レイは笑って答えた。

「ずっと働いてるけどね。それから、ニコスの作ってくれるご飯は、世界一美味しいよ!」

 タキスも笑いつつ頷いているのを見て、一同は驚きを隠せなかった。

「ええ? ここの食事は美味しく無い?」

 タドラの質問に、レイはちょっと考えて答えた。

「とっても美味しいよ。でも……全体に、少し味が濃いと思います」

「ああ、それは私も思います。特に塩味が少し濃いように思いますね」

「それは夏場だからじゃな。料理長に言っておこう。もう少し塩見が分からぬように工夫せよとな」

「まあ、夏場なので塩を大目に使うのは分かりますが、十分に美味しいですよ」

 頷く二人を見て、ガンディは笑った。

「まあ見ておれ。張り切って改めてくれるだろうよ」

「楽しみにしてます!」

 食いしん坊のレイが嬉しそうに笑うのを見て、ルークとタドラが立ち上がった。



「それじゃあ話も終わった事だし、甘党なレイルズ君にこれをあげよう」

 タドラが横に置いてあったワゴンから取り出した、そのトレーに並べられていたのは、四角く切ったふわふわの生地にチョコレートと真っ赤なキリルの砂糖漬けが乗せられている、とても綺麗なお菓子だった。

 目を輝かせるレイを見て、マイリーが笑って立ち上がった。

「俺は遠慮するよ。それじゃあ後はよろしく」

 書類を手に部屋を出ようとするマイリーに、ルークが声を掛ける。

「ええ、食べないんですか? せっかく人数分用意したのに」

 振り返ったマイリーは、レイを見て言った

「それなら、俺の分はレイルズにやってくれ。二個くらい食べられるだろ?」

 周りが吹き出す中、レイは嬉しそうに返事をした。

「はい! 食べられます!」

「しっかり食べろよ、育ち盛り」

 笑って手を振って部屋を出たマイリーと入れ違いに、執事が入って来て手早く人数分のお茶を入れてくれた。




 嬉しそうに二個目のケーキを頬張るレイを見ながら、ガンディが声を掛けた。

「この後じゃが、城の図書館に連れて行ってやろう。驚くぞ、すごい量の本だからな。タキスはまた白の塔じゃな」

 頷く彼を見て、レイが不思議そうに尋ねた。

「タキスは白の塔で何をするの?」

「白の塔にも図書館があるんです。そこには私の知らない医学書や論文が沢山あるんですよ。森にいた間は、それらを読めませんでしたからね。師匠の許可を頂いて、それらを読ませてもらっているんです」

 嬉しそうに話すタキスを見て笑って頷いたが、レイは内心では複雑な気持ちだった。

「タキスは、森よりもここの方が良いのかな?」

 不安になった小さな呟きを、残ったケーキと一緒にお腹の中に飲み込んだレイだった。

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