シルフと二人の想い

 沸き立つ鍋を見つめながら、ニコスは小さなため息を吐いた。

 二人分しか作らない少ない食事にも慣れて来た。それでも、やはり寂しいものは寂しい。

 毎晩のように、シルフを通じて今日の事を報告してくれるレイの声を楽しみに、ニコスとギードは日々を過ごしていた。

 ギードはここ最近、家畜達の世話と農作業の時以外は仕事部屋にこもって出てこない事が多い。

 夕食にする鍋の加減を見て、一旦火から下ろす。蓋に座った火蜥蜴にこのまま保温してもらって火を通すのだ。

「よろしくな」

 優しく火蜥蜴を撫でて顔を上げたニコスは、シルフを呼んで頼んだ。

「すまないが、ギードが何をしてるか見て来てくれ。声を掛けても大丈夫なら、ちょっと頼みたい事があるんでそっちに行ってもいいか聞いてきてくれるか」

『了解了解』

 頷いたシルフが、くるりと回っていなくなるのを見送った。

 しばらくして、戻って来たシルフが頷いている。

『石を磨いてた』

『来てくれて良いって言ってた』

「そうか、ありがとうな」

 そう言って、立ち上がってエプロンを外して椅子にかけると、一旦外に出て、向かいにあるギードの家の扉を開けた。

「こっちだ、入ってくれて良いぞ」

 奥の部屋から声が聞こえて、シルフが手招きしている。笑って頷くと、シルフについて廊下を歩いて行った。

 ノックをして入った部屋は、ギードの仕事場の内でもニコスも入った事のある部屋だった。

 壁一面に作りつけられた棚には、いくつもの自作の道具が整然と並べられている。

「どうした? 改まって」

 机に向かって作業をしていたギードが、顔を上げて振り返った。

「お前に頼みがあってな」

 そう言うと、左の掌を上にして差し出した。その上に三人のシルフが現れた。

 その右端に座ったシルフは、いつものシルフ達よりもかなり大きく色が濃い。それは以前、ケットシーの母親を捜索した際に活躍したあのシルフだった。その隣には、右側の子よりも一回り小さいがそれでも大きな色の濃いシルフが二人並んで座っていた。

「ギードは、火の精霊魔法の上位まで使えるんだろ?」

「ああ、もちろん使えるぞ。ミスリルを効率的に鍛えるには欠く事の出来ぬ技じゃ」

「それをこの子達に見せてやってほしい」

 ギードは驚いて、掌に座ったシルフ達を見た。

「火の精霊でなく、シルフに? まあ、風を使う際にはシルフにも手伝ってもらうが、わざわざ教えるのなら、火蜥蜴に教えるほうが効率は良かろうに?」

 不思議そうに首を傾げるギードを見て、ニコスは笑った。

「この子達は特別なシルフでね。俺が父上から引き継いだ精霊の中でも特に優秀な子達だ。右の彼女は、一度見た魔法を記憶する。属性は関係無い。あらゆる魔法を記憶し、そしてその属性の精霊に、見た技を教えて再現させる事が出来る」

「何だと? そんな能力、聞いた事が無いぞ」

「今では、失われた系統のシルフだ。魔法だけでは無い。日常のありとあらゆる事を記憶し、主人と定めた人にそれを教える事が出来るんだ。我が一族が代々大切にして来た特別な精霊だ。俺も、この子達にはずいぶんと助けられた」

 呆気にとられるギードに笑って頷いて、ニコスは掌の上のシルフを優しく撫でた。

「俺は、この子達をレイに託そうと思っている。オルダムで暮らす事になるなら、彼には間違いなくこの子達の力が必要になるだろう。彼の事を利用しようとする奴や、騙そうとする奴だっているだろう。全てを防ぐ事は出来ないだろうが、この子達がいれば、防ぐ事が出来るものも多いだろう。それに以前少し言ったが、貴族の行儀作法を全部覚えようとしたら、レイは間違い無く逃げ帰ってくるぞ。まあ、この子達がいればかなりの部分は手助けできるだろう。彼女達は、レイの元へ行く事を了解してくれた」

「それで、ワシの火の上位の魔法を知りたかった訳か」

「火の精霊魔法は、俺も余り見せた事が無い。聞くと火の上級魔法はあまり見た事が無いと言っていたのでな。それで、お前が知る技だけでも、彼女に見せてやって欲しいんだ」

 頷いたギードは、掌の上のシルフ達に話しかけた。

「夕食の後、一晩かけてミスリルを打つつもりでした、丁度良い。好きなだけ見てください。まあ、レイがミスリルを打つ事はあるまいが、知識を増やしておく事は決して無駄にはなりませんからな」

「良ければ、食事の間にお前の連れている精霊達と話をさせてやってくれ。彼女達の知らない知識があれば、覚えてくれるからな」

「分かったよろしくな」

 そう言って頷くと、ギードは自分の左手にしている腕輪の石から精霊達を呼び出した。シルフが二人とウィンディーネが一人、火蜥蜴が二匹現れた。

「おお、揃ってるな」

 感心したようなニコスの声に、ギードは苦笑いした。

「冒険者は、一通り揃えておる者が多いぞ。いざという時には役に立ってくれるからな」

「そう言えば、ノームを連れている者は見た事が無いな」

 土の精霊魔法は下位しか使えないニコスがそう言うと、ギードは首を振った。

「ノームは大地から離れては暮らせぬ。その代わりに、地面がある場所ならば何処にでも来てくれるから、石に入ってもらう必要がないんじゃ。しかし冒険者にとっては、シルフと並んで身近な精霊でもある」

「成る程な。街に暮らす者には、まあ庭仕事でもしない限り一番馴染みの無い精霊だよな」

「確かにな。その者が暮らしておる環境によって、よく使う精霊も変わるのは当然じゃな」

 二人は顔を見合わせて笑い合った。

「我らとて、本来であれば冒険者と貴族の館の執事。接点など無いに等しい者同士が、こうして一緒に生活しているのだから、人生何が起こるか分からんものじゃな」

「全くだ。それじゃあ俺は戻るよ。もうすぐ飯の準備が出来るから、一段落したら来てくれよな」

「了解じゃ」

 頷くと、机の上に置いてあった原石を研磨する作業を続けた。

 机の端では、現れた精霊達がニコスのシルフ達と聞き取れない不思議な言葉で仲良く話をしていた。

「レイの火の守役は、まだかなり若い火蜥蜴だったからな。上位の魔法はすぐには使えんかも知れんな」

 自分の火の守役の火蜥蜴が、シルフと話しているのを横目に見て、ギードは思わず独り言を呟いていた。




 夕食の後お茶を飲んでいると、突然現れたシルフが、レイの声で話し始めた。

『こんばんは!今日は雨だったよ』

『そっちのお天気はどう?』

「おお、待ちかねたぞ。こちらは曇っておったが雨は降らんかったぞ」

「そうだな。一日曇り空だったよ」

『えっと今日は午前中はラスティと一緒に書斎で本を読んだりお話ししたりしてたの』

「ラスティって、レイの面倒見てくれてる軍人さんだな」

『そうだよあのねラスティはブレンウッドの出身なんだって』

『家族とお姉さん夫婦がいるんだって』

『緑の跳ね馬亭の事も知ってたよ』

 嬉しそうに話すレイの声に、思わず二人も笑顔になった。

「おおそれは嬉しいな」

「バルナルとエルミーナの夫婦は、元々緑の跳ね馬亭を経営しておった別の人から、あの宿を受け継いだんじゃ。もう十五年は前になるぞ。まあ……色々あってな。冒険者をやめて街で暮らすことになった訳だ」

『そうだったんだ朝ご飯を食べに行った事があるって言ってたよ』

「あの宿の飯は、本当に美味いからな」

 ギードの言葉に、ニコスも笑って頷いていた。

『それからねガンディがもうすぐ森へ帰れるって言ってくれたんだよ』

「おおそれは嬉しい知らせじゃ!」

「待ち遠しいな」

 二人が声を上げると、レイの嬉しそうな声がシルフから聞こえた。

『えっと数日のうちに今後の予定が決まるんだって』

『ええそう言ってましたね』

 タキスの声にレイが嬉しそうに返事する声まで、シルフは律儀に伝えてくれた。

 その後、少し話をしてから、おやすみの挨拶をしてシルフはいなくなった。

「ご馳走さん。それじゃあ俺は戻るとするか。すまんが明日寝坊したら叩き起こしてくれ」

「夜通しミスリルを打つんだろ。構わないからゆっくり休めよ」

 食器を片付けながら、振り返ったニコスが笑った。

「ブラウニー達がすっかり張り切ってくれててな。家畜達の世話は任せろと言ってくれてるから、気にしなくて良いぞ」

「ノーム達も張り切ってくれておるから、畑仕事も最小限で済んでおるしな」

 二人は同時に小さく吹き出した。

「それじゃあ、遠慮せずにゆっくりさせてもらうよ。おやすみ」

 そう言って笑うと、ギードは自分の家へ戻って行った。




「さてと、それでは始めるとするか」

 家に戻ったギードは、大きな桶に水を汲むとそれを持ってさっきとは別の仕事部屋に持って行った。

 さっきの仕事部屋に行って精霊達を全員回収すると、戸棚から布を何枚も持って奥の別の仕事部屋に戻った。

 そこには大きな炉があり、前にある作業場には、幾日もかけて作った純粋なミスリルの塊が無造作に置かれていた。

 先ほど預かったシルフを腕輪から呼び出して、傍の丸太の上に座らせた。

 それから火の守役の火蜥蜴を呼び出し、まずは炉に入ってもらう。すると周りから何匹もの火蜥蜴が現れて、一緒に炉の中に飛び込んで行った。

 種火が残されていた炉の中がみるみる赤くなり、一気に室内の温度も上がっていった。

「よしよし、その調子で頼みますぞ」

 ギードが覗き込んだ炉の中は燃え盛り、やや黄色味を帯びた炎が渦巻いていた。

 大きなヤットコでミスリルの塊を掴むと、炉に差し込んで炙り始めた。

「もっと上げてくれ。シルフ、風を頼む」

 ギードの声に現れたシルフが風を送り始めた。

 何度も出し入れしてはまた差し込む。ミスリルの色が変わり始めた時、初めてギードは大きな金槌を手にした。

 何度も打ち付け、炉に差し込んではまた打つ。無言で行われる作業を丸太に座ったシルフは見つめ続けていた。

 しばらくしてようやく細長い棒状の形が出来上がった。

「これは、ミスリルに玉鋼を混ぜて叩いたものです。これを剣の刃の部分に入れます。玉鋼の作り方は……」

 そう言って横に置いてあった別の金属の棒を見せて、それをミスリルの棒に重ねた。

 延々と金槌を振るいながら、ギードは原材料の詳しい作り方をシルフに説明していった。

 玉鋼を合わせた後、更に大きな金槌に持ち替えて打ち続ける。炉から火の守役の大きな火蜥蜴が出てきて、ギードの打つミスリルに息を吹きかけ始めた。更にギードの打つ早さが早くなる。

 リズミカルな音が一晩中、仕事部屋に響き続けていた。




 ようやく音が止んだのは、東の空が白み始める頃だった。

「これで良し。後は持ち手の細工じゃな」

 ギードが手にしているのは、一振りの短剣だった。刃も持ち手も、全てミスリルで出来ている。

 それを持って壁側の大きな作業台へ行く。

 そこにある道具は、金属部分が全てミスリル製で作られている。これはミスリルを細工する為専用の道具なのだ。

 持ち手の部分にまずは鉄筆で下書きを描いて行く。何度も手を止めて、全体を見ながら描き足して行く。

「よし、こんなもんじゃろう」

 満足のいく柄が描けると、固定台にミスリルの剣を固定して細かな模様を彫り始めた。

 軽い金属音が、先程とは違って不規則に続いていた。

 しばらくすると、黙々と彫り続けているギードの肩に一人のシルフが現れた。しかし彼女は作業を続けるギードを見ると、何も言わずにいなくなった。




「そうか、まだ作業中か。結局、徹夜だったんだな」

 呆れたようなニコスの声に、シルフは頷いた。

『すごく綺麗なミスリルの剣を作ってた』

『綺麗綺麗』

『素敵素敵』

「ミスリルの剣……そうか、成る程な」

 ギードの気持ちに気付いたニコスは、小さく頷いてシルフを見た。

「ミスリルは精霊達に人気があるって本当なんだな」

『ミスリルは好き』

『綺麗だもの』

『彼の打つ剣は素敵』

 口々に嬉しそうにそう言うシルフに、ニコスは口の前に指を立てた。

「でも、ギードが何を作ってるかは、俺は知らないんだからな」

『内緒内緒』

『知らない知らない』

 嬉しそうにそう言うと、くるりと回っていなくなった。

「それじゃあ、まだしばらくかかりそうだから。ギードの分は置いておいてやるか」

 一人分だけお皿とカップを出し、パンを窯から取り出し、ハムを切ってから席に着いた。

 精霊王への祈りの後、食べようとして一人小さく笑った。

「一人で食事をするのも初めてだよ。シルフ、出てきてくれよ。寂しいぞ」

 空中に向かって話しかけると、数人のシルフ達が現れて机の上やカップの縁に座った。

『いるよいるよ』

『寂しくないよ』

「ああ、ありがとうな」

 現れたシルフ達にお礼を言うと、今度こそ食べ始めた。

 机の上に置かれた鍋の蓋の上では、火蜥蜴が自己主張するように顔を上げてニコスを見ていた。

「ああ、ごめんごめん。そうだな、お前もいるよな」

 指先で火蜥蜴を突いてやりながら、肘をついてパンを齧った。

 行儀作法なんて忘れているニコスだった。

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