レイルズとレイ
長い廊下を少し歩き、また階段を降りた。案内されて連れて行かれたのは、一階にある豪華な応接室の様だった。
大きな窓からは綺麗な庭が見える。夏の盛りなのに、あちこちに置かれた大きな植木鉢には見たこともない花が咲き、大きな木がその上に枝を広げていた。少し離れたところには小さいが噴水もあった。庭の木陰には石像や椅子が置かれているのも見える。
夏の遅い日暮れが、ようやく空を赤く染め始めていた。
「お庭、綺麗だね」
外を見ながら嬉しそうなレイの声に、タキスも頷いた。
「確かに綺麗です。どうやらここは庭を鑑賞するための部屋の様ですね」
振り返ってマイリーに尋ねると、彼は驚いた様にタキスを見た。
「よくご存知ですね。そうです、ここは庭を鑑賞するための部屋です」
わざわざ庭を鑑賞する為だけの部屋があるなんて、考えた事も無かったレイは驚いてマイリーを見た。
「きっとここではこれから沢山、君の知らない事があるよ。楽しみにしてると良い」
そう言って笑うと、入ってきた第二部隊の兵士と顔を寄せて小さな声で何か話し始めた。
「すまないがちょっと失礼する。ああ、レイルズ、庭に出てみても構わないよ」
立ち上がってそう言うと、第二部隊の兵士と共に足早に部屋を出て行ってしまった。
「何かあったのかな?」
心配そうなレイに、ガンディが慰める様に答えた。
「とにかく仕事中毒の男じゃからな。常に何件もの仕事を掛け持ちしておる。別に気にする事は無いぞ」
その時、ガンディの肩に一人のシルフが現れた。
「ん? どうした?」
ガンディの耳元で何やら話していたシルフは、彼が頷くのを見てくるりと回っていなくなった。
「ふむ、どうしたもんかな……」
そう呟きながら立ち上がり、タキスを手招きした。
「すまんがちょっと一緒に来てくれるか」
「え? 私もですか? 分かりました。レイ、すぐに戻りますからここにいてくださいね」
顔を上げたタキスがそう言うと、レイの頬にキスしてガンディと一緒に部屋を出て行ってしまった。
「ええ、誰もいなくなっちゃったよ。えっと、ここで待ってれば良いんだよね」
椅子に座ろうとすると、腰の剣が椅子に当たって大きな音を立てた。
これも先ほどと同じ短めの剣だが、慣れないレイにとってはかなり重い。
どうしようかと部屋の壁際を見ると、先ほどマイリーに教えてもらった剣を置く為と思われる同じ様な場所があった。
「えっと、この剣……外してここに置いてても良いかな?」
『どうであろうか? 正装に剣は必須だぞ』
肩に座ったシルフが、ブルーの声で教えてくれた。
「そっか、じゃあ我慢するね」
しかし、なんとなくもう椅子に座る気になれなくて、庭の方へ行ってみる事にした。
大きな窓の横には、扉があり庭に出られる様になっていた。
「ちょっとだけ出てみても良いかな?」
じっとしてられなくてそう呟くと、またシルフがブルーの声で話してくれる。
『あの副隊長も、庭には出ても構わんと言っていたではないか』
「あ、そうだね。じゃあ少しだけ……」
さっきから、庭の石像を見てみたくて仕方がなかったのだ。そっと押してみると、庭への扉は鍵も無く簡単に開いた。
大きな木の下に立っている石像は、女神オフィーリアと、剛力の剣士サディアスの様だ。
「オフィーリア様とサディアス様、すごく綺麗だね」
肩に座ったシルフに話しかけながら、石像の近くに行ってみる。
足元は綺麗な石が敷き詰められている道と、それ以外の場所は綺麗な緑の芝生に覆われていた。
「えっと、この道だったら歩いて良いんだよね」
そう呟きながら、石畳の道をそっと歩いた。
「うわあ。本当に生きてるみたいだ」
優しい表情の女神オフィーリアは、槍を手にして立っている。少し俯いたその姿に、レイはブレンウッドの街での女神像を思い出していた。
「あの女神様も綺麗だったけど、この石像も綺麗だね……」
石像の周りを回って、もう一度正面に立つ。
「母さん……」
思い出したらまた涙が出そうで、レイは慌てて隣に立つ剛力の剣士サディアスを見上げた。
その像は大きな剣を捧げる様に高く上げた、筋肉が隆々と盛り上がった見事な体格の男性像だ。身に付けている羽飾りのついた兜と鎧は、物語の中からそのまま出て来たかのようだった。
大好きな物語の人物の石像を目の前にして、レイは感動していた。
「凄く、凄く格好良いね」
そう言うのがやっとだった。
その時、何処かで鳴き声が聞こえた。
「え?今の……猫かな。あ、また聞こえた」
記憶にあるケットシーよりも、かなり細くて小さな声だ。そして妙に頼りなげな、悲しい声でもあった。
「どこだろう、すぐ近くみたいなんだけどな。猫さん、どこにいるの?」
そう呟いて足元を見ながら、庭を少し歩いてみた。しかし、茂みの中にも植え込みの陰にも、猫のいそうな場所には何処にも見当たらなかった。
「見つからないんだけど……あ、また近くで聞こえた。え? 上?」
声の元を辿って見上げた大きな木の枝の根元に、白と黒の毛の塊を見つけたレイは、思わず声を上げた。
「あ、こんなところにいた。どうしたの?」
そっと話しかけてみると、その猫は顔を上げてレイを見た後、また悲しい声で鳴き始めた。綺麗な鉢割れ模様の大きな猫だ。
「えっと……もしかして、君、降りられないの?」
まるでそうだと言わんばかりに、レイの顔を見たまままた鳴く。
「えっと、どうしたら良いんだろう。さすがに手は届かないよ」
困ってしまったが、肩に座ったシルフを見て聞いてみた。
「ねえ、あの子を下に降ろしてあげられる? 怪我させたりしないように、出来るだけそっとね」
生きているものに精霊魔法を使うのは初めてだ。少し不安に思ったが、頷いたシルフはレイの肩からふわりと木に向かって飛んで行った。
現れた三人のシルフ達が、猫の首のあたりと背中と尻尾の付け根の辺りを持って、そっと木から降ろしてレイの手の中に降ろしてくれた。
「ありがとう、さすがだね」
笑ってその猫を受け取る。
降ろしたら逃げるだろうと思っていたその猫は、驚いた事にレイに抱かれたまま喉を鳴らし始めた。
しかもレイの知っている猫と違い、この子はとても毛が長くてフサフサだ。当然体も大きくて太い。尻尾は特に凄くて、見事な長い毛の尻尾は、まるで森にいるキツネのようだった。
「人懐っこい子なんだね。可愛い。どこの子? それとも、このお庭に住んでるの」
額や背中を撫でてやりながら、ふわふわの毛並みを堪能する。
近くにあった椅子に座っても、猫はレイの膝を占領したまま降りようとしない。
「猫に触るのって初めてだけど、こんなに可愛いんだね」
そう呟いて、なだらかな背中を優しく撫でた。
小さな頃に、村に一匹だけ猫がいた記憶があるのだが、その猫は気が荒くて子供は全く触ることが出来なかった。ある時から不意にいなくなってしまい、倉庫のネズミをやっつけてくれる番人がいなくなった村は、ずいぶんと苦労したのだ。
その後、倉庫に
ご機嫌な猫を撫でながら、レイは大きく欠伸をした。
「ふわあ……ちょっと眠いや。昨日は夜更かしだったもんね」
甘えた様に鳴く猫を撫でながら、椅子に座ったレイは、眠くて我慢出来ずにもう一度欠伸をした。
膝に柔らかな温もり。暮れ始めた夕陽に照らされて夢の扉を開きそうになった時、不意に聞こえたその声に、レイは一気に目が覚めた。
「レイ、何処にいるの?」
小さく聞こえたその声は、間違いなく母の声だった。
思わず飛び起きたレイは、慌てて辺りを見回す。
「なんだ空耳か……そうだよね、母さんの声が……聞こえる訳、無いもんね」
がっかりして、そう呟きながら膝の上の猫の額を撫でてやる。
「レイ、何処にいるの? 全く困った子ね」
今度は間違いなく聞こえた。しかもすぐ近くだ。
もう一度辺りを見回した時、近くの茂みの向こうから女性が顔を出した。
「まあ、ここにいたのね」
間違いなくレイに向かって話しかけるその女性は、金髪であることを除けば、声だけで無く顔立ちまで母によく似ていた。
言葉も無くその女性を見つめていると、膝に乗った猫が、甘えた様にひと鳴きした。
「まあまあ、レイが私以外の人に懐くなんて珍しいわ」
笑ったその女性が近くに来たので、レイは慌てて立ち上がった。膝から飛び降りた猫が、文句を言う様にレイを見上げて、足元に頭を擦り付けた。
「君……レイって言うの?」
嬉しそうに喉を鳴らす猫を見て、膝から力が抜けてしゃがみこんでしまう。
「何だ、そうだったのか。君、レイって言うんだね」
半泣きになりながら、甘える猫を抱き上げて立ち上がった。改めて抱き上げてみると、もふもふの猫はかなり重い。
その女性は、少し離れた場所でレイの事を見つめている。
「えっと、この猫さんの飼い主さんですか?」
レイに抱きつく様にして肩に顎を乗せて喉を鳴らす猫の背中を撫でてやりながら、レイは女性に話しかけた。
「ええそうよ。貴方が見つけてくれたのね、ありがとう」
「えっと、この子はそこの木の上に上がってしまって降りられなくなっていたんです。それで僕が降ろしました」
頭の上の木を見上げて、女性が不思議そうに首を傾げる。
「貴方でも手は届かないわ。どうやって降ろしてくれたの?」
「えっと、シルフに頼んで降ろしてもらいました」
そう言うと、レイの肩や頭に先ほどのシルフが現れて大きく頷いた。
「まあ、貴方は精霊使いなんですね。レイを助けてくれてありがとう」
そう言って側に来て、猫を受け取ろうと手を差し伸べる。
その女性は、恐らく農作業どころか重い物さえ持った事も無いのだろう。綺麗な、手入れされた細くて長い指先をしていた。
「ほら、ご主人様がお迎えに来てくれたよ」
返そうとするが、猫はレイにしがみついて離れようとしない。
「まあまあ、よっぽど貴方のことが気に入ったのね。良かったら、こっちへ連れて来てくれる?」
女性にそう言われて、レイは猫を抱いたままついて行った。
庭の反対側にも、大きな扉と窓のついた部屋があり、さっきの部屋と同じ様な豪華な家具や絨毯が敷いてあった。
そして、その部屋の奥にあるソファには、マイリーやタキス、ガンディがいたのだが、衝立に邪魔されてレイは気付かない。
三人は、女性と一緒に入ってきたレイに気付いたが、皆驚きのあまり言葉も無かった。
「その子はここが指定席なの。ここに座らせてやってくれるかしら」
女性が示した場所は、一人用の大きな手すりのついた椅子で、ふかふかの毛皮が敷かれている。
「すごい豪華な寝床だね。はい、ここに座るんだって」
そう言って、もう一度頭を撫でてから椅子に座らせてやった。今度は大人しく椅子に座って身繕いを始める。
「良かったね。もうあんな危ない事しちゃ駄目だよ、レイ」
嬉しそうに喉を鳴らす猫をもう一度撫でて、レイは振り返った。
「えっと、それじゃあ僕は失礼します」
会釈して庭に出ようとしたが、その女性は首を振った。
「いいえ、戻る必要はありませんよ」
「でも、あの部屋で待ってる様に言われたんです。誰か帰って来る前に部屋に戻っておかないと」
困った様にそう言って女性を見る。
にっこり笑った女性は、レイの目の前で彼の手を取った。
「貴方が会う予定の人は、今、目の前にいますよ」
驚きのあまり声も無く、目の前の女性を見つめる。
「……マティルダ王妃様?」
「はい、そうですよ」
もう一度笑って、悪戯が成功したかの様に吹き出した。
「本当は、私が貴方の部屋に行く予定だったの。でもレイが勝手に庭に出てしまって、慌てて探したのよ。貴方がこの子を助けてくれて助かったわ」
母さんにそっくりな、恐らく母さんよりも年上のその女性は、おかしくて堪らないと言わんばかりの笑顔で、レイの手を握ったまま彼の事をじっと見詰めていた。
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