城での準備と後見人の事

「では案内するよ。ああ、言っておくがここからは歩きだからな」

 マイリーの言葉に返事をしたレイは、手を振る竜騎士達に見送られてマイリーの後について行った。

 レイの後ろには、たった今手直した軍服を持った兵士がついた。集まってきた何人もの兵士達に取り囲まれる様にしたレイとマイリーは、吹き抜けの渡り廊下を歩いて城に向かった。

 高い天井と、隙間なく敷き詰められた見た事の無い綺麗な模様の石の床。太い柱が続くその渡り廊下からは、芝生の綺麗な広い中庭が見える。

 渡り廊下の柱や天井には、それぞれに魔除けの妖魔や英雄が精密な細工で作られている。今にも動き出しそうな見事な石像の数々に、レイは思わず声を上げた程だった。

 廊下の遥か先には、巨大な石の壁と大きな扉が見える。目的地の城まで、かなりの距離がありそうだった。



「あの中庭は、竜達が降りる為の場所だ。その為、大きな樹は植えられていない。先程いた建物が、竜騎士隊の本部がある建物で、隣には竜騎士隊専用の兵舎もある。その隣にはまた別の大きな建物があって、普段の竜達が暮らす竜舎になっている」

 渡り廊下から見える中庭を指差して、歩きながらマイリーが教えてくれた。

「姿が無いから、竜達はどこにいるのかなって思ってました」

 納得した様に頷くレイを見て、マイリーは付け足した。

「レイルズとタキスも、今日は兵舎に部屋を用意するからそこに泊まってもらう」

「分かりました。よろしくお願いします」

 真面目な顔で返事をするレイを、マイリーは面白そうに横目で見た。

 ここに来る時は緊張していた様だったが、今の彼は変に緊張する事も無く落ち着いているように見える。

「昨日は楽しかったか?」

 軽い口調で聞いてやると、嬉しそうに大きく頷いた。

「はい! すっごく楽しかったです!」

 満面の笑顔で答えるレイを見て、マイリーまで自然と笑顔になった。

「まあ、彼奴らには、丁度良い遊び相手が出来たってとこだな。遠慮なく遊んでもらえ。彼奴らにも息抜きになって良いだろうさ」

 嬉しそうに目を輝かせてまた大きく頷くレイを見て、マイリーは一応釘を刺しておく事にした。

「言っておくが、ここの警備は離宮とは桁違いだからな。勝手に夜中に窓から出たりしたら、その瞬間に警備の兵士達が団体ですっ飛んで来るぞ」

 慌てて首を振るレイを見て、マイリーが笑って頷いた。

「分かればよろしい」

 冷血漢と噂され笑わない事で有名なマイリーが、レイと笑顔で話すの見て、兵士達は皆同じ事を思っていた。

 さすがは古竜の主だ、と。




 最初、マイリーはレイの事をただの無知な自由開拓民の子供だと思っていた。それならば、教育次第でどうとでも手懐けられると。

 しかし、部下達や周りの執事達から聞く彼の様子に考えを改めた。

 無知な部分はあるのは当然だが、それは彼を低く見る理由にはならない。彼の為人ひととなりを知るにつけ、彼ならここで竜騎士として十分にやっていけるだろうと考えるようになった。ならば、彼の知らない知識を与え、心身共に鍛えてやる事は、自分達大人の仕事だろう。

 思ってもみなかった新しいこれからの展開に、マイリーは久し振りに気分が沸き立つのを感じていた。

「まだまだ俺も若いな」

 思わず小さく呟いた彼の言葉は、風に乗ってすぐに消えてしまった。




 渡り廊下の先は、大きな扉があり二名の兵士が警備に当たっている。

 先頭の兵士とのやり取りの後、一行はそのまま開かれた扉の中に入った。

「声を出さずに前を向いて、前の兵士と隙間を今以上に空けないように」

 マイリーにそっと耳打ちされて、レイは小さく返事した。

「分かりました」

 しかし、今のレイにまっすぐ前だけを見て周りを見るなと言うのは、かなり無理があった。

 何しろ、中に入ったレイの目に飛び込んできたのは、信じられないほどに高い天井と、どこもかしこも堅牢な石造りの壁、壁、壁。

 その壁には、至る所に大きな額に入った人物画や風景画が掛けられていたし、また別の壁には、見た事も無い巨大な織物のタペストリーが掛けられていた。

 高い天井まで続く巨大な柱には、それぞれに精密な石像が飾られ、剥き出しの石の壁は、細やかな唐草模様や幾何学模様で埋め尽くされていた。



 驚きのあまり言葉も無いレイは、必死になって遅れないように前を行く兵士について行った。

 石造りの階段を登り、また廊下を歩く。また階段を登って長い廊下を歩く。階段を降りてまた歩く。自分がどこにいるのかもう全く分からなくなった。

 ようやく大きな部屋に通されて、とりあえずここにいろと言われた時には、もうレイは心底疲れ切っていた。



 連れてこられたその部屋には、既にタキスとガンディが来ていた。

「タキス!」

 思わず大声で呼んでしまい、慌てて口を押さえた。

 そっと隣のマイリーを見ると、彼は笑いを堪えて頷くと手でタキスのいる方を示した。

「良かった、会えなかったらどうしようかと思った」

 駆け寄ってタキスに抱きついた。彼は、ここにいる時にいつも着ている白衣を着ていて、ガンディも普段と変わらない服を着ている。

「少し早いですが、まずは食事にしましょう」

 マイリーの言葉に、何人もの使用人達がワゴンを押して部屋に入ってきた。執事の指示のもと、あっという間にテーブルの上に四人分の夕食が並んだ。

 マイリーが執事に何か耳打ちすると、会釈した彼と使用人達はそのまま部屋の端まで下がった。

「食べましょう。話はそれからだ。ああレイルズ、その剣はここに置きなさい」

 マイリーが、壁際に置かれた場所に、自分の腰の剣を外して置きながら教えてくれた。言われた通りに、外して隣に置いた。

 それぞれ席に着き、精霊王への祈りの後、食べ始めた。

 初めて食べる味のソースがかかったお肉はとても柔らかかったし、パンもふわふわだ。綺麗に飾り付けられた野菜の中には知らない野菜もあって、とても美味しかった。

 何と無く、誰も口を開かないまま無言で食べ終える。食後のお茶とデザートの果物が出されるまで、レイも我慢して黙っていたが、とうとう我慢できずに口を開いた。

「えっと、この後、どうするんですか?」

 出された蜂蜜入りのカナエ草のお茶を飲みながら、マイリーに尋ねる。

「少し休憩の後、先程の服に着替えてから、謁見の場所に行く」

 デザートの、黄色い果物を摘みながら、マイリーが何でも無い事の様に答える。

「えっと、その……僕の後見人になってくれる方って、誰なんですか?」

 説明されても知っている訳は無いのだが、聞かずにはいられなかった。

 マイリーとガンディは顔を見合わせて、一つ頷いた。タキスが居住まいを正すのを見て、レイも座り直して背筋を伸ばした。

「マティルダ王妃様」

 マイリーが言った言葉に、レイは反応出来なかった。

「えっと……王妃様って、王妃様?」

 意味不明の質問になったが、言いたい事は分かってくれたようで、マイリーはもう一度同じ事を言った。

「レイルズの後見人になってくださるのは、マティルダ王妃様。竜騎士隊の隊長である、アルス殿下のお母上様だ」

「ええ! どうしてそんな方が?」

 不思議そうに叫ぶレイに、マイリーは笑うしかなかった。まあこれは予想通りの反応だ。

「君は古竜の主だ。我々竜騎士は政治的な権力は持たないが、政治と全くの無関係という訳にはいかない。その為、竜騎士の後見人には、政治的な偏りがあってはならない」

 いきなりそんな事を言われても、政治って何をするのかそもそも全く分からないレイには、何の事だかさっぱり分からない。

 困ってタキスを見たら、彼は笑って教えてくれた。

「以前話したと思いますが、一番皆様が心配されているのは、あなたを味方につけたら蒼竜様がついて来る事です」

「えっと、前に聞いたけど、ブルーの力目当てに誰かが僕に近付くかもしれないって話?」

「まあ、そう思ってもらって構いません。ここはオルダム。大陸の中心となる一番大きな国の中枢です。蒼竜様の力を、政治的な争いに使われる事だけは絶対にあってはなりません」

「えっとつまり、誰かが僕を味方につける事で政治的な力を持ってしまって、誰もその人に逆らえなくなったりするかも知れないって事だね」

 聞いていたマイリーは、レイの理解の早さに驚いていた。無知だが馬鹿では無い。

「そうです、ですから貴方の後見人になって下さる方には、沢山の条件が求められます」

 タキスの言葉にレイは首を傾げた。

「例えば?」

「政治には無関係である事、しかし宮廷でのある程度以上の権力がある事、そして当然、その人自身が信頼出来る人物である事も絶対条件です」

「それら全てを考えて、候補となったのが王妃様じゃった訳じゃ」

 マイリーの言葉をガンディが継いだ。

「王妃様は、後見人になる事を了承して下さった。しかし、まずは其方に会いたいとの仰せじゃ」

 まさか、そんな重要人物だったなんて。

 自分が王妃様にお会いするなんて、考えただけで足が震える。絶対に何か粗相をして叱られるに決まっている。泣きそうな顔でタキスを見たが、彼は笑ってレイの頬にキスしてくれた。

「大丈夫です、自信を持って。貴方は私の自慢の息子ですよ」




 お茶を飲んだマイリーが、振り返って執事に指示を出す。

「さて、それではまずは着替えよう。レイルズは隣の部屋へ行ってくれ。タキスはどうしますか?」

「私もそこで着替えます。師匠がずいぶんと張り切ってくれましたので」

 苦笑いするタキスは、立ち上がってレイの背中を叩いた。

 慌てて残りのお茶を飲んで、一つ残っていた果物も口に入れる。きちんと全部飲み込んでから立ち上がった。

 執事について隣の部屋へ行くと、そこには数人の第二部隊の兵士達が待っていた。

「それでは、着替えをお手伝いします。全て我々が致しますので、どうぞそのまま立っていてください」

 驚きのあまり声も無いレイに構わず、二人の兵士がレイの横に立った。

「失礼いたします」

 声と共に、左右からテキパキとレイの服を脱がせていき、あっという間に下着だけにされてしまった。

 言われるままに、服に袖を通しズボンを履く。ベルトが締められ剣帯が巻かれてもレイは動けなかった。

 更に母さんのペンダントを首からかけられて驚いた。この服装でペンダントを付けていても良いんだろうか? 疑問に思ったが。上着を着ればペンダントは隠れて見えなくなった。

「そのペンダントには、精霊の石が入ってるんだろう? それなら身につけておかないとな」

 マイリーの声に振り返ると、少し離れた所で彼も着替えを終えていた。真っ白な竜騎士隊の専用の紋章の入った制服だ。

「それもミスリルなの?」

 マイリーの剣帯に装備された剣は、ロベリオやユージンが持っていたものよりもやや細めで長い。

「ああ、彼奴らに見せてもらったんだってな」

 腰から剣を外して渡してくれた。

「持ってみるかい? 危ないから抜くんじゃないぞ」

 両手で受け取ってまず重さに驚いた。しかし、ロベリオの剣よりも少し軽く感じる。

「俺のは細身の剣だからね。確かにロベリオの剣よりも少し軽いかな。持っただけでよく分かったな。ああ、一番重いヴィゴの剣の半分ぐらいの重さじゃないかな」

 笑ってそう言ったマイリーは、返された剣を抜いて見せてくれた。やや緑がかった銀色のその剣は、確かにロベリオに見せてもらったものよりも細くて長い。同じように根元の真ん中部分にはラトゥカナ文字が彫られている。

「我守るべし。竜との絆と精霊を。我守るべし。我らが民とその領土。我守るべし、我の誇りと我の意思」

 静かなマイリーの言葉に、レイは顔をあげて彼を見た。

「我々竜騎士が、陛下からこの剣を下賜される際に誓う言葉だ。竜と精霊を守り、我が国の民と領土を守る。そして、竜騎士としての誇りを持って自分の意思で動く。要はそういう意味だ」

「はい。僕もそう言えるように頑張ります!」

 目を輝かせて叫ぶように言う彼に、マイリーは笑ってその背中を叩いた。

「期待してるぞ。しっかり頑張ってくれ」

 その言葉に大きく頷いたレイは、タキスを振り返って歓声を上げた。

「タキス、凄く格好良いよ」

 彼は、薄緑色の光沢のある生地で出来た服を着ていた。

 軍服よりもややゆったりとした形で、しなやかな生地が動くと光を反射してとても綺麗だ。

 細身の彼に似合ったその衣装は、ガンディが用意した物らしい。竜人の特徴である長い耳には細やかな細工の耳飾りが付けられている。

「ちょっと恥ずかしいんですが、貴方がそう言ってくれるなら良い事にします」

 照れたように笑うタキスは、今まで見た中で一番素敵だった。




「さあ、準備も出来たようですから行きましょう」

 マイリーの言葉に、執事が部屋に入って来て一礼した。

「それではご案内致します」

 剣帯に剣を戻したマイリーが先頭に立ち、隣にレイが並ぶ。後ろにタキスとガンディが並んで執事の後に続いた。

 部屋にいた第二部隊の兵士達は、全員直立して敬礼して彼らを見送った。




 いよいよ、後見人となる王妃様との謁見だ。

 レイは今までにないくらいに緊張していたが、肩に座ってキスしてくれたシルフの存在に、ブルーの事を思い出して大きく深呼吸した。

「うん。どんな方か分からないけど、気に入ってもらえると良いね」

 小さな声でシルフに話しかけると、シルフは笑って大きく頷きもう一度キスしてくれた。

『レイのことを気に入らぬ訳が無い。安心しろ』

 ブルーの声に、レイは嬉しそうに頷いた。そんな彼を横目でチラリと見たマイリーは、満足そうに小さく笑ったのだった。

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