戻ってきた日常

「上手くいったんだな。さすがは竜騎士様だ」

 白の塔の中庭から飛び立った巨大な野生の竜の姿を、精霊塔の庭で拍手で見送った先輩達の口から次々に安堵の声が聞こえた。

 マークも、先輩達と並んで飛び立つ巨大な青い竜を見送った。

 竜熱症の症状の落ち着いた竜の主は、療養の為に、当分の間城の西側の森にある王族直轄の離宮で過ごされるのだそうだ。

 恐らく、あの巨大な竜を城に置かない為の処置でもあるのだろう。



 とにかくこの数日、生きた心地がしなかった。



 国境の紛争もようやく終結し、派兵されていた部隊の兵達も戻って来て、今月に入ってからはようやく通常業務に戻っていたのだ。

 それなのに、突然の野生の竜の王都への襲来の報告。

 王都を守る第二部隊、そして第四部隊ではそれぞれ大騒ぎになっていたのだ。

 しかし、どうやら攻撃的な竜では無かったようで、結果的には攻撃を受ける事は無かった。

 しかし、竜騎士様の乗っている竜達と比べた時のあの大きさの違いに、少しでも知識のある人ならば、この事態の深刻さを全員が理解していた。

 城中の人たちが固唾を飲んで見守る中、丸一日が過ぎ、その後白の塔から、野生の竜の主が竜熱症を発症していた事、無事に浄化処置が終わった事などが報告され、厳戒態勢は解かれたのだった。



「明日からようやく通常業務だからな。お前は、延期になっていた実技の授業の再開なんだろう?」

 楽しそうなキムの言葉に、マークはため息を吐いて頷いた。

「いよいよこれからやりますって時に、いきなり非常召集で、俺達は待機だろ。なんかもう気が抜けちゃって、ちょっとどうでも良くなったよ」

「何言ってるんだよ。実際、一つでも出来たらすごく嬉しいぞ。良い報告聞かせろよな、楽しみにしてるよ」

 笑って肩を叩かれて、マークも、もう一度空を見上げて大きく頷いた。



 ここに来てから、ひたすら毎日、机に向かって勉強する日々だった。

 とにかく、知らない事しか無いような状態からの勉強だから、いっそ開き直って素直に一から教えてもらえた。

 教授達も、彼らにとっては当たり前の事まで、細かく丁寧に教えてくれて、マークがする、馬鹿な質問にも怒る事も笑う事もせずに、とにかく細かく丁寧に教えてくれた。

 零点続出だったあの試験は、彼の知識を確認する為の試験であって、評価の対象では無かったと、後で教授から笑って言われた時には、安堵のあまり膝から崩れ落ちて教授を慌てさせた。

 ようやく、最低限の知識を得て、精霊達ともかなり仲良くなっていたマークは、まさにあの竜が来た日からいよいよ精霊魔法の実技に入る予定だったのだ。

 しかし、緊急招集で授業は全て中止になり、訓練兵達には待機命令が出ていたのだった。

「しかし、野生の竜の主って、どんな人なんだろうな」

「間違いなく貴族階級じゃ無いだろうから、後が大変だろうな」

「貴族階級以外の人物が、竜の主になったのって……ルーク様以来か」

「だけど、あの方は妾腹とはいえ、公爵の息子だぞ」

「完全な一般人出身の竜の主なら、少なくとも、ここ二百年では初めてじゃ無いか?」

「すごいよな、本当にどんな人物なんだろう?」

 先輩達がどう考えても内緒話とは思えない声で話す内容を、マーク達は後ろで真剣に聞いていた。

「いずれ、我々にも関わってくるんだから、そのうち何か正式な連絡があるだろう。それまで、勝手な憶測は控えろよ。お前ら」

 突然背後から聞こえた声に、その場にいた全員が直立した。

 そこにいたのは、シルバーグレイの髪を短く刈り上げた、背の高い、彼らの直属の上司であるダスティン少佐と、背の高さは同じぐらいだが、横幅はかなり場所を取っている精霊魔法訓練所のケレス学院長だった。

「はい!了解です!」

 全員敬礼して、後ろ姿を見送った。

「驚いた、いつの間にいたんだよ」

 先輩達が持ち場に戻るのを見ながら、キムの後に続いて図書室へ戻りながら、マークは別の事が気になっていた。

「そっか、ルーク様って妾腹なんだ……」

 思わず呟いた。



 竜騎士隊の中でも、一般市民にルークの人気は特に高い。彼は貴族出身では無く、王都に近いハイラントの街のスラム街の出身だからだ。

 しかもそれまでの彼は、街を牛耳って私腹を肥やしていた市長や役人達に盾突く、いわば反対勢力の代表である愚連隊の一員だったのだ。

 相当腕も立ち、また人望もあったようで、スラム街だけに留まらず、街でもかなりの人気者だったらしい。

 当然、支配者達からは目の敵にされていて、相当危ない事もやっていたと、どこまで本当かは分からないが、とにかくかなり色々な噂があるのだ。

 しかし、彼が竜騎士になった後、ハイラントの街の市長を始めとする役人達の汚職が次々に明るみに出て、一斉に辞めていったのは無関係では無いだろう。

 その後のハイラントの街の復興振りと、スラム街がずいぶん綺麗になった事を見れば、どちらが正しかったかは一目瞭然だった。

 逆に言えば、そんなスラム出身の人でも竜の主になれる可能性があるのだと、街の子供達からは、ルークは竜騎士隊の中でも特別な存在として想われているのだ。




 午前中、いつもの苦手な書類仕事を終えたヴィゴは、ロベリオとタドラと共に、レイのいる湖畔の離宮に来ていた。

 庭に降りると、待ち兼ねていたかのように飛び出して来て手を振るレイの姿に、三人は笑いを堪えられなかった。

「すっかり元気になったようだな」

 竜の背から降り、出て来た第二部隊の者達に竜を預ける。

「レイルズ! 体調はどうだい?」

 タドラの声に、レイは笑ってくるりと回ってみせた。

「今日は、朝もお昼もちゃんと食べたよ。ガンディからも、今日も運動しても大丈夫だって言われました!」

「そうか。じゃあ今日も遠慮なく叩きのめせるな」

 そう言って笑うロベリオに、レイも笑って舌を出した。

「絶対、今日こそは勝ってみせるからね!」

「おう、楽しみにしてるぞ。そう簡単にやられたら面白くないからな」

 三人は楽しそうに話しているが、ロベリオは完全に保護者目線だ。今まで一番部隊では年下だったタドラも、自分より年下の彼の事が気になって仕方がないらしい。

 こうやって並んで話しているのを見ると、背の高さは然程変わらないが、やはり話すとまだまだレイは子供である事が分かる。

 息子のいないヴィゴは、こんな子がいたら毎日楽しいだろうなと、思わず親の目線で彼を見てしまっていた。



「それじゃあ一旦休憩してから、今日は棒術訓練かな?」

 昨日とは別の、応接室に通された四人は、タキスとガンディも加わって、まずはお茶を頂いた。

「そう言えばこのお茶、蜂蜜無しだとものすごく苦いよね」

 とにかくここにいる間中、出てくる飲み物といえばこれ一択である。

 聞くと、彼らも日常的にこのお茶を飲んでいると聞かされて、レイは感心したように呟いた。

「僕、このお茶を蜂蜜無しで飲めって言われたら、毎回泣いてたと思う」

 その言葉を聞いて、竜騎士達とガンディは堪える間も無く吹き出した。

「大丈夫だよ。いざとなったら、人間どんな事にも慣れるんだよ。俺も初めてこのお茶を飲まされた時には、本気でガンディに苛められてると思ったもんな」

「僕も思った。絶対、苛められてるって」

 ロベリオの言葉に、タドラも大きく頷いている。

「お茶菓子は必須だったよな。まあ、殿下とルークは、元々甘党だったらしいけど」

「僕も甘いもの好きだよ」

 笑うロベリオに、レイが大真面目に答える。

「そっか、お前も甘党か。じゃあ言っといてやるよ。仲間が出来たって殿下とルークが喜びそうだな」

 ロベリオの言葉にタドラも笑って頷いている。



 元々酒好きのマイリーとヴィゴは、カナエ草のお茶も、別に気にせずそれだけで普通に飲んでいる。ロベリオとユージン、タドラも、あれば口直しに食べるが、特に甘いものが無ければ駄目と言う程では無い。

 しかし、アルス皇子とルークは、自分で甘いものを調達したりもしている。当然、全員分用意してくれるのだが、ものによっては大人二人は笑って遠慮している事もあった。

 第二部隊御用達の商人は皆、お勧めの甘味を、最低でも十種類は常に用意しているくらいだった。

 それを聞いたレイは、嬉しそうに満面の笑みでタキスを見た。

「良かったですね。甘いもの好きな方がいて」

「じゃあ、ニコスのパンケーキは絶対食べてもらわないとね!」

「へえ、パンケーキか。良いな、そんなこと聞いたら食べたくなって来た」

 ロベリオの言葉に、レイも興味津々だ。それを見ていた側に控えていた使用人が一人、部屋からこっそり出て行ったのを、タキスは目の端で見て気付いていた。



「さてと、それじゃあ行くか」

 ヴィゴの言葉に、全員立ち上がった。

 今日の彼らは、白い軍服ではなく、動きやすい遠征用の服装だ。

 昨日の訓練場に入った三人は、まずマントと剣帯を外して棚に置いた。

 それから、別の壁に作り付けられた沢山の棒が掛けてあるところに行った。

「レイルズはどれを使う?」

 ヴィゴが、幾つかの棒を取り出して持たせてくれた。

 握る部分が太い物、細めのもの、重さも様々で、レイも真剣にいつも使っている棒に近いものを探した。

「あ、これが良いです」

 何本か持たせてもらった中で、一番手にしっくりくるものがあった。

「へえ、割としっかりしたのを使うんだな。じゃあ俺はこっちにしよう」

「じゃあ、僕はこれだね」

「それなら、俺はこっちにしよう」

 三人が手にしたのは、それぞれに長さや太さに違いがあった。

 ロベリオが選んだのは、レイが持っているのに近い定番サイズのものだ。タドラが持っているのは、少し細めでやや長い。ヴィゴが持っているのは太さも長さもある。逆に言えば、これは彼以外では使いこなせない程の大きさだろう。

 ヴィゴも相手をしてくれると分かり、レイは更に嬉しくなった。

「ヴィゴ、後で俺とも手合わせしてくださいよ」

「ずるい! ヴィゴ、僕もお願いします!」

 ロベリオとタドラの言葉に、ヴィゴは頷いた。

「何なら、後で乱打戦でもやるか、お前ら二人とも一緒に相手してやるぞ」

「なにそれ!僕も入れてください!」

 レイの叫び声に、その場にいた全員が笑った。

「もちろん構わないが、しかしまずはこの二人と手合わせしてみなさい。腕を見て、乱打戦に加わっても良いか決めてやろう」

「お願いします!」

 棒を手に、部屋の中央へ走った。

「って事だから、まずはタドラ、相手してやれ」

 ヴィゴに背中を叩かれて、タドラは大きく頷いた。



「さてと、格闘術はあの歳にしては中々だったからな。果たして棒術は如何であろうか?」

 ヴィゴが楽しそうに呟く。

 壁際に寄ったヴィゴとロベリオが顔を見合わせ、タキスとガンディを見た。

「審判はどうするかな? 誰か第二部隊から呼んでくるか……」

「それなら、僭越ながら私が務めましょう」

 タキスが立ち上がって、手をあげる。

「おお、ならお願いします」

 ヴィゴの言葉に頷いて、部屋の真ん中へ進み出た。

「それでは、構えて」

 タキスの声に、二人は向かい合って手にした棒を構えた。

 レイは目を輝かせて、手にした棒をもう一度しっかりと握り直した。

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