病の発症
「酷いよタキス!」
レイもその場に座り込んで笑いながら、タキスを見上げた。
「とりあえず、何でもいいから服を着ろ」
タキスが置いてくれてあった大きな身体用の服を、ニコスが笑いながら手に取って、ちょっと考えてレイの頭に乗せる。
まだ笑いながら急いで服を着ているレイを見て、ギードは安心して表に出た。庭先に、荷馬車とポリーを置きっ放しだ。
「すまんすまん、レイはもう大丈夫だからな」
心配そうに、並んでこっちを見ている二頭の騎竜に、ギードは笑いかけた。後ろから、元の体に戻ったレイも出て来ている。
「それじゃあ、夕食の準備をしてくるよ」
二人の作った花束ごと、ニコスがバルナルが作ってくれた夕食の包みを持って家へ戻った。
レイの腕に甘噛みするポリーを撫でてから、ギードがトケラとポリーを厩舎へ連れて行った。
「とりあえず、荷物を降ろしてしまいましょう」
タキスが、荷馬車の覆いを取り外しながら、影の差した空を見上げる。
「あ! ブルーだ! ただいま!」
レイが上空に向かって嬉しそうに手を振ると、ペンダントから何人ものシルフが現れてブルーの元へ飛んで行った。
「怪我をしたと聞いたが、大丈夫か? 必要なら、我の癒しの術を使うが良い」
庭の端に降り立ったブルーは、元の姿に戻ったレイに、首を伸ばして嬉しそうに大きな頭を擦り付けた。
「大丈夫だよ。怪我って言っても打ち身だったから。それに、元の姿に戻してもらったら、痣も小さくなったの。ほら!」
背中を捲り上げて、薄く小さくなった痣を見せた。
「おお、それならば良かった。あの小さな身体では、ちょっとした傷も痛んだであろうに」
そう言ってもう一度背中に頭を擦り付けると、癒しの術を発動させた。
「ふむ、やはり打ち身にはそれほど効かぬな」
少しだけ薄くなった背中の痣を見ながら、ブルーが悔しそうに言う。
「あ、でも少し痛かったのが無くなったよ。ありがとうブルー」
振り返ったレイが、笑ってブルーの額にキスをした。
「暗くなる前に荷下ろしをしないといけないから、ごめんね」
丸くなって座ったブルーにもう一度キスをすると、荷馬車から畳んだ布の束を担いで家へ入って行った。
「ずいぶんと、力も付いて来たな」
感心したように呟く蒼竜に、タキスが笑って答える。
「力だけで無く、ラプトルもすっかり乗りこなせるようになりましたし、格闘訓練での成長も素晴らしいです。彼は本当に優秀ですね」
「教えてくれる先生も皆、優秀な様だしな」
横目でタキスを見ると、彼は照れた様に笑って首を振った。
「優秀なのは、ニコスとギードですよ」
誤魔化す様にそう言って、タキスも野菜の大きな包みを持って家へ入って行った。
戻って来たレイは、食材を運ぶ時に使う手押し車を持って来ていた。
「これなら、一度に沢山運べるもんね」
そう言って、幾つも積み込んでまた運んで行く。
厩舎から戻って来たギードも加わり、ギードの家に運ぶものを選んで順に運んだ。
「無事な姿も確認したし、それでは我は戻るとしよう。ゆっくり休む様にな」
出て来たレイに、もう一度頬擦りすると、ブルーはゆっくりと飛び上がり泉へ戻って行った。手を振ってその姿を見送ったレイは、残りの荷物を手押し車にまとめて積み込んで家へ戻った。
久しぶりに皆揃った夕食は、とても美味しかった。
タキスは、賑やかだった街の様子や、如何に花の鳥が素晴らしかったかを力説するレイを嬉しそうに見つめていた。
「あ、そうだ。タキスにお土産。これ、僕が作ったんだよ」
食事が終わってニコスがお茶を入れている間に、空いた椅子に置いてあった花束をレイがタキスに渡した。
その花束を受け取ったタキスは、驚いて声も無く手の中のそれを見た。
真ん中に、赤からピンクの濃淡になった掌ほどの花の鳥が丸くなっていて、その周りを白と黄色の可愛い花が、丁度鳥の巣の様に取り巻いていた。
やや上を向いてこっちを見ているその花の鳥は、餌を待っている小鳥の雛の様にも見えた。
「これを? これを貴方が作ったんですか?」
呆然と花の鳥を見つめながら尋ねると、レイは嬉しそうに頷いた。
「えっとね、女神オフィーリアの神殿で、花の鳥を作る講習会をしてたの。そこで作ったんだよ。すごく楽しかった。それに……素敵な巫女様もいらっしゃったし」
ちょっと赤い顔でそう言うレイを見て、ニコスとギードは思わず吹き出した。
「もう、なんで笑うんだよ!」
照れた様に顔を真っ赤にして、大きな声で叫ぶレイを見て、二人はまだ笑いながら謝った。
「すまんすまん。しかしお前さん、完全に子供扱いされておったよな」
「悪い悪い。うん、いや確かに素敵な方だったよ」
拗ねるレイの頬を撫でて、ニコスも謝り、お茶の入ったコップを渡しながら、ちょっと寂しそうに小さな声で呟いた。
「……そうだよな。そう言う経験だけは、ここにいる俺達では絶対に教えてやれないからな」
ギードの作った花束と並べて、楽しそうに感想を言い合っている三人を見て、ニコスはいつか来るであろう、レイの巣立ちの日を考えずにはいられなかった。
「今度は絶対に……いや、そう思う事が既に俺の傲慢だな。彼の人生は……彼のものだ」
翌日から、またいつもの日常が戻って来た。
買って来た食材を整理して、それぞれの場所に入れて行く。騎竜や家畜達の世話をして、畑の世話をする。空いた時間を見つけては、格闘訓練や棒術の訓練。草原の横の林に作られた訓練場所は、また足場を変えられてレイは悲鳴をあげていた。
七の月に入ると、気温もぐっと上がり畑の野菜達の育成も早くなった。
毎日、沢山の野菜や根菜を収穫し、保存方法を教えてもらいながら、たくさん働いた。
「これだけ暑くなると、怠いし疲れるね」
収穫の終わった畑に、追い肥を入れてやりながら、首に掛けた布で汗を拭ってレイが心底嫌そうにそう言った。
「水分をしっかり取ってくださいね」
タキスの声に頷いて、ベルトに取り付けた水筒から水を飲む。
実は今朝起きた時、久し振りに酷い咳が出て止まらず、もう少しで吐きそうだったのだ。
なんとか治ったので、急いで着替えて洗面所へ行き、何度も何度もうがいをした。
だが、食事の後にまた喉が痛くなって、こっそりのど飴を舐めてみたが、何故か喉の痛みと違和感は引かず、その日一日中ずっと続いてレイを悩ませた。
その日は、せっかくの夕食もあまり食欲が出ず、少し残してしまった。
「ごめんなさい。ちょっと、今日はお腹がいっぱいです」
「どうした? 残すなんて珍しい」
半分近く残ったお皿を下げながら、ニコスが心配そうにそう言った。タキスとギードも、驚いてレイの顔を覗き込む。
「えっと、ちょっと暑さに負けたみたい。なんだか少し怠いの」
誤魔化す様に笑ったが、だんだん目の前が暗くなってきた。
「ごめん、ちょっと寝て来る……」
逃げる様に立ち上がって、部屋へ戻ろうとした時、いきなり部屋が回った。
咄嗟に椅子に縋り付いて倒れるのは避けたが、そのまま目の前が真っ暗になって、立っていられず膝をついた。
「レイ!」
タキスの悲鳴が部屋に響く。
咄嗟に駆け寄ったギードが、倒れそうなレイを支えてくれた。
「ごめん……なさい……ちょっと、吐き、そう」
慌てたギードとタキスに両腕を支えられて洗面所へ向かった。
レイの首筋には、冷や汗が流れている。
便器に縋り付いて、たった今食べたものを全部吐いた。
しかし何度吐いても吐き気は止まらず、最後には胃液まで吐いた。それでもまだ吐き気が止まらない。
手足の先が痺れて、意識が遠くなる。
頬を叩かれて名前を呼ばれたが、もうレイには答える事も出来なかった。
意識の無い、大きくなったレイを運ぶのは大変だった。
シルフにも手伝ってもらい、ひとまず一番近い居間のソファにレイを寝かせる。
蒼白な顔の彼は、まだ意識を取り戻さない。
タキスが薬草庫へ走り、いくつかの薬を取って戻って来た。ニコスが毛布をレイの体にかけて汚れた口元を拭ってやる。酷く汗をかいている事に気付き、部屋に着替えを取りに走った。
ギードが側について、ニコスから受け取った布で、レイの汗を何度も何度も拭ったてやる。
「どうしたと言うのじゃ。しっかりしろ」
汗で張り付いた前髪を上げて、額の汗も拭う。その額は火がついた様に熱い。
「タキス! 熱があるぞ! それもかなり酷い高熱じゃ!」
側に来たタキスと場所を代わり、後ろから覗き込む。
その時、レイがうっすらと目を開けた。
「ごめんね……せっかくのご飯、吐いちゃって……」
「そんな事気にしないでください。どこか痛むところは? 苦しくないですか?」
横を向いたレイの背を撫でながらタキスが尋ねる。レイは首を振った。
「口が苦い……怠くて眠いだけで、どこも痛くないよ……」
その時、ニコスが、着替えと一緒に手桶を持って戻って来た。
「レイ、目が覚めたんだな。良かった。ひとまずこれで口をすすぐと良い。苦くて気持ち悪いだろう」
台所の水瓶から水を汲んで来て、何度もうがいをさせた。
「ありがとう。もう大丈夫……」
支えてもらわないと、起きている事さえ出来ない。
容体が落ち着いたのを見計らって、レイの部屋に、シルフに手伝ってもらって三人がかりで運んだ。
ベッドへ寝かせたが高い熱は下がらず、また汗をかいている。
「今夜はここで様子を見ます。ニコス、ありったけの着替えを出しておいてください。それから、綺麗な布も。また吐くかもしれませんので、手桶と水もお願いします」
「わしも一緒にいよう。レイの身体は、着替えさせるにしてもお主一人では支えられんだろう」
「そうですね。お願いします」
着替えを持って戻って来たニコスも加わり、一晩中、交代で仮眠を取りながら様子を見た。
レイの熱は下がらず、夜にも二度嘔吐した。苦しそうなレイの背中を撫でてやりながら、タキスは体の震えが止まらなかった。
熱冷ましも、吐き気止めも全く効いていない。
水だけはなんとか飲ませているが、これほどの嘔吐が続けば、簡単に脱水症状を起こすだろう。
必死になって水を飲ませた。
夜が明けても、容体は悪くなるばかりだった。
熱が下がらない。
そして、不意に来る酷い吐き気と咳。特に、酷い咳の後に吐くことが多い。
せっかく飲ませた水も、ほとんど吐いてしまっているだろう。
「タキス、一体レイのこの様子は何が原因なんだ?」
また酷い咳の発作を起こし、ようやく収まった時に、毛布をかけてやりながらニコスが不安げにタキスの顔を見た。
「分かりません……分からないんです。今のレイの身体は、全く薬が効かなくなっている。こんな症状は……」
口を噤んだタキスを、ニコスとギードが不安げに見つめた。
「お主、言っておったな。ご子息を亡くした時に、その……」
言いにくそうにギードが言うのを、タキスは途中で遮った。
「それ以上言わないでください! 何としても、原因を突き止めます。絶対に……絶対に……」
少し汗をかいて、懇々と眠るレイの額にキスをして、タキスは自分に言い聞かせる様に呟いた。
「絶対に、絶対に今度は手放しません」
無言でそれを見つめる二人も、気持ちは同じだった。
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