タガルノの竜とその主

 東の国境に急ぎ戻ったヴィゴとガンディは、そのまま砦の外に降り、倒れている竜の元に駆け寄った。

 主が手当てを受けている天幕の側で、倒れたまま動けなくなっているその竜は、確かに驚く程に小さかった。

 まだ身体も碌に出来上がっていない幼い竜を平然と戦場に送り込むタガルノに、ガンディはまた怒りを露わにしていた。

「とにかく薬を飲まさねばな。可哀想だが、先ずは腹の中のものを、全部吐き出させるのが先だ」

 そう言うと、駆け寄って来た第二部隊の兵士達に、次々と指示を出し始めた。



 それを少し離れた所で見ていたヴィゴは、立て続けの長距離移動の強行軍に、さすがに酷い疲れと軽い目眩を感じて、思わずシリルにもたれかかった。

「我の足に座ると良い。今のヴィゴは血が足りていない。ヴィゴには休息が必要だ」

 それを見たシリルは、そっと頭でヴィゴを軽く押して自分の後ろ足に座らせた。

「すまん。さすがに疲れた……」

 座った瞬間、さらに酷い目眩を感じて咄嗟にシリルの腹に倒れこむように手をついた。しかし、大きな身体を支えきれずに崩れるように斜めに傾く。

「ヴィゴ様!」

 遠くで医療兵の叫ぶ声が聞こえる。

 大丈夫だと答えようとしたが、酷い貧血と目眩で目の前が真っ暗になり音が遠くなっていく。



「全く、お前は相変わらず無茶をする。一応お前も休みの必要な人間だって事をいい加減覚えろ」

 軽い衝撃の後、耳元でマイリーの怒ったような声が聞こえたが、返事をする前に気が遠くなり、そのまま何も分からなくなってしまった。




「全くお前は……」

  意識を失って倒れこんで来たヴィゴを咄嗟に受け止めて、マイリーは大きなため息を吐いた。

 ヴィゴの声が聞こえたので、戻った事を労ってやろうと天幕から出た所で、彼がシリルに倒れかかるのが見えて慌てて駆け寄ったのだ。

「よっと、相変わらず重いなお前は」

 力の抜けたヴィゴの大きな身体を肩の上に軽々と担ぎ上げると、呆然とする衛生兵に振り返って声をかけた。

「すまんが担架を頼む。さすがに、このまま砦の中まで担いで行くのは、無理がありそうだ」

 担いだヴィゴの足を突きながらそう言うと、呆然と見ていた衛生兵は、慌てたように敬礼して走って担架を取りに行った。

 身体の大きな彼を担ぐには、これが一番楽なのだ。

 これは基本、大きな荷物を運ぶ時のやり方なので、本人に意識があれば、まあ、盛大に文句を言うであろう体勢である事は間違いなかろう。



 マイリーは、もう一度ため息を吐いて空を見上げた。

 初夏の遅い夕暮れも過ぎ、すっかり暗くなった空に星が瞬いている。

 やらねばならない事は目の前に山積みだが、今くらいは、無茶ばかりする彼の事をただの親友として心配させて欲しいと心底願っていた。



 その時、小さな呻き声がして担いだ彼が身じろぎするのが分かった。

「お、気が付いたな。仕方ない、それなら降ろしてやろう」

 からかうように笑って、傍らで心配そうにしていたシリルの足に座らせてやる。

「……すまん、ちょっと意識が飛んだな」

 首を振りながら、小さな声でヴィゴが情けなさそうに言った。

「お前は、いい加減に自分にも休息が必要だって事を覚えろ」

 心配していた事を隠すように、不機嫌な声でそう言うと、マイリーは拳骨でヴィゴの頭を軽く殴った。

「面目無い」

 俯いて、片手で顔を覆ってため息を吐いている。

 予想以上に簡単に凹んだ友を見て、苦笑いしながら短い髪を揉みくちゃにしてやった。

「全く……頼りにしてるんだから、しっかりしてくれよ」

 担架を担いで走って戻って来た衛生兵達に、青い顔をしたヴィゴを任せる。しばらくの押し問答の後、大人しく担架に乗って砦へ運ばれて行くヴィゴを苦笑いで見送ってから、マイリーは、ゆっくりと竜の手当てをしているガンディの元に向かった。



「どんな具合ですか?」

 振り返ったガンディは、ひとしきりタガルノへの悪態をついた後、ため息を吐いた。

「なんとも言えんな。驚いた事に、腹の中は殆ど空っぽだったわい。栄養状態もかなり悪い。どこまでこの幼い竜の体力が持つか……正直言って、かなり分の悪い賭けだ」

 それを聞くと彼もため息を吐き、動かない竜の身体にそっと手を当て目を閉じた。

「頑張れクロサイト。お前も、主も、生き延びさえすれば……生き延びさえすれば、なんとしても守ってやる。だから……頼むから、頑張ってくれ」

 そう言って、そっと滑らかな薄紅色の鱗にキスを贈ると顔を上げた。

「ところで、この竜の主の事ですが……」

「まだ、少年兵だそうではないか。怪我の具合は?」

 ガンディは、竜の腹の中の洗浄処置をしながら上の空の返事をする。

「いえ、少年兵ではありませんでした」

「なんだと? 小柄なだけで大人であったか。それなら意識が戻った時にちと厄介だな」

 手を止めて振り返ったガンディに、マイリーは自分も驚いた事実を告げる。

「いえ、少年では無く少女でした。恐らく十代前半の、かなり小柄の痩せこけた少女です」

「しょうじょ? しょうじょ……少女だと!」

 呆然と、言葉を確認するように呟いた後、意味を理解した瞬間、大声を上げた。

「しかも、十代前半?」

「完全にまだ子供体型の少女だと、治療に当たった医療兵が言ってましたよ。今は、女性の衛生兵が付き添っています。念の為、監視の者は置いておりますが、あの細い腕では、剣はおろか、ナイフを振り回す事も叶いますまい」

 ガンディは、無言で首を振った。

「彼女を竜の背から叩き落としたのはヴィゴですが、少女であったと知ったら、後でまた落ち込みそうだな」

 そう呟いたマイリーは、今日何度目か数えるのも馬鹿らしくなる、大きなため息を吐いて砦を振り返った。

「間も無く花祭りが始まる良い季節だと言うのに……全くやりきれんな」

 そう呟くと、駆け寄って来た第二部隊の兵士にいくつかの指示を出してから、己の伴侶である竜のところへ向かった。

「アンジー、シリルを連れて一旦砦へ戻るぞ。これからの後始末の事を考えると、正直言ってうんざりするよ」

 誰にも言えない愚痴を小さな声で己の竜に零して、マイリーはアンジーの額にキスを贈った。

 アンジーと呼ばれたその竜は、身体の大きさこそシリルと変わらないが、シリルよりも全体に細くしなやかだ。

 やや乳白色の光沢のある鱗は、時折紫の色が混じる。白いたてがみの毛先部分も紫に染まっていて、角度によって、不思議な煌めきを放つ。

 低い音で喉を鳴らしながら、疲れている愛しい主を慰めるように、何度も何度もその体に頬擦りをした。




 砦の中では、アルス皇子とユージン、ロベリオ、タドラの四人が食事をとっていた。

 皆、無言で用意されたものを黙々と食べる。

 正直言って何か食べるような気分では無いが、彼らは皆、食事の重要性を理解している。

 食べられる時にはしっかり食べる。ましてや此処は、いつ何があるか分からない最前線の砦の中なのだ。

 食べ終わると、揃ってカナエ草の丸薬をカナエ草のお茶で飲んだ。

「いつもながら最悪の組み合わせだな。これって飲む度に思うんだけど、絶対この苦味と匂いは、わざと残してる気がするぞ」

 ロベリオがそう言って顔をしかめる。ユージンとタドラも横で頷いていた。

「だから、この苦味が薬効成分なんだから、それを無くしてしまったら意味が無いだろうが」

 呆れたように、アルス皇子が言って伸びをした。

「ご馳走さま。それではお前達は交代で休んでくれ。私は、今から司令官と今後の打ち合わせだ」

 うんざりした顔でそう言うと、付き添いの第二部隊の兵士達と共に部屋を出て行った。三人は、立ち上がって敬礼してその頼もしい後ろ姿を見送った。



 扉が閉まったのを合図に、三人がほとんど同時に振り返った。

 彼らの視線の先には、左腕を固定されてベッドに横になったままの、意識のないルークの姿があった。

「もうすぐ花祭りが始まるってのに、何でこんなところで、野郎ばかりで雁首揃えて待機なんだよ」

「全くだよ、タガルノの奴らは、花祭りなんてしないんじゃ無いのか?」

「残念だな、開会式、楽しみにしてたのにな」

 ロベリオの愚痴に、ユージンとタドラも同意して頷いた。

 特に、最後のタドラの言葉には、実感が籠っていた。

 竜騎士達は毎年、花祭りの開会式に特別招待客として呼ばれていて、大抵、若い竜騎士達がその任につく。開会式では、特別席から花の鳥の出し物を見る事が出来るのだ。

 まだ竜騎士になって二年目のタドラは、去年は別の任務で王都を離れていた為、今年の花祭りの特別席を、とても楽しみにしていたのだ。

「ほら、また来年があるさ。残念だけど今年も諦めろ」

「そうだよ。花祭りは毎年あるんだからさ」

 拗ねた様子のタドラを、ロベリオとユージンが苦笑いしながら慰めていた。



 その時、ノックの音がして、第二部隊の兵士が入って来た。

「お休みのところ申し訳ありませんが報告です。先程、ヴィゴ様が王都からガンディ殿をお連れして戻られたのですが、その後お倒れになられて、担架で運ばれたとの事です」

 それを聞いた瞬間、三人は同時に立ち上がった。

「ヴィゴが倒れた?」

 ユージンの呟きに、ロベリオとタドラは顔を見合わせた。

「まさか、お怪我を?」

 ロベリオの問いに、兵士は首を振った。

「医師による診断は、過労による貧血との事です。隣の部屋でお休みになられました」

「……さすがの鉄人も、この数日の移動距離と心痛はさすがに堪えた訳だな」

「お休みになられれば、直ぐに回復するだろうとの事です」

 第二部隊の兵士の言葉に、三人は頷いた。

「了解だ。ゆっくり休んでもらってくれ」

 敬礼して部屋を出るのを見送ると、三人は立ち上がった。

「ちょっと、表の様子を見てくるか」

「そうだよな。結局俺たちは殆ど戦闘に参加してないし」

 ユージンとロベリオが、剣を装備してマントを手にした。

「僕も行きます。僕も大した仕事はしてないし」

 タドラもそう言って剣を手にしたが、二人は首を振った。

「駄目だ、お前は休んでろ」

「そうだ、お前は北の砦から戻って休み無しなんだから、大人しくそこで休んでろ」

 そう言って、続きの部屋になった隣の部屋を指差した。

「……了解です」

 まだ何か言いたそうだったが、本人も疲れている自覚はあったらしく、二人の指示に大人しく従った。







 *作中の言葉ですが、医療兵は、医師免許を持った軍医及び看護師。衛生兵はそれ以外の兵士という設定です。

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