マークの訓練と言う名の遊び

 北の砦を出発したマーク達一行は、王都への行程のようやく半ばを過ぎたところだ。今日で三日目になる。



 全員がラプトルと荷馬車に乗っているから、一行の足はかなり速い。

 最初はてっきりブレンウッドの街に寄るものだと思っていたら、森の中に作られた細い道から街道に入り、初日に立ち寄ったのはクムスンの街だった。

 今通っている王都から西の国境まで続く大きな街道には、幾つかの街がある。一番大きいのは国境に近いブレンウッドで、クムスンの街はそれに次ぐ大きな街だ。軍の駐屯地もある。



 そこに到着早々夕食を取り、一息つく間も無く連れてこられた会議室で、またしてもあの透き通った少女と会う事になった。

『遊ぼ遊ぼ』

 マークを見るなり、嬉しそうに側へ来て髪を引っ張る。

「駄目だよ、今仕事中なんだから」

 慌てて小さな声でそう言うと、知らないふりをした。

「マーク上等兵、気にせずこれで彼女と遊んでいなさい。ほら」

 現在の直接の上司であるダスティン少佐が、笑いながら、小さなコルクの球を手にしてこっちへ向かって軽く投げた。

 掴もうと手を出した瞬間、あの少女が飛び上がって球を床に叩きつけた。大きく跳ねたそれが、事務員達のいる方へ飛んでいく。

「あ! 何するんだよ! も、申し訳ありません!」

 慌ててコルクの球を拾いに行き謝ったが、受け止めた事務員の女性は、怒る事も無くまたそれを軽く放り投げた。

 また大喜びの少女がボールを叩く。

 皆、飛んで来る球をさも当然の事のように受け止めて、また投げる。



 呆気にとられて見ていると、ダスティン少佐が側へ来て教えてくれた。

「君の仕事は、毎日、彼女達としっかり遊んで早く仲良くなる事だ」

「仲良く……ですか?」

「そう、仲良くなる事は、精霊魔法への第一歩だ。シルフ達は、気まぐれだからね。しっかり心を掴んで、自分の言う事を聞いてもらえるようにしなければいけない。ほら、呼んでるぞ。行って遊んで来なさい」

 背中を叩かれて、仕方無しに側へ行く。

 小さな少女は、全身で楽しさを表すかのように、何度も飛び跳ねて球を叩く。掌に乗る程の小さな身体なのに、元気いっぱいだ。

 何度も球を投げては叩き落とす事を繰り返していたら、ちょっとした悪戯心がわいてきた。

 飛んで来たコルクの球を手にシルフの側へ行く。兄達によくやられた球隠しを見せてやる事にした。



 右手でコルクの球を握り、シルフの目の前で軽く動かす。投げてくれるのだと思い待ち構えている鼻先で、左手に球を持ち替えて、また右手に移す。これを何度もやり、相手が慣れて来たところで、渡すふりだけをして球を即座に後ろへ投げる。

 空になった両手を見せると、引っかかったシルフは、呆然と両方の掌を小さな手で何度も叩いた。

 まるで叩けば球が出てくると思っているかのようだ。

 ちなみにこの遊びは、仕掛けられた本人は気付かないが、後ろで見ている人には丸見えなので、マークのする事を何事かと見ていた人達は皆、彼が球を後ろに投げた瞬間、堪えきれずに吹き出していた。

 意味が分からずに飛び跳ねるシルフに、マークは笑って種明かしをしてやる。

「もう一回やるから、ちゃんと見ててよ」

 頷く彼女の前で、今度はゆっくりと同じ事をしてやった。

 後ろにボールを投げた瞬間、それを見たシルフの動きが止まり、その直後、マークはシルフの怒りの突風によってボサボサ頭にされてしまった。

「ごめんごめん、そんなに怒るなよ」

 髪を撫でつけながら笑うと、シルフが肩に来て頬にキスしてくれた。


『すごい全然分からなかった』

『貴方は本物の魔法使いかと思った』


 ちょっと拗ねたようにそう言うと、もう一度キスしてくるりと回っていなくなってしまった。

「あれ? えっと、怒らせたかな……」

 ちょっと焦ったが、その時、後ろから拍手が沸き起こった。

「すごいな君は。初めてシルフと遊んで、あそこまで仲良くなれるなんて」

「いや驚いた。シルフを騙すなんて考えもしなかったぞ」

 次々に肩や背中を叩かれて、照れるしか無かった。

「自分は農家の八男なんですけど、上の兄貴達に小さい頃これを何度もやられましてね。もう全然意味が分からなくて、悔しくて悔しくて……種を知った時には、本気で兄貴を殴りたくなりましたよ。彼女……ええと、シルフは優しいですね」

 マークが言った言葉に、会議室にいた全員は大爆笑になった。



 その日の夜は、軍の宿泊施設で一泊して早朝に出発、街道をひたすら進み、街道沿いの軍の敷地でテントの中で毛布に包まって一晩を明かした。

 しかし、テントの中に入ってきた何人ものシルフにせがまれてまた球遊びをする羽目になり、かなり寝不足になった。

「人間ってのは、どんな環境にも慣れるもんだな……うん、以前にも言った言葉だけど、本当にそうだぞ。これは」

 何人ものシルフが、狭いテントの中でコルクの球を取り合って遊んでいる。その非日常的な光景を呆れ半分に見ながら、マークはしみじみと呟いた。



 そして三日目、カムデンの街の軍の宿泊施設に到着し、夕食後に案内された広い部屋で、またしてもシルフ達と遊ぶ事になった。

 今度の道具は、長い紐を棒の先に括り付けた玩具で、紐の先には小さな球が付いている。幾つか籠が机の上に置いてあり、紐の先の球を籠に入れたら人間の勝ち、シルフにとられたら負け……と言う遊びだと教えられた。

「まんま、猫じゃらしじゃねえか、これ」

 軽く何度か振り回し強度を確認すると、満面の笑みになった。

「ふふふ、俺様に猫じゃらしを持たせたらすごい事になるぜ」

 待ち構えているシルフと、今日は本気で遊ぶつもりになった。



 農家では、穀物を荒らすネズミを捕ってくれる猫をとても大事にする。

 マークの家も常に何匹もの猫がいて、大体いつも子猫がいた。手が空いた時には、上の兄と一緒に、麻紐で猫じゃらしを作って遊んでやったお陰で、猫をじゃらす腕前は今でも相当なものだ。

 そのマークの動かす、まるで生きているかのように跳ね回る紐の動きは、シルフ達を狂喜乱舞させた。

 右に左に自在に動く紐を追いかけてシルフが飛び回り、マーク自身も立ち上がって走り回った。

 しかし、最後には十人がかりのシルフに囲まれて、とうとう紐をとられてしまった。

「多勢に無勢とは卑怯だぞ」

 息を切らして床に転がると、何人ものシルフが胸や頭の上に座った。


『もっともっと』

『振って振って』

『遊ぼ遊ぼ』


 髪を引っ張りながら笑って言われて、マークも笑った。

「待って……ちょっと休ませてくれよ。振り回しすぎで腕が痛いって」

 両手を振りながら言うと、シルフが肩や腕を叩いてくれた。

「え? 痛いのが無くなったよ。すごいな、今のって君らがやったの? ありがとうな」

 笑ってマークが言った言葉に、周りで見ていた皆が息を飲んだ。

「マーク、今なんて言った?」

 見ていたキム上等兵が、恐る恐る尋ねる。

「え? ああ、遊び過ぎで腕が痛かったんだけど、シルフが叩いたら痛いのが無くなったよ。この子達凄いな」

 そう言って立ち上がると、また猫じゃらしを手にした。当然のようにシルフが喜び勇んで付いていく。

 キム上等兵が、第二戦が始まったのを呆れたように見ていると、ダスティン少佐が側に来た。

「我々は、とんでもない逸材を手に入れた様だな」

「そ、そうですね。痛いのが無くなったって、それって癒しの術です。いきなり風の上級魔法を使うって……しかも、無自覚で。本格的に勉強したらどこまで伸びるのか、末恐ろしいです」

「王都の学院長が、狂喜乱舞するのが目に見えるようだな」

 少佐の声に頷きながら、キム上等兵は別の心配をしていた。

「あの、こんな事、自分が口出す様な事じゃないんですが……」

「何だね?言ってみなさい」

 少佐の許可をもらって、彼は勇気を出して自分の意見を言った。

「彼が王都に着いたら、当然、実地訓練に入る事になるんですか?」

「まあ、当然そうなるだろう。あれだけ精霊の姿が見えて会話が出来るんだからもう充分だろう?」

 頷く少佐を見て、彼は自分の不安が的中していたことを悟った。

「その前に、精霊と魔法について基礎から彼に徹底的に教えるべきです。生まれた時から魔法が身近にあった我々とは違い、彼は精霊や魔法なんて物語の中の物だと思って育っているんです。余りにも無防備で危険です。迂闊なことをして、本気で精霊を怒らせる様な事になったら……取り返しのつかない事になります」

 言わずにはいられなかった。

 キム上等兵は、旅の間、基本的にマークといつも一緒だ。そして、どうやら精霊に好かれているらしいマークの姿を何度も見ている。

 寝ている彼の腹の上にシルフが座ってる事もあったし、ラプトルに乗っている時でさえ、頭や肩にシルフが座っている事が多い。しかし彼は、それに全く気付いていないのだ。

「……精霊を知らない? 普通はある程度は……」

「そうです。精霊を知りません。自分は彼と、この数日行動を共にしていて確信しました。彼は精霊や魔法について、全く、驚く程に何も知りません。我々が常識だと思っている様な事でさえ、彼は知らないんです。これはとても危険な事です。恐らく今の彼は、自分が遊んでいるシルフが何の精霊なのかさえ分かっていないと思われます」

 唸って額に手を当てた。

「そこからか?」

「はい、そこからです」

 即座に答える。

「……分かった、忠告感謝する。王都に着いたらまず、学園長と相談して初級の基礎試験をしてみよう。彼がどの程度、精霊について知っているかそれで分かるだろう」

「その試験、恐らく零点です。取れても一桁ですよ」

 即座に断言するキム上等兵に、少佐はもう一度唸って頭を抱えた。

「あの、出来るだけ自分も、普段の会話で教える様にします。皆さんにも出来たらそうして頂けると良いかと……」

 無言で頷く少佐やキム上等兵の心配など全く知らず、息を切らせたマークは猫じゃらしを手に、ひたすらシルフと一緒に部屋中を走り回っていた。

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