竜騎士の訪れとささやかな嘘

「聞いてたけど、トケラって本当にすごいね。こんなに簡単に、この広い畑のうね起こしが全部終わっちゃうなんてね」

 新芽が出始めた畑で、詰んだ芽を間引きしながら、レイは感心したように呟いた。

「そうですね。もう種も粗方蒔き終わりましたから、後の大仕事は、ギードが広げてくれているあの場所を、畑にする為の土作りですね」

 タキスが見た先では、麦畑の奥にあった小さな林を切り開き、今、正にギードが、切り株をトケラに引かせて掘り起こしている真っ最中だった。

「あれ、大変そうだけど、本当に手伝わなくても大丈夫なの?」

 心配だったが、よく見ると、トケラの足元にノーム達の姿が何人も見えた。

「そっか。ノーム達が手伝ってくれてるんだね」

 安心して笑った。

「そうですよ。土に関わる手間のかかる作業は、ノーム達が手伝ってくれるので、我々は楽が出来ます」

 間引いた新芽をカゴに入れながら、タキスが地面を叩く。すると、手の横にノームが現れて、タキスの手を叩き返してまたいなくなった。

「それでは、よろしくお願いしますね」

 地面に向かってそう言うと、立ち上がって大きく伸びをして腰を伸ばし、膝や足首も回した。

「さすがに、一日中しゃがんでいると、足や背中が辛いですね」

「僕は若いから大丈夫だよ」

 同じように伸びをしてからタキスを見て、笑って横を向いた。

「聞き捨てなりませんね。貴方が若いのは当たり前ですが、私もまだまだ若いですよ」

「そんなの知らない」

 声を上げで笑うと、畝の横を走って逃げる。

 当然追いかけて来るタキスと二人で、畑を走り回る。

 二人とも器用に、種を蒔いた場所を踏まずに逃げるのはさすがだ。



「ここは安全地帯だよ」

 麦畑の奥まで走り、ギードに掴まり隠れた。

「また何をしとるか、お前らは」

 笑ってレイを捕まえたギードに、タキスが追い付いた。

「安全地帯に逃げ込まれては、仕方ありませんね。一時休戦です」

 笑いながらそう言うと、横に置いてあった籠から水筒を取り出してコップに注いで一口飲む。

「はい、貴方達も飲んでくださいね」

 レイとギードにもカップを渡し、それぞれに注いだ。

「これだけ気温が上がると、喉も乾くな」

 ギードが切り倒した木に座って、のんびりと三人は休憩していた。




 その時、不意にタキスが顔を上げた。

「レイ、家に戻って! 今すぐに!」

 強い口調で言うと、立ち上がって背中を叩いた。

「え? 何? どうして……」

「説明は後です。とにかく走って家に入って! それから、扉を閉めて絶対に外に出ないでください」

 タキスとギードが、見たことも無い怖い顔をして空を睨んでいる。

 慌てて、言われた通りに家まで走って扉の中に駆け込んだ。

 扉を閉めようと振り返ると、後ろからタキスも走って来ていて、レイに続いて家に駆け込んできた。

「なんだ、何かあったのか?」

 物音を聞いて、ニコスが台所から顔を出す。

「誰か来ました。すみませんが対応をお願いします」

 そう言うと、返事も聞かずにレイの手を引いて、奥の窓のない部屋に駆け込んで扉を閉めてしまった。

「誰かって……こんな所に、一体何処から誰が来るんだよ」

 呆気にとられて見送った後、慌ててエプロンを外して、急いで扉を開けて外に出た。

 辺りを見回し空を見上げると、二頭の竜がこちらへ真っ直ぐ向かって飛んで来るのが見えた。

「竜だと?まさか……まさか、竜騎士か!」

 急いで、畑にいるギードの所に走った。

「何故だ。何故、竜騎士がここに来る」

 呟きながら、嫌な予感に足が震えた。

 ギードも畑の端まで戻って来ていて、不安そうに空を見ている。

 二人が並んで無言で見上げていると、上空を旋回した二匹の竜は、ゆっくりと上の草原の端に降りて来た。

 上の草原には、家畜やラプトル達を放してある。

 二人は顔を見合わせると、急いで坂を登って上の草原へ急いで走った。




 窓のない部屋へ駆け込んだタキスは、ようやく立ち止まったが、まだレイの手を握ったままだ。

「タキス、痛いよ」

 小さな声で、申し訳なさそうにレイが言って、軽く左の手を振った。

「ああ、すみません……」

 我に返ったタキスが、慌てて手を離したが、力一杯握られたレイの左の手首には、くっきりと指の跡が残っている。

 呆然とそれを見て、タキスはすがるようにレイを抱きしめた。



 その肩は、小さく震えていた。



「すみません、痛かったでしょう。でも……」

「大丈夫、僕はここにいる。言ったよね、ここが僕の家だって」

 小さく笑って抱きしめ返す。

 立ったまま、二人はしばらくそうしていた。

 それから並んでソファに座ると、まだ震えているタキスをレイはもう一度そっと抱きしめた。

「私は人間が怖いんです。ここに誰か来たと思うだけで、息が止まりそうになる」

 腕の中で、消えそうな小さな声でタキスが言うのを、レイは黙って聞いていた。

「誰かって……もしかして、初めて会った時、僕の事も怖かったの?」

 レイの問いかけに、タキスが驚いて顔を上げる。

「いいえ、貴方の事は……怖くなかったです」

「どうして? 僕も人間だよ」

 しばらく無言で見つめ合う。

「そう言われれば、どうしてでしょうか? 確かに、貴方の事は怖いなんて思った事は有りませんよ」

 不思議そうに聞かれて、逆に困ってしまった。

「えっと、僕に聞かれても困るけど、それなら良かった。無理させてたんじゃないかって、本気で心配したよ」

 もう一度顔を見合わせて笑い合うと、タキスがレイの胸にもたれて来た。

「すみませんが、暫くこうしててください。貴方の側にいると、何故か不安が消えていくようです」

「タキスったら変なの。でも良いよ、僕で良ければ椅子がわりになるから、好きなだけこうしててね」

 子供をあやすように、抱きしめた手をタキスの背中でゆっくり動かして軽く叩く。

 二人は無言のまま、扉が開いてニコス達が呼びに来るまで、ずっとそうしていた。




 一方、上の草原へ駆け上がった二人は、草原の端のいつも蒼竜がいる場所に鞍を付けた二頭の竜が立っているのを、なんとも言えない不安な気持ちで見つめていた。

「迂闊なことは言えんな。対応はお主に任せる」

 二人を睨んだまま、ギードが小さな声で言った。

 ニコスが無言で頷くと、一歩踏み出して止まった。警戒している事を隠しもせず、その場から大きな声で話しかけた。

「竜騎士様とお見受けいたします。このような辺境の最果ての地に、一体何の御用でございましょうか?」

 竜から降りた二人の竜騎士は、顔を見合わせてから茶色の短髪の方が返事をした。

「静かな生活をお騒がせして申し訳ない。我々は王都から来ました。蒼の森にお住いのあなた方に、お聞きしたいことがあり立ち寄りました」

 少なくとも、一方的な暴力や、権力を振りかざした命令口調ではない事に、少しだけ警戒を解く。

「何でございましょうか。我らに分かる事であればお答えします」

 頷いて、茶色の短髪の竜騎士言う。

「この森に、野生の竜がいるとの報告が上がっています。あなた方は、何かご存知ありませんか?」

「野生の竜、ですか」

 内心は焦っているが、そんな事はおくびにも出さず、振り返ってギードの顔を見る、二人とも首を振った。

 それから竜騎士達を見て、素知らぬ顔で答えた。

「さて、私はこの森に来てまだ五年ほどですが、この森で竜を見たのは今日が初めてです」

「ワシも同じじゃ」

 後ろから、ギードも平然と答える。

 二人の竜騎士は、また顔を見合わせる。

「そうですか。それなら、これからは十分に気をつけてください。野生の竜は気性が荒い事が多い。迂闊に遭遇するとあなた方に危険が及びかねない。もしも野生の竜を見かけるような事があれば、絶対に近寄らずに、そちらのドワーフを通じてブレンウッドの街のドワーフのギルドに伝言をお願いします。早急に対応します」

「失礼ですが、対応とはどのような?」

 思わず聞き返した。

「別に、竜を討伐するなどとは言いませんよ、ご安心を。ですが、もしもこの森から出て人の住む街へ近づくような事があれば、我らは人々を守らねばなりません。そうならない為にも、出来れば一度、その竜と話がしたいんです。精霊竜ならば、野生の竜でも人の言葉は通じる」

「成る程、よく分かりました。これからの時期は、森に入る事も増えます。我らも気をつけます」

「要件はそれだけです。静かな生活を乱した事を心よりお詫びします。また、冷静な応対を感謝します。良き風があなた方に吹きますように」

 そう言って、目の前で祝福の印を切ると、踵を返して素早く竜に乗り、上空を旋回してから飛び去って行った。



 二人ともずっと無言のままその後ろ姿を見送った。

 ようやく影が見えなくなり、もう大丈夫だと確認すると二人同時に大きなため息を吐いた。

「寿命が十年は縮んだぞ、全く」

「見ているこっちの心臓が止まりそうだったわい」

 顔を見合わせて、二人とも苦い顔になった。

「どうやら、蒼竜様の存在が知られてしもうたようだな」

「まあ、泉から出て来られる事が増えたからな。ある程度は仕方あるまい。さて、どうしたもんかな」

 二人とも考え込んでしまう。

 蒼竜様だけならばまだしも、レイの存在は絶対に外に知られてはならない。

 特に、古竜の主になったなどと知られたら、間違いなくレイはここにはいられなくなるだろう。

「取り急ぎ、竜騎士が来た件は、蒼竜様にお知らせした方が良いのではないか?」

 ギードが、寄って来たラプトルを撫でながら呟く。

「そうだな。蒼竜様の存在を気付かれた事も知らせておくべきだな」

 ニコスも頷いてそう言った。

 その時、ニコスの肩にシルフが現れて座った。

『それには及ばぬ。先ほどのやり取り、全て聞かせてもらった。上手い応対を感謝するぞ』

 シルフが蒼竜様の声で話し始めた。

「おお、それならば話は早い。今後はどういたしましょうか。必要とあらば、我らは知らぬ存ぜぬを通しますぞ」

『人間共は、蒼の森に近い古い砦を修復しておるし、北の砦には百人を超える増援部隊が到着しておる。どうやら、本気でこの森を監視するつもりらしい』

「よろしいのですか?」

 不安になって聞き返した。

『これからは、レイや其方らを背に乗せる時は、姿隠しの術を使って人間共には見えぬようにしよう。我一人の時ならば放っておけ。何か手出ししようものならその時は思い知らせてくれる』

「おお、それは心強い。なれど、出来れば事を荒立てぬ方向でお願い致しますぞ」

 冷や汗をかきながらギードが言うと、シルフが蒼竜様の声で笑った。

『心配には及ばぬ。それは我にとっても良い事ではない。とりあえず其方らは、もし何か聞かれても、知らぬ振りをしてくれればそれで良い。後は我がやる』

「了解しました。また何かあればお知らせします」

 シルフは、一つ頷くといなくなった。

 二人は、顔を見合わせてもう一度大きなため息を吐いた。





 蒼の森の上空を旋回しながら、二人の竜騎士は話をしていた。

 この距離ならば、シルフに頼んで、それぞれの声を耳元に届けられるので普通に会話が成り立つ。

「住民からは収穫なしか。さてどこから当たりますか?」

 タドラの声に、ルークは首を振った。

「いや、間違いなく彼らは何か知っているな。だが、我々に教える気はさらさら無いようだ」

「ええ?どうして何か知っていると? こんな辺境の地に住む住人にしては、まあ、不自然な程冷静な対応だったとは思いますが」

 正直、いきなり攻撃される可能性も考えていたのだが、案外普通の反応で、拍子抜けした程だ。

 首を傾げるタドラに、ルークは下を指差した。

「草原に家畜達がいただろう? 特に黒頭鶏くろあたまが何匹もいたが、竜を見ても怖がる様子が全く無かった。普通、あんな距離に竜が来たら、間違いなく家畜達はパニックになって走り回った挙句、どこかに隠れられる所へ逃げ込んで絶対に出て来ない。それなのに、あいつらは怖がるどころか我々が飛び立った後に直ぐに近寄って来た。あれは、飛び立つ時に竜が地面を爪で掘り返す事を知っている反応だ」

「成る程、それなら……あの草原に、例の竜が来た事があると?」

「恐らくな。それも、あの家畜達の慣れ具合を見るに、どうやら一度や二度では無いようだな。さて、どうしたものか」

「修繕中の砦に、監視の兵だけでも早急に置いてもらうべきですね。あの住民達のいる森の方角を重点的に監視させれば、恐らく竜が目撃出来るでしょう」

「まずはそこからだな。とにかく、話の通じぬ暴竜で無い事を祈るよ」



 上空を旋回しながら見下ろす森は、不思議な緊張感を漂わせている。



「シルフ達が異様に警戒しているな。気を付けよう」

 タドラの声に、ルークも同意する。

「ああ、確かに何かおかしいな、何というか……誰かにじっと見られているようだ」

「……まさか」


 二人は無言になる。


「一旦砦に戻ろう。何かまずい気がする」

「そうですね。一旦戻って情報を整理しましょう」

 そう言うと、向きを変えて北の砦へ向かって飛び去って行った。



 その姿を、森の木々の隙間から何人ものシルフ達が無言で見つめていたのだった。

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