夕焼けと城壁の街

 日が暮れる前に宿に戻ったレイとニコスは、宿の食堂の隅で顔を寄せて話し込んでいる、ギードと宿の主人のバルナルを見つけた。

「ただいま。ギードはもう帰ってたんだね」

 レイが声をかけながら側へ行くと、二人は顔あげた。

「おお、お帰り。ちょうど良い時間に帰って来たな、今の時間は部屋から見る夕焼けが綺麗なんじゃ。せっかくだから部屋へ戻ろう」

 ギードが立ち上がり、レイを見ながら部屋へ上がる階段を指差した。

「夕焼けが綺麗って、街の中だから見えないでしょ?」

 後ろについて階段を上がりながら、不思議そうに言う少年に、ギードは振り返って笑った。

「まあ、それは見てのお楽しみじゃ」

 扉の鍵を開けて中へ入ると、西側の大きな窓に掛けられたカーテンを開いた。

「うわあ……すごい」

 それしか言葉が出なかった。



 部屋があるのは建物の中でも上の階で、そこから見える眺めは、普段見る景色とは全く違っていた。

 西側は、背の低い木造の住宅が並ぶ地域が広がり、傾き始めた夕日が影を落としている。

 左に目をやると、背の高い、旧市街を取り囲む城壁の一部が見える。一段高くなった城壁は、丁度今いる部屋と同じくらいの高さのようだ。

 よく見ると、城壁の角には、見張りのための部屋が作られ、それぞれの部屋には今も小さな明かりが灯されている。

「あの光は? あそこにだれかいるの?」

「この街の守備隊が今でもあそこにいますよ。まあ、新市街が城壁の外側に大きな街を作っている現在では、ほとんど飾りですけどね」

「街へ入ってくる時に通った城壁は、あれと繋がってたの?」

「そうですよ。あの大きな門が、旧市街の端になります。一部が壊されていて、今ではそこが新市街への入り口になっているんですよ」

「城壁を壊しちゃったの?」

 驚くレイに二人は笑った。

「壊したのは、大昔の西から来た隣国の魔法使いだと言われてますね。とても大きな戦いだったとか」

「当時、この街は独立自治を守っておったのだが、その攻撃のせいで籠城戦を破られそうになってな、その時救いを求めたのが、この街と友好関係にあったファンラーゼン王国、つまり我が国の竜騎士隊だったと言われておるんじゃ」

「王都からここまで竜で飛んで来たの?」

「まあ、空を飛んで来るのだからな。馬や徒歩の兵隊よりは、そりゃあうんと早かろう」

「すごいや、竜騎士様がこの街にも来てたんだね」

 真っ赤になった夕陽を見ながら、嬉しそうに呟いた。



 暗くなるまで窓の外の景色を楽しみ、夕食は一階の食堂で食べた。

 ニコスとギードは、赤い色をしたお酒を頼み、レイの前にはキリルを絞った甘いジュースが出された。

 お酒を楽しんでいた二人の前には、分厚い肉をキノコと一緒に焼いたものが出されたが、レイの前に置かれた皿には、二人のとは違うものが盛り付けられていた。

 それは、どうやらお肉には違いなさそうだが、平べったく楕円形に作られて、キノコのたっぷり入った茶色いソースがかかっている。横には茹でた芋が添えられていた。

「これはなに?初めてみるけど、これもお肉なの?」

 ナイフとフォークを持って、ニコスに聞いてみる。

「切ってみると分かりますよ。美味しいので、まずは食べてみるといい」

 ニコスがそう言うのであれば、食べてみようと端を切ってみる。

 驚くほど柔らかく、中から肉汁があふれてきた。食べてみて、さらに驚いた。

「うわ、何これ。すごく柔らかいや」

「それは、牛の肉を挽肉にしたものに炒めた玉ねぎを入れて、もう一度丸い形にして焼いてあるんです」

「美味しい!」

 嬉しそうに食べる少年の前に、焼きたての丸いパンが置かれた。

「気に入ってくれたようで何よりだ。それはうちの店の人気メニューでな、数も限定だし、夜しかやってないんだぞ」

 内緒話をするように小さな声で言われて、レイも思わず小さな声で答えた。

「すごくすごく美味しいです。こんな柔らかいお肉は初めて食べました。キノコのソースも美味しいです」

「そうかそうか、残ったソースはパンにつけても美味いぞ。それじゃあごゆっくり」

 バルナルは笑って言うと、二人の前にもパンを置いて戻っていった。

 嬉しそうに食べるレイを見て、ニコスが言ってくれた。

「それなら俺も作れるから、帰ったら作ってあげますよ」

「嬉しい、楽しみにしてるね」

 満面の笑顔で答えるレイの姿に、二人も自然と笑顔になる。



 食後には、刻んだリンゴとキリルをシロップでつけたものが大皿で出され、小皿に取り分けてくれたのだが、あまりの美味しさにおかわりしたほどだった。

「ごちそうさまでした」

 大満足の夕食の後、部屋へ戻ったが、レイはもう眠くてたまらなかった。

 大きなあくびをニコスに見られてしまい、もう休むように言われて、顔を洗ってベッドルームへ行った。

 そこも十分広い部屋で、窓際とその足元の壁側にベッドが二つ置かれていた。

「窓側のベッドを使ってくださいね。これが着替え」

 買ってもらったリュックと、ドワーフのギルドでもらった手提げ鞄をベッドの横のカゴに入れると、壁側の小さい方のベッドに座った。

「僕こっちが良い。なんだか冒険者みたいで格好いいもん」

 壁側のベッドは、窓際のものとは違い金属で出来ていて寝心地は悪そうだが、枕元に金属の棚が付いているし棚の上はアーチ状になっていて、確かに格好良いかもしれない。

「良いんですか? こっちの方が寝心地は良さそうですけど」

「全然平気。じゃあ、僕こっちで寝るね」

 そう言うと、着替えるために服を脱ぎ始めた。



「それではおやすみなさい。貴方に精霊王の守りがあります様に」

 ベッドに潜り込んだレイの額に、ニコスが優しくキスをしてくれた。

「おやすみなさい、ニコスにも精霊王の守りがあります様に」

 額にキスを返して、目を閉じた。

 ランプの明かりを一番小さくして壁の金具にかけると、ニコスは扉を閉めようとしたが、不意に飛び起きたレイに驚いてベッドに戻った。

「どうしたんですか?」


 ベッドに座ったレイは、真っ青になって小さく震えていた。


 差し出したニコスの手にしがみつくと、消えそうな声でこう言った。

「駄目……それは駄目……」

 抱きしめてやり、静かな声で聞く。

「何が駄目なんですか? 寝る時の精霊王への挨拶ですよ」

「だって……母さんと、あの夜もそうやって挨拶したの……」

 目を見開いたニコスは、もう一度しっかりと、縋り付いてくる小さな体を抱きしめた。

 この少年は、普段はすっかり元気になった様に見えるが、時折あの夜の事を不意に思い出してしまうらしく、不安になる事がある。

「大丈夫ですよ、ただの挨拶です。それならこうしましょう」

 しばらく抱きしめてやり、震えが落ち着いたのを確認してから、もう一度ベッドに潜り込ませる。

 額にもう一度キスしてやり、静かに言った。

「おやすみなさい、明日も貴方に蒼竜様の守りがありますように」

 驚いた様に目を瞬かせたが、次の瞬間笑顔になり、同じようにキスを返してくれた。

「おやすみなさい、明日もニコスにもブルーの守りがありますように」

「畏れ多い。私は精霊王の守りでも良いですよ」

 笑って顔を見合わせて、今度こそ安心して目を閉じた。




 翌朝、いつもより少し早い時間に精霊達が起こしてくれた

『起きて起きて』

『お買い物お買い物』

『朝市朝市』

「おはよう、起こしてくれてありがとう。でもやっぱり眠いや」

 目をこすりながら挨拶すると、交代で頬にキスをしてくれた。

「おはようございます。俺を起こしてくれる時と、ずいぶん扱いが違う気がするのは、気のせいかな?」

 すでに身支度を整えたニコスが、挨拶してくれた後シルフ達に向かって笑って言った。


『気にしない気にしない』

『気のせい気のせい』


 シルフ達は笑いながらニコスの髪を引っ張りいなくなった。

「全く、気まぐれな姫君達だよ」

 苦笑いして乱れた髪を直しながら、起きてきたレイのもつれた髪を梳かしてやる。

「いつもは癖毛なのに、今日はサラサラだな」

 言われて、鏡に映った自分の顔を見ながら、ふと思ったことを聞いてみる。

「これっていつまでこの姿なの?」

「家へ帰って、タキスが解いてくれるまではそのままだよ」

「そうなんだ、じゃあ、今晩にはお別れなんだね。ブルーにも見せたかったな」

「ああ、そう言う意味ですか。それなら、シルフ達に頼んで蒼竜様に伝言して貰えば良い。せっかく変身してるのだから見に来てくださいってね」

 驚いた様にニコスの顔を見たが、彼が頷くのを見て、天井に向かって呼びかけてみた。

「えっと、シルフさん、いますか?せっかくだから、ブルーにも見てもらいたいんだけど、夜にはお家へ帰るんだって。そこでなら見てもらえるかな?」

 すると、シルフが現れてレイの肩に座った。


『蒼竜様にお知らせお知らせ』

『変身夜まで見て見て』


 もう一人が頭の上に現れて、サラサラの髪を引っ張った。


『お知らせお知らせ』

『楽しみ楽しみ』


 嬉しそうにそう言うと、くるりと回っていなくなった。

「通じたみたいですね。ああ、もらった本とペンはリュックに入れておくと良いよ。それで、この空いた手提げ鞄に、何か買ったら入れると良い」

 そう言うと、小さな袋をベルトに付けた鞄に入れてくれた。

「ここには貴方の分のお小遣いが入ってます。銅貨が三十枚入ってますから、大事に使ってくださいね」

「そんなに貰えないよ」

 慌てて返そうとしたが、手を押さえられた。

「自分で何が欲しいか、いくら使うか考えるのも勉強ですよ。もし、これ以上高いものが欲しかったら相談してください。買って良いか一緒に考えてあげます。もちろん全部使ってもかまいませんし、無理に使う必要もありませんからね。でも、何も買わないのは駄目ですよ」

 そう言って立ち上がると、扉を開けた。

「さあ、行きましょう。食事をしたらそのまま出かけるからここには戻らないよ。忘れ物のない様にな」

 そう言われて、慌ててリュックを背負いベルトを確かめる。小さな鞄とナイフが両側に付いている。壁に掛けてあったマントを羽織り、薄い生地で出来た手提げ鞄は、ちょっと考えて折りたたんでリュックの外ポケットに入れた。もう一度リュックを背負い直せば準備は完了だ。

 急いで、ニコスの後について居間へ出ていった。

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