第155話_積み上がる悩みと一人のベッド

 モカの部屋を出て、徒歩一分も掛からない自分の部屋へ戻ったレベッカは、手早く服を着替えるとベッドに勢いよくダイブした。丈夫に作られているベッドはさほど揺れることもなく、彼女の身体を受け止める。

「はぁ~~~」

 身体の中の空気を全て吐き出そうというような長い溜息の後、レベッカは両手で顔を覆った。

「寝ていかないの、じゃないでしょ……」

 つい先程、モカが思わず口にした言葉が『変な意味』に聞こえてしまったのはモカ当人だけではなかったらしい。呟いた後、両手に向かってしばらくレベッカは唸り声を漏らした。あんな言葉で引き止められたら、モカにそのつもりが無いのは分かっていても変に意識してしまう。意識をしてしまえばもう余計に、留まれるはずも無い。相手にはその気が無いのだから。

「よく分かんないなぁ、モカって」

 誰かに愚痴るようにまた呟いて、上掛けを引き上げる。電気を消し、眠る体勢はもう取っていた。しかし、この時間のレベッカはいつも起きてトレーニングをしていた為、すぐに眠気はやってこない。暗い天井を、ただ見上げていた。

 モカは、レベッカから『一緒に寝よう』と誘うと必ず緊張を見せるようになった。恋人になって以来はずっとだ。先日も久しぶりに一緒に眠ったが、以前に増して緊張をしていたようだと、目覚めてから気付いた。しかし、それが可哀相だからと帰ろうとすれば今日のあの言葉だ。レベッカからすれば「何が何やら」という気持ちである。

 そもそも彼女のあの緊張は一緒にベッドに入る度にキスを求めたりその先を求めたりしていたレベッカが原因なのだろうけれど、その割に、モカの方からも誘ってくることは時折あって。そういう時は必ず緊張の様子は見せず、まるで恋人になる前の、『姉のような』顔をしてレベッカを甘やかしてくる。

 以前の二人を保ったまま、新しい関係を作る。それはとても素晴らしいことだし、嬉しい気持ちも勿論、レベッカにもあった。けれど恋人としての関係が遅々として進まず同じ位置に留まり続けることが、どうしても気になって仕方がない。

「それに、上とか下とか、有耶無耶になって確認できてないんだよね。……いや、確認していい話かも、分かんないけど」

 怪我をして入院するよりも前に、イルムガルドに言われた件だ。女同士ならどちらが抱く側なのかを気にする必要もある。ずっとレベッカは何も考えず抱く側に回ろうとしており、あの時に初めてそんなことを意識するようになった。どのように切り出して聞くべきかもサッパリ分からないが、この件ももう気にならないとは言えない。

「……今は、訓練に集中しろってお導きかな~」

 彼女を悩ませる課題は、降り積もるように増えていく。

 両手を天井に向け、自分の手を見つめる。今まで生きてきて一番の大きな怪我からようやく回復し、以前のように動けるようになってきた。だけど奇跡の力が戻らない。もし威力が下がってしまうにしても、せめて安定して扱えなければきっともうレベッカは戦場には戻れないのだ。

 再び大きく息を吸って、吐き出して。レベッカは何かから隠れるように、上掛けの中へと潜り込んだ。


 翌朝、昼の少し前からレベッカは訓練室に来ていた。

 日中にはあまりこのような場所に立ち入らないレベッカだが、今回は医療班や専門の職員と共に取り組む必要があった為、この時間に設定されていた。昨夜早くにトレーニングを済ませて眠ったのはその為だ。今日ばかりはこの時間、居眠っているわけにはいかなかった。

「もう一度、繰り返してくれ。これが最後だ」

「はーい」

 職員の指示に従って、何度も同じことを繰り返す。だが、同じ結果はどれだけ条件を揃えても、出てくれない。職員らはおそらく今のレベッカの能力にトリガーやパターンを出そうとしているのだろう。レベッカは最初に訓練内容を聞いた時にそう察していたが、きっと何も分からないだろうとも思っていた。既にレベッカ自身が何度も何度も力を利用し、出来る時と出来ない時の違いがまるで分からないことに、深く項垂れていたのだから。

 そして案の定。一通りの測定を終えてから職員らが待機する場所にレベッカが戻ると、そこに居た職員らは一様に難しい顔でデータを眺めていて、レベッカは「ねー」と言った。自分のことで悩ませているのは分かっているけれど。

「レベッカ、ちょっとこっちで話をしよう」

「うん」

 頭を抱えている職員らを横目に、別室へと通される。そこはミーティング用の完全な個室であり、他の誰かに会話を聞かれる心配も、姿を見られる心配も無さそうだ。そのことに、レベッカは安堵していた。訓練室は複数の個室があるけれど、測定室との間にはロビーがあり、他の訓練室を使っている者とすれ違うこともある。今はあまり訓練を見られたくないレベッカにとっては、長居したくない場所だったのだ。

「昨日のトレーニング内容と、その後の検査結果も出ているよ。身体機能や反射速度に、怪我の後遺症は全く見られないね。運動はもう自由にして構わないと、今日中にも許可が下りると思う」

「おー。計画書も要らないってことだよね?」

「ああ」

 リハビリとして医療班の立ち合いの元で行う運動以外は、レベッカは事前に計画書を出さなければトレーニングルームの利用が許されていなかった。機器を使う場合は負荷の設定内容、例えばバーベルの重さまで全て報告しなければならない徹底ぶりで、あまり書類作業を得意としていないレベッカには負担だったのだろう。職員が頷くのを見て、明るい笑みを浮かべる。

「じゃあ次は奇跡の力についてだが。まず、レベッカの中で何か変化は感じるかい?」

「うーん。特に無いなぁ。あ、でも一個思い出したんだけど」

 そう言ってレベッカが話したのは、まだ病室で横たわっていた時のこと。モカ達が災害支援の任務で出ている間に、司令が一人で彼女を見舞いに来た。あの時、部屋に入ろうとした司令を水浸しの床で驚かせてしまっている。司令はそのことを、職員らには報告していない。もし職員や医療班が知れば、危険だと判断してレベッカの能力使用の一切を禁止してしまったかもしれない。しかし下手に禁じてしまえばレベッカが何か無茶をするのではないかと司令は危惧し、「問題の無い内は」と彼の中に留めていたのだ。つまり、この話は職員には初耳だった。

「その時もあんまり上手く動かせなくって床に落としちゃって。誰か来たから、慌てて動かそうとしたんだけど、やっぱりダメで。あーあって思いながら、どうぞって返事したの」

 レベッカの能力が不安定になったのは、怪我をした直後からだった。痛みがマシになり、少しの余裕が出て、でも身体は動かせないからと能力を利用して――すぐ、レベッカは上手くいかないことに気付いていた。

「でもその後、司令が入った時は動かせたんだね」

「うん、なんか。司令の顔見たらホッとした? 気が抜けた? せいかも。いつも通りに動かせる気がして、やってみたら普通に出来た」

「ふむ……」

 怪我のショックか、精神ストレスか。やはりその辺りが原因だろうと全員が思っているものの、どれだけ精神チェックを行っても不自然な点は無い。勿論、多少はストレスを感じていることが数値に現れている。しかし今は奇跡の力が不安定であることが最もストレスだと本人が言う。卵が先か鶏が先かという話だ。実際、リラックスしている時、緊張をしている時、どちらの場合でも測定はしているが、成功率に大きな差は無かった。

「これ、出来たらまだみんなには言わないでほしいんだけど」

 長引くほど、レベッカも隠せないことは分かっているが、出来る限りは。そんな風に思って職員を窺うと、彼は眉間に深い皺を寄せていた。

「……すまない。既に司令には報告しているし、チームメイトにも、少し前に告げたそうだ」

「え」

 願うタイミングが既に遅かったらしい。

 レベッカは衝撃の事実に目を大きく見開き、しばらく静止した。その顔を見た職員は焦った様子で言葉を重ねる。

「君の復帰が遅れるという報告の時、チームメイトが酷く体調を心配してしまったそうで、仕方なく」

 フラヴィや他の子らがレベッカの復帰時期を気にするだろうことは予想が出来ていたし、「目途が立っていない」などと言えば心配になるのも当然で、司令の説明が悪かったのも間違いない。だが一職員が総司令に対してそんな表現ができるはずもなく。とにかく『仕方がなかった』という言い方に留めた。

「だが司令にはこれ以上は話さないよう、すぐに伝えておくよ、本当にごめん」

 懸命に職員は謝罪をしているが、レベッカの耳には右から左へ抜けてあまり聞こえていなかった。今、彼女は昨夜に会ったばかりのモカの顔を思い出していたから。昨日の時点で、モカはもう知っていたはずだ。モカに限って気に留めていないはずがないのに、それでも何も聞いてこなかったこと。話題にも上げてこなかったこと。

「あ~~~、気を遣わせたかなぁ……」

 モカは、この事実に怒る権利が多分にある。

 何せレベッカは、モカの視力が落ちていたことを知った時。アランやイルムガルドよりも自分が知ることになった事実に酷く傷付いて、モカにも無用に感情をぶつけている。あれだけのことをした自分が、こんなに大事なことをモカには一番に打ち明けなかった。怒られて然るべきなのに――。モカは、何も言っていない。

 とうとう頭を抱えてテーブルに突っ伏してしまったレベッカに、職員はおろおろするばかりだ。その気配を察して、レベッカは早々と顔を上げ、「ごめん、何でもない」と首を振る。

「出来るだけ心配は掛けたくないってだけ、伝えておいて。後はもう、司令達に任せるよ」

 レベッカが一番隠していたかった人達には既に知られてしまったようなので、もう先程の願いはあまり意味が無い。とは言え、広く知られるのもやはり、気分の良いものではない。司令や職員が『知らせるべき』と思う範囲に留めてくれれば、反対する意思はもうレベッカには無かった。

「ありがとう、君の気持ちは分かっているつもりだ。可能な限り、配慮する」

 職員の告げる誠実な言葉を、レベッカはいつも信じている。彼に柔らかく頷き返した。

 レベッカは、悩んだり苦しんだりしているところや、必死に頑張っているところを、人には見られたくないという考えを常に持っていた。生来のものか、大家族の長女として培ったものかは分からない。しかしみんなが『レベッカらしい』と思うように、敢えて明るく、能天気に振舞う節がある。

 この心情が、訓練やトレーニングを誰も居ない早朝に行う理由の最たるものだ。

 特に今回は不甲斐なく戦線を離脱してしまったことで、一刻も早い復帰を目指し、どんなに辛いリハビリも歯を食いしばって頑張っていたし、離脱した時の悔しさを振り払うように努力していた。

 しかし。結果はこれだ。身体は医療班が驚くほどの回復を見せたのに。奇跡の力が、元通りにならなかった。

 今、彼女はWILLウィルに配属されて以来、最大の壁にぶち当たっていた。努力すればいいという問題ではない。何をどうすればいいのか全く分からないことがあまりに苦しくて。そのことを、『レベッカらしい』顔をしたままでモカやみんなにどう告げればいいかが分からなくて。隠してしまった。

「でも、黙ってたことはちゃんと謝ろ……」

 職員との話が終わり、少し待機となったレベッカは再びテーブルに項垂れながら通信端末を取り出す。普段通りの生活サイクルを送っているなら、もうモカは昼食を終えた頃だろうか。次に予定されている検査が終わればレベッカも夜まで予定は無い。会える時間を確認するべく、モカ宛てにメッセージを打ち込んだ。


「――今日は早かったのね、驚いたわ」

 検査が思ったよりも長引いてしまい、結局モカの部屋を訪れたのは夕方だった。しかしモカが「早い」と言う通り、深夜にばかり訪れていたレベッカが、夕飯の時間よりも早く来るのは珍しい。

「ごめん、何か用事あった?」

「いいえ。入って」

 モカは何処か可笑しそうに目尻を下げて首を振ると、何の憂いも無くレベッカを部屋に招き入れる。やはりどう見ても、モカは怒っている様子が無い。レベッカには、ややバツの悪いことだった。

「ねえ」

「あの」

 互いに向かい合い、モカの淹れたコーヒーをひと口飲んだ時。二人の声が重なる。

「ごめん、なに?」

 レベッカは続きを飲み込んでモカの言葉を先に促したけれど、モカは少し困ったように眉を下げた。

「私のは大したことじゃないから、レベッカから話して。……何か用があって来たのね」

 普段とは違う時間に来たこと、そしていつものように『今から行っていい?』という唐突な形でなかったことがその為であると、今の一声だけでモカは察してしまったらしい。これでは、自分の順序を後回しにするのは更に逃げるようで居た堪れない。レベッカは覚悟を決めるように口を引き締めてゆっくり頷いてから、静かに息を吸った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る