第125話_夜の知らせが部屋に不安を残す

 この街の生活サイクルから言えば、まだまだ浅い夜だった。

 それでも零時を回る前には就寝するイルムガルドとアシュリーは、この夜も既にベッドに入っていた。

 甘い声と布ずれの音だけが響いていた二人の部屋。そこへ、不意に電子音が入り込む。イルムガルドの通信端末がメッセージの受信を通知していた。アシュリーの肌に唇を落とすイルムガルドは気付いているはずなのに反応を示さず、アシュリーは苦笑をした。そして代わりに手を伸ばし、イルムガルドに了承を取ってからそれを開く。

「イル、緊急、だって。一時間後に集合、準備ができたらすぐ、出動」

「えー……、うーん、あと五分」

「ふふ、寝起きみたいね」

 起きることよりもイルムガルドが渋っているのは行為を止めることだけれど、言葉だけを切り取れば二度寝をしたがる子供のようで、アシュリーが笑う。求めていることは子供が知るべきですらないような内容ではあるが。結局その言葉通り、イルムガルドはきっちり五分間、アシュリーに触れる手を止めようとしなかった。

「いいところだったのに」

 ようやく行為を止め、身体を起こしたイルムガルドが不満そうにそう零して口を尖らせる。共に身体を起こしたアシュリーは身支度を手伝うつもりだったのに、イルムガルドが再び腰を捕まえてキスをしてくる為、ベッドから下りられない。

「どうしたの、物足りない?」

「全然足りない」

 そんな即答が返るものの、彼女らがベッドで戯れ始めてから既に一時間近くが経過していた。足りないと言うには少々長い。それでもいつも行為が長いイルムガルドからすれば、少しも納得できない時間であるらしい。鬱々と溜息を零すイルムガルドの背を慰めるように撫でながら、アシュリーは笑った。

「じゃあ、帰ったら続きね」

「わたしが触るから、自分で慰めたりしないでね」

 その言葉にアシュリーは目を瞬く。イルムガルドは不満な顔をしながらも瞳の奥は少し楽しそうで、新しい戯れを思い付いたという顔をしていた。アシュリーも口元を緩め、その戯れに応じることにした。

「どうしようかしらね、あんまり長いと、寂しくてしてしまうかも」

「えー」

「ふふ、冗談よ。ちゃんと待っているわ」

 いつの間にかイルムガルドも頬を緩めていた。再び軽く口付けを交わしながら、まだ服を身に着けていない互いの肌を触れ合わせる。煽るよりも今は揶揄う意図が強く、どちらも楽しそうに笑っていた。

「イル、ほら、早くシャワーを浴びてきて。着替えは用意しておくから」

「はぁい」

 しかし、ひと度ベッドから下りてしまえば親子のようなやり取りに変わる。イルムガルドが素直にバスルームへと向かった音を聞き、アシュリーはその間に彼女の戦闘服や遠征先での着替えを用意した。こうした緊急の出動にも対応できるようにと、常にその辺りはひと纏めにして置いてあるので時間は掛からない。問題は、もう一つの準備の方だ。

「こんなにすぐ次の出動とは思っていなかったけど……ちゃんと携帯食を用意しておいて良かったわ」

 小さく独り言を呟きながら、アシュリーはイルムガルドに持たせる為の食糧を専用の容器へと詰めていく。WILLウィルからも、普段から出来るだけ常備しておいてほしいと言われていたので、前回持たせた後、ちゃんと補充してあったのだ。

 そうして何とか時間内に準備を済ませ、アシュリーはイルムガルドを見送った。

 一人分の気配だけが残った部屋の中では、必ず同じ不安と恐怖が湧き上がってくる。誰も居ないから、誰にも聞かれることなどないのに、アシュリーは極めて静かに深呼吸をした。膨れ上がってしまう感情を、押し込めようとするかのように。そして万が一に備えて『追加』の食糧を準備する段取りで、彼女は己の思考を埋めることにした。


 イルムガルドがタワーに到着した時、チームメイトは既に全員が揃っていた。しかし到着が最後であることを誰も咎めようとはしない。最も家が遠いという点もあるが、イルムガルドに関しては食糧も必要であり、準備に誰より時間が掛かるのだと全員が承知している。

「ごはん、持ってこれた?」

 普段は厳しいフラヴィですら、到着するなり心配そうにそう尋ねていた。イルムガルドは簡単に頷き、食糧の詰まった鞄を一つ叩く。

 ただ、それはともかくとして到着したイルムガルドはあまり元気が無く、小さく息を吐いている。気付いたレベッカが傍に歩み寄って、その頭を撫でた。

「どしたの、イル、大丈夫?」

 ゆっくりと瞬きをしたイルムガルドは、撫でられているのを抵抗なく受け止めながら、何処か不満気に口を曲げる。

「アシュリーといいとこだったのに、邪魔された」

 瞬間、レベッカの手は止まった。殺気立つイルムガルドに対しては表情を変えず対応が出来るのに、こういう話題は出来ないらしい。耳まで真っ赤にして、「そ、そか」と小さく相槌していた。隣に立っていたモカが、笑いを噛み殺す。幸い、フラヴィとウーシンは職員と話していて傍には居なかった。

「――はぁ? 電撃兵器? また?」

 数分後、職員らから説明された緊急出動の内容に、フラヴィが声を上げる。彼女の言葉通り、出動要請はだったのだ。例の兵器が大量に投入された敵軍が動いているから、支援してほしいとのことだ。現在『盾』を扱うのはこのチームだけであり、彼女らにしか対応できない。

「あれだけ壊したのに」

 眉を寄せたレベッカが低く呟く横で、モカも難しい顔を隠さない。

「……量産できる環境がある、と考えるのが妥当でしょうか」

 同じくデイヴィッドや職員らも表情を険しくさせているが、敵国の確かな状況は彼女らでは分かりようがない。此処でいくら憶測を重ねても詮の無いことだけれど、モカの言うような想定で何か準備を進めておくべきであるという考えは、デイヴィッドも持っていた。

「その可能性を考慮し、此方も、装備の軽量化や量産については急がなければならない。だが、とにかく今は、電撃兵器に対抗できるのがお前達だけだ。立て続けで申し訳ないが」

 出動自体が仕方ないのは皆、理解している。イルムガルドの消耗が特に懸念事項ではあるものの、日々行われている健診で数値上は安定していることが分かっていた。その内容を説明すれば、イルムガルドに対して特に過保護なレベッカを含め、誰も異を唱えようとはしない。

 そのまま彼女らは飛行機に乗せられ、夜の内に移動して駐屯地へと入る。そしてきっちり休息を取った後、翌日の正午に出動となった。

 今回は前と違い、岩壁の近く、ウーシンにとって有利な地形で戦えることになっている。敵軍の接近を前に、ウーシンは先んじて岩石を用意し、あちこちに転がしている。岩石は一つ一つがそれぞれ大きいものであり、固定した盾の背後に留まっては利用できないので、今回はウーシンの盾も腕へと装備できる少し小型のものになっていた。彼の大きな身体用に、イルムガルドが持つものよりはひと回り近く大きいけれど。そしてレベッカらは前回同様、固定された大きな盾の背後に待機する。映像を内側に出し、正しく動作することを確認している。フラヴィはその彼女の傍で、ようやく見え始めた敵軍の小さな影をじっと見つめていた。

「……ん?」

 遠かった敵軍の影が段々と大きくなり、肉眼でも薄っすらと戦車の形が捉えられるようになった頃。互いの射程まではまだ少し距離がある見込みだが、不意にフラヴィは首を傾け、目を凝らすようにしてそれを少し細める。

「どうしたの?」

 様子に気付いたレベッカが問うが、フラヴィは難しい顔のままで敵から目を逸らさない。

「なんか、少ない、ような気が」

「少ない?」

「同じ形に見えるのに、大砲と電撃砲みたいな複雑な作りじゃないのが混ざってる。火薬も入ってないような……何だろ、張りぼてか……?」

 フラヴィ以外の者は、肉眼以外で敵軍を探る術はなく、とりあえず見つめながら違和感を探ってみるが、何も分からない。数秒後、焦ったようなモカの声が入り込んだ。

『違う! 矢だわ!』

「や?」

 モカの言葉の意味を飲み込むより早く、銀色の大きな金属棒が矢のように放たれ、数本がイルムガルドに向かった。同時に全員が、何の兵器であるかを理解した。バリスタだ。それも原始的な作りではなく、シンプルさを残しつつも何か特殊な細工がされているのだろう。電撃砲はおろか、大砲よりも射程が長い。

『――イルムガルド直接盾で受けないで!!』

 盾で受け止めようとしていたイルムガルドに飛んだモカからの指示は、一瞬遅かった。すぐにイルムガルドは対応したものの、受け流す角度までは盾を動かし切れずに、一部が破損した。そして盾の代わりに使用したイルムガルドの剣も、同じく、砕かれてしまった。

 後方でそれを見ていた三人は一斉に息を呑む。あの矢はおそらく何か特殊な金属で作られており、あまりに強度が高い。イルムガルドの剣はこの国デルカトルムが保有する中で最強度の金属であり、今までに多くの戦車や戦闘機を、刃こぼれ無く切り裂いている。それが負けるということは、此方の装備全てが、あの矢を防げないことを意味していた。おそらくは、自国軍のいかなる装甲車も貫かれてしまうだろう。

「ウーシン! 撤退準備!」

 前方でイルムガルドは予備の剣を抜いて臨戦態勢のまま敵を見ているが、劣勢を瞬時に判断したフラヴィはそう叫んだ。前回とは状況が大きく異なる。向こうは更なる新型兵器を用意してきた。このまま応戦するのではなく、一度撤退して策を練り直した方が良い。指示を聞いたウーシンはすぐにレベッカ達の方へと走る。彼が盾を回収しなければならないからだ。また、盾を構えた状態で後退しなければ、電撃砲で狙われてしまうと撤退も儘ならない。

 だが、ウーシンが二人の元まであと数歩と迫ったところで、レベッカはフラヴィを彼の方へと強く突き飛ばした。

「えっ」

 一瞬、フラヴィは自分の身体に何が起こったか分からなかった。小さな戸惑いの声と共に無抵抗に宙を浮いたフラヴィの身体を、ウーシンが抱き止める。その為に地面へ膝を付いてしまった彼は、もう、間に合わない。

「――レベッカ!!」

 ウーシンの声が、びりびりと地面を揺らし、戦場に響いた。既に放たれた三本の矢が、真っ直ぐレベッカに向かっていた。

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