第123話_剣呑な司令室

 敵軍がウーシンの射程に入るまでに、レベッカだけでほぼ半数を破壊した。

 今まで彼女とウーシンの射程に大きな違いは無かったはずだった。だが今回、レベッカはその範囲を悠に上回った。『少し』と呼ぶような違いではない。距離感に長けた者でなくとも一目で分かる変化だ。しかし、彼女が見せた変化はそれだけではなかった。

 範囲を広げた上で、彼女は明らかに『精度』を上げていた。大きな水柱の横に、いつもよりずっと細い水柱を幾つか上げ、それを使って最小限の力で敵の砲身を動かしていく。きっとアランが使った手段を聞いて、参考にしたのだろう。そうして相手の攻撃できない時間を作り出している隙に、大きな水柱で敵軍を破壊する。また、水柱で高く上げたそれを落とす位置を別の戦車の上にすることで、必ず二両以上をまとめて破壊していった。

 距離、精度、効率の全てを向上させた彼女によって、敵軍が想像以上の早さで破壊されていく光景を見ながら、フラヴィは呆然としていた。その間、通信もしばらく静かであったことを思えば、モカや職員も呆気に取られていたのだろう。

 それでも、敵の数は多く、電撃砲の射程に入るまでに全ての破壊には至らない。結果、彼女らは計五回の電撃砲を受けた。その内二回はそれぞれレベッカとウーシンの盾に。残り三回は砲弾処理中のイルムガルドに。

 レベッカらとは違い、イルムガルドは盾が地上に固定されていない。その為、一度目の電撃砲では身体を守れはしたが、衝撃波をまともに喰らって吹き飛ばされていた。とは言え、丈夫な彼女だ。皆が心配して名を呼ぶ頃には、転がった場所から姿を消していつも通りに走る。二度目以降は感覚を掴んだらしく、電撃砲を受ける直前に前方へと加速し、衝撃を相殺した。通信越しには職員らの感嘆の声が混じる。戦闘中に瞬時に対応できるそのセンスに感心したのだろう。

 装備は想定通りに電撃を防ぎ、当初フラヴィが示した『黄色いライン』、彼女らが東へと撤退を始めなければならない位置に敵軍が到達するまでに、レベッカとウーシンが敵の約八割を破壊した。敵もこのまま強引に進んだところで奇跡の子らを退けることは叶わないと踏んだのか、『黄色いライン』に至ることなく撤退を始める。

「――おい、レベッカもういい!」

 敵の下がる動きを見てフラヴィは安堵していたが、視線の先、水柱の動きに息を呑む。

「逃げる敵は攻撃するな! !」

 下がっていく敵軍を、水柱がまだ狙っている。フラヴィは、レベッカが前方へと翳している腕を引いた。手を翳すことは能力に必須ではない。集中力を高める為のものだろう。だから腕を引いたところで、レベッカの意志が伴わなければ攻撃を止めさせることは出来ない。フラヴィは握っている手に力を籠め、願うように更に強く引く。

 敵軍の傍に伸びていた水柱は、数拍その状態で留まった後、地面へ吸い込まれるように、静かに消えて行った。

「そだね。あ~今日は疲れたなー」

 緩んだレベッカの雰囲気に、フラヴィは改めて、ほっと息を吐く。

 奇跡の子らは基本的には『防衛』の為に配置される。戦線を押し返したい場合には攻め入ることもあるが、自国の領土内を侵されている際にのみ、適用されるものだった。つまり防衛の目的が果たされている限り攻撃するべきではない。それは軍の仕事であり、軍が判断することなのだ。少なくともそうであるようにと上司である総司令官デイヴィッドが望み、何度も子らに言い聞かせている。

 レベッカの水が落ち着いたのを合図にしたかのように、イルムガルドが地上へと着地して、姿を見せた。ガシャ、という重い金属の音に、フラヴィは彼女の様子を窺う。普段の彼女が着地する際には鳴らない音だ。余分に掛かっている負担が気になったのだろうが、背を向けたままのイルムガルドの表情などは分からない。

「誰も怪我してないよね? おいイルムガルド、無事か?」

 問い掛けに、イルムガルドは軽く右手を上げる。平気だと答えているらしい。振り向く様子は無かったが、イルムガルドはまだ射程内である敵から、目を逸らさないようにしているのかもしれない。フラヴィはそれを咎めようとはしなかった。

 敵軍が離れるのに応じて、控えていた自国軍が前に出て、守りを固めていく。完全に敵が自国内から立ち去るまで、一時間近く見守ってから、ようやくフラヴィ達には撤退の指示が入った。

「みんなで揃って、帰れるね」

 穏やかな声で笑い、レベッカが言った。フラヴィも身体から力を抜いて、小さく頷く。

 ウーシンは自分の盾を直方体の塊へと戻した後、既にレベッカが操作して同じ形になっているそれを回収する。二つを彼が抱えたところで、レベッカがイルムガルドを振り返った。

「イル? 行くよー」

 呼ばれた彼女はまだ盾を大きな形にしたまま、着地した時と同じ場所から動かずに、ずっと敵軍を見つめている。レベッカの声にも何も反応をしない。

「……何だよ、何か気になるのか?」

 イルムガルドが違和感を覚える時、今までも何かがあった。不安に感じてフラヴィも改めて彼女の名を呼んだけれど、反応は無い。敵軍の方ではなく、彼女自身の身体に問題があるのだろうか。新しい不安が湧き、フラヴィはレベッカを見上げた。目が合ったレベッカは軽く肩を竦めてから、再びイルムガルドへと目を向ける。そしてもう一度呼ぼうと口を開いた時、イルムガルドは振り返った。

 瞬間、全員が口を噤み、既に少し離れていたウーシンは、条件反射のようにレベッカ達の傍へと駆け寄る。

 彼が思わず警戒してしまった対象は敵ではない。イルムガルドだ。此方に顔を向けたイルムガルドが、酷く殺気立っていた。

 どうしてそれを感じることが出来たのかは、よく分からない。イルムガルドの表情はいつも通りだ。それなのに、何か瞳の色が違う。何処がどう違うのかを説明は難しいが、戦場に身を置く者であれば感じることのできる何かがそこにあった。フラヴィの身体は震え、思わず一歩、後退る。レベッカはその動きを横目に、さり気なくフラヴィを背に隠した。

「イル、どうかした?」

 問い掛けるレベッカの声は普段と変わらず柔らかく、イルムガルドから立ち上る気配にまるで気付いていないかのように振舞っている。イルムガルドがそれに応えるまでの短い沈黙の間に、ゆっくりと彼女らへ近付く足音が、フラヴィの恐怖を増幅する。

「……別に。早く行って。わたしは後ろに居る」

 答えたイルムガルドの声は明らかに、何かの苛立ちを含んでいる。だがそれでもレベッカは特別な反応はせず、にこやかに頷いた。

「うん。じゃ、帰ろっか~」

 レベッカは呑気な声で応えつつも怯えているフラヴィを気遣い、必ずフラヴィとイルムガルドの間に自らが入るようにして歩いた。最初は警戒する表情を見せたウーシンも、そんなレベッカに促され、撤退すべく先頭を歩く。

「も、モカ姉、周りに伏兵とかは無いよね?」

 最後尾を歩くイルムガルドから漂ってくる気配のせいで、再び緊張感を持ったフラヴィが通信に向かって尋ねる。ほんの少し間が空いた後で、モカが応答した。

『ええ、半径三キロ以内に敵兵は無いわ』

 その言葉通り、四人が軍用車に回収されて駐屯地へと戻るまで、敵からの襲撃を受けるようなことは無く、特に異変と思える事態は起きなかった。

 駐屯地、そして帰りの飛行機でも凡そ無言のまま不機嫌な空気を放っていたイルムガルドは、職員に促されるままに、アシュリーから渡された食糧を食べていた。今回は特に大量に作ってもらったようだ。重い盾を装備した状態で戦うことになったイルムガルドは、以前よりも戦闘中の消耗が激しい。ただ、アシュリーが作ったお菓子などと摂取すれば他の食糧の吸収率も少し上げられることが分かったので、上手く補うことが可能となっていた。

 そうして最愛の伴侶が作ってくれたものを黙々と食べている内に、次第にイルムガルドの気配は元に戻り、周りの者を怯えさせることは無くなった。

「――イル、おかえりなさい」

「アシュリー」

 加えて今回は、アシュリーが帰還に合わせてタワーの玄関ロビーまで迎えに来ていた。最近は家で待っていることが多かった彼女だけれど、前の遠征でイルムガルドが攫われてしまったことから、今回は特に不安だったのかもしれない。怪我無く戻った彼女をアシュリーが優しく抱き締めれば、イルムガルドも嬉しそうに彼女へと身を寄せる。

 そこで完全に、イルムガルドの機嫌は直っていたはずだった。

 一度ロビーでアシュリーと離れ、イルムガルドらは先に司令室へと報告に向かう。アシュリーは、後程イルムガルドが向かう予定の精密検査室の近くで、終わりを待ってくれるらしい。

 その存在によってむしろイルムガルドの機嫌はいつもより良かったのだろうに、一通りの報告を受けたデイヴィッドが余計な言葉を発した。いや、彼は必要と感じて言ったのだろうが、フラヴィから言わせれば明らかにそれは『余計』だった。

「イルムガルド、今回も何か気になることがあったのか? また足を止めたとあったが」

 その問い掛けに、一瞬前まで彼女が纏っていた柔らかな空気が一変した。折角収まっていたのにと、フラヴィは身体を強張らせながらも司令を睨み付ける。

「……別に無い」

 急激にトーンを下げた声は明らかに低く、イルムガルドの不機嫌を表している。それにも拘らず、司令は問いを繰り返した。

「本当か? もし何かあるなら、些細なことでも教えてほしい」

「何も無い」

 答える度にイルムガルドから滲み出る殺気は段々と濃く、鋭く変わっていく。フラヴィは一層、小さな身体を震わせた。それなのに尚も質問を続けようとする司令の様子に、もう止めてくれと、フラヴィは心の中で念じていた。怯えている彼女の肩を、レベッカが片腕で引き寄せる。

「もーいいじゃん司令、イルは無いって言ってるでしょ?」

 部屋に漂う雰囲気を知らないかのような優しい声でレベッカが間に入った。それに対して「そうか、すまん」と呑気に答える司令には、イルムガルドが身体中から発している気配が全く分からないのだろうか。それともWILLウィルの総司令ともなれば、子らが発する殺気など気にするほどでもないものなのか。

 結局、デイヴィッドがイルムガルドの気配に動じる様子は無いまま、話は切り上げられ、イルムガルドは精密検査の為に部屋を出て行った。他四名は、他の検査室の準備が整うまでしばしの待機となる。

 張り詰めていた部屋の空気が和らぎ、フラヴィが長く息を吐く横で、モカとウーシンも同じく息を吐いた。二人もイルムガルドの気配には緊張していたようだ。特にモカは、対抗手段の持たない非戦闘員である為、フラヴィ同様に怖かったことだろう。ウーシンは恐怖を感じていたのではなく、何かあれば対抗するのは自分だという意識からの緊張だったのかもしれない。

 その中でただ一人、纏う空気を変えなかった子は、レベッカだけだった。

「……よく平気だったね、レベッカ」

 慎重に呼吸を整えてからそう問うフラヴィに、レベッカは笑いながら首を傾ける。

「いやいや怖いよー。アタシじゃイルには敵わないしさー」

 本人はそのように答えているけれど、何処までもレベッカの声は明るく、怯えなど欠片も見えない。

「どうしたんだろうね。うーん、アシュリーに言っておいた方が良いかなぁ」

 フラヴィを抱いていた手でそのまま彼女の髪を軽く撫でながら、レベッカはモカを振り返る。撫でられるのをあまり好まないフラヴィに手を振り払われていたが、そちらの方も気にするつもりは無いようだ。モカは不満そうなフラヴィの顔に思わず苦笑いを浮かべ、その問いにすぐ、答えられなかった。

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