第102話_食堂で噂話

 フラヴィはランチプレートをトレーへ乗せると、食堂内を見渡し、ようやく見慣れてきた後頭部を見付けて歩み寄る。

「おはよ。隣座るよ」

「あ、うん、おはよう、フラヴィちゃん」

 声を掛けられた瞬間、テレシアはやや大袈裟にも思えるほど驚いた様子で肩を震わせた。そしてフラヴィの顔を確認すると、幾らか安堵した顔を見せる。彼女の能力がどのようなものであるかは軽く説明を受けているものの、このように不意に声を掛けられることについては、何か能力の問題で酷く驚くのだろうか。いや、単にテレシアの性格の問題かもしれないけれど。何にせよ少々申し訳ない気持ちになりつつ、フラヴィは隣へと腰掛ける。

 一度共に昼食を取って以来、こうして二人は時々一緒に座るようになっていた。テレシアが先に来ていればフラヴィは必ず隣に座るし、逆にフラヴィが先に座っている時、後から来たテレシアを呼ぶこともある。ただ、フラヴィが気付かない場合には、テレシアは自らフラヴィの隣にやってくることは無かった。

「一昨日、僕が食べてる時に、テレシアも食堂居たよね」

「え、あ、うん」

「来てたなら傍に来いよ。一人だったでしょ?」

 一昨日、ランチを終えて席を立った時、全然違う場所でテレシアが一人で食べているのをフラヴィは見付けていた。他の誰かと食べる為であったなら仕方が無いが、そうでないなら、いつものように来てくれたらいいものを。あの時、テレシアの方から進んで隣に来たことが無いのだと、フラヴィは気付いてしまった。不満そうな顔をしているフラヴィに、テレシアは頻りに目を瞬いて、焦った様子で口を開く。

「あ、そ、そうなんだけど、ええと、フラヴィちゃん、チームメイトさんと、座ってたから……」

 つまり気を遣ったのだと言うテレシアに、フラヴィは更に不満げに眉を寄せる。確かにあの日はレベッカとモカが一緒だった。彼女らも、フラヴィが一人であれば必ず合流してくる人達ではあるが、二人とはランチ以外にも行動を共にすることが多いのだ。テレシアと比べて、フラヴィにとっては優先すべきと言うほどの相手ではなかった。

「いいんだよ二人はいつも一緒だから。今度は来い……何、僕と食べるの嫌だった?」

「えっ! そ、それは無いよ、全然。あ、あの、今度からは、行くね」

 大きく首を振ってテレシアは否定しているが、ここまで自己主張が薄い相手をフラヴィは知らない。本心かどうかを、汲み取ることが難しかった。自分は少々強引なのだろうかと不安に思い、言葉を選んでいたフラヴィだが、もう一人、見知った姿が横切ったところで思考は霧散した。

「おーい、ここ座ってもいいよ、フィリップ」

 正面の椅子を指差してその相手に声を掛けると、フィリップは振り返って二人を認識してから、美しい顔を不快そうに歪める。

「私が一緒に食べたがってるみたいに言うの止めてくれる?」

 しかしそう言いながらも、大人しくその席に着く辺り、やはり口ばかりが反抗的なのであって、行動を思えばイルムガルドよりもずっと彼の方が従順ではないだろうかとフラヴィは思う。

 また、前回話したことで多少、フィリップとテレシアの間の亀裂は修復の傾向がある。フィリップはテレシアをちらりと見たが、友好的な挨拶こそ無かったものの、噛み付こうとする様子も全く無かった。

「あ、そうだフラヴィ」

「んー?」

 問い掛けに返事をすると共にふと顔を上げると、野菜がたっぷり乗ったクリームパスタを器用に巻き付けて口に運ぶフィリップの食事動作は淀みなく美しく、そういえばラストネーム持ちのお坊ちゃまだったとフラヴィは思い出す。そんな視線には気付いていないのか、フィリップは戸惑う様子無く話を続けた。

「イルムガルドって今、どんな状態なの? メールしても、『大丈夫』しか返って来ないんだよね」

「あいつらしいな……」

 普段の彼女を思えば、まだ返信をしているだけ、むしろ優しい対応だ。

 イルムガルドが一時的であれ敵国に拐かされた件については、WILLウィルの内部には広く知らされていた。敵国がそのような目的で奇跡の子と対峙する可能性があるのだと警戒させる為だろう。イルムガルドが自ら脱出して帰還したことで、大事は無かったという点までも知らされているものの、彼女の体調は万全ではない。その部分は意図的には伝えられていないけれど、噂程度では広まっているようだ。ウーシンが何度もイルムガルドを担いで家に送り届けていることから考えても、隠し通せることではない。横からフラヴィを見つめるテレシアも心配そうな表情を浮かべていることを感じ、フラヴィは出来るだけ柔らかな表現を選んだ。

「まだ調子は悪いみたいだけど、命には別条ないって。自宅療養だから、そんな危ない状態ではないってことだと思うよ」

 そのように伝えてやれば、二人は不安げな顔を完全に消しはしなかったが、少しばかりは安心したようだ。その中で、ともすれば最も不安を抱いているのはフラヴィだったのかもしれない。

「けど、あいつ結構、無茶するからさ、テレシア」

「え、うん?」

 不意に水を向けられたテレシアが不思議そうに首を傾ける。フラヴィは彼女と目が合うと、やや迷った様子で口を閉ざした。フィリップやテレシアを不安にさせないようにイルムガルドの現状を伝えたはずなのに、今から伝えようとすることは真逆のものだ。それが正しいことであるのか、フラヴィは分からない。ただ、彼女には今も繰り返し思い出す、かつてのチームメイトが居る。

「手が届かなくなる前に、後悔しないように、した方が良いよ」

 もう、会いたいとどれだけ願っても会えない人が居る。スタートナンバーの一人で、ウーシンと肩を並べるほどに強かったその人は、あまりにも呆気なく、戦場で命を落とした。別れはいつだって唐突に訪れる。WILLウィルである子供は、それを知らないままでは居られない。フィリップやテレシアはまだ入ったばかりでピンと来ないかもしれないと思いながらも、フラヴィはそれを伝えずにはいられないのだ。今も彼女の心に残る後悔を、他の誰かには持たせたくないとどうしても願ってしまう。

「……いや、テレシアも事情があることだし、頑張ってるのも分かってるんだけど。それにイルムガルドは強いから、滅多なことは無いって思うよ、縁起でも無いこと言ってごめん」

「ううん」

 ほんの少し落ちた沈黙を気まずく感じたフラヴィが慌てて言葉を続けると、テレシアははっとした様子で首を振る。

「ありがとう。そうだよね。……早く、何とかしなくちゃ。私だっていつまでも、タワーに居るわけじゃないと思うから」

 イルムガルドは確かに危険な目に遭いやすい奇跡の子だ。トップチームに身を置き、誰よりも前で戦うからこそ、そのような結果に繋がりやすい。しかし彼女の持つ強靭な肉体や、能力の強さから、今のところは全て大事なく逃れている。つまりそういう点で言えば、イルムガルド以外の者の時間が限られている可能性の方が高いのかもしれない。テレシアが次の遠征で、帰らなくなる可能性だってゼロではないのだ。

 奇跡の子は、WILLウィル加入初年の死亡率が、最も高い。

 ふとその数字を思い出し、フラヴィは言葉を続けることが出来ずに押し黙る。こうして今、何の憂いも無く顔を合わせて食事をしている相手が、明日からはもう会えないようなことが、珍しくはない。その重みを受け止めて、たった十二歳の少女には何も言葉が無かった。

「とにかく、身体が逃げちゃわないように、したいんだけどなぁ……」

 しかし溜息交じりにテレシアがそう呟いたので、フラヴィは慌てて気を取り直して顔を上げる。すると正面に座るフィリップと目が合った。彼も妙に焦っているように目を瞬いていたので、おそらく、フラヴィと同じ状態だったのだろう。互いに目を合わせた状態で目を瞬いて、何とか次の言葉を引き出した。

「結局、イルムガルドの音が静かなのが、怖いんだっけ、いや好きなんだっけ?」

「わ、私の方がイルムガルドのことは好きだけど」

「それはもう良いんだよ張り合うなよ」

 二人のやり取りに思わずと言った様子でテレシアが少し笑う。そうしてようやく、彼女らの間に滞っていた暗い空気は消えて行った。ただ、それと同時に、悲しいかなフィリップには迎えが来てしまった。

「フィリップ、食事は終わっているわね」

 冷たい声だけでもフィリップは凍り付きそうな顔を見せる。背後を振り返るまでに何故か彼はたっぷり三秒も静止した。

「きょ、今日は時間通りに昼食に来てるじゃん。ヴェナってせっかち過ぎじゃない?」

「……何て?」

「何デモナイ、戻リマス」

 瞬時に背筋をしゃんと伸ばしてトレーを持って立ち上がるフィリップに、フラヴィが笑う。

「いつも邪魔してごめんなさいね」

 テレシアとフラヴィを振り返ってそう告げるヴェナは、表情が優しく穏やかで、フィリップに声を掛けた時とはまるで別人だった。フラヴィは首を傾けながら二人を見送り、肩を竦めてテレシアへと視線を向ける。

「本当、何を研究してるんだろうな、また今度聞くか」

 少なからずカミラ経由でヴェナについては良く知るテレシアも、研究内容などを知っている様子は無く、同じように首を傾けていた。

「それにしても、ヴェナは男に冷た過ぎる気がするよ。あ、あとカミラにも」

「あはは……」

 見た目で言うならフィリップはほとんど少女なのだけれど、他の男性らと扱いが変わらないところを見る限りはそういうことではないのだろう。敵視していると言うほどではないが、やはりフラヴィや他の同性の奇跡の子に対する態度と比べてしまえば、何処までも氷を連想させてしまう対応である。ただ、彼女が最も冷たい相手は、同性であるはずのカミラなのだけど。

「テレシアはカミラとチームメイトだろ、二人がやり合ってるところって結構見る?」

 普段は研究室に居るヴェナではあるが、不思議なことにフラヴィはカミラとの喧嘩を何度も見掛けている。ここ一年間はカミラがタワーに居なかったことで見ることは無くなっていたが、彼女が帰って以来、既に複数回も見かけたことを考えれば頻度は高いように思えた。フラヴィ以上にカミラと接する機会があるテレシアならもっと見ているだろう。そう予想した通り、テレシアは否定することなく、少し表現に迷った様子を見せた。

「うーん、ちょっと困るやり取りは、ある、かな……でもいつもカミラさんだけは機嫌が良くて、混乱するんだよね……」

「はは! それすごく分かる、僕も最初見た時はどうしようかと思ったもんなぁ」

 彼女らのやり取りをフラヴィは「喧嘩」と表現するけれど、実際、いつも怒っているのはヴェナの方であり、カミラが怒った顔をフラヴィは見たことが無い。辛辣な言葉を浴びるほどむしろ嬉しそうに笑うものだから、当時十歳のフラヴィには一体何が起こっているのか分からなかった。そうしてびっくりしていた当時のフラヴィをフォローしてくれたのは当然、レベッカとモカだった。レベッカがいつも通りの笑顔で「二人はいつもこうだから気にしないで良いよー。ヴェナはカミラ以外にはとっても優しいからね」とフォローしてくれたのだ。その言葉通り、フラヴィはヴェナに優しくされた記憶しかない。テレシアもそれは同意を示した。

「だけど時々、ヴェナさん、カミラさんの方を見てる時が、あって」

「へえ?」

「私が気付いたのを知ると、私に笑顔を向けてくれて、何も無かったみたいに居なくなるんだけどね」

 その場面を思い起こしているのか、テレシアは少しだけ中空に視線を彷徨わせてから、不思議そうに首を捻る。フラヴィは記憶する限り、そのようにヴェナからカミラへ一方的に向けられる視線などを見付けたことは全く無い。

「ふーん、僕それ知らないなぁ。へー、何だかんだ、ヴェナもカミラのこと気にしてるのかなぁ?」

 先の説明通り、フラヴィは、不仲な彼女達しか知らない。カミラは確かに強引で、ヴェナに対しては特にその傾向はあるものの、普段は優しいヴェナがあそこまで徹底的に嫌悪するような振る舞いはしていないように思う。ならば、二人の間で過去に何か軋轢が生じる切っ掛けがあったのかもしれない。気にならないとは言わないが、フラヴィはそれをどちらかに問い質そうとは思えなかった。

「まあ、例え見付けたとしても、僕は指摘しないけどね。ヴェナは絶対に敵に回したくないからさ」

 男性に対する態度、そしてカミラに対する態度を見れば見るほど、その矛先が自分に向くのは絶対に嫌だと言う強い気持ちがあるのだろう。断言するフラヴィに、テレシアはいつになく楽しそうに笑った。

「そうだね、私も止めておこうかな」

 テレシアが普通に笑うところはフラヴィには珍しい。それを見付けたことが嬉しかったのか、フラヴィは柔らかく目尻を下げる。まだまだフラヴィとテレシアの付き合いは短いが、怯えている顔か、控え目に笑う顔ばかりを見ていただけに、今のように楽しそうに笑うテレシアの表情を見たのは、気分が良かったのかもしれない。

「ヴェナとかさ、モカ姉もそうなんだけど、あんまり美人だと最初は何だか怖いよねー」

「う、うん、それはちょっと分かる、かな。話したら、優しい人だって分かるんだけど」

「ねー」

 ヴェナが現れる直前にしていた話を二人が忘れてしまい、雑談のような流れになったところで、フラヴィの背後にモカが立った。

「あら、フラヴィったらそんなに私のこと美人だと思ってくれていたの? 教えてくれたっていいのに」

「あー……今日はちょっと向こうで食べてくれるかな、モカ姉」

 振り返らずとも声だけで誰であるのかを認識したフラヴィは、声のトーンを明らかに落とし、眉を顰めた。一方テレシアは背後からの声にまた肩を震わせて驚いていた。

「ねえレベッカ、どうして私は冷たくされたのかしら?」

「そりゃーそうやって揶揄うからでしょ~」

 わざとらしくそう問い掛けるモカを、レベッカも慣れた様子で笑い飛ばしている。そしてレベッカは何の断りも無く当たり前のようにフラヴィの正面へとトレーを置いて座った。

「いや、レベッカも良いとは言ってないんだけど?」

「えーひどい」

 はっきりと嫌な顔を見せるフラヴィだが、レベッカは何処吹く風だ。涼しい顔で、席を立つ様子なく食事を始めている。その隙に、モカも先程の訴えを聞かなかったような顔でレベッカの隣に座った。テレシアだけが状況に付いて行けず、正面に座る二人とフラヴィの顔を見比べておろおろしている。

「まあいいや……気にしないで良いよ、こういう人達だから。モカ姉はちょっと性格が悪いけど、揶揄ってくるだけで本気で意地悪はしない人だよ」

「え、あ、うん、え?」

 フォローなのかフォローでないのか分からない紹介に、レベッカとモカはそれでも穏やかに笑う。二人が簡単な自己紹介をすると、テレシアも緊張した様子で自己紹介を述べ、それから、初めて会った時にまともに挨拶もしないままで逃げてしまったことを、二人に改めて丁寧に謝罪していた。レベッカとモカは軽く顔を見合わせるけれど、やはり、二人は何処までも優しくテレシアに微笑む。

「いいよー気にしなくて。イルとのことだって、二人の問題だからさ。チームメイトだからって気を遣わなくていいんだよ」

 何でも無いようにそう告げるレベッカには全く含みが感じられない。こういう人だから、彼女は誰にでも好かれて、司令や職員からも頼りにされているのだろう。口には全くしないものの、フラヴィはレベッカのこういうところを少なからず尊敬している。

「あー、テレシア、食べる手が止まってるよ」

「う、うん、ありがとう」

 ふと見れば、先程挨拶をする為にフォークを置いた状態でテレシアの食事が止まっていた。フィリップはとっくに食べ終えて立ち去っていると言うのに、相変わらずテレシアはまだ半分と少ししか食べていない。フラヴィの指摘に慌てて食事を再開しているのを横目に、フラヴィもいつもよりはやや遅めに、テレシアのペースに合わせて食べ進める。そんな二人を眺めたレベッカが、やけに嬉しそうな笑みを浮かべていた。その視線に居心地の悪さを感じたらしく、フラヴィはまた顔を顰める。

「なんだよ」

「いやー、妹と弟も、下が生まれるといつの間にか次の子らの世話するようになってさー、可愛かったなーって」

「テレシアは僕より年上なんだけど!?」

 後輩とは思えども妹という認識はフラヴィには一切無かった。しかし抗議の声は空しく、隣のテレシアまで「フラヴィちゃんしっかりしてるもんね……」と同意に近い言葉を呟くのだから、フラヴィは重ねて居た堪れなくなる。

「私達のリーダーは気苦労が多いわね」

 労うような言葉を呟くモカでさえ、その声は歌うようでまるで憂いや同情を含まない。フラヴィは助け舟を期待できないことを知り、「そういうところだよ」と心の中で独りごちた。

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