第77話_タワー内で起こる変化、進化、瓦解

 レベッカとモカが互いの関係を変えた日、二人は特別なこと無くいつも通りその日を過ごし、夕食後はそれぞれ離れて過ごしていた。関係の名前は変わったかもしれないが、レベッカの言い分では『ずっとそうだった』ようだから、普段通りで良いのだろう。モカはそう思っていた。

 ただ、頭ではそう考えていても、この日のモカは、いつもより色んな行動が遅かった。普段の就寝時間を過ぎても寝支度は全く済んでおらず、もたもたと支度を済ませてようやくベッドに腰掛けた頃には、いつもの時間を一時間以上、過ぎてしまっていた。

 しかし、ゴーグルを外してベッドサイドに置くと同時に、モカの通信端末がメッセージの通知を知らせる。こんな時間に連絡が来ることは珍しい。司令からの緊急かと思い慌てて開くが、送り主はレベッカだ。

『まだ起きてる?』

 いつもなら眠っている時間という考えがあるから、このような言葉を選んだのだろう。モカは外したばかりのゴーグルを掛け直し、改めてメッセージを見つめる。それにしても、『普段の就寝時間』はレベッカの方が早いのに、彼女にしては随分と夜更かしをしているようだ。

『寝ようとしていたところ、どうしたの?』

『一緒に寝てもいい?』

 返事に対する反応も妙に早い。モカは首を傾ける。しかし拒む理由はモカの方には無く、了承を返信すると、ものの一分でレベッカが部屋にやって来た。

「どうぞ。怖い夢でも見たのかしら?」

「そんな理由で一緒に寝たことないでしょ……」

 レベッカは苦笑いを零すけれど、彼女のこんな珍しい行動に対し、『もしかしたら一度は眠ったが起きてしまったのかもしれない』と考えるのは、そんなにおかしな思考ではないようにモカは思う。ただこれは心配と言うよりは、期待に近かった。

「そうだったら可愛いのに、と思って。残念だわ」

 わざとらしく肩を落として首を振っているモカに、レベッカは呆れた顔をしていた。一方でモカは、このような軽口で本当の理由を聞き出そうとしたつもりもあったようだが、レベッカは既にベッドに入り込んで壁際に身体を寄せている。今の会話を続けるつもりは無さそうだ。仕方なくモカもベッドに腰掛け、改めてゴーグルを外してその隣に身体を横たえる。

「ごめんね、急に来て」

 部屋を消灯すると、ようやくレベッカは自ら口を開く。明るい場所で、面と向かっては話しにくかったのだろうか。

「寝ていたら返事しないわ、気にしないでいいのよ」

「うん、ありがと」

 しかし、それだけだ。モカは顔を見つめてみるけれど、レベッカは目をすっかり閉じている。眠いのなら、もう遅いのだから寝かせてあげる方が良いのかもしれない。確認しようとモカが頬に触れると、レベッカの目蓋が持ち上がる。それはまだ眠気を宿していなかった。

「本当に、何も無いの?」

 珍しいことなのだから、理由があるのだろうと思う。簡単に口にしないということは、それなりに強い理由ではないかとモカは思っていた。のんびりと瞬きをしたレベッカに、笑みは無かった。

「……何も無いことはないけど」

「お話しする?」

「しない」

 即答されて、一瞬、モカは目を丸めた。これも随分と珍しい反応だ。揶揄からかって拗ねさせた時に近いが、今回は全く当てはまらない。しかしそんな反応を得たモカは、素直に心配している態度を貫かなかった。

「冷たいわね、『何でも話して』なんて言ってくれたばかりなのに。レベッカは話してくれないのかしら」

 早速『隠し事』をしてしまうのか、とモカは笑いながら指摘する。呆れた顔でも何でもいいから、モカは少しレベッカに表情を崩して、話をしてほしかったのかもしれない。けれど、レベッカは少し目を細めた程度で反応薄く、何か言葉を返す様子も無い。もしかしたら本当はもう眠いのだろうか。モカが少し首を傾ければ、レベッカは徐に、ベッドの中でモカの腰を引き寄せた。

 咄嗟に、距離を保つように腕を差し入れようとしたが、モカの反応速度では間に合わない。入れ損ねた腕に視線を落とした後、表情を窺うべくレベッカの顔を見上げれば、表情を窺うような隙も無く、モカはレベッカに口付けられた。モカの呼吸が止まる。

「何、その顔」

 固まって目を見開いているモカを見つめ、レベッカはまた目を細めていた。

「え、お、驚いて、どうしたの?」

「……どうもしない、したらおかしいの?」

 モカの反応に、レベッカは不満そうにしている。恋人なのだから、キスした訳を聞かれるのはおかしい、と彼女は訴えているようだ。だがモカからすれば、今までモカを少しも意識していなかったレベッカが恋人になった途端に行動に移してくることを、不思議に思ってしまうのはどうしようも無かった。

「無理してない?」

「してるわけない」

「ごめんなさい、怒らないで、レベッカ」

「……怒ってないよ」

 そう言いつつも眉は不機嫌そうに真ん中に寄っているから、モカは緩く笑い、手を伸ばしてその眉間を指先でつついた。

「今みたいな質問に、レベッカが気を悪くするのも分かるのだけど、ずっと片想いだったから、すぐに悪く考えてしまうのよ」

 その言葉に、レベッカは微かに表情を曇らせる。モカの想いにずっと気付いていなかったこと、気付いてあげられずに寂しい思いをさせたことについて、彼女なりに申し訳なく思っているのかもしれない。レベッカはそれ以上、モカの言動を責めようとはしなかった。ただ、モカを抱く腕に力を込め、少し身体を屈める。

「レベッカ、ちょっと、何を」

 寝そべったまま、レベッカが少しずつ身体を下に移動させて、モカの胸近くに顔を寄せている。モカが困惑していることは声で分かっているのだろうが、彼女が動きを止める様子はない。

 モカは全体的に脂肪少なく、華奢な身体付きをしている。モデルにでもなればさぞかし映えるだろうと思わせる体型で、その特徴を彼女の欠点と捉える者は少ないだろう。けれど、一般的には小さい部類に入る胸に顔を寄せることは、男性であっても然程楽しめたもので無いだろうとモカは思う。しかしそこに頬を寄せたレベッカは、戸惑いを構うことなく、更に腕に力を込めた。

「モカの心臓、うるさくなってる」

「……仕方ないでしょう、もう、あなたもそんな意地悪を言うのね、レベッカ」

 ずっと思い続けたレベッカから軽くとは言えキスをされて、抱き寄せられて。胸が高鳴らないほどモカも淡泊ではない。不満を込めて言えば、レベッカはそのままの状態でくすくすと笑っていた。

「意地悪じゃないよ、嬉しい」

 胸にぐりぐりと頭を押し付けてくるレベッカに一つ溜息を零したモカは、行き場に困っていた両腕を仕方なくその背に回した。その後もレベッカはその場に留まりいつまでもモカの心音を聞いている。少し首を傾けて様子を窺えば、目を閉じていた。

「もしかしてそこで寝るの?」

「んー、モカ、どうしたら眠りやすい?」

「え?」

 レベッカは、先日、モカがこの状態だとすぐに眠ったこと、そしてそれを見て、今までは寝苦しかったのではないかと考えたことを打ち明ける。だがモカはそれらを特に認識していなかったようで、首を傾けていた。

「あなたの隣が寝苦しかったことは一度も無いわ。私はもともと、寝付きが良くないの。むしろレベッカが隣で眠ってくれたら、それに誘われて、いつもよりずっと早く眠れているわよ」

「そうなの?」

 やはり先日早くに寝落ちたのは、緊張の糸が切れたという状態だったようだ。モカには認識が無かったのだから定かではないが、その予想をモカが伝えると、レベッカは何処か安堵した顔を見せる。

「そっか、ならいいや」

 ようやくいつも通りの位置に戻り、強く抱かれていた腕も緩められる。腰に軽く腕が残っているが、この程度であれば、今までと変わらぬ距離感だ。レベッカに抱き締められる時間を嫌などとは決して言わないだろうけれど、平静を保っていたいという意味では、モカは解放に幾らかほっとしていた。

 目が合い、おやすみを言い合えば、レベッカは妙に嬉しそうに笑って目を閉じる。この日はいつも通り、レベッカが先に眠り落ちた。モカはその様子を見送ってから、その身体に寄り添い、目を閉じる。

 そういえば結局レベッカは何しに来たのだろうと、眠り落ちる寸前に疑問を思い出したのに、翌朝起きた時には忘れてしまって、モカは聞きそびれる結果になった。


「あ、イル、おはよー」

 翌朝、と言っても時間帯としては昼に近い時間だったが、エレベーターに乗り込めば既にあったその姿にレベッカが嬉しそうに笑みを向ける。共に居たフラヴィとモカも口々に彼女へ挨拶しながら傍に立つが、イルムガルドは無言のままだった。

「おはようくらい返せよ、お前は……」

 呆れたようにフラヴィがそう言うも、イルムガルドは首を傾けるだけだ。レベッカは「まあまあ」とフラヴィを宥め、ついでにイルムガルドの頭を撫でた。彼女に撫でられている間、イルムガルドは基本大人しい。喜ぶ様子は当然無いけれど、逃げることが無い。レベッカにはそれが嬉しいのか、エレベーターが目的の階に止まるまでいつまでも触れていた。モカがそれに軽く視線を落とした様子にも気付いていなかった。

 エレベーターを全員で降りると、モカがするりとレベッカの隣に移動し、軽く肩をぶつける。レベッカは目を丸めた。

「またイルムガルドばかり構って。やっぱりレベッカはまだ、イルムガルドが好きなのかしら」

「ええ……っていうか前好きだったみたいに言わないでよ」

 二人のやり取りは小声で、彼女らより後ろを歩いているフラヴィとイルムガルドには届かない。レベッカの返しに、モカは楽しそうに笑う。本当に妬いているのではなく揶揄っているらしいが、立場が変わってしまって少し、レベッカには居た堪れない。「あーもー」とだけ言って不満を伝えるに留めていた。

 後ろを歩くフラヴィには本当に、その内容の一言すらも聞こえていない。けれどふと前を歩く二人を見上げて、首を傾ける。彼女が得たのは、『なんか違う』という、言語化が到底できそうにない、ひどくおぼろげな感覚だった。

 眉を寄せ、目を凝らすようにしてフラヴィは二人を見つめるも、何処が、という明確な相違点も分からない。けれど確かにその感覚はフラヴィの中にあり、フラヴィは思わず隣に歩いているイルムガルドへと右の拳を突き出していた。

「……フラヴィ」

 唐突な攻撃も、衝撃を流すように受け止めつつ、イルムガルドは静かに彼女の名を呟く。

「わたし殴るの、危ないよ、怪我するから」

 無表情のままで、イルムガルドはそう訴えた。銃弾すらも弾くイルムガルドの身体は強く、肌の質感があるとは言え、その強度だけで言うならば素手でタワーの壁を殴るようなものだ。子供の手など、容易く傷付いてしまう。イルムガルドはそれを良く理解しており、その為、モカやフラヴィがイルムガルドを叩いた際、またフィリップが容赦なく飛び付いてくるような時には上手く動いて、決して傷付けてしまわぬようにしていた。

 しかし、今まではそれが間に合っているからいいものの、もしもイルムガルドが気付かず、受け流すことが間に合わないままに攻撃されてしまえば本当に危ない。此処のところ躊躇なく攻撃してくるフラヴィは、イルムガルドには少々脅威だ。当然、イルムガルドではなくフラヴィの身の安全という意味で。

 だがそんな訴えは聞こえなかったかのように、フラヴィはイルムガルドの袖を引き、彼女に少し屈むように求める。イルムガルドは素直に応じた。

「なあ、二人、何かあったのかな?」

 フラヴィは前の二人に届かないように小さくイルムガルドの耳元に囁く。そして『二人』が間違いなく、前を歩く彼女らのことであると示すように、視線を前に向けた。イルムガルドは軽くフラヴィの顔を見て、屈めていた身体を起こす。

「しらない」

 興味が無いと言わんばかり短くそう告げるものの、フラヴィはその言葉を信じた様子が無かった。前の二人が不審に思わない程度の距離で後ろを歩きながら、隣の横顔を強く睨み付ける。イルムガルドはそれを受け止め、ゆっくり首を傾けた。

 前を歩く二人は、フラヴィが彼女らの微妙な関係や感情について細かく気付いていることなど少しも想像していないだろう。つまり、二人の関係が形を変えたとしても、『まだ子供』と油断しているフラヴィに対してそれを伝えるとは考えにくい。それは流石に、ずっと心配して見守っているフラヴィを思えば、可哀想なことだ。イルムガルドがその思考に思い至ったのかは分からないが、彼女は前を向いたままで静かに囁く。

「モカが何か言って、それでレベッカが見付けたみたい。その後のことは本当に知らない」

 イルムガルドは昨日、レベッカが部屋を飛び出した後のことは何も聞いていない。レベッカから今後も何も報告が無いということは無いだろうが、まだ昨日の今日だ。現時点でイルムガルドが何も知らないことは事実だった。それ故に中途半端な報告だったが、フラヴィはそれについて嫌な顔はしなかった。

「そっか」

 呟いた後、フラヴィは口元を嬉しそうに緩める。それならきっと前に進んだに違いないと、彼女は確信しているらしい。彼女が機嫌よく前を向けば、ようやくイルムガルドはその横顔を一瞥していた。

 なお、四人がこうして共に歩いているのは、仕事の為だ。彼女達――正確にはイルムガルドのチーム四名にモカを加えた計五名が、司令室に呼び出されていた。同じ時間、同じ目的地に向かうのだから、エレベーターで遭遇するのは驚くような偶然ではない。ウーシンの姿はまだ無いが、もし彼が訓練室に居て、そこから向かっているのであれば、方向が逆になるので、違うエレベーターから来るのだろう。

 そう予想した通り、司令室の前の廊下で、逆側から歩いて来る彼の姿を見付ける。彼はちらりとレベッカ達を見たものの、何も言わずに先に司令室へと入り込んでいった。レベッカらの到着は指定された時間の五分前。全員が揃って入り込むと、中は司令とウーシンだけではなく、カミラの姿もあった。

「ああ、揃ったな」

 そう言ったのはカミラだった。司令は難しい顔をしたまま、口を噤んでいる。まるで呼び出しは彼女からのものであるような空気が流れる。しかしカミラは司令を振り返って目配せをしただけで、それ以上は口を開かない。控えていた職員に促されてソファに腰掛ける彼女らの前に、いつも通り、コーヒーやカフェオレが並べられた。

「呼び出してすまないな、チーム編成と運用について少し変更がある。その共有をするつもりで呼んだんだ」

「編成、……ですか」

 モカは眉を寄せた。二つ告げられた目的の内の一つについて、浮かび上がった想像は「まさか」と言いたくなるような判断だったからだ。しかしその予想が正しいと告げるように、デイヴィッドは少しの苦笑いを浮かべ、彼女に向かって頷く。

「ああ。モカを、この子らのチームに加える」

 全員が一様に、複雑な表情を見せた。イルムガルドはあまり表情を変えなかったものの、このような場では興味無さげに俯いているか目を閉じているのに、その瞬間だけ目を開けて、デイヴィッドの顔を短く見つめたことが彼女なりの戸惑いであったのかもしれない。

 そんな空気を幾らか振り払うように、カミラが軽く手を振った。

「まあ、偏りについて気になっているんだろうが、話は最後まで聞いてやってくれ」

 彼女の言う『偏り』とは、奇跡の力の配分だ。今でもこのチームは他と比べものにならないほどの戦果を上げており、トップチームの一つと言えるだろう。モカに直接的な戦力は無いにせよ、支援する力は絶大だ。そういう意味ではモカの能力を必要としているチームは他にも沢山あるはずだ。このチームに、これ以上の力が必要であるとはとても思えない。

 しかしカミラの言葉も尤もで、モカは話の腰を折ってしまったことを司令に丁寧に詫びた。

「いや、疑問は口にしてもらって構わない。それに、この編成は永続的なものではないんだ、モカを振り回す形になって、申し訳ないんだが」

 明るくそう返し、優しげに目を細めたデイヴィッドだったが、その後を続けようとすると、表情が曇る。口元を押さえ、眉を僅かに寄せていた。カミラはそれを見て肩を竦める。

「何を躊躇う? もう決まったことだろう」

 カミラの言葉に頷くも、デイヴィッドの言葉が続かない。見兼ねたのか、カミラはソファの背に預けていた身体を起こし、テーブルに身を乗り出すようにして、前に座る子らを見据えた。

「モカを加えた後、今後このチームはフラヴィに指揮を取らせる」

「……は?」

 唐突に名前を出されたフラヴィは大きく目を見開いた。他の子も同様に戸惑いを見せ、フラヴィへと視線を送っている。

「な、何言って、るんだよ、バカなことを、僕にそんな役目」

「いいや。適性を見て判断している。今後そのように育成していく。その過程として、モカ、しばらくはお前のサポートが必要だ」

 最初に衝撃を飲み込んだのはモカだった。一瞬の沈黙の後、彼女は小さく息を吐いた。

「理解しました」

 その言葉を切っ掛けにするように、他の者も受け入れたのか、沈黙を続ける。ウーシンとイルムガルドに至っては特に異論など無いとでも言わんばかりにすっかり目を閉じている。フラヴィは皆の顔と、司令の顔を見比べるように視線を彷徨わせた。

「いや、いや、おかしいでしょ、誰かなんか言ってよ、何で当たり前みたいに」

「何も今すぐ全部お前にさせようという話ではないよ、フラヴィ。今後そうなれるよう、みんなで準備をしたいんだ」

 動揺のあまり声すらも震えてしまっているフラヴィを落ち着かせようと、デイヴィッドは殊更に優しい声でそう告げる。このように彼女が怯えてしまうと思ったからこそ、彼は伝える順序に迷っていたのだろう。

「今回の打診は、あたしからだ。このチームだけじゃない、他のチームについても、編成の組み換えや、こうして現場指揮を立てる方向で検討している」

 カミラのチームは当然、彼女が指揮を担当する。他のチームについても一部は既に担当が確定しており、まだ決まっていないチームは編成を変えるか、または更なる適性の判断が必要となっていた。

「最近、奇跡の子を狙ったやり方が徹底してきているのはもう知っているだろう。死者も出た」

 その言葉にモカは何も言わず、視線を落とす。レベッカとフラヴィは、心配そうに彼女を見つめるが、敢えてモカは二人の視線に応えようとはしない。

「大人だけじゃない。装備だけじゃない。あたしらも変わる必要があるんだ。生存率を上げる為に、出来る限りのことをしなくてはいけない。……分かるな、フラヴィ」

 カミラの言うことは、フラヴィには当然理解できているだろう。ただ納得できないのは自分が選ばれたというその点だけだ。しかしカミラは彼女のその疑問を見つめているかのように、首を振った。

「お前が適任だ。あたしがそう判断し、あたしが指名した」

「カミラが……?」

「そうだ。お前なら、必ずこの役目を務められる」

 真っ直ぐにフラヴィを見つめてカミラが言い切れば、フラヴィは迷いの末、一度ゆっくりと目を閉じる。そして次に開かれた目は、怯えの色が薄まっていた。

「カミラがそこまで言うなら、頑張ってみるけど、……当面は、モカ姉が助けてくれるってことでいいんだよね?」

 彼女の問いにカミラとデイヴィッドは大きく頷いた。窺えば隣で、モカも優しく微笑んで頷いている。フラヴィは諦めたように息を吐き、了承を示して頷く。その様子を見守って、カミラは現チームメイトを見る。

「ウーシン、レベッカ、イルムガルドの役割は今まで通りだ。お前たちの頭脳となるフラヴィを全力で守り、行く行くはその指示を全幅の信頼で遂行してほしい」

 頷く三人にはもう迷いは見られない。異論は無いようだ。その様子を、何処か複雑な思いでフラヴィは見つめている。デイヴィッドはそんな子供達の様子を眺めて一つ呼吸を置いてから、モカに視線を向けた。

「モカとは後日、今後の育成方針について細かく相談しよう」

「はい、お願いします」

 当然、WILLウィルはモカにフラヴィの教育の全てを任せてしまうつもりは無い。基本は職員らが育成方針を決め、モカと相談、擦り合わせる形で進めていく。

「では、今日の報告は以上だ」

 解散を告げられ、部屋を去って行く彼女らを、デイヴィッドと共にカミラが見送る。フラヴィはまだまだ不安だろうが、部屋を出る際、レベッカとモカが励ますようにして彼女の肩に触れていたので、この後、言葉を尽くしてケアをしてくれるだろう。それが仕事として言い渡されなくとも、彼女らの絆であれば。

 同じく部屋を去るべく立ち上がったカミラは、ソファから数歩離れてから、デイヴィッドを振り返る。

「ありがとうな、デイヴィッド。今回の判断には心から感謝している」

「俺も必要と考えてのことだ。しかし」

「ああ、分かってるさ。は受け入れられないって言うんだろ?」

 険しい表情でデイヴィッドは頷く。カミラが彼にした『打診』は二つだった。一つ、奇跡の子らの中にも指揮を取れる人材を育成していくという提案は、ほぼそのままの形で受け入れられた。しかしもう一つ、特に強くカミラが望んだことは、その一切を許されなかった。

「だがな、デイヴィッド」

 けれどカミラには、その結果を憂えている様子はまるで無い。その顔には、笑みすらも浮かんでいた。

「いつかは、受け入れさせるつもりだ」

「カミラ」

 デイヴィッドが宥めるように名を呼んだが、カミラの目は鋭く変わる。その瞳に宿るのは、全てを燃やし尽くそうとするかのような、だった。

「あたしは敵国を許さない。必ず、報いを受けさせる」

 引き止めるデイヴィッドの言葉を聞く様子無く、カミラはそのまま退室した。カミラは他の奇跡の子らのことをいつも『弟』や『妹』と呼んだ。彼女はあまりに深く、子供達のことを愛していた。デイヴィッドとはまた違う形で、過剰なほどに深く想っているのだ。奪われていく中、誰よりも強い怒りと憎しみをその胸に抱いてしまうほどに。その憎悪を振り払ってやるような言葉をまだ、デイヴィッドは持たない。追おうとした職員を引き止め、力なくソファに座り、項垂れていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る